月曜の決まりごと (2)
ハイウェイを降りてラリュング中央区に入ると、わたしはリデンズパークの周りを何周かしてから、ピルグリムに入っていった。そこでいったん自宅に車を停めると、車庫入れはニナに任せて、次の手がかりを探しに行った。
ピルグリム・セントラルから少し歩いたところにある、ホルソー・ブロック。そこへは地下鉄でもいけるのだが、歩いたところで十五分か二〇分程度しかかからない。だからわたしは、ウォーキングがてら徒歩で向かった。
さすがに月曜とあってそこまで騒がしくは無かったが、それでも歩道には酔っぱらいがチラホラと見えた。二階建てのパブからは客があふれ出し、グラス片手にエールをやる男たちがわめき散らしている。わたしは、この手の騒がしい酒場は好きではない。
しばらく歩いていくと、わたしはホルソーの風俗街近くで右折した。それから路地へ入り、さらに薄汚れたビルの二階へと上がった。
ビルには何の装飾も施されておらず、かろうじて入り口に『アーロン、営業中』とチョークボードが外へ出されているだけだ。多くの悪い酔っぱらいは、ここへは来ない。
階段を上がると、ビルには不似合いな赤い木製の扉が現れる。わたしはそれを押し開けて、中へ入った。
馬蹄型のカウンターに、いくつかのテーブル席。カウンターには二、三人ほど常連客が座っていた。テーブルには、カップルらしき男女が。あまりこの店では見かけない光景だ。
わたしはカウンター奥の、入り口からは見えない位置に座った。ここがわたしの定位置であり、マスターもそれを承知していた。
緩やかな曲線を描く外套掛け。革ジャンを脱ぐとそこへかけて、わたしは少しため息をついた。
月曜は嫌いだ。
だから月曜にはここに来ると決めている。
店主がわたしの顔を認めると、黙って灰皿と一杯の黒ビールを置いてくれた。わたしはいつもそれしか頼まないので、彼も黙ってそれを置くようになったのだ。
「今日はいつもより一段と沈んだ月曜日みたいで」
例によってマスターが会話の火蓋を切ったので、わたしは顔を上げた。
小太りの人の良さそうな男。頬まで長く伸びたもみあげが彼の自慢だ。彼はグラスを吹きながら、流れてくるラジオの音に耳を傾けていた。この時間はラリュング・オールド・ヒッツ。わたしの好きな番組でもある。
「昼間から死体を見させられたのよ。それも、知り合いの死体。かなりエグい殺され方をしていた」
「それはまたご愁傷様としか言えないね……。あんたが眉をひそめるんだ。そんなにエグかったのかい?」
「ここで口にするのを憚るぐらいにはね」
わたしはビールを煽った。ガイネス・スタウトは、わたしがいつもたのむ銘柄だ。グラスに注がれた真っ黒いスタウト。白くクリーミーな泡が喉を洗い流すようだ。
「はあ、そんなに……」
「かなり酷い殺しだった。すくなくとも、向こう一ヶ月はソーセージを食べたくなくなるぐらいには」
わたしがそう言うと、マスターは察したようにうなずいた。
彼は何事にも察しが良い。だからこういう店も続けてられる。客の扱い方がうまいのだ。そしてなにより、わたしがここに来るのには理由がある。
「それでだけど。その殺された女について聞きたいことがあるの」
「殺人を追ってるのか? そりゃ警察の仕事だぞ」
「厳密に言うと殺しを追ってるわけじゃない。だけど、おおむねそれで正解ね。……殺された女は、アオイ。コンウェイ・ファミリー傘下の売春宿に雇われていた。つまりコールガールってところね。彼女の本名は蒼井ミナ。彼女は幼い頃に両親の離婚に巻き込まれて、母親や妹と離ればなれになったらしい。ミナは父親に付いて行ったらしいの」
「よく聞く話だ」
「でも話はそれで終わりじゃない。妹のミズキは、ミナが死んでから姉のことを知った。だけどそれよりも前、姉妹の真実を知っていた祖母が、蒼井ミナ――つまり殺された姉のほう――から電話を受けて、それから急に失踪したらしいの。だけど驚くべきは、ミナからの電話は、彼女が殺されるよりも後にかかってきているってことなのよ」
「それじゃあ、誰かが彼女のフリをしてかけたのか」
「あるいは、彼女は生きているか」
「でも蒼井ミナは、えげつない殺されかたをしたんだろう?」
「そうよ。思い出すことさえためらわれるぐらいのね」
わたしはもう一度、スタウトを飲んだ。吐き気をこらえるために、少し酔って気分を高揚させたかったのだ。
「それで、マスター。あなた、何か知ってることはある?」
「知ってることっていってもなぁ」
「何でもいいのよ。コンウェイファミリーの動きでも、娼婦の間でどういう話があったとか、手がかりになりそうなことならなんでも」
「そうは言うがなぁ」
彼は自慢のもみあげをかく。
恥じらうように言う彼だが、わたしは彼の情報網に何度も救われてきた。
この店には、多くの業界人が訪れる。普段は人気のない店なのだが、酒のうまさとマスターの人柄に引かれて客が寄ってくるのだ。現にわたしもその一人で、月曜の晩には、いつもここへラリュングFMを聴きに来る。夜十一時過ぎからのラリュング・オールド・ヒッツを聴くために。うまい酒と、いい音楽。それがあれば、人は勝手にやってくるものなのだ。
「そうさなぁ」彼はグラスを拭きながら。「蒼井ミナって名前には、実は聞き覚えがあるんだ。
むかしウチに来てた人でね、ラリュング大学で院生をやってた人がいたんだが。その人がね、蒼井って研究者がどうって話してたんだよ。どうにもその蒼井ってやつはすごい男だったらしくてね。霧の向こう側の兵器について研究していたらしいんだ。いまや霧の向こうなんて、誰も気にしないからさ、その院生さんが言うには彼の研究資料は貴重なものらしいんだ。
だけどその蒼井って男、何年か前に女絡みで色々あったらしくってね。結局離婚して、娘の一人はそいつが引き取ったらしい。たしかその名前が、ミナだった気がするね。
まあ、それから彼はバタバタと問題を起こしてね。女どころか借金だの何だのと出てきてさ。学会を追放されるわ、大学にはいられなくなるわで、結局どっか行っちまったんだと。
でもその院生さん、一度でいいからその人に会いたいって言っててね。郊外にその蒼井って研究者が所有する貸倉庫があるみたいなんで、そっちに伺ってみるとかなんとか話していたよ」
「自宅ではなく、貸倉庫に?」
「ああ。奥さんともめ事を起こして、以来家に帰れなくなってるんだって、そう言ってたよ。金もないから家も借りられないらしくてね。結局、昔から借りてる倉庫にいるって噂らしいんだ。まあ、もうだいぶ前の話だけどね。いまはどうなってることやら。……でもへジィ、おまえ離婚がどうこうって言ったろう? ちょうど時間も名前も合致しそうだから、もしかしたらと思ってね」
「そうね。……当たってみる価値はあるかもしれない。相変わらずあなたの人脈と記憶力には脱帽するわ、マスター」
「商売が商売なんでね」
もみあげをかき、恥じらうように笑う彼。
まもなく、カウンターの向かい側にいた客がアイコンタクトを送ってきた。マスターは注文をうかがいに、わたしの前からいそいそと歩いていく。
わたしは残ったスタウトを飲み干すと、その代金をテーブルの上に置いた。チップはいつもより増量で。