ニナ・ハインズ (3)
その晩、わたしはニナが働いていた工場よりほど近い繁華街にいた。何故きたのか? その理由はただ一つ。ニナ・ハインズがどこにいるかを確かめるためだ。
同じラリュング中央区といえども、北のはずれに向かうとずいぶん荒んでくる。南の高級住宅街と比べるとひどい有様だ。工場と、その職員が住まう掃き溜めのようなアパートメントが乱立している。
そんな場所の繁華街がどうなっているか。そんなもの、想像するに難くない。華やかさは上っ面のものばかりで、その実マフィアの巣窟である。そして特にここは、中国系マフィアの三龍会が牛耳っていた。
いわゆるチャイナタウンというべきだろう。赤い門を皮切りに、街の風景は一変した。先ほどまでの白壁の家々は失せ、現れるのはコンクリート打ちっ放しの煤けたビルに、華美でオリエンタルな装飾のなされた商業施設。頭上では、蛇のような字が描かれたネオンサインが煌々と輝いている。
光り輝くネオンの下、路肩にあふれるのはアジア系の若者ばかり。おそらく工場勤務の彼らは、夜になるとここにストレスを発散しにくるのだろう。そして、それをいいカモとして、娼婦たちがこぞって露出を極めてくる。
わたしはそんな有象無象の合間をかき分けて、裏通りへ進んだ。そして、古ぼけたビルの二階を目指した。吸殻だらけの地面を踏んで、黄ばんだコンクリートの壁を横目にビルの中へ。
ノックもせず、わたしは中へ入った。
すると薄暗いオフィスビルの中、金勘定をする男が一人、事務椅子に座っていた。アロハシャツを着た彼は、わたしの顔を見るなり、肝をつぶしたような顔になった。
「なっ……おま、ウェザフィールド!」
「そうよ、キム。久しぶりね」
わたしはそう言って、ドアを閉じる。鍵もかけた。彼が逃げられないように。
わたしがキムと呼んだ男は、要するに売春の斡旋人である。このチャイナタウンで娼館を営む彼は、その売上金の一部を三龍会に献上している。
わたしはかつて、彼を刑務所にぶち込む寸前まで追い込んだことがある。彼がわたしを見て肝を冷やしているのは、つまりそういうことだ。
「何の用だ、ウェザフィールド。もうレイプまがいの斡旋はしてねえし、金もちょろまかしてねえぞ。おまえにとやかく言われる筋合いはねえんだ!」
持っていた札束を背中に隠して、彼は必死に弁明する。
「キム、わたしの目的はあなたではないの。人探しをしていてね。女の子を捜してるのよ」
「女なら見過ぎて覚えちゃいねえよ」
「まあ、職業柄そうなるでしょうね。とりあえず聞きなさい。わたしが探しているのは、ニナ・ハインズ。十三歳。この間まで、この近くの服飾工場で働いていたらしいの。でも、つい一ヶ月ほど前から欠勤が続いていた。しかし彼女が元いた孤児院の院長によれば、三週間前、彼女は孤児院を訪れ、『もっとずっと稼げる仕事を見つけた』と言ったそうよ。それから彼女は行方不明になっている」
「もっとずっと稼げる仕事、ねぇ?」キムはそう言って、気持ちの悪い笑みを浮かべた。「それで俺のところに来たってわけか」
「そうよ。これが彼女の写真」
わたしはキムの事務机の上に、ニナの写真をおいた。プラチナブロンドのショートカットをした、幼い少女の写真。
キムはそれを見つめ、何度も首を傾げて見せた。わたしは彼の思わせぶりな態度が癪に障ったが、黙っていることにした。
しばらくして、彼は抽斗を漁り始めた。
「何か思い当たる点でも?」
「まあ、無きにしもあらずなんだが……実は、気になる娘がいたんだ。つい一ヶ月弱ぐらい前のことで、ちょうどこの事件とも符合するんだが……ああ、これだ」
抽斗の中から一つ、キムはファイルを引っ張り出した。紙切れが二、三枚入っただけの寂しげなファイル。それは履歴書か何かのようだったが、写真も何もなかった。
「それは?」
「三龍会のやつから直々に預かった娘の資料だよ。とんでもねえ幼女だったけどな。ヤクザの連中は、こんな乳くせえガキは役に立たないとは言ってたが、こっちの業界じゃむしろ商売頭でね。俺が快く彼女の身柄を引き取ったんだ。そのときの書類だよ。彼女のプロフィール。それもでっち上げだがね」
わたしは彼が取り出したファイルを受け取り、それにざっと目を通した。
姓名、ハンナ・ウィンストン。年齢、十八。以下、彼女の身長、体重、スリーサイズなどが続く。
「ハンナ・ウィンストンは源氏名らしい。彼女がそう決めたとさ。プロフィールのほうは三龍会のやつがテキトーに書いてたよ。十八って書いてあるが、そんなはずはねえな。俺は一度だけ彼女とあったが、どうみたって中学生にも見えなかった。それに、暗くてよくわからなかったが、この写真の嬢ちゃんに似てたよ。すれたブロンドで、ショートカットだった」
「それで、このハンナ・ウィンストンは?」
「やめちまった」
「やめた?」
「ああ。ほんの二、三人ばかし相手にしたところでね。こういう上玉はとんでもねえ値が付くもんでさ、商品を丁寧に扱うやつにした売らねえんだ。売女の扱い方をよく知ってる男ってやつだよ。だから、ひでえプレイをするようなバカな底辺労働者には売りつけねえようにしてんだが……彼女は、すぐにやめちまったんだ。急にいなくなっちまってね。音信不通。それで、俺は覚えてたってワケさ。……どうだい、役に立ったかい、赤錆?」
「とても役に立ったわ」
「じゃあ、豚箱行きは勘弁してくれよな」
「ええ、考えておいてあげる。……それともう一つ聞いておきたいんだけど、そのハンナ・ウィンストンが最後に相手した客の名前は覚えてる?」
「ああ、上客だからな。覚えてるよ。名前はゲザツキー。ジェリー・ゲザツキーだ」
「ジェリー・ゲザツキーね」
「そうだ。たしかやつもこの辺に住んでたはずだ。住所録でも調べりゃでてくるさ。……さて、お役に立てたかい、赤錆?」
「ええ、とっても」
わたしは含み笑い。キムから写真とファイルを受け取ると、事務所を出た。
事務所を出たころにはもう遅かったが、そのときのわたしには、あいにく遠慮というものが無かった。腕時計型デバイスに命じて住所録を調べさせると、すぐにジェリー・ゲザツキーの住所が出た。クルマで二十分とない距離だった。
九時前にはゲザツキーの家についていた
と思う。わたしは路肩にクルマを停めると、問答無用でヤツの自宅を訪ねた。
十回もインターホンを鳴らしたと思う。いや、もっと鳴らした気がする。十五分ぐらい粘ると、さすがにヤツも我慢に耐えかねたのか、玄関を開けてくれた。
「こんな夜更けに何の用だよ、まったく」
彼は下着姿だった。白いランニングに、青のトランクス。茶色の髪は無造作に乱れていた。
「ヘイズル・ウェザフィールドと言います。こちらはジェリー・ゲザツキーさんのお宅で間違いないでしょうか?」
「ああ、そうだが。ピザもコールガールも呼んでないぞ。さっさと帰れ」
ジェリーはそう言って、ビール臭いゲップを吐いた。それからまもなく、部屋の奥から女の嬌声も聞こえてきた。「ねーえ、なにやってんのよぉ?」となまめかしげな声。どうやらピザもコールガールも用済みらしい。
「わたしは探偵です。ニナ・ハインズさんについて二、三質問させていただきたいのですが」
「ニナ・ハインズなんて知らん。帰れ」
ジェリーが扉を閉めようとする。
わたしは左手を扉に差し込んで、食い止めた。ジェリーは力一杯閉めようとしたが、わたしの腕力にはかなわなかった。諦めた彼は、しぶしぶ扉を開く。
「ではミスタ・ゲザツキー、ハンナ・ウィンストンという名前に心当たりは?」
「ハンナ・ウィンストン? ……ああ、あのハズレか。なるほど、あんたはあの少女を追ってるんだな。ご苦労なこった」
「ええ。ハズレ、と言うと?」
「呼んで字の如し、だ。俺は彼女を高額で買ったんだが、いざことに移ろうとするや、あの子、俺が肩を触れただけで逃げ出した。俺は痛くはしないって言ったんだが、彼女は聞かなかったな。そのままホテルを飛び出してった。それ以降、話は聞いてねえよ。店でも彼女は見てない。あの子はすっかり消えちまったって話さ。あとは知らん」
「では、失踪以前に、彼女に何かおかしな点はありませんでした?」
「おかしな点? そうさなぁ……妙に怯えていた、っていうべきか。俺は何もしてないんだが、ただ近づいただけで、生まれたての子鹿みたいに震えだした。本当に訳が分からなかった。彼女、まるで何かから逃げてたみたいだったな」
「何かから逃げている?」
「ああ。それが何かは知らんがな。でも、少なくともあの仕事からは逃げたんだろうな。いまごろどうやって食っていってんだか……。俺にはわからんよ。……さて、これでいいかい、探偵さんよ? 俺は忙しいんだ」
「ええ、ご協力ありがとうございます」
「そりゃどうも」
ジェリーがまた扉を閉める。今度はわたしも邪魔しなかった。
まもなく、扉を挟んだ向こうから女の喘ぎ声が聞こえてきた。もう少し声は抑えるべきだと、わたしは思った。




