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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
シェル・ショック
28/67

共同生活の始まり

 クローゼットの中には、ワイシャツとスラックスぐらいしかなかった。色や素材こそ変わるものの、サイズはすべてわたしのもの。とても少女が着られるようなキッズサイズはない。

 ――どこかにあるはずだ。

 わたしはワードローブの中を漁って回り、床を服の海にした。片づけると考えると、なおさら探すのがいやになってきた。

 そうして何十分も探しているうち、ようやくキッズサイズの服を見つけた。前に依頼人からもらったものだった。子供用の、白いワンピース。たしか依頼人は年老いた女性で、依頼は絶縁した娘の捜索だった。おそらく自分の死期を悟っていたのだろう彼女は、死ぬ間際に娘と会おうとしていたのだ。わたしは見事に彼女の娘を見つけだし、最後の出会いを演出した。そして、老婆はこの服をくれた。

『いつかあなたにも、子供ができるわ。わたしの喜びを、あなたもいつか味わうはず』

 そう言葉を添えて。

 彼女はまもなく他界したが、あいにく予言は外れたままだ。そして、これからも的中する様子はない。わたしが誰かと結婚し、子をもうけ、幸せに暮らすなど。そんな夢物語はあるはずがないのだ。

 わたしは、そんな老婆との記憶を思い出しながら、洋服の海からワンピースをつり上げた。そしてそれを片手に、ニナのいるリビングまで戻った。


 リビングに戻ったわたしが見たのは、おそらくわたしがこの家に入居して以来、見たこともない光景だった。

 片づいたソファ。ホコリ一つ無い透明なコーヒーテーブル。木目調の美しいダイニングテーブルに、そしてステンレス輝くキッチンだ。

 わたしは、綺麗に片づいた部屋を見て、呆然としていた。そしてそんな部屋の中央で、一人汚れている少女を見つけ、さらに驚いた。

「これ、あなたが片づけたの……?」

 コクリ、とうなずくニナ。「散らかってたから……自由にしていいって……」

「そう、ありがとう。でも、この調子だとまたお風呂に入らなくちゃいけないわね。頬に汚れが付いてるわ。手にはホコリがいっぱい」

 わたしは微笑んで、それから白いワンピースを見せた。

「ねえ、これどうかしら。たぶんあなたのサイズにあうと思うんだけど」

「あの……」

 ニナは言葉をようやく発しはじめた。だが、ワンピースを見て、すこしためらいの様子をみせた。唇を震わせ、喉奥に出掛かった言葉を押し込めるように。

「なに? なにか、いやなことでもあるかしら? 気にせず言っていいのよ」

「あの……えっと……その、そういう服は、その……仕事を思い出すから、いやなの……」

「仕事……」

 わたしは反芻するように口に出し、気づいた。

 ニナは娼婦の仕事をさせられた際、おそらくこのようなワンピースを着せられていたのだ。もしかしたら、PTSDの原因はこのようなことにあるのかもしれない。

 わたしはとっさに服を背中に隠した。

「じゃあ、違う服を買いに行きましょうか。ちょうど近所に良いお店があるから。それまでは、それで我慢してくれる?」

 ダボダボのシャツ一枚の彼女。ニナは、ゆっくりとうなうずいた。


     *


 ピルグリム・サーカスは、ラリュングの中でも屈指の人通りがある場所だ。わたしが住むセイヴィル・ストリートは、少し外れた場所にあるのでまだ静かだが、それでもたくさんの店が軒を連ねている。

 ウィンドウ・ショッピングは苦手なわたしだが、それでも贔屓にしている店がある。セイヴィル・ストリートとキングス・ロードの合間にある小さな洋服店。おもに紳士、婦人用の礼服をを扱うそこが、わたしのお気に入りの店だった。

 わたしはTシャツ姿のニナをつれて、店内に入った。暖色系の光に満たされたシックな店内。ガラス張りのショウ・ウィンドウには、ダークスーツ姿のマネキンが三人立ち尽くしていた。

 わたしが入ってくると、店の奥から一人の老婆が現れた。白髪にメガネ、そして白のドレスシャツ姿の感じのいい女性は、この店の店主である。

「お久しぶりです、ミズ・モロウ」

「あら、こんにちは、ミス・ウェザフィールド。またシャツを血で汚したと、ナイフで千切れたとか、そういう件でしょうか?」

「いえ、今日はそういうのじゃないんです。ちょっと、この子にあう服を探してほしいんですよ。それも、できれば女物じゃないといいんですけど」

 そういってわたしは、ニナのダボダボなTシャツを指さした。

 そこでようやくニナの存在に気づいたモロウは、「あら、まあ」と声を上げた。

「あらやだ、そちらは姪ごさんかしら?」

「いえ、ちょっと事件に関わって預かってるところなんです。……それで何ですが、子供用の、できればユニセックスなもの、あるいは男物を探しているんです」

「男物、ですね。寸法だけとらせていただけますか?」

 ミズ・モロウは、ポケットから巻き尺を取り出すと、すぐさまニナの身長、肩幅、胸囲、その他諸々を測り始めた。

「しかし、どうして男物を? この子は……」

「ええ、女の子です。ですが、少し状況が込み入ってましてね。別にわたしの趣味ってワケじゃありませんよ」

「それはよく存じております、ミス。あなたが言うのですから、何か事件と関わっているのでしょう?」

 巻き尺で図った数値をメモに取り、ミス・モロウは店の奥へ商品を探しにいった。

 よい店の店主というのは、往々にして客のあしらい方がうまい。特に、わたしのような様々な事情を抱えてくる人間が現れると、その能力が発揮される。ミズ・モロウは、そんなよい店主の才覚を持つ物の一人だ。

 しばらく待っていると、店の奥から彼女が戻ってきた。その手には、黒の子供用の燕尾服。それから白いシャツと、細い赤色のリボンタイがあった。

「これなんてどうでしょう? 試着してみますか?」

「……いいの?」

 ニナが目を輝かせて言った。

 おそらく、こんな高価な衣服を身にまとうのは、『仕事』の時をのぞいて初めてなのだろう。

「いいわよ。あなたが好きな服を着ていいんだから」

 わたしが微笑みかけると、ニナは大きくうなずき、目に星のような輝きを得た。

 ニナは大わらわで試着室に入り、ミズ・モロウもあとを追ってついていった。

「事情は詮索しませんが、いい子ですね」と、ミス・モロウ

「ええ、まったく」

 まったく、彼女はよくできた娘だ。どれだけ苦境を生き延びてきたのか。


     *


 そうしてわたしとニナとの生活は始まった。わたしが彼女との共同生活について一つ言えることがあるならば、それは、以前よりも格段に生活水準が上がっているということだ。わたしは仕事で家を空けることが多かったが、まるでニナは使用人のようにキビキビ働き、散らかっていた事務所兼自宅をピカピカにしてしまった。山積みの洗い物や、ホコリをかぶった机などどこへやら、だ。

 まったく使用人として雇っても良い腕で、もし許されるのであれば、そうしたいぐらいだった。ニナもまた、それを望んでいるようだった。

 だが、もちろんそういう訳にもいかない。彼女の母親から、催促のメッセージが届いてきた。「ニナは見つかったの?」と。

 そこでようやく、わたしは重い腰を上げたのである。


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