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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
パーフェクト・キス
38/67

ダンサー・イン・ザ・ダーク (1)

 クルマに戻ると、わたしは車載端末にメモリを差し込み、そのデータをナビゲーションに送りつけた。コンピュータはまもなく、ガンボアがいるとされる場所を割り出した。

 メモリのデータが正しければ、ガンボアは破門後も街角で売人を続けているとのことだった。コンウェイ・ファミリーは、どうやら自分たちの名が汚されないよう、破門後もガンボアの動向を監視していたようだ。

 データが示しているのは、ガンボアが密売を行っているとされる場所。定期的に位置を変えて、彼はブツを売っているらしい。そして今日は、どうやらキリング・クロス近くにあるクラブで売りさばいているらしい。

 今日は月曜だったが、若者は毎夜そこへ通い詰め、クスリや酒で踊り狂っていると聞く。わたしも何度か仕事のために出向いたことがあるが、騒がしくてイヤになった。わたしは静かに音楽を聴き、飲んでいるほうが好きだ。

 しかし、今日はそうも言ってられない。今度は渋滞にハマらないよう、事故現場を迂回しつつ、わたしはキリング・クロスへ向かった。


 午後八時過ぎ。これぐらいの時間になると、夜の店も騒がしくなってくる。わたしは途中、自宅によってニナに夕飯がいらないことを伝えると、カフェで軽い夕食を取った。クラブハウスサンドにエスプレッソだ。これからクラブに行くのだから、間違ってはないだろう。

 キリング・クロスの地下鉄駅から上がったところには、翼を持った騎兵の黄金像がある。有名な待ち合わせ場所で、駅出口も騎兵キャバリー口と名付けられている。

 そんな騎兵口から東へ歩いて、二、三交差点を通ったところで路地に入る。そのさきにあるのが問題のクラブハウスだった。ゴミゴミとした歓楽街の中に、張り紙だらけの入り口があった。そこだけネオンサインも何も無く、地下へと続く階段があるだけだった。

 階段を下りる途中には、無数の張り紙。何日に誰の曲を流すとか、誰がDJとやるかとかなんとか。そんな情報がところ狭しと並べられている。ただ、その多くは過ぎ去った情報だった。まぬけにも一年前のパーティーを告知していたりもした。

 黒いドアに触れて店内に入ろうとしたとき、ドアが低く振動しているのがわかった。音圧で揺れているのだ。ドアはおそらく防音仕様なのだろうが、ズンズンと腹の奥に響く低音が聞こえてくる。

 ――こういう音楽は嫌いだ。

 だが、これも仕事だ。わたしはそう割り切ると、ドアを開けて店内に入った。


 その店は、わたしが浮いて見えるほど騒がしかった。店内は超満員で、ダンスフロアでは若い男女がダンスとも性行為とも言えない動きを繰り返している。一段上がってDJが立つフロアでは、スピーカーが爆音でダンスミュージックを流していた。電子楽器の腹にくるような低音。徹底的に一定のリズムを刻む電子ドラムがわたしの鼓膜を打った。耳をつんざくような爆音。ここでは銃声が鳴ったとしても、誰も振り返りさえしないだろう。酒と、クスリと、音楽とで五感が麻痺してしまう。

 わたしは耳を軽く手で押さえながら、ダンスフロアより一線退いた場所に立った。そこにはバーカウンターがあり、フロアを見ながらグラスを傾ける男女がいた。彼らは指を指しながら、何かを口にしている。おそらく連れが乱痴気騒ぎに入り込むのをみて嗤っているのだろう。

 カウンター近くに立っていると、店員の一人がわたしを見た。だが、無視した。この状況で酒など飲みたくはない。

 わたしは目を凝らし続けた。見据えるべきは、男一人だけ。ガンボアが現れたら、わたしはダンスフロアに舞い降りよう。


 しばらくこの耳障りな喧噪の中で、わたしは自然な立ち居振る舞いを心がけた。さすがに革ジャンでいるのはここのドレスコードに合わないので、上着は手近なイスの背もたれへ。ネクタイをゆるめて、ワイシャツのボタンもはずした。スラックスのベルトも適度にゆるめて、腰あたりでズボラにとめた。どうやらルーズな格好がここの規則らしい。

 しばらく見張っていると、怪しげな男を見つけた。一人はわたしと同じ、フロアの外から見物している男だ。彼はライムの入ったロングカクテルを片手にしていたが、いっこうにそれを飲む気配はなかった。むしろ、グラス越しにダンスフロアの様子を見ている。青白い閃光がまき散らされたフロア、そこで乱れあう様子に。その視線は、しかし野次馬というよりは、監視者というべきだった。おそらく、警察の張り込みを監視する役だろう。よく見れば、耳元に小型のスピーカーが埋め込まれていた。これで売人とやりとりしているに違いない。声は、おそらく口内に埋め込んだマイクで送っているのだろう。この喧噪の中だ、無線でやりとりしたところで、その声に気づかれることはない。

 まもなく、ヘラヘラと笑っていた彼が何かを口にした。そして、近場にいた女性に声をかけるように、フロアへ向けて手を振ったのだ。それがサインだった。

 見張りの男の視線の先へ、わたしは目を向けた。そこにいたのは、人混みの中で踊る一人の男だった。

 わたしは腕時計端末を操作し、覗き見防止モードで起動した。映像を直接網膜に投射するモードだ。右目に映像が描き出され、コンウェイ氏がくれたガンボアの顔写真を映し出した。そして左目では、現実のガンボアを追う。髭面の、褐色の肌の男。唇は腫れぼったく、安いチンピラという印象を受ける。

 右目と左目、二つの瞳に写る一人の人間が、いまダンスフロアで交錯した。

 わたしは上着をバーカウンターに預けると、ネクタイをさらにゆるめた。ダンスタイムだ。


 階段を下りて、ダンスフロアへ。極彩色の輝きが散らばる階下は、荒れ狂う若者で満たされていた。わたしは彼らに合わせ、音楽にのるように腰を振った。そして手で人混みをかき分け、中央に潜むガンボアを追った。

 彼の取引相手は、どうやらこの店にいる多くの若者のようだった。目を凝らせば、やつの指先が見える。巧みに人影に紛れ揺れ動く指。その先では、緑色のメモリチップらしきものがうごめいていた。チップは彼の手から他の者の手へと移り、また違う者へとわたっていく。そして今度は札が回ってきて、彼の腕に帰着した。大したバケツリレーだ。

 わたしはそのリレーの中央に向かった。ようやく彼の前に躍り出たとき、階上の見張りがしかめ面をした。警戒しているのだろう。しかし、わたしはやめなかった。

 ガンボアのうしろに立つと、わたしは彼と背中合わせになった。

 刹那、曲が変わった。ドラムビートがゆっくりと消えていき、代わりにやる気のないベースラインが始まった。ベヨン、ベヨンと続くやる気のないリズム。しかしその瞬間、客の盛り上がりは最高潮に達した。歓声がガンボアの注意を削ぐ。

 わたしはその瞬間、ゆっくりとガンボアの体に手を這わせた。そしてターンを決めてから、彼の背中にぴったりと体を押しつけた。口を耳元に近づけ、彼の褐色の耳を甘噛みした。

 ぶるん、と体を震わせるガンボア。わたしは左手でやつの手を押さえつけ、跳ねる体を落ち着かせた。

「あなたが売人さん?」

「なっ、なんだてめえ!」

「風の噂で聞いたの。わたし、どうしても殺したい相手がいるの。あなたがそれを手伝ってくれるって聞いて……ねえ、お願い」

「だれから聞いた! てめえなにもんだ!」

「そんなことはいいでしょ。いいから、お願い……お礼はするわ」

「わかった。わかったから。……あの取引は、ここじゃまずい。十分後に店の裏口で落ち合おう。いいな?」

「いいわよ」

 ふうっ、と耳に息を浴びせかける。

 そしてわたしは、彼のもとから離れていった。

 見張りがわたしを見ている。果たして、ガンボアはこれからビジネスにでるか。それとも、トラップを仕掛けるか。


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