密会
一週間以上も経てば、霧信者とLACとの対立。LAC内部での抗争問題も、無関係な中央街の話題からは失せていった。ラリュング・セントラルに住む者の話題は、続々といつもの世間話に変わっていく。
わたしはそんな日の夕方、ハワード・シュタイナーに誘われて食事に来ていた。出かける前、ニナに「へえ、へジィもデートするんだ?」などと茶化されたりして、少し遅刻気味になったのだが。
彼が予約したのは。グリーン・パーク・サウスにあるレストランだった。ジンズ・レストランというその店は、わたしもたびたび利用する馴染みの店だ。店内はシックな木目調で、壁には楢でできた樽が所狭しと並べられている。天井ではサーキュレーターが回り、店内に料理のにおいを攪拌していた。
わたしがこの店を好む理由は、純粋に音楽の趣味がいいからだ。店内には、店主の趣味でレコードが流れている。戦前のレコード・ショップから発掘したというもので、現在ではほとんど見かけない。わたしは、そんなレコードが奏でるノイジーなBGMが好きだった。
シュタイナーがそんなわたしの趣味を知っていたかは分からないが、わたしは彼とのひとときをかなり楽しんでいたと思う。
ブナでできたテーブルの上には、食べ終えたシュリンプ・カクテルとサラダ、そしてワインが並んでいる。この店の難点は、メインディッシュが来るまでに少なくとも三十分以上は待たないといけない、ということだった。
「しかし、君が誘いに応じてくれるとは思わなかった」
シュタイナー氏はワイングラスを揺らしながら言った。彼は鼻をグラスに近づけ、ロゼの香りを嗜む。
「口説かれはしませんが、食事ぐらいは付き合いますよ」
「たしかに。でも、噂からすると君はそんな人間には聞こえないんだな。女性からの依頼しか受けない道楽探偵とかなんとか……。君は、自分が周囲でどんな風に言われてるか知ってるかい? 赤錆とか、道楽探偵とか。君は腕が立つと同時、畏怖の目で見られてることが多いみたいでね。実ははじめ、僕のイメージもそんな感じだったんだ」
「無理もないことです。ですが、わたしはその手のことはあまり気にしないようにしているので。赤錆は警察がつけた蔑称ですし、道楽探偵もそうです。でもわたし自身、道楽探偵であることに悪いイメージは持っていませんし」
「自分の仕事に誇りを持つのはいいことだ。まったく君は強いな」
彼がそう言ったところで、わたしのロースト・ビーフと、彼の合鴨のローストが到着した。プレートには、たっぷりのグレイヴィーがかかったお肉と、ヨークシャー・プディング。そしてビーンズやミックスベジタブルが並んでいる。
ウェイターは水を汲むなり何なりして、しばらくテーブルの近くにいた。だから、わたしたちは食事に手を出したまま、しばらく言葉を交わさなかった。
グレイヴィーに浸ったプディングを一つ食べ終えた所で、ウェイターはほかのテーブルに捌けていった。
「それでだが――」
と、シュタイナーが合鴨を一切れ食べてから口を開いた。
「実は君を食事に呼び出したのには理由があるんだ」
「夜を共にする、以外ですよね?」
「むろんだ。君に一つ伝えたいことがあってね。……実は先日、ラリュング市警がある犯罪者を捕まえたらしいんだ」
「ある犯罪者?」
「ああ。その名前を、サリー・へイズという」
「サリー……」
わたしは、とっさにナイフとフォークから手を離して、左手の腕時計型端末に触れた。
「残念だがミス・ウェザフィールド、警察資料にその情報はない」
「じゃあ、あなたはどこから?」
「なに、風の噂でね」
彼はそう言って、耳のあたりを指さして見せた。
きっと、行政府の情報を盗み聞きしたのだろう。わたしは深い詮索はせず、黙って聞き流すことにした。
「君はサリーを追っているはずだ。いや、追わずとも、気にはかけていたはずだ。違うか?」
「一連の霧兵器事件を裏で手引きしていた女ですから」
「理由はそれだけではないだろう? ……彼女はラリュング刑務所にいるらしい。裁判もなしに牢屋行きだって話を聞いた。面会も謝絶。懲役というよりは、監禁に近いようだ。だが、三日後に彼女が外に出されるという話を聞いた。どうやらLACの先端研究所に運び込まれるらしい」
「……ミスタ・シュタイナー、あなた、それをわたしに伝えてどうするつもり?」
「別に。何でもないよ。ただ、君が知りたがっているであろう情報を得たから、せっかくだし教えて上げようと思ってね。……さて、早く食べよう。うむ、このローストは本当にうまいな」
彼はそう言って、いつもの笑顔で合鴨のローストを頬張り始めた。
わたしは、とたんに食欲が冷めてしまった。
レコードが古い曲を流している。大昔の電子音楽、ロックミュージック。「今まで俺が話しかけていた友人は、気づいたら死んでいたんだ」とその歌手は歌っていた。
*
それからしばらく、わたしはシュタイナー氏と居心地の悪い夕食を続けた。結局、デザートのケーキは遠慮して、そのまま帰ることにした。
ほろ酔い気味で帰ってくると、自宅はやはりしんとしていた。ニナは仕事を終えて寝ているのだろう。
するとそのとき、静寂を打ち消すように電話がベルを鳴らした。わたしは階段を駆け上がって、受話器をあげた。誰がかけてきたかは分かっていた。
「こんばんは、ミストレス中尉」
女とも男ともつかぬ合成音声。ラリュング公安委員会、委員長。完全に秘匿された、霧の街の影の支配者だ。
「こんな時間にかけてくるなんて不作法だと思わない? それに、その名前で呼ぶなって言ったはずだけれど。……何の用かしら」
「死の口づけ……サリー・へイズのことは聞いたな?」
「さっき聞いたわ。あなた、どこにでも耳があるの?」
「目も鼻も、すべてが街中に張り巡らしてあるよ。……シュタイナーから聞いたのだろう。三日後、サリー・へイズが刑務所から出されると」
「ええ、そうよ。それがどうしたの?」
「予定を早める。明日の夜、ラリュング刑務所からジャクソン区の精神病院へ向けて出発するバスにあわせて、彼女をLACの先端研究所へ移送する。ついては、君にもその護衛を担って欲しい」
「どうして? あなた言ったわよね。フォグを失ったサリー・へイズは、警察でもかんたんに捕まえられるって。しかもそれを実証してみせた。これ以上、どこにわたしの必要性があるの?」
「大佐だよ」
「大佐……?」
わたしはオウム返しに問うた。
大佐。その言葉が指すところは、わたしも分かっている。かつてのわたしの上司であり、対外特殊部隊MISTの隊長だった女のことだ。
「サリー・へイズは、繰り返し我々に警告している。大佐が来る、とな。そして彼女がこのラリュングに混沌を巻き起こすとも」
「妄言だわ。彼女は失踪した」
「そうとも言えん。事実、死んだはずのサリー・へイズは生きていたのだからな」
わたしは歯噛みした。彼の言うとおりだったからだ。
「……わかったわ。どうせ断れやしないんでしょう? 引き受けるわ。でもその代わり一つ条件がある」
「何だ?」
「彼女……サリーとの面会を希望する。それが条件よ」




