囚われの女 (1)
暗闇の中をサーチライトが切り裂いた。コンクリートで押し固められた水路には、ちょろちょろと僅かに水が流れている。この調子では、堤防にはどう足掻いてもたどり着きそうにないぐらい、弱々しい水の流れ。それは、彼女の状態を表しているようだった。
サーチライトが左右へ動くたび、壁に描かれた落書きがライトアップされたように暗闇にぼうっと浮かび上がった。しかし、警察のチョッパーが照らしたいのは落書きなどではなく、一人の女だった。
その女は土手道を駆けていた。常人では追いつけない、運動選手顔負けの速度で駆け抜ける彼女。ヘリも追いかけるだけで精一杯で、後続する車両群は、揺れるサーチライトを追いかけて右往左往していた。
その女――右手の甲に唇のタトゥーを持つ女――サリー・へイズは、ラリュング警察の特殊部隊、LCPD・00セクションに追われている所だった。彼ら特殊部隊員には、もちろんサリーの正体は教えられていない。ただ、霧兵器を用いた殺戮の首謀者とだけ知らされている。猟犬にはその臭いだけを教え、臭いの根本は教えないものだ。
そうしてラリュング市警のイヌは、かつて同じイヌであった女に噛みついた。土手道から分岐した下水路。トンネル状になっている、その行き止まりが彼女の最期の場所だった。
サリーを包囲した特殊部隊員は、問答無用で銃を発砲。銃弾はくまでのように扇状の弾道を描き、サリーを貫いた。しかし、サリー・ヘイズは壁に寄り掛かっただけで、倒れはしなかった。それどころか、血の一滴さえも漏らさなかった。代わりに、彼女は両腕をあげて静かに微笑んだという。特殊部隊員たちも驚きを隠せなかった。
それからサリー・ヘイズは、先程までの抵抗はウソのように、特殊部隊からの拘束を受け入れた。そして、サリー・へイズはラリュング刑務所の最深部――完全隔離宣告を受けたモノたちの待合室へとぶち込まれた。そのさい、裁判などと言うモノはなく、警察資料にも彼女の逮捕は記されなかった。すべては、闇の中に葬られたのだ。
*
いま、わたしが目にしているデータファイルだけは別だ。
翌日、わたしはラリュング刑務所へ向かう道すがら、カフェに立ち寄って軽い昼食を取っていた。そしてそのついでに、行政府から送られてきたサリー・へイズ逮捕に関するファイルを眺めていた。
一言で言ってしまえば、お粗末なものだとわたしは思った。サリーは、これでもわたしの同僚だ。彼女もわたしと同じ、対外特殊部隊MISTの一員だった。つまり、霧の向こうの兵器たちと幾度となく戦ってきた女ということだ。そんな彼女がいともたやすく捕まってしまったことに、わたしは驚きを隠せないでいた。確かに、彼女のフォグ――死の口づけは、わたしが破壊した。それがなければ、彼女も所詮、ただの人間だ。……いや、わたしは彼女が人間ではないと疑っているのだが……。しかし、力の拠り所を削がれたことに代わりはない。だが、それでもわたしは、彼女が捕まるとは思えなかった。この疑念は、ある意味でわたし自身へのナルシシズムとも言えるかもしれないが。
そうして食事を終えると、わたしはまたラリュング刑務所への旅を続けた。中央高速をそれて、木立に囲まれた道へ。その間、わたしを支えたのはラジオから聞こえてくるトマス・エクルバーグの声だけだった。
ラリュング刑務所に着くと、わたしは受付に言って地下へと向かった。はじめわたしが名前を言ったとき、受付の男は「面会リストにない」と言ったのだが、もう一度よく探せというと、あわてたように訂正した。どうやら、わたしは行政府の上役ということで通っていたらしい。トップシークレットの面会人として。
それからわたしは、刑務官とともに最深部の牢屋に向かった。
この時間、サリー・へイズは運動の時間だったらしい。わたしは刑務官の案内で、地下施設にある隔離運動場を訪れた。ちょうど完全隔離のサーバールームがある、手前の部屋だった。
そこは二十五メートルプールがすっぽり入るような広さで、天井には蛍光灯と楕円形のレールとがあった。レールには滑車がはめ込まれ、その先から二本のスチールワイヤーが垂らされている。そしてワイヤーは、囚人の両腕につなげられていた。
サリー・へイズ。オレンジ色の囚人服にモッズコートという格好の彼女は、両腕に錠をかけられたまま、レールをガチャガチャと鳴らして歩いていた。
サリーは、その運動場を半周ほどしたところで、わたしに気づいた。
「ああ、面会ってそういうことだったんですね。いったいどんな物好きが来るのかと思いましたよ」
「あなたのことは全面的に秘されているの。誰もあなたの正体は知らないわ。彼もね」
わたしは、いままで案内してくれた刑務官に目配せした。まもなく、彼は悟ったように部屋を出た。
「だからあなたの正体に気づいているのは、わたしと行政府の一部だけ。そのなかで面会を希望するのは、わたしぐらいのものよ」
「たしかに。それで、何の用です。いったい何のためにここへ」
「あなたを嗤いにきたの」
「悪趣味ですね、相変わらず」
「冗談よ。……聞きたいことがあってきたの。昔のこと、あなたやわたしが、探偵でも犯罪者でも無かったころ。行政府のイヌとして働いていたころの話よ」
「昔話を聞きにきた、と」
「そうよ。当時のわたしが、いったいどういう理由があって記憶を消したのかはわからない。おそらくPTSDへの対策か何かだと思うけれど。……それでも、今はその記憶が必要だと考えている。あなたや、大佐がこの街で何を起こそうとしているのか。わたしは、それを知る必要がある。教えて、あのとき何があったの? あなたは人間なの。それとも――」
「私が話すとでも思ってるんです?」
「ええ、思ってるわ」
わたしはそう言って、部屋の黒ずんだ壁に背をもたれた。
「だから待つわ。あなたが話す気分になるまで、ここでね」




