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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
パーフェクト・キス
40/67

唇の贈り物

 クラブで密売人を締め上げた翌日、わたしは珍しく早く起き、朝刊を見ながら朝食をとった。ニナ特製のフレンチトーストとブラックコーヒー。それからコーンスープを飲みながら、グローブ紙の第一面を見た。トップ記事は、やはり霧の向こうの兵器についてだった。

『大戦の遺産、連続犯の可能性

 先日、イェーディング・スクエアで発生した殺人未遂事件。逮捕されたのは、ローザ・コンスエロ(42)。コンスエロは霧の向こうの技術と思われる特殊な刃物を用い、夫の愛人を襲った。現在彼女は、警察の聴取に対して黙秘を続けている。しかし当社の独自調査によれば、コンスエロが武器を購入したルートが存在し、その人物が先日の装甲車事件にも関わっているとのこと。真犯人は、コンスエロとは別に存在するものと考えられる。

 担当記者:マリー・ライアル』

 コーヒーを飲み、記事を眺める。

 マリーは律儀にわたしの言ったことをコラムに書いていた。トップ記事は別の記者だが、その端にはこぢんまりと彼女の書いた文面が載っている。マリーは着実に記者として出世街道を進んでいるようだ。

 コーヒーを飲み干すと、わたしは地下室へ行こうとした。目的は一つ。霧の女皇(ミストレス)の確認だ。

 明日、もし死の口づけ(キス・オブ・デス)と戦うことになるのなら、ほぼ確実に彼女が必要になる。そうなったとき、不足の事態が発生するのは勘弁だった。相手はわたしと同じ、MISTの元メンバー。いままで遭遇してきた機械人形たちと違い、一筋縄で行くはずがない。万全の状態で望みたかった。

 ニナに洗い物を任せて、地下室へ。エレベーターに乗って、わたしは彼女のもとへ急いだ。


 霧の女皇。

 その名を冠した機体フォグは、文字通り女皇がごとき気品をまとっている。耽美で情熱的な赤色をまとい、アンバランスすぎる巨大な左腕を華麗に見せる、その姿。

 わたしはコクピットに入ると、左腕にケーブルをつなげた。そして、セイフティ・モードで起動。ミストレスの自己判断機能を作動させ、異常箇所がないか走査スキャンさせた。

 左腕から全身へ、体中を虫が這うような感覚が襲う。ミストレスが全身を調べ上げている証拠だ。

 走査にはしばらくかかった。だからわたしはそれまで、少しだけ休むことにした。


 しばらく眠ってから、目を開けた。起きた理由は、ニナに呼ばれたからだった。左腕にはめた腕時計型端末が震えていた。

 スキャンは終了していた。コクピットのディスプレイに「異常なし」と表示されている。

 わたしはミストレスをスリープモードへ戻させると、通信に応じた。

「へジィ、お客様だよ」と、時計に仕込まれたスピーカーが叫んだ。

「客? いったい誰?」

「わたしより小さい、赤毛の女の子だよ。なんか、へジィに相談したいことがあるんだって」

「赤毛の女の子ですって?」

 コクピットから降りて、わたしはエレベーターのほうへ急ぐ。

 赤毛の女の子。そう聞くと、たしか会った覚えがある。そうだ、このあいだのブロウトン・ヒルズの件。装甲車騒ぎに関わっていた少女だ。


 地上一階にあがると、すでに少女が客間で待っていた。ソファーに座る彼女は、ニナの淹れたミルクティーとスコーンを食べていた。

 赤毛の、すこし大人びた印象を受ける少女。彼女は間違いなく、あのブロウトンでの一件の彼女だった。

「久しぶりね」

 わたしが客間に入ると、彼女はティーカップをおいて立ち上がり、ぺこりとお辞儀した。

「座っていていいわ、楽にして。今日は何の用事できたのかしら?」

「はい、それなんですが……」

 ティーカップを端へ寄せ、彼女は脇に置いた鞄を手に取った。

 焦茶色の革鞄。ボタンをはずして開くと、彼女はその中から紙袋を一つ取り出した。ファストフード店でもらえるような、クラフト紙の紙袋だった。

「今朝、これがうちのポストに届いたんです。たぶん、送り主は……その、あの人だと思います」

「サリー・へイズ……?」

 少女がうなずく。

 サリー・へイズ。またの名を、死の口づけ(キス・オブ・デス)

「それで……なんだかわたし、開けるのが怖くって……」

「で、わたしに相談しにきたってわけね。どれ、見せてみて」

 紙袋を持ち上げ、その包装紙を見てみる。

 何気ない紙袋だったが、その外面には黒いマークがあった。黒い、キスマークだ。

 丸められた口を開けて、中をのぞき込む。中には紙がたくさん詰められていた。雑誌を破いて丸めたような紙だ。おそらく、ザ・プロブレムでも破いて詰め込んだのだろう。プロブレム紙一冊で、だいたいこれぐらいの量にはなる。

 だが問題は、その紙面の色だった。

 白い紙面が、赤く滲んでいる。それは決して絵の具の色ではない。鮮やかな赤色――鮮血だ。赤い液体はすでに凝固し始め、紙片の端では結晶化が進んでいた。間違いない、このなかに詰めてあるモノは、およそ少女には見せられるものではない。

「目を閉じて!」わたしは叫んだ。

「え? どうしてですか……?」

「いいから、見ないで!」

 少女が目を瞑ったのを確認すると、私は中身を取り出した。

 ぐねりとした奇妙な感触。指先に血が触れた。紙片を引き剥がし、血液の原因を詳らかにする。

 それは、唇だった。文字通り、唇だけだ。微かに髭の生えた皮膚もあったが、腫れぼったい赤い唇だけが詰めてあった。この赤は、唇の赤か。それとも、血の赤か。

 わたしはこの唇に見覚えがあった。浅黒い肌。無精髭。そして腫れぼったい唇。

「……ガンボアか」

 ダヴィッド・ガンボアは殺された。

 キス・オブ・デスによって。彼女は、わたしの動きを把握している。

 わたしは血だらけの唇を紙袋に戻す。

 紙袋のそこには、一通の手紙もあった。血に塗れた、白い手紙。万年筆の青い字で、美しく「中尉へ」と記されていた。これは、彼女からわたしへの手紙だ。

 わたしは唇を戻すと、代わりに手紙を手に取った。中の便せんは、血に塗れていなかった。

 便せんにはこのようにあった。

「はじめまして、ミス・ウェザフィールド。わたしこそ、あなたが捜している者です。

 明日、満月の晩、ラムズ湖のほとりにある廃工場でお待ちします。あなたとお会いできることを、心より楽しみにしています。

 過ぎ去った日々より、愛を込めて。

 サリー・へイズ」

 全身に悪寒が走った。

 差出人が彼女だとはわかっていたが、しかしここへきて確信を突いた言葉がくると、わたしはいやがおうにも彼女を意識しなければならなかった。サリー・へイズ――死の口づけは、わたしに動きに気づいている。わたしをもてあそんでいるのだ。

 わたしは手紙をポケットにねじ込むと、「目を開けてもいいわ」と少女に言った。

 赤毛の彼女は、恐怖を洗い流すように紅茶へと手を伸ばした。

「あの……中身は何だったんです……?」

「脅迫状。わたし宛のね。おそらく彼女は、あえてあなたたちに送ったんでしょう」

 おまえの動きは把握している――そう警告するために。

「でも……サリーさんは、いい人でしたよ。なんで脅迫状なんて……」

「ある一面から見れば、その人は善人かもしれない。たとえばあなた、わたしが悪人に見える?」

 少女は思いきり首を横に振った。まだ彼女からの信頼はあるらしい。

「でも、わたしは犯罪者を何人も警察に引き渡したり、締め上げたりしている。だからそういう連中は、わたしのことを『赤錆』と呼んで嫌うの。つまり違う方向から見れば、わたしも悪人なのよ。それは、サリー・へイズ……彼女も同じ」

「あの人は、いったい何をしたんですか?」

「霧の向こうを、街の中に引き入れようとしているのよ。それはラリュングに混乱を招く行為よ。彼女の目的が何であるにせよ、止めなければならない……。とりあえず、この小包はわたしから警察に届け出ておくわ。もし警察に呼ばれたら、ちゃんと答えて。いいわね?」

 赤毛の彼女は、うんと声をあげてうなずいた。

 彼女の目には純真さが残っている。

 だが、わたしはそうもいられない。

 決戦は、明日だ。過去の女と決別しなければならない。


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