ギヴ・アンド・テイク
キリング・クロス・サウス。あまり治安についてはよろしくないこの地区は、しかし犯罪の発生率はきわめて低い。というのも、この南地区一帯をコンウェイ・ファミリーが治めているからだ。彼らの影響力はラリュング全体に及ぶが、そのなかでもキリング・クロス・サウスは特に強い。このあたり一帯は、コンウェイ・ファミリーの構成員だけが住んでいると言ってもいいぐらいだ。おかげでラリュング市警もおちおち入ることができず、何が起きても放置するしかないのだ。犯罪が起きても、警察がそれを知る手立てはない。
わたしはそんなマフィアの土地に足を踏み入れた。これが初めてというわけではなかったが、それでもイヤに緊張した。
サウス地区中央、盛り上がった丘の上にコンウェイの居城はある。丘の下は巨大な鉄柵と黒服の警備員たちに囲まれ、物々しい雰囲気を帯びている。ゲートは正面の一カ所しかなく、そこから入るしか方法はない。ゲートから先を見上げると、緑の丘のうえに公園らしき噴水たちが見える。そして、クリーム色の建物が見えた。横に広い邸宅は、その財力を物語っているようだ。
わたしはゲートの手前でクルマを止めた。白赤のバーがクルマが通れないようにしていた。
すぐにゲートから警備員がやってきて、わたしに声をかけた。
「おいコラ、てめえどこのもんだァ!」
いきなりの荒々しい口調。マフィアでも下っ端は、やはりマナーというものを知らない。
わたしと、わたしのブリストンはすっかり囲まれてしまった。そこで窓をおろし、彼らと対話することにした。
窓を開けた先には、ブラックスーツにサングラス、スキンヘッドという、いかにもな男が立っていた。服の上からでもわかるぐらい筋骨隆々の体。もし格闘戦になったら、ひとたまりもないだろう。
「失礼、ミスタ・コンウェイにお会いしたいのですが」
「アンタ、ボスに会えると思ってるのか。誰だ、てめえ」
「情婦よ」
わたしは少し、色っぽく言ってやった。だが、彼らは例のボーイと違って、この手の冗談は通用しなかった。
「ボスに商売女はいらん。帰れ」
「そういう意味じゃないわ。ただ、あの人に伝えてくれないかしら。赤錆が来た、って。そうしたらきっと、入れてくれるはずだから」
「赤錆だって?」
わたしはそのとき、彼の顔にひそかな変化があったのを見逃さなかった。下っ端の耳にも、多少のウワサは入ってくるのだろう。ラリュングの女探偵、赤錆のウワサ。
まもなくして、彼は困ったように無線を上司にかけた。上司への彼の態度は、わたしへの言葉が嘘のようにさえ見えた。
それからボスに話がいったのだろう。彼は少し不思議な顔をして、「行っていいぞ。ボスがお待ちだ」と告げた。
すぐにバーが上がった。わたしはクルマを屋敷へ向けて走らせた。
広々とした庭園は、とても個人宅とは思えなかった。洋式の庭園に始まり、そこからゴルフコースを横目にして、今度は日本庭園。こぢんまりとした印象の庭を抜けると、ようやく邸についた。
わたしは玄関先のガレージ脇にクルマを停めた。するとすぐに黒服が何人か来て、わたしを案内してくれた。
相変わらずコンウェイ氏は、相手が相手ならば親切な対応を見せてくれる。これがもし抗争相手のギャングやヤクザなら、一瞬で殺していたに違いない。
玄関を通り、焦げ茶色のシックな廊下へ。階段を上がって、二階にある部屋に案内された。そこがコンウェイ氏の私室だった。
「どうぞ、お入りください」と黒服がわたしを促す。
わたしはゆっくりとドアを開けて、室内へ。
その先には、アンティークの調度品があしらわれた古風な部屋が広がっていた。机を前にして、車いすの男が一人、半開きになったブラインドをバックにして座っている。逆光になっていて顔はよく見えないが、彼が間違いなくミスタ・コンウェイだった。
ミスタ・コンウェイは、自分の顔をあまり見せたがらない。というのも、彼の姿はとても醜いからだ。彼自身、そう語っている。その醜さは戦争の傷痕であり、彼が霧の向こうを体験したことを示していた。
車いすに座る、百歳を越える老紳士。禿げきった頭は、いびつな卵形をしていた。左側だけ妙に小さい顔。唇は垂れ下がり、頬はドロドロだ。また、顔と同様に左半身はすべて小さく出来ていて、手足などまさに子供のようだった。右手は成人のような姿であるから、なおアンバランスだ。
「……ひさしぶりだな、赤錆」彼は言った。ろれつの回らない、舌がしびれているような声だった。「三龍会をつぶしたとき以来か。あのときは世話になったな」
「あれは仕事の一環でした。別にあなたに恩を売ろうとか、そういうわけではありませんよ。ただ、ギヴ・アンド・テイクの関係というだけです」
「そうだったな……。ワシは君の、そういうビジネス・ライクなところが好きだよ。君は……仕事への信念がよく見える。自分の信念を決して曲げない女だ。ゆえに、非情な行為をも辞さない狡猾さがある。倫理的になるだけが、己が正義を貫き通すということではないからのう。
……それで、ミス・ウェザフィールド、今日は何の用かな。ワシはな、実は忙しいんだ」
「すみません、お忙しいところ急にお時間を割いていただいて」
「なに、気にせんでいい……さあ、何の用があってきたんだ」
「頼みがあります」
「ほう、頼みとな」
「はい。一つお聞きしたいことが。ダヴィッド・ガンボアという名前はご存じで?」
その刹那、コンウェイ氏の顔に異変が生じた。その変化は、逆光の中でもわかるぐらい、あからさまな変化だった。
不揃いな顔に、怒りの火がともる。
「ガンボア? あの、くそったれのダヴィッド・ガンボアのことか! ワシは、もうとっくにアイツを切り捨てたぞ!」
「ええ、存じています。実はいま、わたしはそのガンボアを裏で手引きしていたとされる女を探しているんです。右手の甲に唇のタトゥーを持つ女です。その女が、ここ最近ラリュングに『霧の向こうの兵器』を持ち込んでいると考えられています。ガンボアに武器を納入していたのも、おそらく彼女かと。わたしの仕事は、その女を見つけだすこと。そのために、ガンボアの居所が知りたいのです」
「霧の向こうだって……?」
「ええ。ミスタ・コンウェイ、あなたが霧の向こうを恐れているからこそ、協力をお願いしたいんです。あなたが恐れていることが、いまのラリュングで起き始めているかもしれないんです」
「世界大戦の再来……無人兵器たちが、無作為に人間を殺す世界……ワシは、その過ちを繰り返させないために戦ってきた!」
「存じています。ですから、わたしにご協力願えないでしょうか?」
それからしばらく、沈黙があった。コンウェイ氏はひとしきり黙り込んで、何度か咳払いをした。そして考え込むように唸った。
恐ろしい沈黙が何十分も続いて――おそらく、恐怖ゆえに時間が引き延ばされたように感じただけだ――ようやくコンウェイ氏は声をあげた。
「エド、こい!」
大きな右手と、小さな左手を叩いて音を鳴らす。まもなくドアの向こうから、黒人の大男がやってきた。
エドと呼ばれた彼は、耳をコンウェイ氏の口元に近づけた。コンウェイ氏は何か耳打ちすると、エドはすぐに部屋を出ていった。
「いま、部下にガンボアの居所を調べさせている。すぐにわかるだろう。……これでいいかい、赤錆の女探偵?」
「ええ、ありがとうございます、ミスタ」
「おやすいご用よ。……しかしミス、君はワシのことをよく知っているだろう。ワシは、人の頼みとあれば断りきれない性分でな、ゆえにどんな頼みでも、最後の最後には聞いてしまう。だからワシは――」
「わたしも、あなたの頼みを聞き入れなければならない。それがコンウェイの法。覚えていますよ」
「結構。さすがよくできたお嬢さんだ。さて、それで早速なんだが、頼まれてくれないかね、ミス・ウェザフィールド」




