真の罪人に死を
翌朝から、わたしはまた調査を再開した。しかし、それはある老婆のヒステリックな叫びとともに始まった。まったく最悪な始まり方である。
わたしはその日、内側区画から捜査にあたろうとした。だが、壁の内側は、それどころの騒ぎではなかったのだ。
敬虔な霧信者の朝は早い。日が昇る前から起き始めて、霧の向こうに祈りを捧げる。今日も一日、ラリュングに生きる者を救って下さいと、霧に願うのだ。彼らは毎朝、町の中央にある集会場に集まっては、そのような祈りの儀式をしている。儀式を取り仕切るのは、もちろんキャロル神父だ。しかし、今朝はおかしなことに神父が遅れていたというのだ。
信徒たちは、妙に思った。キャロル氏といえば、誰よりも早く広場については、儀式の準備をしていたからだ。その誠実さと実直さは町中で知られており、そんな彼が遅刻するなどというのは、悪い暗示としか思えなかったのだろう。
信者の一人の老婆が、様子を見てくると言って神父の家を訊ねたらしい。
玄関の鍵は開いていたという。神父は一人暮らしで、犬を一匹飼っているきりだったから、老婆は不審に思った。もしかしたら、もしかするかもしれないと。
そして、それは起きたのである。
扉を開けた先。老婆が見たのは、死亡した猫。そして神父だった。
*
キャロル神父の自宅は、朝から警察車両に囲まれていた。殺人事件と聞いて飛んできたバーファス西分署の警官が、いまでは周囲の警備に当たっている。野次馬を押さえようと必死だ。その奥では、中央署の殺人課員たちがいた。
わたしは探偵手帳を手に、テープをくぐり抜けた。お巡りが、「ちょっと、困ります!」と叫んだが、無視した。
屋内ではすでに鑑識が調査を始めていた。カメラを抱えた作業着の男たちが忙しく動き回っている。
そうしてまさに犯行現場に至ると、殺人課課長のリリアン・リュウが待っていた。
「驚いたわ。ラリュング市警がバーファスの揉め事に首を突っ込むなんて」とわたし。
「赤錆、あなたは……。そりゃね、こんなことになれば、さすがに出てくるわよ」
リリーはそう言って、目の前の死体を指さした。
その遺体は、あまりにも奇妙な姿をしていた。
両手両足、そして首を切り落とされた神父。その手足は、彼の背中に何らかの手段で接合され、彼はまるでテーブルのようになっている。ふくよかな腹は、丸みを帯びた円卓のようだ。そして机上――彼の腹は切り開かれ、そこから腸が取り出されていた。生首はその切り開かれた中に入れられている。
しかし、もっとも目を引いたのは、腹から飛び出た腸だ。それはピンか何かで壁や天井に固定され、立体的に、筆記体の文字を描いていた。犯人は遺体を用いてこう語っていた。
『真の罪人に死を』
わたしはひとしきり遺体の様子を見てから、首を横に振った。
「ひどいわね。悪趣味ってもんじゃない」
「今朝、朝の礼拝にこなかった神父を捜して、信徒の女性がここを訪ねたらしい。鍵は開いていて、部屋の中にはコレがあったそうよ。あと、それも」
リリーがリビング奥の床を指さした。
そこには、赤く染まった犬の顔と、骨が残されていた。犬の体は文字通り骨だけになり、しかし顔は綺麗に遺されていた。犬の恐怖に怯えた表情が、事件の凄惨さを物語っている。
「神父が飼っていた犬よ。エグい殺し方だわ」
「そうね。……神父がどうして殺されたかは、わかってるの?」
「さっぱり。でも、これを機にウチもバーファスの件に首を突っ込むことにしたわ。だから赤錆、余計なことはしないでくれるかしら。前にも言ったけれど、あなたの探偵許可証は、警察捜査の妨害許可証ではないのよ」
「知ってるわ。言われなくたってね」
わたしがため息混じりにそう言ったところで、左腕の端末がふるえた。
シュタイナー社長の秘書、トゥールからだった。
「失礼。わたしはわたしの仕事があるみたい」
「そう。さっさと現場から消えてちょうだい」
「そういう言い方は失礼なんじゃないかしら、課長さん」
わたしはリリーを指さしてから、現場を後にした。
*
LAC本社にクルマをつけてから、わたしは本社とは別棟にあるシュタイナー氏のオフィスに向かった。
彼のオフィスを訪ねると、そこにいたのは慌ただしくデスクの整理をするシュタイナー氏だった。
「ああ。きたか、ミス・ウェザフィールド。君が言っていたプロジェクトについてだが、君には明かすことにした。あとは秘書のトゥールが案内する。僕はこれから急ぎの会議があるのでね。すまんが、ここでおいとまさせていただくよ」
彼はそう言って、机上にあったホログラム端末を切り、代わりにメモ帳ほどのポータブル・デバイスを手に部屋を出ていった。
彼の慌てようにわたしは圧倒されていた。が、どうにも秘書の対応を見ると、べつだん珍しいことでもないらしい。
ハーフフレームのメガネをかけた秘書、オリアーナ・トゥール。ブラックスーツ姿の彼女は、終始すました様子でいた。
「では、行きましょうか。ミス・ウェザフィールド。こちらになります」
彼女はわたしに営業スマイルを投げかけ、オフィスの外へ。トゥールの足取りは、例の地下室に向かっていた。
そうして着いたのは地下二階。シュタイナー氏のコレクションが眠る、あの部屋だった。真っ赤な壁に覆われ、殺人鬼の描いた絵が並ぶ、あの部屋だ。昨日わたしが調べたメアリー・ルーカスの絵もやはりあった。男が女の四肢を切り落として死姦する様子や、切った男の首を並べて笑う少女の絵。ほかにも、全身が人の指の皮でできたように、体中に指紋をもつ裸婦の絵もあった。
わたしはキャロル神父のことを思い出しそうになり、思わず目をそらした。そして、目をそらした先で、トゥールは待っていた。
「こちらです。この壁を、ごらんになっていてください」
「壁を?」
「ええ。この地下二階は、LAC本社ビル地下八階、プロジェクト・スモッグ・ブロックと直結しています」
「プロジェクト・スモッグですって?」
「ええ。それが、デイヴィス氏の関わっていた極秘事業になります」
トゥールは赤い壁を愛撫した。すると、壁面に青白い光でテンキーが表示。彼女は慣れた手つきでキーを打ち込むと、まもなくキーは消えた。そして同時に、壁の赤色も消えたのだ。
一瞬にして、赤い壁面が無色透明に変わった。そしてその向こう。そこには、巨大な空間があった。グレーの鉄骨らしきもの――キャットウォークだろうか――に囲まれた空間には、一体の巨人が立ち尽くしている。二足歩行の、頭と腕のないバケモノだ。冬眠中の幼虫のような胴体に、ストッキングを履いたモデルのような足。そして胴の両脇には腕のごとく備えられたチェーンガンである。
「これは……」
「はい。ここ数ヶ月、霧の向こうからの侵入者が増加したことに対し、ラリュング行政府はついに警戒態勢を敷くようになりました。それに先駆け、行政府は我々LACに、大戦の遺産と同等あるいはそれ以上の戦力を持つ巨大兵器の製造を依頼しました。それが――」
「煙霧計画……」
「ええ。そしてこれがプロトタイプにあたる機体。スモッグS1です。デイヴィス氏は、この機体のメインコンピュータのプログラムコード開発者のひとりでした」
「だから彼は、霧信者にねらわれるかもしれないと……」
「ええ。この機体の約七割は、フォグの解析によって成り立っています。ほぼ霧の向こうの技術の流用と言っていいでしょう。ですが、内側区画の霧信仰たちにこの計画が伝わるはずがありません」
「だが彼らが知ったら……霧信者は、LAC攻撃に対する絶好の理由を得ることになる」
「その可能性はありません。我々の情報が内側区画に漏れることは絶対にありません」
「絶対に、ね」
わたしは鼻で笑って、横目にスモッグを見た。ライトグレーの幾何学模様の装甲に覆われた、二足歩行の巨体。人型とは言い難いが、これは確かにフォグだった――いや、スモッグか。
正直、スモッグというこの機体のスペックには、わたしは懐疑的だ。行政府が何を考えているのか分からないが、霧の中の人間が、霧の向こうの模倣物を作ったところでどうなる。……その結果は、往々にして悪い方向へ向かう。蒼井ミナもその一例だ。
――絶対に、はないんじゃないかしら。
わたしはミス・トゥールを皮肉るようにそう言ってやろうと思った
しかし、その前にある男がわたしの邪魔をした。
彼はドタドタと足音を立てて、この真っ赤な部屋に入ってきた。男は小太りで、髪は薄く、ワイシャツは汗ばんでベトベトだった。
「大変ですよ、トゥールさん!」
息を切らし、両膝に手を突きながら、彼は言った。
わたしは彼がヒイヒイ言いながら息を喘がせる姿を見て、すこし驚いた。なぜなら彼は、大城シゲル。このLAC社の副社長だったからだ。
「どうかなさったんですか、ミスタ大城」
「あなたは……探偵の……? それが大変なんです。社長が……シュタイナー社長が!」
彼は顔を大きくあげた。髪についた脂汗が、その反動で壁に跳ねる。
「シュタイナー社長が逮捕されたんです! キャロル神父の殺害容疑で!」




