過去へ続く車窓
ラリュング市中央には、巨大なタワーがある。セントラル・タワーと呼ばれるそこは、ラリュング・シティ行政府の中枢である。わたしを呼び出した相手がいるのは、おそらくそこだった。
わたしはシティ・セントラルの官庁街までクルマを走らせると、コインパーキングにクルマを止め、シティ・セントラル・ステイションに入った。セントラル・タワーに続く主要道路は、政府・緊急車両以外は通行禁止になっている。行政府はテロ対策だと言っているが、それが効力を持っているかは定かではない。
つまりセントラル・タワーに行くには、列車に乗るしかない。それも、タワーを登っていく遙かな登山鉄道だ。
円錐型をしたタワー。その頂上にはドーナツ状の展望台がある。そこがスカイラウンジ。そしてそこへ向けて、タワーの外周をぐるぐると回っていく鉄道がある。右上がりに斜めった車両が、ゆっくりとタワー外周部を回り続ける。こうして見ると、セントラル・タワーは、筋彫りの施された掘削用ドリルにすら見える。だからこのタワーは、穴掘り塔の愛称でも呼ばれていた。
わたしは改札を抜けると、駅構内の最深部にある十三番線ホームに入った。そこがディグ・タワー行き列車の発着場だった。
五分ほどして、ホームに列車が乗り入れた。右上がりの車体にあわせて、ホームもまた斜めになっている。わたしは階段と鉄柵の間に腰を落ち着け、入ってきた列車を眺めた。中はもぬけの殻だった。通勤ラッシュはおわったのだから、当然だ。
中にはエレベーターボーイのごとく、端正な顔立ちの青年が一人立っていた。グレーに緑のラインの入った制服。緑のネクタイを直す彼は、どこかあどけない顔立ちをしていた。さしずめ彼は、この列車の車掌というところだった。
彼は扉を開け、わたしを招き入れた。
「どうぞ、お客様。どちらまででしょうか?」
「スカイラウンジまで」
「スカイラウンジ……?」
青年の顔から、とたんに笑みが消えた。
「あの……失礼ですがお客様、お名前を教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「安心して、怪しい者じゃないわ。上司には、情婦が来たと伝えて。たぶん、それで通じるはずだから」
「情婦、ですか」
青年は疑惑の表情から、今度は赤面させた。
彼は、動揺した表情を隠すように、いそいそと列車に備え付けられた受話器を取り上げた。そして「情婦が来た、だそうです」と恥ずかしげにつぶやいた。
まもなく、確認がとれたのだろう。受話器を置いて、彼は一息ついた。
「お待たせしました。まもなく出発します」
彼はそう言い残すと、列車後方の機関室へと戻っていった。
わたしは誰もいない客車のなか、一人座席に着いた。列車がゆっくりと腰を振りながら、円錐へ向けて出発する。窓からは、天高くそびえる掘削機が見えていた。
二十分ほどして、登山列車はスカイラウンジ・ステイションで停車した。
ボーイが扉を開き、わたしは駅へと降り立った。
「あの、ミス!」とボーイ。
「なにかしら」
「あの……失礼ですが、政府の方でしょうか。スカイラウンジまで来る人は、初めて見ましたので……」
「そうね。昔は、政府の人間だったかもしれない。でも、今は違うわ。わたしは、ただの探偵よ」
わたしはそう言い残し、こぢんまりとしたスカイラウンジ・ステイションを出た。上りと下りの線路と、改札口があるきりの簡素な建物。
改札を出ると、その先は展望台になっていた。ガラス張りの展望台。ドーナツ型をしたスカイラウンジは、天井から床板まですべて透過素材で出来ている。選択的透過性を持つ、ディスプレイ・パネルだ。上空から街を一望できるこの場所は、主に上流階級、政府関係者のパーティに用いられる。あるいは、ごく限られた人間たちによる会合のために。
そんな広大なスカイラウンジでわたしを待っていたのは、一人の女だった。白いスーツ姿の女が、ラウンジ中央にあるカウンターテーブルにいた。黒髪をハーフアップにした彼女は、わたしに小さく頭を下げた。
「お待ちしておりました、ミス・ウェザフィールド」
声ですぐにわかった。はじめ電話に出た女だ。
彼女はカウンターで、飲み物を作っているようだった。女の後方には棚があり、壜がいくつも並んでいる。
「何かお飲みになられますか?」
「いまはいいわ。ソーダだけちょうだい」
「はい、かしこまりました」
わたしはカウンターに座り、半透明の机に手をおいた。金属製の骨組み以外、すべて透過素材の机。この空間は、すべて透けて見えるもので出来ている。
一方ここに集まるような人間は、その腹の奥底を見透かそうとしても、どす黒くて透けて見えなどしない。
わたしは女からソーダを受け取り、それを一口流し込んだ。レモンのさわやかな風味が口の中に広がった。
それからして、まもなく、ラウンジに声が響いた。ボイスチェンジャーによって合成された、甲高い声。男とも女とも聞こえない、奇妙な声色。
「久しぶりだ、ミストレス中尉」
「その名で呼ばれる筋合いは無いのだけれど」
「失礼。いまはミス・ウェザフィールドと呼ぶべきだな。……呼ばれた理由はわかるだろう?」
「わからないわ」
わたしは、どこからともなく響く声に言い、またソーダを飲んだ。
「嘘はよくないぞ、ミス。……なあ君、大佐が我々の前から姿を消して、何年になる?」
「わざわざ昔話をするために、わたしをわざわざここに呼んだわけ、局長?」
――局長。
この男とも女ともわからない人物は、仮にそう呼ばれている。ラリュング公安委員会特殊作戦局、局長。そんな組織が存在しているかどうかは謎だが、しかし彼――便宜的に、彼と呼ぶ――は、そこのトップだった。そして、かつてはわたしの上司でもあった。わたしが道楽探偵になる前のこと。対外特殊部隊、通称『MIST』にいたころの話だ。
対外特殊部隊、MIST。何年も前に解体された、諜報組織の一つ。わたしはかつて、そこにいた。そして霧の女皇とともに、霧の向こうの者たちと戦った。
MITS――その存在理由は、霧の向こうを調査することだった。もう、ずっとむかしの話だ。いまやそんな組織は存在しない。行政府は霧を恐れ、MISTを解体した。
「昔話をするつもりはないよ、ミス」局長は話を続けた。「MIST解体後、ラリュングに残ったのは君だけだった。君の直属の上司である大佐は失踪し、同僚だった死の口づけは死亡した。いまやMISTは影も形もない。……しかし君は、軍の退役年金を受け取り続けている」
「口止め両代わりにね」
皮肉を込めて言った。だが局長の声色は、まったく変わらなかった。
「君には多額の年金を払い続けている。おかげで君は、道楽探偵でいられ続けられている。……だが、その金は同時に、君と我々の関係は続いている、ということも意味する」
「わたしは、もうあなたたちのイヌになるつもりはないけど」
「そうだな。……だが、どちらにせよ、君は否応無くこの仕事を受けることになる。依頼するぞ、ミス・ウェザフィールド。ラリュング公安局からの正式な依頼だ。君を、霧の女皇と知って頼む。
……死の口づけを殺せ」
「彼女は死んだはずよ。もう、何年も前に」
「いや、彼女は生きていた。君もその証拠を掴んでいるはずだ、ミス。右手に唇のタトゥーを持つ女……知っているだろう?」
「……彼女になにがあったか、あなたたちはもう掴んでるの?」
「わかっているのは、彼女が生きていて、霧の向こうの技術を都市内に持ち込んでいるということだ。目的は不明だが。……彼女は、何か目的をもって、都市に混乱をもたらそうとしている。彼女に敵うのは、君だけだ。……頼まれてくれるか」
「断れないんでしょ、どうせ」
わたしはぶっきらぼうに言うと、ソーダを飲み干した。
そして小銭をカウンターに置くと、さっさと駅に戻った。こんな場所に長々といるのは、ごめんだ。




