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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
シェル・ショック
21/67

ニナ・ハインズ (1)

〈20XX/11/13 Case File:Nina Hines〉

[今後一切、このケースファイルの編集、削除を禁ずる。 Hazel Weatherfield.]


 ニナ・ハインズ。十三歳。本来ならば中学校ジュニア・ハイに通っているはずの少女だが、義務教育を受けずに、母の手伝いをしている。戸籍上の彼女の職業は、家事手伝いである。……だが、ラリュングでは、このような情報はアテにならない。わたしは、おおかた戸籍を偽って違法就労でもしているのだろうと踏んでいたが、どうにもそうらしい。

 手始めにわたしは、ニナ・ハインズについての聞き込みと、オンライン・ライブラリで検索をかけた。結果分かったのは、同姓同名の十五歳の少女が服飾工場で働いているという情報だった。本来ならば、十三の少女が働ける場所ではない。案の定、この結果だ。

 わたしは、その服飾工場について悪い噂ばかりを聞いていた。マフィアがらみの違法就労・斡旋。格安で労働力を仕入れるのが、彼らの仕事である。マフィアとつるんでいるのだから、もちろん悪いことしか考えられない。およそ貧困層を騙し、多重債務の奴隷を生み出していることだろう。

 そんな中に、十三歳の少女がいる……。無い話ではない。だが、水商売で儲けた女の娘が……?


 明くる日の朝、わたしはわざわざアポイントメントを取り、工場を訪ねた。出迎えてくれたのは、小柄なアジア系の男だった。背はわたしと同じぐらいだったが、しかし男の目には、殺しを経験した者特有の冷たさがあった。会った直後にはもう、彼がマフィア寄りの人間だと分かった。

 軽く握手を交わしてから、わたしは応接間に招かれた。彼は部下をアゴで使ってグリーンティーを淹れさせたが、わたしはまったく口を付けなかった。

「ええっと、ミス・ウェザフィールド……であっていますか?」

「はい。このたびは、お時間を割いていただきありがとうございます。ミスタ・チャン」

 わたしができるだけ穏やかな声でそう言うと、その男――チャンは笑みを浮かべた。

「いえいえ、おやすいご用で。それで、今回はどのようなご用件で? たしかご職業は探偵だとか」

「ええ、ある依頼を受けてこちらに。……この少女を捜しているんです」

 革ジャンのポケットから、写真を一枚取り出す。色あせた、少女の写真。プラチナブロンドのショートカットをした、青のワンピース姿の少女。ニナ・ハインズ。

 チャンはしばらくのあいだ写真を見つめ続けていた。それから首をひねり、眉をひそめた。

「申し訳ありませんが、私の記憶には……」

「それは無いはずです。彼女の名前はニナ・ハインズ。年齢を偽って、この工場で働いていたはずです。証言も取れています。……それでも、シラを切るつもりですか?」

「シラを切る? なんのことで?」

 あっけらかんとした声色で答えるチャン。しかし、その声の裏には秘された何かがあるように聞こえた。

 チャンは、ジャケットの胸元へと手を這わせる。彼がショルダー・ホルスターに拳銃の一つや二つ備えていることは明白だった。

「まあ待ってください、ミスタ。そんな早々と武力に打って出るのはどうかと思いますよ」私は先手を打つ。「わたしは、あなたたちファミリーに不利益を与えるつもりはないんです。わたしの目的はただ一つ。彼女の消息をつかむこと。それ以外は、何も必要ない」

「さすが探偵、抜け目ないというか……。そんな言葉が信用できるとでも?」

 チャンの声が、冷たい風とともにやってきた。さきほどの温厚さはない。

 まもなく、わたしの後方にある出入り口から数人の男が入ってきた。喪服のようなスーツに身を包んだアジア人たち。手に拳銃を持って現れた。言うまでもなく、銃口はすべてわたしに向けられていた。

「ウチには決まり事がありましてね、ミス・ウェザフィールド。その最たるものの一つに、汚いドブネズミはさっさと殺せってのがあるんです。意味わかります?」

「わたしがそのドブネズミである、と」

「それ以外に何があるんです。だからネズミにチーズをやるフリをして、ここまで連れてきたんですよ。……まったく困るんですよ、あんたみたいなのに嗅ぎ回られると。ウチも商売なんです。わかりますでしょ? 探偵に色々嗅ぎ回られると、まるでウチが怪しいみたいじゃないですか。ねぇ?」

 チャンはそう言って、人差し指と親指とをせわしく擦りあわせた。金勘定でもするかのように。

「言ったはずです。わたしはあなたがたに不利益を与えるつもりはないと」

「そんな言葉、通用しねえって言ってんだろ!」

 突然、チャンは激昂。ショルダーホルスターからリボルバーを取り出すと、わたしのこめかみに銃口を押しつけた。撃鉄を起こして、わたしに狙いを定める。

 しかし、そのまえにわたしの左腕は動いていた。無意識のうちに、ほぼ反射的に。

 左手はこめかみに当てられたリボルバーをつかんだ。シリンダーを無理矢理に、壊すような勢いで握りしめる。シリンダーを押さえられれば、リボルバーは弾丸を撃つことができない。

 チャンは驚いたようだったが、冷静に部下に目配せする。しかし、わたしもそう簡単に撃たれるつもりはなかった。

 チャンのリボルバーを握りつぶす。銃口がひしゃげ、弾倉がきしむ。ゆがんだシリンダーから実包が転がり落ちた。これではもはや銃として機能しない、ただ屑鉄だ。

 わたしはその屑鉄ごと、チャンの右手を握りしめた。そしてヤツの右腕をひねって、関節を決める。わたしはそのまま、左腕をチャンの首へ食い込ませた。

 一瞬の出来事だ。わたしはチャンの首を押さえ、一気に形勢逆転まで持ち込んだ。チャンを盾のように構えるわたしを前にして、部下たちも統制を失う。撃つべきか、撃たざるべきか……。

 その状況下で、わたしは言った。

「じゃあ取引でもしましょう。ギヴ・アンド・テイク。それならいいでしょう? わたしはラリュング市警察や行政府とコネクションがある。あの鉄仮面の女に取り入ってだってあげる」

 鉄仮面の女――それは悪党のうちでの『リリアン・リュウ』のあだ名だった。彼女が課長になる前、殺人課課長は平然と賄賂を受け取るような腐れ警官だったのだが、リリーが代わってからは一切賄賂を受け取らなくなった。だから彼女についたあだ名は、金に目が眩むことのない鉄のような女。鉄仮面というわけだ。

 わたしは口角をあげて楽しげに言ってみせ、さらに続けた。

「しかもわたしは職業柄、あなたたちの対抗勢力である他のファミリーの情報もいくつか得ている。もしあなたたちがわたしに協力するというのなら、わたしもあなたたちに協力してあげてもいいわ。どう?」

 そう言って、わたしは左腕にかける力を強めた。チャンの顔が徐々に赤くなっていく。

「兄貴!」と部下の一人が弱みを見せた。

 わたしはさらに畳みかける。

「何度も言ってるけど。わたしが教えてほしいのは、少女の動向。それだけよ。ほかは何もいらない。あなたたちの商売ビズなんてどうでもいいの。わたしの仕事は、あくまで少女の捜索だから。それ以上は嗅ぎまわったりしない。……どう、いい条件じゃない?」

 ますますチャンの顔が赤くなる。茹でたタコのように、真っ赤に。

 そうしてようやく諦めたのか、チャンがわたしの左手を叩いた。拘束を解くと、彼は即座に「銃をおろせ」と部下に命じた。

 こうして交渉は成立。わたしは、ニナ・ハインズにさら一歩近づいた。


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