共同生活の始まり
クローゼットの中には、ワイシャツとスラックスぐらいしかなかった。色や素材こそ変わるものの、サイズはすべてわたしのもの。とても少女が着られるようなキッズサイズはない。
――どこかにあるはずだ。
わたしはワードローブの中を漁って回り、床を服の海にした。片づけると考えると、なおさら探すのがいやになってきた。
そうして何十分も探しているうち、ようやくキッズサイズの服を見つけた。前に依頼人からもらったものだった。子供用の、白いワンピース。たしか依頼人は年老いた女性で、依頼は絶縁した娘の捜索だった。おそらく自分の死期を悟っていたのだろう彼女は、死ぬ間際に娘と会おうとしていたのだ。わたしは見事に彼女の娘を見つけだし、最後の出会いを演出した。そして、老婆はこの服をくれた。
『いつかあなたにも、子供ができるわ。わたしの喜びを、あなたもいつか味わうはず』
そう言葉を添えて。
彼女はまもなく他界したが、あいにく予言は外れたままだ。そして、これからも的中する様子はない。わたしが誰かと結婚し、子をもうけ、幸せに暮らすなど。そんな夢物語はあるはずがないのだ。
わたしは、そんな老婆との記憶を思い出しながら、洋服の海からワンピースをつり上げた。そしてそれを片手に、ニナのいるリビングまで戻った。
リビングに戻ったわたしが見たのは、おそらくわたしがこの家に入居して以来、見たこともない光景だった。
片づいたソファ。ホコリ一つ無い透明なコーヒーテーブル。木目調の美しいダイニングテーブルに、そしてステンレス輝くキッチンだ。
わたしは、綺麗に片づいた部屋を見て、呆然としていた。そしてそんな部屋の中央で、一人汚れている少女を見つけ、さらに驚いた。
「これ、あなたが片づけたの……?」
コクリ、とうなずくニナ。「散らかってたから……自由にしていいって……」
「そう、ありがとう。でも、この調子だとまたお風呂に入らなくちゃいけないわね。頬に汚れが付いてるわ。手にはホコリがいっぱい」
わたしは微笑んで、それから白いワンピースを見せた。
「ねえ、これどうかしら。たぶんあなたのサイズにあうと思うんだけど」
「あの……」
ニナは言葉をようやく発しはじめた。だが、ワンピースを見て、すこしためらいの様子をみせた。唇を震わせ、喉奥に出掛かった言葉を押し込めるように。
「なに? なにか、いやなことでもあるかしら? 気にせず言っていいのよ」
「あの……えっと……その、そういう服は、その……仕事を思い出すから、いやなの……」
「仕事……」
わたしは反芻するように口に出し、気づいた。
ニナは娼婦の仕事をさせられた際、おそらくこのようなワンピースを着せられていたのだ。もしかしたら、PTSDの原因はこのようなことにあるのかもしれない。
わたしはとっさに服を背中に隠した。
「じゃあ、違う服を買いに行きましょうか。ちょうど近所に良いお店があるから。それまでは、それで我慢してくれる?」
ダボダボのシャツ一枚の彼女。ニナは、ゆっくりとうなうずいた。
*
ピルグリム・サーカスは、ラリュングの中でも屈指の人通りがある場所だ。わたしが住むセイヴィル・ストリートは、少し外れた場所にあるのでまだ静かだが、それでもたくさんの店が軒を連ねている。
ウィンドウ・ショッピングは苦手なわたしだが、それでも贔屓にしている店がある。セイヴィル・ストリートとキングス・ロードの合間にある小さな洋服店。おもに紳士、婦人用の礼服をを扱うそこが、わたしのお気に入りの店だった。
わたしはTシャツ姿のニナをつれて、店内に入った。暖色系の光に満たされたシックな店内。ガラス張りのショウ・ウィンドウには、ダークスーツ姿のマネキンが三人立ち尽くしていた。
わたしが入ってくると、店の奥から一人の老婆が現れた。白髪にメガネ、そして白のドレスシャツ姿の感じのいい女性は、この店の店主である。
「お久しぶりです、ミズ・モロウ」
「あら、こんにちは、ミス・ウェザフィールド。またシャツを血で汚したと、ナイフで千切れたとか、そういう件でしょうか?」
「いえ、今日はそういうのじゃないんです。ちょっと、この子にあう服を探してほしいんですよ。それも、できれば女物じゃないといいんですけど」
そういってわたしは、ニナのダボダボなTシャツを指さした。
そこでようやくニナの存在に気づいたモロウは、「あら、まあ」と声を上げた。
「あらやだ、そちらは姪ごさんかしら?」
「いえ、ちょっと事件に関わって預かってるところなんです。……それで何ですが、子供用の、できればユニセックスなもの、あるいは男物を探しているんです」
「男物、ですね。寸法だけとらせていただけますか?」
ミズ・モロウは、ポケットから巻き尺を取り出すと、すぐさまニナの身長、肩幅、胸囲、その他諸々を測り始めた。
「しかし、どうして男物を? この子は……」
「ええ、女の子です。ですが、少し状況が込み入ってましてね。別にわたしの趣味ってワケじゃありませんよ」
「それはよく存じております、ミス。あなたが言うのですから、何か事件と関わっているのでしょう?」
巻き尺で図った数値をメモに取り、ミス・モロウは店の奥へ商品を探しにいった。
よい店の店主というのは、往々にして客のあしらい方がうまい。特に、わたしのような様々な事情を抱えてくる人間が現れると、その能力が発揮される。ミズ・モロウは、そんなよい店主の才覚を持つ物の一人だ。
しばらく待っていると、店の奥から彼女が戻ってきた。その手には、黒の子供用の燕尾服。それから白いシャツと、細い赤色のリボンタイがあった。
「これなんてどうでしょう? 試着してみますか?」
「……いいの?」
ニナが目を輝かせて言った。
おそらく、こんな高価な衣服を身にまとうのは、『仕事』の時をのぞいて初めてなのだろう。
「いいわよ。あなたが好きな服を着ていいんだから」
わたしが微笑みかけると、ニナは大きくうなずき、目に星のような輝きを得た。
ニナは大わらわで試着室に入り、ミズ・モロウもあとを追ってついていった。
「事情は詮索しませんが、いい子ですね」と、ミス・モロウ
「ええ、まったく」
まったく、彼女はよくできた娘だ。どれだけ苦境を生き延びてきたのか。
*
そうしてわたしとニナとの生活は始まった。わたしが彼女との共同生活について一つ言えることがあるならば、それは、以前よりも格段に生活水準が上がっているということだ。わたしは仕事で家を空けることが多かったが、まるでニナは使用人のようにキビキビ働き、散らかっていた事務所兼自宅をピカピカにしてしまった。山積みの洗い物や、ホコリをかぶった机などどこへやら、だ。
まったく使用人として雇っても良い腕で、もし許されるのであれば、そうしたいぐらいだった。ニナもまた、それを望んでいるようだった。
だが、もちろんそういう訳にもいかない。彼女の母親から、催促のメッセージが届いてきた。「ニナは見つかったの?」と。
そこでようやく、わたしは重い腰を上げたのである。




