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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
ブルー・マンデー
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蒼の美少女 (2)

 蒼井ミズキを送ってから、わたしは調査に乗り出した。

 ニナの作ったサンドイッチを片手に、わたしは車を飛ばして郊外へ。ピルグリム・サーカスから北上し、ラリュングFMスタジオを横目にリデントパーク・サウスを抜けた。それからフリーウェイを一時間ほど走り続けて、ラリュング・シティ郊外の特別区に入った。

 ブロクスタイン特別区と、そこは呼ばれる。特別区などと高尚ぶった名前を与えられているが、実際のところはその真逆だ。ラリュングの中でも特に金のない貧困層が落ち着く、いわばスラム街である。

 通りにはまだ昼間だというのに、華美な衣装で着飾った娼婦がたむろしていた。仮面のように濃い化粧をした顔は、彼女らの本性をも上塗りしていた。

 蒼井ミナ――彼女もその一人だった。だが、彼女は仮面で自らをかき消してしまうほど、まだこの世界には染まりきっていなかった。

 わたしは彼女のことをアオイと呼びたい。それは娼婦としての彼女の源氏名ではあるが、それでもわたしはアオイこそが彼女にふさわしい名前だと思う。

 私がアオイと出会ったのは、このブロクスタイン地区でのことだった。ちょうど今から一ヶ月ほど前のことだ。

 あの夜、わたしは仕事を終えて帰る途中だった。失踪した女性を追っていたわたしは、一月ほどかかってようやくその女性を見つけだした。依頼主はひどい癇癪持ちで、それもあってか仕事は難航した。失踪した女も女で、ヒステリー持ちだったから最悪だ。彼女は依頼主である夫とうまく折り合いがついておらず、その挙げ句に失踪していたのだ。わたしは二人の仲をなんとか取り持ってやったのだが、これが探偵の仕事なのだろうか? と何度も自問したものだった。

 そんな面倒な仕事を片づけた夜。わたしは、ブロクスタインにいた。依頼主がそこに住んでいたので、わざわざ挨拶にまで出向いたのだ。実際のところ、挨拶というよりは理不尽なクレーム対応と言ったほうが良かったのだが。

 それからわたしは、ピルグリム・サーカスに戻って、行きつけのバーで一杯ふっかけるつもりだった。

 しかし、その前にわたしは、ガス欠の愛車にエサを与えてやる必要があった。だから途中でガソリンスタンドに寄り、ついでなので洗車も頼んだ。

 そんなときだ。洗車が終わるまで路上喫煙所でのんびりとしていたわたしに、ある娼婦が声をかけてきた。それが、アオイだった。

 彼女はそのときも真っ青なドレスを着ていた。ラリュングの夜霧の中では見えなくなってしまいそうな、褪めた青色だ。

 彼女はわたしの革ジャンを掴むや、言ったのだ。

「ねえ、ちょっと遊んでかない?」

 わたしはすぐに彼女のほうに目をやった。

 すると彼女は、とたんに目をしばたたき、失敗したとでも言わんばかりの表情をしたのだ。

 その理由に、わたしはすぐに気づいた。

 恰幅のいい男が一人、歩道脇の建物から飛び出してきた。彼は濃いヒゲをボリボリと掻きながら、鋭い視線を彼女に送った。

「おい、アオイ。聞いてんのか、おい!」

 男が叫んだ。道行く通行人は聞こえなかったフリをして通り過ぎる。だが、わたしはそうもいかなかった。

 見るからに手癖の悪そうな客。そして、おびえた様子でわたしに腕を絡めてきた娼婦。美しいドレスの女性は、上目遣いでわたしを見た。

 ……ここから逃げたいの。

 彼女の瞳は、わたしにそう語っていた。

「申し訳ないけれど、タッチの差だったわね、あなた」わたしはそう言った。「残念だけど、彼女はわたしが先に買ったの。いいわね?」

「ああ? てめえ、女が商売女なんて買ってどうするんだ?」

「決まってるでしょう? あなた、もしかして娼婦を買って何をするかもわからない純情クンなの?」

「なっ!」

 男が大きく舌打ちをした。

 しかしわたしは彼を無視して、アオイと腕を組んで、すぐ真向かいにあったホテルに入った。ホテルマンはさすがに有能で、頭に血がのぼった客を招き入れるほどバカでは無かった。

 わたしたちはホテルに入ると、空いていたダブルルームに案内された。

 アオイは部屋に入るや、上着を脱いでベッドに飛びこんだ。とても疲れた様子で、体を大きく伸ばしていた。

「あー、ほんとイヤになっちゃう。ありがとうね、アンタ……」

「ヘイズル。ヘイズル・ウェザフィールドよ」

「ありがと、ミス・ウェザフィールド。へジィって呼んでもいい?」

「そうね……」

 そのとき、わたしは一瞬迷った。へジィと呼ぶのは、それこそニナぐらいなものだからだ。わたしを愛称で呼べるような人間は、それこそ片手の指で数えられるほどしかいない。

 だが、そのときのわたしは相当疲れていたのだろう。

「いいわよ」

「そう。ありがと、へジィ。ほんと助かった。男だと思って腕組んだら、よくよく見たら女でビックリしたけど。でも、アンタのおかげで助かったよ」

「そりゃどうも。……わたし、男に見える?」

「遠目に見ればね。だってその革ジャンにスラックス、男モノみたいだよ。それにその赤錆色のポニーテール、へたっくそなバンドマンみたい。アンタ、顔は綺麗だからまだ似合ってるけど、それで不細工だったら男って間違われても言い逃れ出来ないかもよ」

「あいにく服の趣味は偏っていてね。動きやすいスタイルなら何でもいいの」

「だからって革ジャンにパンツルックって……。ねえ、せっかくだから助けてくれたお礼をさせてよ」

「お礼?」

「そう、アンタは『純情クン』じゃないでしょ?」


 それから一晩、わたしはアオイとホテルで過ごした。誰かを傍らに抱いて寝るのは久々だったので、妙な温もりに安心感を覚えたのを記憶している。

 わたしは翌朝、アオイよりも早く起きた。彼女はすっかり体力を使い果たして疲れ切っていたようで、いびきをかいて寝ていた。

 わたしは、彼女のベッドサイドに名刺を残して、その一夜の出来事に終止符を打った。名刺には、「今日はありがとう。困ったことがあったら、いつでもここに来て」と書き残して。

 すうすうと寝息を立てる彼女を残し、わたしは停めておいたブリストンに乗って自宅まで帰った。

 ニナは「朝帰りなど聞いていない」と、その日はひどく怒っていた。


 アオイがわたしの事務所を訪ねてきたのは、その夜から一週間ほど経ってのことだ。彼女は夜更けにやってきて、何度も玄関を叩いた。呼鈴が目の前にあるというのに、彼女も気が動転していたのだろう。ひたすらに扉を叩き続けていた

 わたしはそのころ、バスタブに使ってスポンジを体中に這わせていた。だから音には気づかなかった。ニナが「へジィ、お客様です!」と金切り声で叫ぶまでは。

 わたしはすぐさま泡を流して、バスローブに着替えた。そのあとナイトガウンも羽織ったが、それでもわたしの格好はずいぶんとラフなものだった。

 そして、アオイもまた荒っぽい(ラフ)な姿をしていた。針金か何かにひっかけられたように裾が引きちぎれたドレス。ストッキングは伝線し、毛皮の上着は酒か何かで濡れていた。おそらく美しい者の取り扱い方も分からない不作法な客が、彼女という美術品を傷つけたに違いなかった。娼婦と言えども、彼女の美しさを粗雑に扱っていい理由にはならないだろう。

 わたしは応接間に彼女を招き入れた。かつて図書館の貸し出しカウンターだった区画を改装した部屋だ。

 わたしはカウンターの後ろから酒壜をひとつ手にとってから、ソファーについた。テーブルにはすでにニナが用意した琥珀色のヴィンテージグラスとロックアイスがあった。わたしはウィスキィを注いで、そのひとつをアオイのほうへやった。だが、彼女は静かに首を横に振った。

 一方でわたしはグラスを傾け、静かに喉の中へと酒を滑らせた。

「ここに来たということは、何かあったのね」

「うん……なんか最近、身の回りで変なことが起きてて……」

「変なこと、というと?」

「郵便受けにね、宛名も消印もない脅迫状が送られてきたの。それから、携帯端末ケータイにも脅迫文がたくさん……誰かから監視されてるきがして、アタシ……」

「思い当たるフシは?」

「有りすぎてわかんないよ、そんなの!」

 彼女は声を荒げた。そして、酒を煽った。ほとんど一気飲みに近かった。

「アタシの客、みんなおかしいんだ。みんな、アタシを痛めつけたり、独占しようとする……そりゃ、アタシだってそのぶんカネをもらったりしてるならいいよ。でも、アタシはそんなサービスはしてないし……仮にカネをもらっても、きっとやるつもりはないよ」

「男というのは、往々にして美しいものの扱い方が分からないものなのよ。みんな、先天的にそういう障害を持ってるの。一部の者を除いてね……。

 で、アオイ。困っているから来たんでしょう。わたしは探偵。その仕事、わたし任せてみない?」



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