午後十時のニュース
殺人鬼と話すのは神経をすり減らす。わたしは何度も犯罪者と対峙してきたが、中でもシリアルキラーと話すのは、精神的な疲労を伴う。それはメアリー・ルーカスにも言えることで、刑務所を出てからしばらく、わたしは車内でシートに横たわって目を閉じていたぐらいだった。
しばらくの休養の後、クルマを走らせ、ハイウェイを伝ってピルグリム・サーカスへ。わたしはセイヴィル・ストリートへ戻った。
自宅に帰ると、ニナが夕飯の支度をしていた。コトコトと鍋が具材を煮る音が聞こえてくる。階段を上がってリビングにつくと、今日の夕食が何か分かった。ミートボールのスパゲッティだ。トマトソースとニンニク、ワインの食欲を誘う香り。そして塩ゆでしたパスタの仄かなにおいがわたしの鼻孔をくすぐった。
「今日はパスタね」と、階段をあがったところで。
「あ、おかえりへジィ。そうだよ、今日はスパゲッティ。あと、そっちにシーザーサラダもあるから。ちょっと待っててね」
ニナはそういって、料理に戻る。
垂れ流しにしているラリュングFMでは、オールド・ベスト・ヒッツのコーナーが始まっていた。わたしの好きなバンドの曲が流れている。ニナはその曲を鼻歌まじりに料理に戻った。
わたしは革ジャンをコート掛けにもどし、ソファーに横たえた。正直、今日一日はかなり答えた。もうこれ以上仕事などやってられない。
ラジオから流れる音楽に耳を傾けながら、わたしはゆっくりとまぶたを閉じようとした。
しかしそんな時に限って、仕事の用が舞い込んでくる。左腕の腕時計デバイスが震えた。発信者はマリー・ライアル。きっと何かつかんだのだろう。
わたしはため息をつきながら、マリーからの通信に出た。
「もしもし、マリー。なにかしら?」
「お求めの情報で少し興味深いものが見つかってきまして。これからどこかで落ち合えませんか?」
「電話越しじゃ無理かしら」
「盗聴の危険性はないですか?」
「なに、そんなやばい情報なの?」
「それなりに。……お疲れのようなら、別に明日でも構いませんが」
「わかったわ。……じゃあ、十時にアーロンで。いいわね?」
「かまいません」
通話を切る。
わたしはもう一度深くため息をしてから、ニナの方を見た。
「ごめん、ニナ。ご飯食べたら、また出るわ」
ニナの作ったパスタをたらふくいただいてから、わたしは地下鉄に乗って待ち合わせ場所に向かった。
店内にはすでにマリーがいた。彼女はモヒートを飲みながら、スピーカーから流れる午後十時のニュースに聞き入っていた。
「待たせたかしら?」
わたしはマスターに目配せしながら言った。
この店でわたしが頼むものは決まっている。マスターは小さく頷くと、カウンター下からパイントグラスを取り出す。
わたしはマリーの隣に座った。マリーの頬は少し赤らんでいた。
「それで、何を掴んだわけ?」
「ウェザフィールドさんが言ったとおり、LAC上層部についていろいろ探ってみたんです。ウチのデータベースに検索かけて、LACのニュースを片っ端から調べました。それから、各部署の知人にも何か知らないか聞いて回りました」
「で、収穫は?」
わたしはカウンターチェアをくるりと回して、テーブルに背を向けた。平日のこの時間、珍しくあまり客入りはない。テーブル席には誰もおらず、馬蹄型のカウンターの向こうには仕事帰りらしきスーツ姿の紳士が二人いるだけだ。彼らがLACあるいは霧信仰の関係者かどうかはわからないが、少なくともわざわざバーファスからピルグリムまで飲みにくる理由はないだろう。もっとも、わたしならバーファスに住んでいても、ここまでスタウトを飲みにくるかもしれないが。
ちょうどそのとき、マスターがわたしの前にガイネス・スタウトをおいた。チョコレート色のエールは、徐々に泡とともに漆黒へと変わっていく。
「LACの社長シュタイナーと、副社長の大城ですけど。実は対立していることで有名らしいんです」
「企業上層部での権力闘争は珍しくないと思うんだけど」
「確かにそうです。ですが面白いのはここからで。数ヶ月前、ウチの記者がLACに不正なカネの流れがあると掴んだんです。それもかなりの額。しかもちょうどその時期に、シュタイナーと大城の対立が激化したらしいんです。過去に類をみないほどに」
「彼らがそのカネの動きについて対立していた……ということかしら」
「まさしく。そう考えています。しかもそのカネなんですけど……どこに流れていたと思います? 名目上は研究開発費で、自社の総合研究所の費用だったんですけど」
「さてね。極秘の研究機関でもあったのかしら?」
わたしは、煙霧計画のことを思い返しながら言った。しかし、あれは行政府主導のプロジェクトだ。グローブに出し抜かれるようなお粗末なマネはしないだろう。
「それがですね、個人の研究機関って話なんです」
「個人の研究機関? どういうこと?」
「それが私にもよく分からないんですけど。……ウワサによると、それはブロクスタイン郊外にあったって話です。送られた金は、ブロクスタイン西地区のはずれにある銀行から引き落とされていたとか」
「それって……」
思わず頬の筋肉がひきつった。メアリー・ルーカスと話していた時と同じ、殺人鬼が首元に鎌を突き立てるような恐怖。薄氷が全身に張りつめる。
「緑川シゲル。霧の向こうのアンドロイド技術を研究していた男なんじゃないかって、そう言われてます」
――まさか。
緑川への資金提供者が、LACだったというのか……?
わたしは驚きを隠せず、一瞬呼吸の仕方を忘れた。それから求めるように、スタウトを口に運んだ。




