契約続行
シュタイナーが逮捕された。
束の間のできごとに、わたしも思わず呆気にとられた。唯一冷静だったのは、秘書のトゥールだけで、彼女は静かに応じた。
「それで、社長はいまどこに?」
「いまさっき会議室に警察が向かってたので、たぶんそろそろ降りてくるんじゃないかと」
「わかりました。いますぐ向かいましょう。ミス・ウェザフィールド、あなたも一緒に来てください」
わたしはトゥール女史の言葉に従い、大城副社長とともに本社ビルに向かった。
ビルの玄関口。巨大な回転扉が待つガラス張りの入り口には、すでに人だかりができていた。あちこちに警察車両が止まり、パトランプが窓ガラスめがけて光を投げかけている。制服の警官たちがすでに周囲の警備を始めていた。
先陣を切ったのは副社長ではなくトゥール女史で、彼女は首からさげた社員証を見せながら、人混みをかき分けていった。わたしと大城氏も後を追い、シュタイナーを捜す。
一階のエントランスフロアは、受付がある吹き抜けの空間だ。広々とした光の射す穏やかなエントランスは、いまや警察と報道陣とでごった返している。ミス・トゥールは、報道陣の中に割って入ろうとしたが、しかし激しいフラッシュと、触手のように伸びるマイクの中でもみくちゃにされていた。分け入る隙は全くない。マスコミも必死だ。
「社長! わたしです、トゥールです!」
彼女が無理矢理にカメラをどかして、最前線に躍り出た。
まもなく、エントランス右方のエレベーターホールからハワード・シュタイナーが現れた。彼は四方を警官に囲まれ、手には錠をかけられていた。しかし、彼はいつもの笑顔を崩さなかった。逮捕されているというのに、まるで釈放された時のように安堵しているように見える。
わたしと小太りの副社長は、その一部始終をマスコミの波の少し後ろから見ていた。シュタイナー氏の姿は見えたが、顔がゆっくりと過ぎていくのが見えたぐらいで、まもなく目の前から消えていった。
しかしそのとき、彼はわたしに叫んだのだ。
「ミス・ウェザフィールド! 僕だ。シュタイナーだ。これから僕は、無実の罪を晴らしてくる。だから君は、君の仕事をしたまえ! 契約は続行だ!」
そして、彼は警察が用意した護送車へと移されていく。
シュタイナーがビルから出るのに連なって、報道陣も流れるように出ていった。
残されたのは、わたしたちだけだった。
オリアーナ・トゥールは泣き崩れていた。冷静沈着だと思われていた彼女だが、このときばかりは感情のダムが決壊したようだった。
わたしは背中を軽くさすってやった。だが、彼女はすぐにそれを拒んで、立ち上がった。
「大城副社長、これは……これはどういうことですか」
「そう言われてもね、トゥール君……私にもさっぱりなんだ。急に警察が現れて、シュタイナーを逮捕すると言ってきた……と受付から内線が回ってきてね。私もビックリして、すぐに社長に知らせたんだ。だが社長は、自分のことはいいからこのことを秘書と探偵に伝えろと言ってね……」
「社長はどうしてそんなことを?」
「さあね。……あなたは何か聞いていますか、ミス・ウェザフィールド?」
「いえ、なにも」
わたしはそう答えながらも、頭の片隅で考え事をしていた。そして、一拍おいてから話を続けた。
「ですが、彼が去り際に放った言葉……自分は無実の罪を晴らす。君は君の仕事をしたまえ。契約続行だ。……とは、つまり彼は自分が無実だと分かっていて、それを論証する手段も持ち合わせている。ゆえに逮捕されても何とも思わなかったのでは」
「それは分かりますが」と大城氏。「ですが、どうして社長が?」
「わからない話でもないでしょう。先日から霧信者らしき者たちによる暴行事件は発生していました。そして今回のキャロル神父の件……LAC側が復讐したと考えるのはもっともです。それも、神父はかなり異常な殺され方をしていました。ちょうどミスタ・シュタイナーの画廊にある絵画のような殺され方です。だから警察は、彼を疑ったのでしょう。ですが、あまりにも急すぎる……」
「何か陰謀めいたものを感じます」
と、トゥールが涙を拭いながら言った。
わたしも彼女の意見には賛成だった。警察の動きはあまりにも早すぎるし、シュタイナー氏を重要参考人とする理屈は分かるが、逮捕する理由は分からない。早急にこの事件を片づけたいのか? 警察は――いや、その上にあたる行政府は何を企んでいるというのか。
「……ともかく、わたしはミスタ・シュタイナーが言うように、わたしの仕事をするしかありません。もう少し、事件について調べてみます。よろしいですか?」
トゥール女史と大城副社長は静かに頷いた。いまやトップとなった副社長の承諾もいただいた。契約は、本格的に続行だ。
*
猟奇殺人が起き、依頼主は逮捕された。しかし、それでもわたしの仕事は終わっていない。
シュタイナー氏が逮捕されてから、わたしはバーファス区内にあるカフェに入った。夜はバーになるとのことで、店内にはカウンター席もある。わたしはサーキュレーターのちょうど真下にあるカウンターにつくと、コーヒーとバゲットの豚肉詰めを注文した。朝から死体に逮捕と悪運続きだ。いまのわたしには精のつくものが必要だった。たっぷりのグレイヴィーソースとローストポークを挟んだバゲットは、わたしの空腹を満たしてくれた。
そうして一息ついて、ちょうどよくぬるくなったコーヒーに手を出し始めたころ、待ち合わせの相手はやってきた。
「お早いですね。いつも遅れてくるのに」
皮肉を言いながら、わたしの隣に座る女。マリー・ライアル。ラリュング・グローブ紙の若手記者である彼女は、いかにも今さっき仕事を終えてきた、というような風貌でわたしの前に現れた。
彼女はカメラとバッグとをテーブルにおくと、ティーラテとトーストセットを注文。まもなく目玉焼きとベーコン、ビーンズ、トーストが一緒になったプレートが彼女の前に運ばれてきた。
「あなたもキャロル神父の件なの?」
「ええ、そうです。いまや関係各所はそれで持ちきりですよ。誰がタレコんだんだか知らないですけど、LACの社長が逮捕されるってウチに電話が来たんです。それで行ってみたら、あの有様ですよ」
「あなたもあの場にいたの? ミスタ・シュタイナーが逮捕される現場に」
「ええ、いましたよ。というか、なんでウェザフィールドさんがここで出てくるんです?」
「彼がわたしの依頼主だからよ。わたしは、一連のLAC社員が暴行を受けた件について調べていた。その矢先に、これよ。なにか陰謀めいたものを感じるわ」
「警察はシュタイナーさんが主犯って線で進めるらしいですよ。彼は殺人鬼のフォロワーで、復讐のために殺しをやった、だそうです」
「あなた、それ信じてるの?」
「いいえ。だって、シュタイナーさん言ってたじゃないですか。無実の罪を晴らして見せるって。ああいうこと言えるのは、相当な馬鹿か、本当に無実かでしょうよ。となれば、私は後者だと思ってます」
「奇遇ね。わたしもよ」
言って、わたしはコーヒーを飲んだ。ブラックコーヒーが、死体のにおいにやられた鼻孔を覚ましてくれた。
「それでね、マリー。あなたにお願いがあるの。仕事のついででいいから、少し調べてほしいのよ。LAC社の上層部。とくにシュタイナーと、その側近について」
「いいですよ。ちょうど私もその線をあたれって、上から言われてたところですし。分かり次第伝えますよ。……で、ウェザフィールドさんはどうするんです?」
「わたしは、刑務所に行ってみようと思うの」
「刑務所? って、まさか……」
「ええ、完全隔離の女に聞いてみようと思って。今回の殺しについて」
「正気じゃないですよ」
「あら。わたしがまともじゃないのは、もうとっくに気づいてた思うのだけど」
「……もう呆れてもうものも言えませんよ」
マリーはティーラテに手をつけると、そっぽを向いた。
わたしはため息一つ。コーヒーを飲み干すと、カフェをあとにした。




