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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
シェル・ショック
23/67

ニナ・ハインズ (3)

 その晩、わたしはニナが働いていた工場よりほど近い繁華街にいた。何故きたのか? その理由はただ一つ。ニナ・ハインズがどこにいるかを確かめるためだ。

 同じラリュング中央区といえども、北のはずれに向かうとずいぶん荒んでくる。南の高級住宅街と比べるとひどい有様だ。工場と、その職員が住まう掃き溜めのようなアパートメントが乱立している。

 そんな場所の繁華街がどうなっているか。そんなもの、想像するに難くない。華やかさは上っ面のものばかりで、その実マフィアの巣窟である。そして特にここは、中国系マフィアの三龍会が牛耳っていた。

 いわゆるチャイナタウンというべきだろう。赤い門を皮切りに、街の風景は一変した。先ほどまでの白壁の家々は失せ、現れるのはコンクリート打ちっ放しの煤けたビルに、華美でオリエンタルな装飾のなされた商業施設。頭上では、蛇のような字が描かれたネオンサインが煌々と輝いている。

 光り輝くネオンの下、路肩にあふれるのはアジア系の若者ばかり。おそらく工場勤務の彼らは、夜になるとここにストレスを発散しにくるのだろう。そして、それをいいカモとして、娼婦たちがこぞって露出を極めてくる。

 わたしはそんな有象無象の合間をかき分けて、裏通りへ進んだ。そして、古ぼけたビルの二階を目指した。吸殻だらけの地面を踏んで、黄ばんだコンクリートの壁を横目にビルの中へ。

 ノックもせず、わたしは中へ入った。

 すると薄暗いオフィスビルの中、金勘定をする男が一人、事務椅子に座っていた。アロハシャツを着た彼は、わたしの顔を見るなり、肝をつぶしたような顔になった。

「なっ……おま、ウェザフィールド!」

「そうよ、キム。久しぶりね」

 わたしはそう言って、ドアを閉じる。鍵もかけた。彼が逃げられないように。

 わたしがキムと呼んだ男は、要するに売春の斡旋人である。このチャイナタウンで娼館を営む彼は、その売上金の一部を三龍会に献上している。

 わたしはかつて、彼を刑務所にぶち込む寸前まで追い込んだことがある。彼がわたしを見て肝を冷やしているのは、つまりそういうことだ。

「何の用だ、ウェザフィールド。もうレイプまがいの斡旋はしてねえし、金もちょろまかしてねえぞ。おまえにとやかく言われる筋合いはねえんだ!」

 持っていた札束を背中に隠して、彼は必死に弁明する。

「キム、わたしの目的はあなたではないの。人探しをしていてね。女の子を捜してるのよ」

「女なら見過ぎて覚えちゃいねえよ」

「まあ、職業柄そうなるでしょうね。とりあえず聞きなさい。わたしが探しているのは、ニナ・ハインズ。十三歳。この間まで、この近くの服飾工場で働いていたらしいの。でも、つい一ヶ月ほど前から欠勤が続いていた。しかし彼女が元いた孤児院の院長によれば、三週間前、彼女は孤児院を訪れ、『もっとずっと稼げる仕事を見つけた』と言ったそうよ。それから彼女は行方不明になっている」

「もっとずっと稼げる仕事、ねぇ?」キムはそう言って、気持ちの悪い笑みを浮かべた。「それで俺のところに来たってわけか」

「そうよ。これが彼女の写真」

 わたしはキムの事務机の上に、ニナの写真をおいた。プラチナブロンドのショートカットをした、幼い少女の写真。

 キムはそれを見つめ、何度も首を傾げて見せた。わたしは彼の思わせぶりな態度が癪に障ったが、黙っていることにした。

 しばらくして、彼は抽斗ひきだしを漁り始めた。

「何か思い当たる点でも?」

「まあ、無きにしもあらずなんだが……実は、気になる娘がいたんだ。つい一ヶ月弱ぐらい前のことで、ちょうどこの事件とも符合するんだが……ああ、これだ」

 抽斗の中から一つ、キムはファイルを引っ張り出した。紙切れが二、三枚入っただけの寂しげなファイル。それは履歴書か何かのようだったが、写真も何もなかった。

「それは?」

「三龍会のやつから直々に預かった娘の資料だよ。とんでもねえ幼女だったけどな。ヤクザの連中は、こんな乳くせえガキは役に立たないとは言ってたが、こっちの業界じゃむしろ商売頭でね。俺が快く彼女の身柄を引き取ったんだ。そのときの書類だよ。彼女のプロフィール。それもでっち上げだがね」

 わたしは彼が取り出したファイルを受け取り、それにざっと目を通した。

 姓名、ハンナ・ウィンストン。年齢、十八。以下、彼女の身長、体重、スリーサイズなどが続く。

「ハンナ・ウィンストンは源氏名らしい。彼女がそう決めたとさ。プロフィールのほうは三龍会のやつがテキトーに書いてたよ。十八って書いてあるが、そんなはずはねえな。俺は一度だけ彼女とあったが、どうみたって中学生にも見えなかった。それに、暗くてよくわからなかったが、この写真の嬢ちゃんに似てたよ。すれたブロンドで、ショートカットだった」

「それで、このハンナ・ウィンストンは?」

「やめちまった」

「やめた?」

「ああ。ほんの二、三人ばかし相手にしたところでね。こういう上玉はとんでもねえ値が付くもんでさ、商品を丁寧に扱うやつにした売らねえんだ。売女の扱い方をよく知ってる男ってやつだよ。だから、ひでえプレイをするようなバカな底辺労働者ブルーカラーには売りつけねえようにしてんだが……彼女は、すぐにやめちまったんだ。急にいなくなっちまってね。音信不通。それで、俺は覚えてたってワケさ。……どうだい、役に立ったかい、赤錆?」

「とても役に立ったわ」

「じゃあ、豚箱行きは勘弁してくれよな」

「ええ、考えておいてあげる。……それともう一つ聞いておきたいんだけど、そのハンナ・ウィンストンが最後に相手した客の名前は覚えてる?」

「ああ、上客だからな。覚えてるよ。名前はゲザツキー。ジェリー・ゲザツキーだ」

「ジェリー・ゲザツキーね」

「そうだ。たしかやつもこの辺に住んでたはずだ。住所録でも調べりゃでてくるさ。……さて、お役に立てたかい、赤錆?」

「ええ、とっても」

 わたしは含み笑い。キムから写真とファイルを受け取ると、事務所を出た。


 事務所を出たころにはもう遅かったが、そのときのわたしには、あいにく遠慮というものが無かった。腕時計型デバイスに命じて住所録を調べさせると、すぐにジェリー・ゲザツキーの住所が出た。クルマで二十分とない距離だった。

 九時前にはゲザツキーの家についていた

と思う。わたしは路肩にクルマを停めると、問答無用でヤツの自宅を訪ねた。

 十回もインターホンを鳴らしたと思う。いや、もっと鳴らした気がする。十五分ぐらい粘ると、さすがにヤツも我慢に耐えかねたのか、玄関を開けてくれた。

「こんな夜更けに何の用だよ、まったく」

 彼は下着姿だった。白いランニングに、青のトランクス。茶色の髪は無造作に乱れていた。

「ヘイズル・ウェザフィールドと言います。こちらはジェリー・ゲザツキーさんのお宅で間違いないでしょうか?」

「ああ、そうだが。ピザもコールガールも呼んでないぞ。さっさと帰れ」

 ジェリーはそう言って、ビール臭いゲップを吐いた。それからまもなく、部屋の奥から女の嬌声も聞こえてきた。「ねーえ、なにやってんのよぉ?」となまめかしげな声。どうやらピザもコールガールも用済みらしい。

「わたしは探偵です。ニナ・ハインズさんについて二、三質問させていただきたいのですが」

「ニナ・ハインズなんて知らん。帰れ」

 ジェリーが扉を閉めようとする。

 わたしは左手を扉に差し込んで、食い止めた。ジェリーは力一杯閉めようとしたが、わたしの腕力にはかなわなかった。諦めた彼は、しぶしぶ扉を開く。

「ではミスタ・ゲザツキー、ハンナ・ウィンストンという名前に心当たりは?」

「ハンナ・ウィンストン? ……ああ、あのハズレか。なるほど、あんたはあの少女を追ってるんだな。ご苦労なこった」

「ええ。ハズレ、と言うと?」

「呼んで字の如し、だ。俺は彼女を高額で買ったんだが、いざことに移ろうとするや、あの子、俺が肩を触れただけで逃げ出した。俺は痛くはしないって言ったんだが、彼女は聞かなかったな。そのままホテルを飛び出してった。それ以降、話は聞いてねえよ。店でも彼女は見てない。あの子はすっかり消えちまったって話さ。あとは知らん」

「では、失踪以前に、彼女に何かおかしな点はありませんでした?」

「おかしな点? そうさなぁ……妙に怯えていた、っていうべきか。俺は何もしてないんだが、ただ近づいただけで、生まれたての子鹿みたいに震えだした。本当に訳が分からなかった。彼女、まるで何かから逃げてたみたいだったな」

「何かから逃げている?」

「ああ。それが何かは知らんがな。でも、少なくともあの仕事からは逃げたんだろうな。いまごろどうやって食っていってんだか……。俺にはわからんよ。……さて、これでいいかい、探偵さんよ? 俺は忙しいんだ」

「ええ、ご協力ありがとうございます」

「そりゃどうも」

 ジェリーがまた扉を閉める。今度はわたしも邪魔しなかった。

 まもなく、扉を挟んだ向こうから女の喘ぎ声が聞こえてきた。もう少し声は抑えるべきだと、わたしは思った。


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