インサイド・アウト (2)
西の突き当たりまで来ると、平和の壁はぷつりと途絶える。そこから先は比較的寛容な信者と非信者が混じり合う場所で、壁の必要がないからだ。しかしそこでも小競り合いは日々起きているもので、特に路地裏の壁などには汚い罵り言葉が落書きされている。「くたばれキチガイ霧信者」など軽めのもので、「LACは違法企業。殺人兵器を生み出す殺人企業を許すな」など、根も葉もない噂なども描かれている。
わたしはそれを横目に、霧信者たちが住まう街へと踏み込んでいった。そのとき、不思議とわたしの左腕が疼いた。霧の向こうの副産物である霧の女皇が、人間の憎悪に恐れをなしているようだった。
しばらくクルマを進ませ、わたしはバーファス・セントラルの内側区画に入った。霧信者が半ば隔離されている場所だ。
しかし内側区画といっても、外に比べてさしたる異変はなかった。通りを行く人々も、とくにこれと言って狂信者というような印象は受けない。むしろ、家族連れが幸せそうに歩いている。子供を真ん中に親子三人で歩く姿は、平穏さの象徴のようだった。
ここでは、ここ独自の文化が生まれているらしい。だが、表層的にはわからないようだ。
そうしてわたしが向かったのは、ある人物の自宅だった。白壁の一軒家は、どこか古くさく、奥ゆかしささえ覚える。出迎えてくれたのも、白髭が似合う老紳士だった。
「こんにちは、ミスタ・キャロル。わざわざお時間を割いていただきありがとうございます」
「いやいや、かまわんよ。ミス……」
「ウェザフィールドです。ヘイズル・ウェザフィールド」
「ミス・ウェザフィールド。どうぞ入っておくれ。わたしも話したいことはたくさんあるんだ」
恰幅のいい老紳士につれられ、わたしは客間に案内された。狭い部屋で、調度品も質素なものばかりだった。
キャロル氏は、紅茶を淹れてから席についた。その紅茶というのが、出涸らしで淹れたみたいに薄いお茶だった。
ピーター・キャロル。彼はこの内側区画の区長であり、霧信者の実質的なリーダーだった。いや、彼らのしきたりに従うのならば、『神父』というべきだろう。郷に入っては郷に従え、である。
「デイヴィスさんのことは、本当に申し訳ないと思っています。わたくしとしても、公にLACに謝罪しなければならないと思っていたところです。……ですが、まだ内側区画の人間がやったと決まったわけでもないですし。警察もデリケートな問題だからと、ろくな捜査もせず、自然に収まるのを待っているみたいでしてね……。わたくしも、下手に事件に関わるようなことはできなくて……。でも、それでもデイヴィスさんのことは遺憾に思っています。ほんとうに……」
「心中お察し致します。いかんせん政治と宗教が絡む問題ですから、氏一人で解決できないのも、無理はありません。わたしが少しでもお力になれればと思います
それでですが、キャロル神父。いくつかお聞きしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか」
「わたくしが答えられる範囲でしたら、なんでも」
「ありがとうございます。では、あなたの知る限りで誰か狂信的な信者、今回の事件に関わるような方はご存じでしょうか?」
「それがさっぱりでしてね。事件の後、区内で全教徒大会を開いたんです。そこでわたしも正直に自首するよう言ったのですが、効果はなく……。
私たち霧信仰は、旧世代の宗教とは違い、あくまでも個人の価値観を尊重することとしています。わたしたちにとっては、あくまでも霧を畏れ、称えることが教義。それ以外に明確な教えはありません。もちろん、LACが教えに反しているとは言えますが……しかし彼らを攻撃するのは、教義以前の人としての問題です。しかし……もしかしたら、我々のうちの誰かがやったのかもしれない……」
「わかります。……つまりキャロル神父、あなたでもまったく見当がつかないと?」
「ええ。いったい誰が何の為にやったのか、本当にさっっぱりで。……ミス・ウェザフィールド。一刻も早くこの事件を解決してはくれないでしょうか? わたし、毎晩このことを思うと胸が張り裂けそうになって……」
そのとき、キャロル氏は紅茶を飲んで落ち着こうとしたが、気管に入ったのだろう。大きくせき込んだ。
わたしは立ち上がって彼の背をさすった。
「ご心配なく、わたしが何とかしてみます」
「ありがとうございます、ミス。どうか、お願い致します」
*
そのあとわたしは何軒か被害者の家を回ったが、収穫はゼロだった。襲われたのはどこも暗がりで、相手の顔は見えず。あるいは、気絶させられて何も覚えていなかったという。襲われた理由についても、LAC社員であるということしか思いつかず。結局、頼み綱はデイヴィス氏が言う極秘プロジェクトだけになった。
そうしていくつかの問題をはらんだまま、わたしはピルグリムの自宅まで戻った。クルマを車庫に入れるころでも、今日はまだ陽が高かった。ビルの合間に赤い陽が沈んでいく。
リビングまであがると、ちょうどニナが夕食の準備をしているところだった。鍋からはスパイスのいい香りがしてきた。今日はカレーだろうか。
「あ。おかえり、へジィ。どうだった?」
「事件解決までの道のりはかなり厳しそうよ。ちょっと調べ物してくるから、料理できたら呼んで」
「はーい」
言って、ニナはおたまを手に味見を始めた。時間はあまりなさそうだ。
わたしは螺旋階段を降りて階下の書庫へ。デジタルライブラリーに向かった。調べるのは警察資料。そのなかでもバーファス区署の資料だ。
虚空に映るページを繰り、わたしはざっと資料に目を通した。だが最新の調査資料を見てみても、バーファスの霧信者については何もかかれていない。あまりに慎重な判断を要する事件なので、警察も手が出せないでいるのだろう。まったくどうしようもない。
バーファスでの暴動は、これまでにも何度かあった。しかしラリュング市警が動き出したのは、いつも暴動の後だ。後手後手に回ってばかりで、進んで事件に介入しようという意欲は認められない。仕方ないと言えば、仕方ないのだが。
しばらくして、わたしは事件資料を手放した。これ以上見ていてもろくな収穫はないと判断したからである。
代わりにわたしは、個人的な興味からラリュング刑務所の収監者リストを手に取った。シュタイナー氏のギャラリーにあった絵が、妙に頭に残っていたのだ。あの奇妙で、グロテスクな絵。彼は、『罪を背負うものこそ人を惹きつける芸術を持つ』と言った。たしかに、その通りかもしれない。
リストをパラパラとめくり、重罪人の項目へと入った。主に殺人の罪を犯した者たちだ。彼らのプロフィールには、その壮絶な過去と忌むべき凶行、そして『完全隔離の有無』の項目が記されていた。
完全隔離。
それは、重罪人を閉じこめる一つの方法。すなわち、彼らの脳髄のみを取り出して、ラリュング刑務所の最深部にある冷凍保存庫に残すというものだ。彼らの脳髄は、犯罪学における貴重なサンプルとして保存される。しかし、肉体は打ち捨てられ、彼らは絶対零度の中、数世紀という眠りにつかされる。
完全隔離は、死刑に次いで考案された処刑方法だった。倫理的な問題で死刑は廃止になったというが、ラリュング・シティ成立以降、市民から死刑賛成の機運は高まった。閉鎖環境の中、殺人鬼と同じ空気を吸うのはイヤだ、という輩が現れたからだ。それに対し、完全隔離は有効な手段だった。生かさず、殺さずの無間地獄だ。
そんな隔離された重罪人の中にひとりの女がいた。彼女の名はメアリー・ルーカス。シュタイナーが所蔵するコレクションの生みの親だ。
ルーカスは拉致した子供を絞め殺し、その肉を食べていたという食人鬼だ。彼女が殺した子供は、もれなく骨の髄まで食われることになった。おかげで残された遺体の山は、どれも肉がなく、骨のみの状態で見つかったらしい。また、子供の骨でスープストックを作っていたという話も聞く。
彼女が完全隔離にされた理由は、それだけではない。ルーカスは成人も無差別に殺し、その遺体をオブジェとして飾っていたのだ。彼女の自宅から発見された無数の遺体は、防腐剤の施された化け物だったらしい。それこそ、あの絵に見るような怪物だ。口から手の生えた遺体や、手足を組み替えられた遺体。機械や動物と接合されたり、体中に花を生けられた遺体もあったという。
そうしてメアリー・ルーカスは、司法局から無期懲役を言い渡された。彼女は牢獄から完全隔離を受けるまでのわずかなあいだ、食人と死体芸術という欲求を、絵を描くことで押さえつけたのだという。その結果こそ、シュタイナー氏が飾っていたそれである。
わたしは底知れぬ悪寒を感じ、本を閉じた。
するとちょうどよくニナが「ご飯できたよー!」と声をあげてくれた。深淵から現実に引き上げられたような気がした。




