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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
シェル・ショック
22/67

ニナ・ハインズ (2)

 そのあとチャンがどうなったかと言えば、おそらく口封じに殺されたに違いない。彼は決して自分がどのファミリーの者かは言わなかったが、おそらく中国系のマフィアの一角、三龍会の人間だろう。わたしはチャンの腕に彫られた龍の頭が、袖口からヒョコヒョコと頭を出し入れしていたのを見逃さなかった。

 三龍会といえば、いまなお存在しているが、現在は他のファミリーに吸収されそうな勢いだ。ちなみにわたしは一切関与していない。

 ともかく、そんなまぬけのおかげで、わたしはニナ・ハインズの情報を得ることができた。しかし、これまた妙に入り組んでいるようだった。

 わたしがチャンから受け取ったのは、まずニナの出勤表。これを見ると、一ヶ月ほど前から欠勤が続いていると分かる。というよりも、事実上の辞職扱いになっているようだった。

 次に、ニナの履歴書だ。秘匿性を高めるため、いまだデジタル化していないというそれは、虚偽と粉飾のカーニバルと言ってよかった。ニナの年齢が十五にされていることは言わずもがな、彼女は戸籍上、孤児となっており、自宅は孤児院となっていたのだ。

 わたしはそれを見たとき、目を白黒させた。彼女には、しっかりとした母親がいるはずなのだ。母親の性格がしっかりしているかはさておき、しかし少なくとも五体満足でこの世に存在しているはずだ。

 わたしは初め、マフィアが低賃金で雇うために慈善事業の一環として孤児を預かっているのかと思った。そういう建前で、ニナを雇っているのか、と。衣食住すべてを提供し、働き口も提供する……そう言って宿代や食費、賃金をピンハネするクズな違法企業は、この街にはごまんといる。

 しかし、それでももしかしたらと思い、問題の孤児院を訪ねることにしたのだ。


 孤児院は、ラリュング中央区のはずれにある介護施設に併設されていた。古めかしい煉瓦造りをした養老院の隣には、白壁の簡素な教会が建っている。それが孤児院だった。孤児院の運営母体は宗教法人らしいので、建物が教会に見えるのは当然のことだろう。

 駐車場にクルマを停めたとき、ちょうど尖塔に備えられたベルが大きな音を鳴らした。午前十一時だった。

 わたしは孤児院を訪ねる前に、車内からハンナ・ハインズに電話をかけた。十回ほどコール音がしてから、ようやくハンナが出た。

「なに、アタシは忙しいのよ」電話に出るや否や、彼女はぶっきらぼうに言った。

「こんにちは、ミズ・ハインズ。探偵のウェザフィールドです。娘さんのことについて少しお伺いしたいことがあります。まず彼女の住所についてです。彼女がカンリー孤児院にいたという情報を得たのですが、何かご存じでしょうか?」

 わたしがそう問うた時だ。先ほどまで苛立ち、鼻を鳴らしていたハンナが黙り込んだ。怒りで荒い吐息も、そのときには完全に失せた。

 わたしは黙り込む彼女に何も言わなかった。そのほうが効果的であると知っていたからだ。

 しばらくして、ハンナは口を開いた。

「あれはニナが選んだのよ。二年ぐらい前だったかしら。彼女は、彼女自身の意志で、孤児院に行ったの」

「彼女自身の意志で? では、ニナさんは孤児院にいたと?」

「仕事に就くまではそうだったらしいわ。ニナは家を出て、ひとり孤児院に入った。わたしも止めなかった。そのあと聞いた話では、ニナは仕事に就いて、職場の人達によくしてもらっていると。……でも、いまニナは職場からも孤児院からも忽然と姿を消した。だからあなたに依頼した」

「なるほど。そういうことは、依頼する際に言って欲しかったですね。それで、ニナさんがあなたの家を出て、わざわざ孤児院に行った理由は?」

「それは……」

 またしばらく、沈黙があった。しかし、先ほどよりは短かった。

「アタシが再婚しようとしてるからよ。ニナはそれを嫌がって、家を出て行った。孤児院に入ることを決めたのよ。だから、わたしも彼女の好きにさせた」

「娘よりも男を取った、と」

「それが何か?」

 またぶっきらぼうな口調に戻る。正直、わたしはこの女が信用出来なくなり始めていた。わたしが嫌いなタイプの女だ。

「いえ、なにも。それでは、ご協力感謝します」

 電話を切る。必要なことは聞き出した。

 そうしてわたしはクルマを出ると、教会を見つめた。尖塔が高くそびえる、白塗りの建造物。齢十三にも満たない少女は、自らすすんで孤児院に入った。どうにも家庭環境は、相当混み入っていたようだ。


 孤児院で院長を勤める牧師は、手厚くわたしを招き入れてくれた。神など信じない、このわたしを。

 孤児たちを護る神の社は、シンプルな造りながら荘厳な趣きがある。わたしは講堂から通じる廊下を抜け、牧師の執務室に招かれた。

 オーク材でできた古典的な造りの室内。シンプルに縁取りされた窓の向こうからは、養老院が見えた。草原の中では老人たちが歩行器を使い、えっちらおっちらと進んでいる。亀のようにノロマだった。

 わたしは客用の二人掛けのソファーに腰掛け、牧師は仕事用であろう事務イスに腰掛けた。紙媒体の本が無数に並ぶ室内は、時代に取り残されたようだった。

「それで、行方不明者を探していると?」

 牧師は咳払い一つしてから、そう尋ねた。

「はい。名前はニナ・ハインズ。三週間前までこちらの孤児院にいたとうかがっております」

「ああ、ニナさんですか。彼女なら、先日会いましたよ」

「本当ですか?」

 わたしがそう声を上げたとき、一人の少女がドアを開けて入ってきた。修道女のように質素な格好をした彼女は、プレートにティーカップを二つ載せてやってきた。彼女は小さく一礼。机上にカップをおくと、また一礼して去っていった。

 牧師はその紅茶を一口啜ってから、

「はい。あれはちょうど二週間……いや、十日と少しばかり前だったと思います。ニナさんがこちらを訪ねてきたんです。仕事が決まったと」

「仕事が決まった?」

「はい。彼女は、以前から一人でお金を集めなければならないんだと言っていました。孤児院に入ったのも一時的なもので、仕事を見つけたらすぐに出て行くつもりだと語っていました。まだ幼いのに……。彼女はとてもまじめだったので、わたしはこの孤児院で修道女として生きていくのも良いのでは? と提案したのですが、取り合ってもらえず……。結局、一年前に工場への就職が決まったんです。孤児の保護の一環で、衣食住の保証付きでです。ニナさんはすぐにその仕事に応募し、ウチを出て行きました。私は、やめておくべきだと言ったのですがね……」

「その工場というのは、三龍会傘下の違法就労の斡旋場だった……?」

 牧師は、うんともすんとも言わなかった。無言の肯定、ということだろう。

「すぐに結果は分かりました。劣悪な労働環境から、ニナさんの体が悲鳴を上げたのです。彼女は私に連絡をくれました。次の仕事がほしい。今の仕事は辞めたい。だけど、お金がいるんだ――と。私は、辞めることも一つの決断だと言って彼女を諭しました。教会ウチには、まだあなたを迎え入れる用意があるのだと。……しかし、それから二週間後のことです。彼女はここをわざわざ訪れてきました。そのときのニナさんは、とてもいいえ顔をしていました。なんでも、とても待遇のいい仕事が見つかったのだとかで。私は彼女に、くれぐれも体には気をつけて、無理をしないようにと頼みました。なにせ彼女はまだ年端もいかぬ少女なのですから……。

 これが、私が最後にニナさんと会った時の出来事です」

「それでは、彼女は新たに仕事に就いたと?」

「ええ、そう語っていました。つい一月半ぐらい前のことだったと思います。今度の仕事は、前の仕事よりもっとずっと稼げるんだと、そう言ってました」

「もっと稼げる……?」

 わたしの脳裏に、ふとイヤな考えがよぎる。

「はい。ニナさんは、奇妙なまでにお金に執着していました。きっと何かあったんでしょう」

「それが何かは?」

 牧師は首を横に振る。

 わたしは紅茶を一杯いただくと、孤児院を後にした。これからまた調べなければならないことが増えた。『もっとずっと稼げる仕事』それがいったい何なのか。

 わたしの脳裏には、最悪のビジョンがあった。


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