死にかけた十字架を抜けて
とりあえず、死の口づけに近づく情報は得ることができた。行政府がにらむ通りならば、現在ラリュングで起きている一連の事件は彼女の仕業だ。わたしのかつての同僚であり、巨人の乗り手であった女……。
わたしは、彼女はてっきり死んだものだと思っていた。霧の彼方に葬った記憶。彼女は、その中に生きている。だから正直なところ、わたしは死の口づけのことを正確に思い出せないでいた。だが、死んだということだけは、確信していた。
ともかく、今は武器密輸犯を追うのが得策だ。わたしと同じ霧の向こうを知る彼女なら、向こう側の武器を売りさばいていても不思議ではない。
わたしは、ラリュング市警察から出ると、ピルグリム・サーカス方面へとハンドルを切った。
中央区はいつも人が多い。昼時ということもあってか込んでおり、交差点の手前では大渋滞が起きていた。牛歩の列に一度入り込むと、あとはその流れに乗っていくことしかできない。わたしは退屈にハンドルをたたきながら、端末に言った。
「ラリュング・グローブのマリー・ライアルに電話して」
まもなく、車載端末が電話を発信。マリーの携帯端末にコンタクトを取った。
「もしもし。なんですか、急に」とぶっきらぼうな口調のマリー。スピーカーの向こうでは、何か液体を飲むような音がしていた。コーヒーだろうか。
「ちょっと調べてほしいことがあるの。武器を密売している男を捜しているんだけど。特徴は――」
「ちょっと待ってください。武器密売ですって?」
「そう。あなたのとこのデスクになら、密売人の記録ぐらい残ってるでしょ?」
「まあ、公式の逮捕記録はすべてアーカイブ化してあります。あと、ウチで抜いた特集記事も。……で、今度は何を探してるんですか?」
「ある女性を捜してるの。で、その足取りを知るためには、どうやら最近起きてる事件を追わなきゃいけなくってね」
「最近の事件って……まさか、霧の向こうの兵器ですか?」
「その通り。警察はいつも通りの対応をしているけれど、最近起きている一連の事件には黒幕がいるみたいなのよ。霧の向こうの兵器が、ラリュングに迷い込んでるんじゃない。何者かが手引きをしているらしいの」
「それ、警察発表にありました?」
「ないわ。……それで、調べてほしいのは、密売人の男。特徴は、黒髪で長髪、色黒でラテン系の顔立ちらしい。わかる?」
「それだけでわかるわけないじゃないですか」
「でしょうね」
わたしは嘆息した。相変わらず渋滞も進みそうにない。
「でも、少し気になってることはあります。マフィアがらみですけど。……先日、コンウェイ・ファミリーから破門された男がいるんです。知ってますか?」
「知らないわ」
「そうでしょうね。ウチも偶然に知り得た情報なので。まだ記事にもしてないんで、どこにも口外しないでくださいよ。
その破門された男の名前は、ダヴィッド・ガンボア。主にクスリと武器の密売を行っていた、小売り人のリーダーといったところでしょう。ガンボアは、コンウェイ・ファミリーでも下層の人間でしたが、それでも売り上げを着実に伸ばし、上層部から一目置かれていたようです。ですけど一週間前、ガンボアがキリング・クロスの地下鉄ホームで拘束された状態で倒れているのが発見されました。見かけた通行人が救急車を呼んだそうですが、彼は逃げていったそうです。そして、目撃者の情報によれば、彼の胸元には焼き印が見えたと……」
「焼き印?」
「ええ。正確に何の印かまではわかりませんでしたが、おそらく破門された者を意味する『太陽の焼き印』だと思います。そして、その焼き印がされる者というのは……」
「ボスに背いたもの。しかも、コンウェイと言えば……」
「はい。ラリュング最大のマフィア、コンウェイ・ファミリーのボス、ミスタ・コンウェイは、百歳を越える長老です。そしてあの人は、かつて霧の向こうであった戦争を知る数少ない人物の一人です。ゆえに霧を恐れ、霧の向こうの世界を憎んでいます……ご存知ですよね?」
「もちろん。……だとしたら、破門されたガンボアは、霧の向こうに手を出してコンウェイの逆鱗に触れた……と」
「そう考えられませんか? ちょうどウェザフィールドさんの話と合致するかと。……実はガンボアが破門されたことは分かっていたんですが、その原因はつかめずにいたんです。これなら、辻褄が合いませんか?」
「そうね、なるほど。おもしろい推測ね。……ありがとう、マリー。ガンボアについて調べてみるわ」
「まさかコンウェイ・ファミリーに首を突っ込むつもりですか? 正気です?」
「正気よ」
と、言いたいところだったが、目の前の渋滞を見ては、気が狂ってきそうだった。
わたしはマリーに一言礼を言うと、また大渋滞と格闘し始めた。これは長期戦にもつれこみそうだ。
キリング・クロスを抜けると、ようやく渋滞も落ち着いてきた。どうやら原因はトラックの横転事故だったらしい。事故を起こし立ち往生したトラックは、道のど真ん中に居座り、他のクルマの邪魔をしていたのだ。一時間ほどかけてようやく撤去されたみたいだが、それでも事故の影響は残り、渋滞が続いていたようだ。
事故現場は、あまりよい様子では無かった。タイヤのスリップ痕と、何か液体が漏れただろう痕が残されていた。もしこれが薬品などを運ぶトラックだったら、一時間では収まらなかったはずだ。
わたしは事故現場を横目に、キリング・クロス・サウスへと向かった。そこの先にはコンウェイ・ファミリーの屋敷がある。
もしかすると、このトラック事故もマフィアの仕業なのでは?
脳裏に一瞬そんな考えがよぎったが、余計なことは考えるべきではない。わたしはクルマを進ませ、マフィアの根城へと向かった。




