策謀 (2)
刹那、砂埃は消え失せて、代わりに赤錆色の霧がすべてを満たした。そしてわたしの巨人が霧の中にその相貌をあらわし、巨大な左腕でわたしを招き入れた。
コクピットに乗り込むと、わたしは否が応にもミストレスの歓迎の言葉が目に入った。
――おかえりなさいませ、ミストレス中尉
その名では、もう呼ばれたくない。目の前にいる女を意識してしまうから……。
わたしは背もたれだけのシートに腰掛けると、左腕をコネクタに接続。彼女とわたしは繋げられた。腕から全身へ感覚が行き渡る。
コックピット壁面の全天周囲モニター。そこに描き出されたのは、金色の二本角を持つ巨人だった。青白い機体は、マントをはためかせながら、サリーの乗ったバンを掴みあげる。
「くっ、その車両だけは……!」
地面を踏みしめ、左腕を横に凪ぐ。赤い霧を、自ら祓う。
霧の向こうにいた巨人は、しかし余裕を持った様子でわたしを見ていた。ゆらりと青いマントをはためかせ、金色の紋章を月明かりに照らし出す。そして巨人は、さながら奇術でもするように、そのマントでバンを覆い隠した。
「やらせるか!」
わたしは、飛び出した勢いそのままに、左腕を振るった。しかし次の瞬間には、強烈な痛みが生じただけで、手応えはなんら返ってこなかったのだ。まるで見えない壁にぶつかったようだった。
蒼白の巨人は呆然と立ち尽くしていた。そしてマントをひょいと持ち上げ、クルマをおろした。
「残念だったね、中尉。君ではこの私は倒せんよ」
混線する通信音声。聞こえてくるのは、妖艶な女の声。わたしをあざ笑うような、女の声だ。
それから巨人は、マントをはためかせながらバック転を繰り返し後退。再び霧の中に紛れた。
――逃がすものか。
わたしは心で言い、全速力で彼女を追いかけようとした。しかしそのとき、警察無線が耳に入ってきたのだ。
《こちら護送車両! 護送目標が消えた!》
《消えたとはどういうことだ?》
《消えたんです! 霧に囲まれて、次の瞬間にはどこにも……!》
《そんなバカな!》
《応援を頼みます。このままじゃ……!》
《こちら四号車、暴徒が接近中! 応援には向かえそうにない!》
ひどい有様だ。
サリー・へイズは、もうわたしたちの手中にはない。
わたしは霧へ向けて駆けながら、大佐の手口を考えた。おそらくあのとき。バンを持ち上げたとき、マントの内側に霧を発生させてサリー・へイズを転送させた……そうとしか考えられない。
霧がさらに濃くなってきた。悪い兆候だ。このままでは、また彼女を逃がしてしまう。林の上に、煙のように白い霧が立ちこめていく。
わたしはそれをかき消すように、左腕を振るった。しかし、それも無意味なことだった。
気が付けば、あたりにはもう巨人はいなかった。林を踏みつけて、霧をかき分ける霧の女皇が一人、そこに立ち尽くしているだけだった。
コックピットの内に一人、わたしは落胆していた。
*
その晩、ラリュング市警察は暴徒の鎮圧に追われていた。行政府もまたそのようだった。どうやら大佐によるサリー・へイズの拉致については秘匿されているようだが、しかしサリーがLAC技研に送られる予定だったという話は、どこかのタレコミ屋によって白日の下にさらされてしまった。
わたしも帰り道、ピルグリム・サーカスに落ちていたビラを一つ拾い上げてきた。雑踏に踏みつぶされて実に無惨な様子になっていたが、それでも読めないことはなかった。
それはまるで新聞の号外のようで、見出しには「霧兵器による大量虐殺 首謀者、LAC技研へ」とある。
それからあとには、ひたすら大衆を煽るような文句が綴られていた。ラリュングの禁忌を犯した者。罰を受けるべき。人々を混沌に陥れた張本人。行政府は重罪人を赦すのか……等々。
書き立てられた文章は、どれも一側面から見れば間違ったものではない。しかし、思想的には間違っていると言えた。
わたしはそのチラシを街角のゴミ箱に捨てると、長い夜を終わりにした。自宅に帰って、ベッドに倒れ込んだのだ。




