囚われの女 (2)
それからしばらく、わたしはサリーを待ち続けた。しかし彼女も彼女で強情なもので、わたしを無視するように運動を始めた。両腕のワイヤーを吊り輪のようにして、彼女は後方宙返りしてみせる。そのたびにモッズコートが揺れ、また囚人服の内から色白の肌が見えた。彼女の肌は、妙に傷ついていた。
わたしは三十分ぐらいはぼーっとしていたと思う。サリーもいい加減、不自由な運動に飽きているようだった。
「ねえ、暇じゃないの、あなた」とわたし。「雑談でもしない。別にあのことは話さなくてもいいから」
「雑談、ですか」
「そう。軽いおしゃべりよ」
わたしは壁から腰を起こした。押し当てていた背中が、ボキボキと音を鳴らした。
「昔、猟奇殺人鬼をテーマにした映画があったわ。その中で、ここみたいな監獄が出てくるの。いまのあなた、その犯人にそっくりよ」
「だから何です」
「何でもないわ。雑談って言ったじゃない。ちょっとそう思ったから、口にしただけよ。……囚われの気分はどう?」
「見てわかりませんか? いい気はしませんよ」
「でしょうね」
わたしがそう言って鼻で嗤うと、彼女はまた黙りを決め込み、両腕を動かし始めた。今度はレールにそってウォーキングといった所だ。錆びたレールと滑車の接触音が何とも不愉快だ。グリスでも塗ってやればいいのに。
金属の擦れる不快な音に、しばらくわたしは耐えた。そして耐えた甲斐はあって、サリーは自ずから口を開いた。
「あの日。霧の外で何があったのか……それはあなた自身が霧の向こう側に行ってみれば分かるはずです。私に聞かずとも」
「霧の向こうに何があるの?」
「さあ?」
「じゃあ、質問を変えるわ。あなたは人間なの、サリー・へイズ……いや、死の口づけ」
「そうですね。そもそも、人間であるかどうかなんて、どうやって判断するんですか。人間の定義とは? 見方を変えれば、人間だって有機的な素材で形成されたアンドロイドですよ」
「そういう屁理屈を聞きたいんじゃないの。……あなたは何者?」
「私は、私ですよ。そうとしか形容することができません。たとえば大昔、人間は宇宙に向けてメッセージを送ったらしいです。そこには、人間の容貌やその文化を記したといいます。しかし、そんなものが他の知生体に通用すると思いますか? つまり、視覚として、物体として、我々が存在する次元では捉えられない知生体に、そのような自己紹介が可能であると思えますか? すなわち我々が預かり知らぬ領域の知生体に対しては、『我は、我である』と言うしかできないんです。だから人間とは、人間であるとしか言えない。私は、私であるとしか形容できない……。あなたも同じです、ミストレス中尉。人間という定義は、『我は人間である』と感じているものが、『人間は、人間である』と断じているのと同じ。何が人間か、何が人間ではないかなんて、我々には区別できない。ただ、我々が守るべきは、『我は、我である』という感覚。それだけなんですよ。
……あのとき、私とあなたは霧の向こうへ行った。私たちの目的は、霧の向こうに住まう機械たちの偵察。彼らは、大戦が終結して何十年と経った今でも、争いを続けている。自らを修理し、延命させ、生き延びるために。ある意味、彼らはもう生物なんですよ……。
やがて私たちは、偵察の途中で彼らに見つかった。あなたはミストレスを呼んで私を守ろうとした。しかし、状況は多勢に無勢。勝てるはずがない。あなたは戦おうとしましたが、しかし状況は悪化するのみ。……ちょうどあなたが左腕を失ったのも、このときでしたね。
そのとき私は、あなたと私。生き残るのであれば、どちらが必要かと考えた。私の命とあなたの命を秤にかけたんです。……大佐はあなたを重宝していた。霧の女皇は、ラリュングが得た霧兵器の中でも最強の一つ。それを動かせるあなたを、大佐も行政府も一目置いていた。だから私は、身を挺してあなたを守ろうとしたんです。今考えれば、ひどく人間的な、生存本能に背く行為でしたね。
そしてあなたは生き延びた。だけど、私も生きていた。機械たちは私を同族と認めて、私を修理したんです。そこで私は初めて気がついた。霧の向こうの彼らも、我々と同じ『人間』であるのだと。そして私は、文字通り生まれ変わったんです」
「彼らは無人兵器よ。与太話はやめなさい」
「いいえ、違います。あなたももう一度霧の向こうに出てみればわかりますよ。
……そうして機械の体を得て、私は蘇った。しばらくしてあなたが救援にきた。だけどあなたは私の姿を認めるや、敵と判断して、私を殺しにかかった……。これがことの真相ですよ」
「……あなた、記憶が混濁しているのよ、キス・オブ・デス」
わたしは、自分自身彼女の言うことを認めたくなかったのだろう。早口に彼女の言うことを否定した。しかしその否定の言葉も、ひどく感情的なもので、論理的な批判とはなっていなかった。
「いいえ、違います。……中尉、あなたはラリュングの真実を知らない。この街のすべては、人間によって造られた虚像なんですよ」
サリーはそう言って、わたしを見た。彼女の顔は嗤っていた。
そしてそのとき、刑務官がやってきた。
「囚人番号72810、移送の時間だ」




