シェル・ショック (2)
天井を突き破り、現れた鉄拳。わたしはニナを抱え、すんでのところで寝室から飛び退いた。なんとか拳はかわせたが、壁材が破片となってわたしたちに降り注いだ。灰色の粉が革ジャンを汚した。
わたしは壁に隠れつつ、天井から顔を覗かせる怪物を見やった。
その巨影。黒い大きな、首のない人型。顔らしきものは胸元にあり、赤い一つ目がキョロキョロと室内を見回している。わたしたちを探しているのだ。
しかし、このフォグに何よりも特徴的だったのは、首のない頭の上にある、松かさのようなものだった。小さな卵型をした物体が、帽子のごとくちょこんと乗っている。それはよく見れば、男の上半身を基礎としているとわかった。両手を広げた男に、黒い重油のようなものが降りかかり、チョコレートファウンテンのごとく広がっている。
その正体が、わたしにはすぐにわかった。この上半身だけの男こそ、ハンナの再婚相手。そして、霧の向こうのアンドロイドだ。おそらく頭頂部のヤツがコントロールユニットとなり、下部の巨大兵器に寄生している。
「……寄生型のマシンか」
わたしはつぶやき、ニナを背中にやった。
「寄生型って……? へジィ、いったい何なの?」
「あなたのお母さんに寄生してた男は、まさしく他人に寄生するクズだったってことよ」
そのとき、寄生型に制御を奪われた巨人が、わたしとニナを捉えた。赤い瞳が、いっそうその赤さを増す。
「ニナ、隠れて!」
わたしは叫んだ。
そして、怪物が二発目を喰らわすよりも早く、左手を口元へと近づけた。革手袋を外し、宝冠を模した刻印に叫ぶ。
「――霧は来たれり……霧の女皇!」
そのとき、赤錆色の霧が屋内に立ちこめ始める向こうで、怪物が拳を大きく振りかぶった。攻撃モーションに入る。鉄の塊が、巨大なエネルギーをぶつけにくる。
――間に合え。
心の中で何度もそう問いかけ、背中に隠れるニナを思った。ミストレス、早く来い。
霧が立ちこめ、晴れた。真紅の霧は異次元への通路であり、わたしの《片腕》を運ぶ通り道でもある。
霧の中から現れた真紅の巨人は、その巨大な左腕で漆黒の怪物を受け止めた。わたしとニナの前に立って、守ってくれたのだ。
わたしは心で一言ミストレスに礼を言うと、そのあいだにニナを抱えて走った。
「どこにいくの?」と、ふるえた声でニナ。
「一番安全なところよ」
わたしは、真紅の巨人を指さした。
ニナは目を丸くした。
寄生型がコントロールを奪った巨人は、前世紀の大戦で使用された初期型の人型装甲機兵のようだった。そんなものに、ミストレスが負けるはずがない。拳一つで余裕で押さえられた。
わたしはニナを抱え、ミストレスの右手に掴まってコックピットへ。
わたしは背もたれだけの椅子に腰を預け、左腕にはコードを挿し込んだ。まもなく、周囲を取り囲むモニターに灯がともり、眼前の状況を描き出した。
ミストレスは、現在進行形で黒い巨人――その胸元には、『殺人』と記されていた。何とも安直なネーミングだ――の拳をつかみ、動きを封殺していた。しかしまもなく、マーダーは左手に備えた機関砲を放とうとした。
わたしもとっさに防御態勢を取ろうとし、拳を離した。そしてミストレスの巨腕を盾代わりにした。
しかし機関砲からは、まぬけな音と煙が吐き出たきりだった。経年劣化からか、どうにも使い物にならなくなっていたらしい。
そうとわかれば、こちらのものだ。向こうは、丸腰である。
「ニナ、掴まってて!」
わたしは叫び、そして左手を振りかぶった。
両の足で大地を踏みつけるイメージ。足下で住居が崩れ落ちる音がしたが、この際気にしていられなかった。霧の向こうの殺人兵器と、他人の家のローンとどちらが大切だ?
拳を振りかぶり、叩きつける。
ミストレスの豪腕から放たれる強烈なエネルギーは、一発の砲弾と化し、マーダーの頭部装甲に大穴を穿つ。大きく凹んだ装甲が拳の強さを物語っていた。
「次で終わりよ、殺人ヒモ野郎!」
手のひらを開くイメージ。
巨腕に搭載されたクローが展開され、その鋭利な切っ先がマーダーを捉えた。これで、とどめだ。
しかし、そのときだ。
首のない頭に帽子のごとくちょこんと乗った男。寄生型のアンドロイドは、上半身だけをぬっと出して、他の部分をマーダーのコントロールユニットとつないでいる。しかしこのとき、マーダーと寄生型との接地面に、微妙な亀裂が生じたのだ。わたしの目はそれを捉えていたが、しかしそれが驚異になろうとは考えもしなかった。
ミストレスの拳が接触する、その刹那、寄生型の片腕がマーダーの頭頂部より引き抜かれた。さながら、脳味噌を掴んでいた手を、頭蓋から引き上げるように。
そして次の瞬間、その手は、ミストレスに向けられたのだ。
もう止めようがなかった。
まもなく、わたし=ミストレスの拳と、寄生型の拳とが接触。その手応えは非常にかすかなものだったが、直後にわたしは異変を感じ取った。
左手にじんわりと広がる、奇妙な痛み。外傷による痛みではない。骨や筋肉、神経といった内部からの痛みだ。ズキズキと痛む。そしてまもなく、痛みは小指と薬指に集中。まるで指が切り取られるような痛みに転化した。
「ああァァッ!」
わたしは思わず、痛みに耐えかねて叫んでしまった。その激痛は、本来痛みを感じないはずの義手からきている。すなわち幻肢痛であり、引き起こしているのは紛れもなく寄生型だった。ミストレスを通じて、やつがわたしに入り込んで来ているのだ。
――これ以上入ってこられたらまずい。
わたしは、左の小指と薬指を、強引に右手でつかみ、抜いた。鋼鉄が擦れあい、火花が散った。義手内部の極彩色の神経がでろんと吐き出される。
「へジィ、大丈夫なの!?」
後ろからニナが興奮した口調で言った。
「大丈夫よ、問題ないわ」
そんなはずなかった。
小指を失うと、もれなく拳が握れなくなる。日系のヤクザなどは、そのため罰として小指を切らせるらしい。その者に、二度と得物が握れないようにするためだ。
わたしは左手をあげ、再び拳を握ろうとした。しかし、やはりヤクザは正しかったのだろう。うまく拳は握れず、左手は動かない。ミストレスもわたしの意志に反し、のんきに突っ立ったままだ。
そして、勝利を確信した寄生型は、いまふたたびマーダーの中へと戻っていった。マーダーは両手を構え、またわたしの方へと向かってくる。このままでは、住宅街が灰燼に帰す。軍警察もそろそろやってくるはずだが、彼らに敵う相手ではない。
そんなときだ。
ニナが、わたしの拳を握り、優しく支えてくれたのだ。同時、ミストレスが連動。拳を持ち上げた。
マーダーの拳で、衝撃に揺れるコックピット。その中で、ニナはわたしに言った。
「へジィ、お願い。あの怪物が、お母さんを殺したの。お母さんの仇を討って。お願い、へジィ。わたしの依頼、聞いて」
声の震えた彼女は、言葉を矢継ぎ早に口にした。おそらく恐怖と興奮とで冷静でいられなかったのだろう。だが、彼女は比較的落ち着いていたとわたしは思う。自分がやるべきことを、このときの彼女は不可知のうちに悟っていたのだ。
「わかったわ。でも、わたしが仇を討つんじゃない。わたしと、あなたでよ」
わたしの拳を、ニナが支える。
フットペダルを押し込み、コンクリートの大地を踏みつけた。
ニナがわたしの手を握り、わたしが腕を振りかぶる。ニナの手によって握りしめられた、わたしの拳。それがミストレスの鉄拳となり、重い一撃と化す。
衝撃。手応えはあった。漆黒の巨人、マーダーに突き刺さるような拳の手応え。首のない頭に、強い衝撃が加わった。砲弾が炸裂するような衝撃。それがマーダーを、ひいては寄生型の外殻を粉砕した。
まもなく、マーダーは動きを止めた。ニナが、彼女の真実を打ち砕いた瞬間だった。




