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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
パーフェクト・キス
37/67

アフタヌーン・ブランディ

 頼まれてくれないかね。そう言ってミスタ・コンウェイが招いたのは、軽い食事だった。昼時を大渋滞の中で過ごしたわたしは何も口にしていなかったので、ありがたかった。

 日本庭園の前に築かれた、芝の上のあずまや。わたしとコンウェイ氏はそこへ腰掛けると、グラスを交わした。彼は銘柄こそ言わなかったが、相当な額のするブランデーだろう。香りの華やかさが、そこらの安物とは格段に違っていた。

 わたしはそれを少しだけ飲んで、あとは庭を通り抜けてくる風に身を任せていた。氏は「もう一杯」と薦めてきたが、帰りの運転に支障が出ると言って、わたしは断った。

 彼はブランデーを飲みながら、ガトーショコラを口にしていた。わたしの目の前にも同じものがある。大量生産品ではなく、パティシエが作った一点ものだろう。口のなかで広がるほろ苦い甘さは、ブランデーの鼻に抜ける香りと抜群の相性だ。

「さて、本題に入ろうか」

 ガトーショコラにフォークを入れながら、氏は言った。

「君はガンボアを探していると言ったね。それも、正確にはヤツのうしろで暗躍している、霧の向こうの兵器を扱っているやつを……」

「はい。女の目的はわかっていませんが、これまでの事件から、その女が霧の向こうの兵器を扱っていたことは明らかになっています。そしておそらく、ガンボアに商品を与えていたバイヤーも、その女だろうと」

「その女というのは、いったい何者だね? たしか、右手に唇のタトゥーがあると言っていたが……」

「はい。仮に彼女を、死の口づけ(キス・オブ・デス)と呼んでいます」

「恐ろしい名だ。……その女は、いったい何を目的にしておるのか。赤錆、なにか考えはあるか?」

「いえ、まったく。しかし死の口づけが霧を恐れていないことだけは確かです。彼女のねらいが何かはわかりませんが、ラリュングに混沌を巻き起こしていることだけは事実です」

「フムン。気に入らんな。やはり、ラリュングに霧は入れるべきではない。霧は触れてはいけない禁忌だ。しかし、霧は神でもなんでもない。先人が生み出した保護膜とでも呼ぶべきものだろう。それを自ら破ろうとするなど、馬鹿者のすることよ……」

 コンウェイ氏は、ガトーショコラの最後の一切れを口に入れた。そして、残ったブランデーを噛むように飲む。左唇が麻痺したように動かない彼の口は、咀嚼そしゃくするたびに異様な音を立てた。

 それからして、あずまやに黒服の大男がやってきた。先ほどのエドという黒人だ。

 彼はコンウェイ氏に何かを耳打ちして、ポケットから何かを取り出した。記録媒体メモリか何かだろう。

 コンウェイ氏はうなずくと、そのメモリを受け取った。黒く細長いメモリは、氏の小さな左手にもすっぽりと収まるサイズだった。

「赤錆、たったいま情報が出そろった。このメモリのなかにガンボアについてワシらが知るすべてが入っている。もしそれでも彼の居所がつかめなかったら、もう一度ワシのところに来い。前々からワシは、あの男が気に入らなかったのだ。商売のためなら、自らの信念をも曲げる阿呆よ。一度痛い目に遭わせたが、どうやらそれでも懲りぬほど性根の腐りきったヤツらしいな。

 ワシは一度頼まれたことは最後までやり通す主義だ。よいな、赤錆?」

「どうもありがとう」わたしはメモリを受け取る。「ところでミスタ、あなたからのお願いは? よもや探偵とフタヌーン・ブランディを楽しみたいとか、それだけじゃないでしょう?」

「ああ、そうだった。忘れておった。実はな、八人目のひ孫が生まれるんだ。その名前を考えてくれぬか?」

「そんな大役、わたしがあずかっていいの?」

「おまえを信用してのことだ、赤錆。よい名前を思いついてはくれぬか?」

「そうね。……その子は女の子? 男の子?」

「おなごだ。きっとかわいい子に育つ」

「そうね……」

 わたしは額を指で叩きながら、何かいい名前はないかと考えを巡らせた。

 コンウェイ氏のやり口はいつもこうだ。頼みごとをすることで、相手に責任感を感じさせる。そうすることで恩義を感じさせ、裏切られないよう取り計らうのだ。うまいやり方だと思う。だからこそ、頼まれた側も失敗出来ないし、頼む側も譲歩し、また本気で来る。

 少しだけ考えたが、しかしわたしの頭の中に浮かんだ名前は、なぜか一つだけだった。

「そうね、フィービーなんてどうかしら。輝く女性、なんて意味なのよ」

「フィービー……。フム、良い名だ。ワシのひ孫にピッタリだな。礼を言うぞ、赤錆」

「こちらこそ、どうもありがとう」

 わたしは軽くウィンクすると、席を立った。


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