現場百回
警察には、現場百回という言葉があるらしい。それが果たして探偵に当てはまるかどうかは疑問だが、少なくとも今の私には、もう一度現場に行く必要があった。
翌朝、わたしはクルマを走らせ、バーファスの内側区画へ。ピーター・キャロル氏の自宅へ向かった。
キャロル氏の自宅玄関には、無数の花が手向けられていた。その数が彼の人望の厚さを物語っていた。わたしは花束の群を避け、テープをくぐって屋内に。警官はすでに撤収し、捜査もほぼほぼ終了しているようだった。
室内にはまだ血の臭いが残っていた。仄かに鉄の臭いが香ってくる。そしてその臭いは、ある一室に入ったとたん、急に濃くなった。そこがキャロル神父が殺された場所だった。
わたしは腕時計端末を操作すると、ホログラム投影モードに。保存していた殺人現場のスキャンデータを中空に投射した。
わたしは遺体をゆっくりと、舐め回すように見た。
メアリー・ルーカスは言った。この殺しは、本能に従った動物によるもの。本物の猟奇殺人鬼によるものだと。そして、マリー・ライアルは言った。LACは、アンドロイド研究者の緑川シゲルと関わっていたと。
そこから導き出されたわたしの考えは一つだ。この殺しには、霧の向こうの兵器――自律人形が関係している……。
「あなたならやっぱりここに来ていると思ったわ、赤錆」
そのとき、わたしの後ろから声がした。声だけで、わたしはそれが誰だか分かった。
「殺人犯が殺しの快楽を思い出すために事件現場に戻ってきた……みたいに言わないでくれるかしら。リリアン・リュウ殺人課長?」
「そこまでは言ってないわよ。……こっちの捜査はもう終わったわよ」
「シュタイナーが殺したって線で固まったってわけ?」
「そうよ。彼の地下室からは、猟奇殺人鬼の絵画コレクションが見つかった。それに犯行動機もある。しかも、現場からは彼の毛髪が見つかっているわ。あとは本人が認めるだけってところね」
「シュタイナーは否定してるんでしょう?」
「ええ。自分にはアリバイがあるって言ってるわ。その日は自宅にいたって。あなたと会っていたって言ってたわ」
「そうね、午前中はわたしと一緒にいたわ。でも、午後は知らないわね。……ねえ、リリー。あなた、メアリー・ルーカスについては調べた?」
「あの殺人鬼? シュタイナーは確かにルーカスの絵を飾っていたけれど……」
「わたし、ルーカスに面会したの。彼女、この犯行は自分のフォロワーの犯行ではないと語ったわ」
「彼女のフォロワーとは限らないでしょう。シュタイナーの倉庫からは、ルーカス以外の殺人鬼のコレクションも見つかった。まあ、ルーカスの絵を特に気に入っていたみたいだけど……。それがどうしたって言うのよ?」
「ルーカスはね、犯人は自分自身か、あるいは自分と同じ考えをする殺人鬼だって言ったのよ。つまりあなたたちの考えに沿うなら――」
「シュタイナーは猟奇殺人鬼だって、ルーカスは言ったわけ?」
「そういうこと。リリー、あなたあの社長がそう見える?」
「人は見かけによらないものよ。あんなコレクションを自慢げに見せるような男よ。ねえ、赤錆。あなたが何でこの事件に首を突っ込んでるか、深くは詮索しないけれど、もうやめたほうが身のためよ。あなたの依頼主は、起訴されるわ」
「そうね……そうでしょうね」
わたしはリリーからホログラムの遺体へと目を移した。
この殺しをやったのは、誰だ? きっと犯人が、一連の霧信者とLACとの対立の鍵を握っているに違いない。その人物を捕まえなければ、わたしの仕事は終わらない。
すると、そのときだ。
ガサリ、と向こうの部屋から物音がした。わたしとリリーはすぐに部屋をのぞき込んだ。姿は見えなかったが、人影らしきものが見えた。
「赤錆、あれって……」
「殺人鬼は殺しの快楽を思い出すために現場に戻るものよ。知ってるでしょ」
言って、わたしとリリーは現場を飛び出した。
玄関に停めておいたブリストン・ブレニムに飛び乗り、わたしは大急ぎでエンジンをかけた。
リリーは断りも入れずに助手席に飛び込んできた。わたしもわたしで何も言わなかった。
エンジンをかけ、クラッチを踏みつける。ギアを一速へ。するとちょうどそのとき、前方の交差点から黒いバイクが飛び出していくのが見えた。それが先ほどの影に違いない。
バイクは前輪を大きく上げてウィリーすると、急加速して交差点を抜けていった。わたしもアクセルを踏みつけ、一挙に三速までつなげた。
「リリー、いまの時間に現場にいた刑事はあなただけなの?」
「私が聞いている情報が正しければね。もう現場から警官は撤収してるはずよ」
「じゃあ、アイツは誰……?」
「あなたの言うとおり、犯人じゃないの?」
リリーは嘲るように言って、窓の外を見た。彼女は余裕そうだったが、わたしはそれどころじゃ無かった。
ギアを四速へ。加速では負けるかもしれないが、これでもブレニムはスポーツカーだ。クラシックな外観とは裏腹に、V8エンジンが獰猛な雄叫びを上げる。体がつんのめるような加速。
いまのわたしには、相手を逃がす気は無かった。
逃亡者を乗せたバイクは、意外にもラムズ湖へ向かっていた。ラムズ湖周辺の工業地帯は入り組んでおり、土地勘のないものは、一度迷うとなかなか出てこれない。ゆえに、わたしもリリーも、ヤツがラムズ湖に入ると同時、すぐに見失ってしまった。
ただひとつ分かっていたのは、ヤツが廃工場が密集する地域を右折していったということだけだ。
わたしとリリーは、仕方なく廃工場周辺にクルマを停めると、その周囲を捜索することにした。近くに殺人鬼が潜んでいるかもしれない。その恐怖と対峙したまま。
リリーはホルスターから拳銃を抜いて、必要以上に警戒していた。一方でわたしは、警戒はしていたものの、さして恐怖には思っていなかった。メアリー・ルーカスほどの邪気は感じられなかったからだろう。
まっさきにわたしたちは廃工場に入った。そこは先日、死の口づけと対決した製鉄所そっくりで、壁は錆び付き、天井付近で回るサーキュレーターは鈍い音を鳴らしていた。
「まったくこんなところに来て。撒こうとでも思ったのかしらね」
リリーが拳銃を構えながら言った。必要以上にゆっくりとした足取りからして、リリーは恐怖にやられているみたいだった。
「さてね。あるいは、何か目的があって来たのかも。わたしたちを撒くついでに」
「ついでって、どういうことよ?」
「さあ? それはわたしにも分からないわ」
わたしは廃工場の中をくまなく探し回った。時間はだいぶ過ぎてしまったので、もしこの周辺に土地勘を持つ者なら、すでに逃げてしまっているだろう。だからわたしは、その代わりに何か手がかりを一つでも得ようと思っていた。
そして、わたしは思わぬ手がかりをそこで得てしまったのだ。
錆び付いたドアを抜け、広い工場の脇にある事務室らしき部屋に入った。わたしはそこで、何か書類でもないかと引き出しをあさってまわった。そして、ちょうど棚を調べたとき、わたしは壁の異変に気づいたのだ。
事務室の角にある、木製の壁。それが戸棚の裏だけ妙に小綺麗だった。
「ねえ、リリー! ちょっと来てくれないかしら! 手伝って欲しいんだけど!」
「なに。何か見つけたわけ?」
リリアン・リュウはそう答えてから、一分ほどしてようやくやってきた。
わたしとリリーは、とりあえず戸棚を二人がかりでどかした。そして、問題の壁を白日の下に晒させた。
「確かに、怪しげだけれど……」とリリー。
「開けるしかないでしょ?」
わたしはそう言って、問答無用で壁を殴った。むろん、左腕で。
ふつうの壁なら、かすかに揺れて終わりだ。特に鉄筋コンクリートなら、びくともしないはず。木製なら、静かに揺れるか木材にヒビが入るかだろうか。
しかし、その壁は違った。それはわたしの拳の形にそって、ものの見事に貫通して見せたのだ。
「うそ……」リリーが驚きの声を漏らす。
「行きましょ。事件に関係あるにしろ無いにしろ、気になるわ」
壁に穿たれた穴に向けて、今度は一発チョップを食らわせる。壁板はきれいに縦に割け、道を切り開いた。
わたしはその亀裂を蹴破って広げると、奥へと踏み込んでいった。
壁の向こうで、わたしは自分の目を疑った。
あとにつかえていたリリーが「なによ?」と問うたが、その声も聞こえないぐらい、わたしは驚いていた。
そこにあったのは、無数のアンドロイドだ。いや、女性型機械人形と言うべきか。白くつるっとした肌の、球体関節をした人形。頭髪は無く、色のない瞳が白目を剥いて横たわっている。見かけ二十歳ぐらいの少女の姿をした人形が、一段下がった床に所狭しと並べられていた。まるで人形の絨毯のように。
「なに、これ……?」後ろで背伸びしながら、リリーが言った。
わたしは腰を落とし、人形のうちの一体を手に取った。
当然だが、人形は死んだように動かなかった。わたしは右手でその肌をなで回してみた。この感触。間違いなくアンドロイドだ。緑川シゲルの遺産かどうかは分からないが、いま、目の前に存在している。
「すぐに援護を呼ぶわ。あなたも重要参考人よ、赤錆。ここにいなさい」
「はいはい、わかったわ」
言って、わたしはガイノイドから手を離し、立ち上がった。
そうしてわたしは、辛気くささを晴らすために工場の外へ向かった。寝かせられ、並べられたガイノイド。その姿は、まるで焼き払われる前の死体の山のようだ。考えると、ぞっとした。
工場跡から出ると、わたしは何度か深呼吸をした。おかしなものを見て、気が狂いそうだった。
何度か深呼吸をしてから、ラムズ湖のほうを見た。何棟かの工場の向こう、水面がキラキラと輝いている。太陽の光を何倍にも増幅して、湖畔に投げかけている。まぶしいぐらいだ。
そうして思わず目を背けそうになった、そのとき。わたしは一瞬、何かが工場群を通り抜けていくのを見た。水面を注視していたからよく分からなかったが、それは人間。女だった。ダークスーツ姿の、ブロンドの女だ。それも染めたような金だった。ハーフアップにした作り物のブロンドに、フォーマルな出で立ち。そして背格好にわたしは見覚えがあった。
――オリアーナ・トゥール……。
脳裏に焼き付いた、似たような女の姿。それが記憶の中で疼く。
すると今度は、左腕の端末が激しく震えた。着信。マリーからだった。
わたしは応答し、適当に返事をした。
「ウェザフィールドさん、ちょっとLACについてまたお話したいことがあるんですけど」
「またどこかで落ち合わなきゃダメかしら?」
「どうしてもって言うなら、電話でもいいですけど。……それで分かったことなんですが、シュタイナーの秘書のオリアーナ・トゥールについてなんですけど。今、いいですか?」
「……奇遇ね、わたしも今、トゥールについて聞こうとと思ってたの。いいわ、言ってみて」
「はい。シュタイナーと大城で、社長・副社長の対立があったって話はしましたよね? 社内はどうやら、社長派と副社長派で分かれているらしいんです。それで、対立について調べている途中で、寄り道ついでにトゥールについて調べたんですよ。そういえば、あの泣き崩れてた側近の女は何だったんだろうって。そうしたら、興味深い情報が出てきたんです。彼女が社長派か副社長派かは分からなかったんですが、それよりも経歴がおかしなことに気づいたんです。
オリアーナ・トゥール。バーファス短期大学経済学部卒業。秘書資格はそこで取ったとのこと。大学卒業後、バーファス区内のヤーボロー弁理士事務所に秘書として勤務。七年間務めた後、退職。その後、能力を買われてLACに入社したとか」
「どこもおかしくはなさそうだけど」
「そう思いますよね。ですけど、ミスタ・ヤーボローに、かつて雇っていた秘書について聞いてみたんです。そしたら、トゥールという名の女を雇った覚えはない、と」
「どういうこと?」
「それがサッパリ。ともかくトゥールは経歴を改ざんしている疑いがあります。とりあえず、ご報告まで。ほかに聞きたいことありますか?」
「いや、ないわ。……だけど一つ言うことがあるならーー」
わたしは、湖面から廃工場へと目線を移す。
「マリー、あなたいますぐラムズ湖にきたほうがいいわ。面白いものがあるから」




