権力の美学
ラリュング警察本部は、赤い霧に包まれた。そして市警本部隣にあるグラウンドに、その巨体は姿を現した。わたしの相棒、霧の女皇。
わたしは、霧に紛れてミストレスに飛び乗った。それからまもなく霧は晴れ、敵の姿を克明に描き出した。
オリアーナ・トゥール。しつこく電話を寄越してきた彼女は、わたしをも利用するつもりでいた。捜査員全員にシュタイナーが犯人だと思わせることで、自分の存在を確保しようとした。だが、わたしが彼女の想像通り動かなかったことだけが、彼女の誤算だろう。だからトゥールは、こんな馬鹿げた策に出なければならなくなった。
砂埃の舞うグラウンドは、本来警官が訓練の為に使う場所だ。幸い、いまこの場には誰もおらず、わたしとトゥールだけが対峙している。
トゥールが駆る機体は、煙霧。か細い二本足に、機関砲を備えた機体だ。霧の向こうの兵器のコピーだというが、わたしにはどう見ても劣化品にしか見えなかった。
「オリアーナ・トゥール。あなたは確かに、生きるために殺す道を選んだのかもしれない。それはあなたにとっての正当防衛だと言える。だけど……」
わたしは左手を構え、フットペダルを踏みつけた。それが、開戦の合図だった。
ミストレスがグラウンドに足跡を残したのを起点として、すべては始まった。スモッグは両腕の機関砲を問答無用でわたしに向けて放ってきた。もう戦術など考えず、殺すことしか頭にないようだった。
わたしは銃弾を左手で弾くと、そのまま接近。間隙を縫って腕を振りかぶった。
だが、そのときだ。
突如、スモッグの細長い足がバネのように伸び、機体を高く上昇させたのだ。さらに機体後部からは補助バーニアがまたたく。スモッグは上空でホバリングすると、わたしを見下ろした様子で銃を構えた。
――地の利を取られた……?
左腕を上げる。だが、間に合わない。
刹那、左右の機関銃が吠えた。毎分数千発という鉛の嵐が放たれる。その照準精度は大したものでは無かったが、じゅうぶんな脅威にはなった。
左腕を上げる途中、ミストレスの各所に銃弾が衝突。全身からエラーログが発信された。ミストレスが危険であるとわたしに迫ってきた。
「くっ……。だったら……!」
渾身の思いで、わたしは左腕を持ち上げた。
スモッグは一時砲身を冷却中。もうすぐ、またあの嵐が来る。二回目はどうしても避けたかった。
「飛び道具は嫌いだけど、そうは言ってられないわね……!」
鋼鉄の左腕を上空へと差し出す。そして、指を銃の形にして、構えた。親指のハンマーを起こし、銃口をスモッグに合わせる。
「終わりよ。まがい物。あなたは狡猾だったけれど、オリジナルには勝てなかったのよ」
刹那、ミストレスの左腕、装甲が開く。そして深紅の腕部装甲下部より無数の銃身が展開。拳を覆うようにして、ガトリングが姿を現した。
火線が轟く。鈍い銃声。低く響く銃撃音は、やがて無数の鉛玉をスモッグに浴びせかけた。スモッグは回避しようとしたが、それでもわたしの予測射撃からは逃げられず。あえなく蜂の巣となって地表に戻ってきた。
砂埃を上げ、グラウンドに墜落するスモッグ。わたしは墜落したそれに詰め寄った。機体は墜落直前にバーニアで減速を狙ったようだが、故障し、ろくな推進力を得られなかったのだろう。機体はひしゃげ、背中を強く打っていた。ストッキングを履いたような黒い脚部は、あらぬ方向に曲がっている。
わたしは、彼女を見下ろした。機体の胸元、コックピットが開いて、アンリミテッド・エディションをしたオリアーナ・トゥールが姿を現した。彼女の容貌は、一言で言えば醜かった。それはまるで『完全隔離』のよう。彼女のボディ、その頭部が開いて、電脳が露出している。まるでスキンヘッドのように。そしてそこに無数のコードが繋げられていた。
トゥールの意識は、スモッグから彼女のボディへ。スキンヘッドの彼女が、口を開いた。
「……殺さないで」
生存本能。彼女の殺人本能を呼び覚ましたのは、おそらくそれだった。それはきっと生物としては正しいことだ。もしわたしが彼女の立場だったら、同じことをしていたかもしれない。しかし――
「ごめんね、オリアーナ。でもここはラリュング……人が棲みついた、霧の街なのよ」
そう言って、わたしは彼女ごとスモッグを破壊した。
砂埃が舞う。クリーム色の煙が、スモッグを巻き込んでいく。
わたしは霧を発生させると、ミストレスを転送。コックピットから降りて、霧に紛れて現場を去った。
*
翌日のグローブ紙の見出しは、なんども大衆の興味を惹くものだった。
『未処分アンドロイド発見 LAC幹部辞職』
ざっくり言えばラムズ湖で見つかったアンドロイドの責任をとり、LAC幹部が総辞職したという話だ。煙霧計画については、一文字も触れられていない。文字通り煙のように消えてしまった。おそらく、行政府がそうしたのだろう。LAC社がアンドロイドを製造していたなどという記述は一切なく、あくまでも未処分品が暴走したということになっていた。
わたしはその記事をプールサイドで見ていた。ブロウトンにある高級住宅街の一角。丘にせり出したデッキにあるプールの脇で、わたしはデッキチェアに腰を下ろし、ホロ・タブロイドに目を通す。ざっと一読してから、畳んでサイドテーブルにやった。
「しかし、本当にこれでよかったんですか、ミスタ・シュタイナー?」
わたしはテーブルに置いたジントニックを手にし、それから隣に座る男、シュタイナーに言った。
「いいんだよ。計画は頓挫。危険は去った。行政府はすべて大城のせいにして、丸め込んだみたいだ。まあ、わたしも社長の座からは引き下ろされたがね」
「ですから、本当にそれでよかったのですか?」
「よかったんだよ」
彼は言って、サングラスをクイと上げた。
事件後、すべては大城副社長によって行われた極秘プロジェクトの一環であるとして処理された。表には何も公表されず、誰も行政府が霧の向こうの兵器に手を出しているとは考えなかった。もしバレていたら、それこそ平和の壁が崩れ落ち、霧信者と行政府の間で闘争が起きるはずだ。ラリュングという閉鎖都市での、最悪の内戦が起きるかもしれない。行政府は、それだけは避けたかったのだろう。彼らは下っ端を切り落とすことで、身から出た錆を止めたわけだ。
「LACは、今後どうなる予定ですか?」わたしは尋ねた。
「株主総会で新しい社長が選ばれるそうだ。ごそっと抜けた幹部もそこで決められるらしい。特に大城派はみんな抜けていったからね」
「あなたがまた社長になる可能性は?」
「ないよ。もう、社長のポストは僕には返ってこない。そのかわり――」
言って、彼は立ち上がる。
「僕は、LACの持株会社に行くことが決まっている。今後、LACがこのような暴走をしないためのお目付役――というのが、表向きの理由らしい」
「それもすべて、行政府の意向ですか?」
「ああ、そうだ。そういうことさ。……しかし、今回は世話になった、ミス・ウェザフィールド。君がいなければ、いまごろ僕はとっくに殺されていただろう。君は、きっとトゥールの策謀を見破れる人材だと信じていたが、まさしくその通りの働きをしてくれた。本当に感謝している」
「お気になさらず。それがわたしの仕事ですから」
「道楽探偵、だったか。君の通り名。確かに君は変わった探偵だ。……ところでだが、ミス。どうかな、今度一緒に食事なんて」
「そうですね……」
わたしは少し考えるように言った。
するとそのとき、左腕にはめた時計が小刻みに震えた。ニナからのメッセージだった。「今日は夕飯いらないの?」とのことだ。最近わたしにあまり構ってもらえず、怒っているのだろう。
「失礼。今日は無理ですけど、また今度なら」
「ああ。では、ぜひ。つぎは赤錆ではない君が見れるといい。ヘイズルでも、赤錆でもない、本当の君を……」
「口説いてらっしゃるのなら、やめておいたほうがいいですよ。勝算はきっとないですから」
わたしはジントニックを飲み干すと、席を立った。
ラリュングに暑さは似合わない。わたしは汗を拭って、革ジャンを手にとった。




