ニナ・ハインズ (5)
翌朝、わたしはクルマを飛ばしてラリュング中央区内の教会を回った。炊き出しをやっている教会は限られるが、その情報はそうそう回ってこない。ホームレスうちではスケジュールが囁かれているらしいが、当時浮浪者のネットワークなぞ微塵も知らなかったわたしは、自らの脚を使うしかなかった。
朝から中央区を駆けずり回って、ようやく昼過ぎに炊き出しをやっていたという教会を見つけた。なんでも修道女の発案で、ここ数年続けているとの話だった。
わたしが見つけたのは、中央区南西部にあるトリニティ・チャーチだ。そこから歩いて十五分ほど行ったところには大聖堂もあるようで、どちらかと言えばこぢんまりとした教会だった。
比較的新しい建物のトリニティ教会には、ターニャ・ゲルドフという若い修道女がいた。彼女こそが、わたしが探していた女性だった。
わたしが教会についたとき、ターニャはちょうど買い出しを終えて戻ってきたところだった。宗教連盟のロゴが印刷されたバンを停め、荷台から山積みの食材と寸胴を運び出す彼女。
わたしはクルマを路肩に停めると、彼女に声をかけた。
「お手伝いしましょうか?」
シスターは肩を跳ねさせ、驚いた様子で振り向いた。
「あ……いえ、私ひとりでも大丈夫ですから」
「そうですか? 女性一人で運ぶには、その寸胴はいささか大きすぎるような気もしますが」
額に汗をかきながら、脚を震わせて進む彼女。
わたしは無言で、シスターから寸胴を取り上げた。彼女は申し訳なさそうにしていたが、しかしそれがわたしの狙いでもあった。修道女というのは、他者に施すと同時、他者から施されることに弱い。
そうしてわたしたちは、一通りの食材を教会前の広場に出し終えた。どうやらこの石畳の広場が炊き出しの会場となるらしい。
「すいません、ありがとうございました。あの……」
「ヘイズルです。ヘイズル・ウェザフィールド。わたし、探偵をしていまして。困った人は放っておけない性分なんです」
わたしは平気な顔で嘘をついて、静かに微笑んだ。彼女はわたしをすっかり信じ切っているようだった。
「ありがとうございます、ミス・ウェザフィールド」
「いえ、これぐらいはおやすい御用で。しかしシスター、これだけの食材にこんなバカデカい寸胴、いったい何に使うんです?」
「炊き出しです。恵まれない子供たち、ストリートチルドレンといった路上生活者の方に無料で配っているんです」
「汝隣人を愛せよ、ですか。……これはいつもやってるんです?」
「ええ。昨日はスープカレーを。体が温まると好評なんです」
「へぇ、それはいいですね」
わたしは愛想笑いを浮かべた。その実、胸の内では「見つけた」とほくそ笑んでいた。
「ところで一つお伺いしたいことがあるのですが、いまお時間よろしいですか? お手間は取らせません」
「はい、かまいませんが……なんでしょうか?」
「シスターは、炊き出しにくる人の顔は覚えていますか? 特に子供、女の子の顔とかは?」
「多少は覚えていますが……」
「では、この子に見覚えは?」
わたしは革ジャンのポケットからニナの写真を取り出した。ハンナから受け取ったものが一つ。それから、チャンから奪った履歴書についていたものが一つだ。
シスターはその写真を見るや、いい反応を見せてくれた。
「ああ……この子なら、先日来てましたよ」
「本当ですか?」
「ええ。この子を捜してるいるんですか?」
「はい。そういう依頼を受けておりまして。彼女は今日もここに来るでしょうか?」
「たぶん来ると思いますが……」
言って、シスターは小首を傾げる。
だが、いまのわたしには、この場所に一縷の望みをかけるしかなかった。ニナ・ハインズへの手がかりは、その多くが途切れ途切れになってしまっているのだから……。
時が訪れたのは、夕日が沈み終える頃だった。夕方の炊き出しが始まると、薄暗闇の中、教会にぞろぞろと人が集まってくる。しかし彼らは敬虔な信徒などではない。恵みを求めてやってくる、哀れな子羊たちだ。
垢まみれの顔に、埃のついた衣服。最低限度の格好をした路上生活者たちが、食事を求めてやってきた。彼らは口々に「今日のプロブレム紙は何部売れた」とか、「どこどこ駅で小綺麗な紳士がいくらくれた」とか、そういう話をしていた。
わたしはその光景を、一歩下がったところから見ていた。教会の前の広場。そこに停められたバンと、わたしのクラシック・スポーツカーの合間から。
そうして、はじめは老いぼれたちが占領していたのだが、そのうち子供たちがやってくると、彼らも順番を譲るようになった。弱肉強食のコンクリートジャングルに住まう者たちでも、さすがに神の御前ではそうもいかないようだった。
やがて子供の姿もまばらになり、寸胴の底も見え始めたころだ。
一人の少女が、教会の前に現れた。ブロンド髪の、青いワンピース姿の少女。上着として赤茶色のダウンを羽織っていたが、それでも彼女の顔は痩せこけ、凍えているようだった。
「おいで、暖かいスープですよ」
シスターがそう言って、手招きした。
少女は、瞳こそまどろみ焦点が合わず、足下も覚束なかったが、ゆっくりと頷いてシスターのほうへ向かっていった。
そうしてカップ一杯のスープを飲むと、彼女は生き返ったようにふぅと息を吐いた。
わたしは、そんな彼女のもとへ歩み寄り、探偵手帳を見せた。
「失礼。あなたが、ニナ・ハインズさん?」




