霧の向こう側 (2)
大佐は、寒そうにコートのポケットに手を突っ込み、荒れ果てた公園を進んだ。実際、霧の外は寒かった。野ざらしの空気は、ラリュング市街地のような淀みはないが、そのぶん冷気を蓄え込んでいるような気さえする。
彼女はコートの裾を翻しながら、しばらくのあいだ公園を歩いた。十五分ほど歩いていると、大佐の目的地が分かってきた。
荒れ果てた大地に、ぽつりと立つ建造物。尖塔を有する、石造りの古ぼけた建物だった。おそらくかつての大聖堂だろう。古臭くはあるが、しかしどうにも見た目以上に頑丈のようで、この公園に起きた『何か』にも見事耐えてみせたのだろう。壁面にいくらか傷は見えたが、それでもほとんど五体満足といった様子で立ち尽くしていた。
「こっちだ、中尉」
大佐が手招きして、教会の門戸開いた。
二メートル強はあろう巨大な扉。そこを抜けると、大聖堂が広がっていた。アーチ造りの屋内。開けた先には崩れたマリアがいる。合わせていた両手は、左腕だけが失われていた。ちょうど右手を胸元にあてているような様子で立ち尽くしている。さらには、その後ろに張り付けられたキリストもそうだ。左腕が消え失せ、聖痕は二つに目減りしていた。
大佐はオーク材のベンチの合間を通り抜けて、かつて聖歌隊がいたであろうブースの脇を通った。木目調の美しいゲートが段々に連なり、壇を作り上げている。しかし、もうここに歌い手が上るようなことはない。天井まで高く伸びるパイプオルガンも、もはやひしゃげてしまい、音など出そうにない。
大佐はそれから、聖堂の脇にある階段を駆け上がった。二階にもベンチはある。大聖堂ということで、かつては人が多く集まったのだろう。しかし、今ではもぬけの殻だ。
大佐は二階までたどり着くと、ちょうど十字架に磔にされたイエスが見えるところで、右へそれた。そこには小さな部屋があった。家具一つなく、もはや何のための部屋であったか想像することすらできない。
「さて、君に見てほしいものがあると言ったな」
「まさか、この部屋じゃないですよね?」
「当然だ」
大佐は鼻で嗤い、それから指で天井をさした。
「あそこに取っ手が見えるだろう? あれが屋根裏への入り口だ。そこからまた、この教会の尖塔に登ることが出来る。昔は他にもいくつかルートがあったみたいだが、いまは崩れてしまっている。ここからしか登れん。君に見せたいものというのは、そこに――尖塔にある」
「じゃあ、その尖塔とやらに行きますか?」
大佐がうなずいた。
彼女が飛び上がって取っ手をあげると、天井から縄ばしごが落ちてきた。わたしたちはそれを伝って、天井裏へ。そして尖塔へ急いだ。
屋根裏部屋は暗く、ほこりぽかった。かび臭く、今にも崩れてしまいそうな床を慎重に歩いていると、横穴に出くわした。そこが尖塔への入り口だった。
どうやらそこは、もともと塔への出入り口ではなかったらしい。無理矢理に穴をあけて、塔へ続く階段に繋げたようだ。その証拠に階段は下へまだ続いていた。
階段は非常に急だった。人一人通るのがやっとな幅に、細く急な石造りの階段が続く。もし雨でも降っていたら、足を滑らせて転んでいたやもしれない。
階段は終わりがないように思えた。時折見える燭台を数えては、わたしはもう少しだと自分に言い聞かせた。しかし、そのうち燭台の数が二桁を軽く越えると、もう数えるのもイヤになってきていた。
終わりのない階段はない。息を喘がせながら、わたしはようやく開けた場所にたどり着いた。急な階段と狭い空間の閉塞感とが余計にわたしの心臓を拍動させていた。
一方で大佐はといえば、涼しい顔をしていた。
わたしたちは、尖塔の首あたりにある展望台に辿り着いた。まだ塔は続いていたが、登れるのはここまでのようだった。
しかし、旧世代の建築物とは思えないほど背の高い塔だ。展望台からは、教会を囲む荒れ果てた公園はおろか、その先にある崩れた民家群も見えた。さらにその向こうには高層ビルの残骸が空気に揺れている。
「見せたかったのはこれですか?」
わたしは徐々に呼吸を整えながら言った。
「いや、違う。こっちだ」
大佐は展望台の裏手に回る。
そこには、望遠鏡が一つ置かれていた。天体観測用のものだ。
「まさか天体観測にわたしを呼んだ、なんて言いませんよね」
「そのまさかだ」
大佐は望遠鏡を覗き込む。位置を微調整。
「見てみろ。その先に、君に見せたいものがある」
彼女がそう言うので、わたしは渋々望遠鏡をのぞき込むことにした。
「いいか、中尉。ラリュングは霧に囲まれているだけではない。包まれている。それもすべて、ガスがかかったように曇り続けている。あの都市は、現実を正しく現実と認知させないように出来ているんだ」
レンズの先に、目のピントを合わせる。
黒いモノが見えた。空に浮かぶ、巨大な黒い物体。それは明らかに人工物で、幾何学的な紋様を表面に描いていた。それは天体であるはずだが、そうには見えない。
「……これ、宇宙に逃げた人間たちのコロニーってことかしら」
「その通りだ、中尉。だが、君の認識はもう少し正さなければならない。ラリュングは、コロニーの逃れられなかった難民の街ではない。その天体にあるモノたちこそが人間であり、ラリュングの市民は彼らの創造物に過ぎない」
「どういうこと……?」
わたしは望遠鏡から目を離す。
「死の口づけの一件以降、わたしはラリュングに住まうものに疑念の眼差しを持たねばならなかった。特に、我々に命令を下す行政府には、注目せずにはいられなかった。そして私は、その秘密を探るために地下へ潜った。
結論から言おう。我々は、人間などではない。あの星に逃げた人間が言うにはな。
私は失踪後、霧の向こうの都市を回った。そして数々の記録を見て回った結果、かつて人間は、自意識のデータ化に成功していたと分かった。そして彼らは、そのデータ化した『自我』と呼べるものを宇宙船に乗せて人工惑星に飛ばしたらしい。その結果があの星だ。宇宙船に乗せられる人数には限界があったらしく、自我のデータ化はそのような重量問題の解決策として取られたらしい。しかし、それでもこの星に住まう知的生命体をすべてデータ化し送るには、あまりにも人類は幼すぎた。ゆえに、かつて人類は一部の優良種とされた人間だけをデータ化し、宇宙に飛ばしたという。その結果、この星には殺戮兵器と難民だけが残された」
「……それで。その結果、ラリュングが生まれたという話では?」
「いや。霧の問題が説明つかないだろう? たしかに、霧の研究はWWⅢ時点でいくらか進められていた。しかし完全ではなかった。完璧にしたのは、その宇宙にわたった連中だ。
彼らが宇宙に植民してまもなく、地上人類は死滅したらしい。もともと棄民であったから、彼らは気にもしなかったらしいがな。
しかし、彼らはいま一度肉体をもって地球に還る術を考えていた。それがラリュングだ。
霧の技術を確立した彼らは、それを降下カプセルに乗せて地上へ投下した。着陸したのは、かつてイギリスのロンドンと呼ばれていた場所らしい。いまのラリュングだよ。まもなく、霧がロンドンを囲み始めた。霧は魔除けとして駆動し、周りにいた無人兵器はロンドンに近寄らないようになった。
そして同時、人間たちはもう一つのモノをカプセルに仕込んでいた。それは、肉体だ。有機的なアンドロイドさ。彼らは自分たちよりも、幾分か文明的に後塵を拝するモノたちを作り、それを地球に送った。それが我々だ。
人間たちは、我々を霧の中に閉じこめた。理由は簡単だ。いつか、自律兵器たちが消え失せたとき、彼らの『自我』を埋め込むカラダ――すなわち肉体――を安全に供給するためだ。我々は、彼らの入れ物なんだよ、中尉。
行政府が姿を現さないのも同じ理由だ。彼らは、宇宙に住まう『人間』であるから、物理的身体を持たない。ゆえに声として我々の前に現れ、街の長のように振る舞う。そうして彼らは、やがて訪れる自分たちの街を密かに治めているわけだ。MISTの存在理由もそうだった。霧の向こうの偵察部隊……その存在目的は、彼ら人類にとって地球が良い環境に戻ったかどうか。それを確認するためのものだった。しかし下等人類は霧の中に押し込めなくてはならない。ゆえに、MISTは極秘の特殊部隊として発足された」
「……想像力がたくましいわね、大佐」
「これは事実だよ、中尉。……ところで君は、ヘイズル・ウェザフィールドと名乗っているらしいね。その名前、誰が決めたか分かるかい?」
「わたし自身よ」
「いいや違う。……宇宙の人間たちは、自分の欲しい肉体を、この上空から創造しているという。それで、そのカラダを自分の好きに作るんだそうだ。名前もそうらしい。自分の好きな名付けるんだそうだ。好きな映画のキャラクターとか、ミュージシャンの名前とかをね。君もその一つなんだよ、中尉」
そのとき、大佐がコートのポケットから一冊のペーパーバックを取り出した。
その本には、わたしも見覚えがあった。オレンジ色の表紙。煤けたペーパーバック。彼女はそのページを繰り、ある場所を開いてみせた。
「ヘイズル・ウェザフィールドという名前の女の子の探偵――この小説のあるページに、その名前は登場する。
中尉、君は自分がオリジナルであると信じているのか? 誰かの被造物などではないと? いい加減気づけ。そして私とともに来い。私は、このラリュングを――宇宙の民の法を壊すために来ている。霧との境界をなくし、あらたな世界を作り上げるんだ。『人間』たちは、自律兵器と共存できなかった。しかし、我々は違う。いまこそ、我々が我々たる所以を取り戻す。我々は被造物から、唯一無二の存在へと昇華する。我々は、そのための戦いをするべきだ」
「……大佐は、そのために失踪していた、と」
「そうだ。いつまで道化芝居をしている、中尉。君はそんな器に収まるような人物ではないだろう。さあ、私とともに来い」
大佐は、その小さく白い手をわたしに差し出した。
大佐の言うことが真実なのか。わたしには、もはや判断が付かなかった。筋は通っている。しかし……。
わたしは空を見た。ラリュングとは違い、雲一つない青空だった。そしてその青空の中に、一つ黒い星が浮かんでいる。幾何学模様を描く、人類の星……。
「大佐、わたしは……」
言葉が詰まる。
思い出せ、ヘイズル・ウェザフィールド。道楽探偵たるわたしは、己が信じる正義のためだけに戦ってきたはずだ。誰の思想にも揺らぐことはない。自分の信念のために。
大佐がほほえんでいる。真っ白い肌の、黒髪の少女。わたしよりも遙かに年上のはずだが、彼女の顔は未だ十代の少女のようだ。
そのとき、わたしは気づいた。彼女の瞳。その光彩が、レンズの絞りのように羽根が折り重なっていること。光の量を羽根を絞ることで調整している。
カシャ、カシャ……。
大佐の瞳が、音を立ててピントを合わせる。わたしの顔を見る。彼女の肉体も、遠の昔に機械と一つになっていた。彼女が言う、自律兵器との共存。
わたしも同じ……。
左腕を見る。鋼の左手。わたしに彼女の誘いを断る理由はない。だが……。
刹那、わたしは左腕に熱いものを感じた。宝冠の紋章が赤く染まる。そして、教会を赤い霧が満たした。霧の女皇がやってくる。これがわたしの意志なの……?
「そうか、それが君の選択か、中尉」
霧の向こう、大佐が言った。
わたしは尖塔から飛び降りた。逃げるように。そして逃げ込んだわたしを、ミストレスが受け止めてくれた。
「いいだろう中尉。では、ここで君を殺す。それが得策だ」
大佐の声がどこからか聞こえてくる。わたしはコックピットに飛び込むと、彼女の声ををかき消すように左腕に集中した。
――彼女の与太話に耳を貸すな。わたしは、ラリュングの探偵だ。
落ち着きを取り戻す。そうだ。いまや大佐は、テロリストであるのだ。テロリストの話に耳を傾ける必要がどこにある?
霧が晴れる。赤錆色の霧が。
しかし、霧はそれだけでなかった。宵闇のような青黒い霧が、また立ちこめていた。まもなくその霧も失せ、中から一体の巨人が姿を現した。
逆三角形をしたマッシヴな巨人。その両手に長い袖のようなマントを持つ。蒼白のボディ、と金色の紋章を持つマント。薄桃色に輝く双眼がこちらを見つめた。
「いいだろう、中尉。ならば、私とこのサブスタンスが相手をしよう」




