表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
シェル・ショック
20/67

過去に立ち向かうには、少しの酒があればいい。

 ピルグリム・サーカスまで戻ると、わたしはすぐにクルマを駐車場に入れ、ニナを抱えて寝室に入った。

 わたしは彼女をベッドに寝かせると、ぬるま湯に浸したタオルで汗を拭ってやった。それから服を脱がし、寝間着に着替えさせた。

「へジィ、大丈夫だって」

 ニナはそう言うが、わたしはもちろん彼女の言うことは聞かない。この家の主人は、わたしだ。指図を受ける筋合いはどこにもない。

「いい、ニナ。あなたの持病はわたしにもよく分かってるの。それも分かった上で、あなたを引き取ったんだから。……いまは寝なさい。ゆっくり休むことが、いまのあなたの仕事よ」

 わたしはそう言って、ニナの額にキスをした。白い彼女の肌は、いつにも増して冷たかった。恐怖に凍えているのだ。


 そうしてニナを寝かしつけたところで、事務所に訪問者が現れた。その者は、決してインターホンなど使わず、頑なにドアノッカーを叩き続けていた。誰が訪問者かはよく分かっていた。

 螺旋階段を降り、一階へ。玄関を開くと案の定彼女が立っていた。警察手帳を片手に、紺のスーツ姿の女が。

「こんにちは、探偵さん」

 リリアン・リュウ。ラリュング市警、殺人課課長。ふざけたような声色で彼女は言った。

「日曜まで仕事とは、熱心なことね」

「そういうあなたはどうなの、赤錆」

 リリーはそう言うと、土足でわたしの事務所に入ってきた。

 わたしはしぶしぶ彼女を客間に招き入れる。日曜は一人でゆっくりしていたかったのに。

 客間に入ると、リリーはソファーに腰をおろした。わたしはカウンターに背をもたれた。

「赤錆、あなたさっき、イェーディングの市場にいたでしょう?」

「それが何か?」

「これ、あなたのでしょ?」

 リリーが上着のポケットからパウチされた小袋を取り出す。透明な袋の中には、豆粒のようなものが入っている。それは、わたしが発射したテーザー弾だった。

「これ、やったのはあなたでしょう? さっき鑑識に登録情報を調べさせたら、所持者に『ヘイズル・ウェザフィールド』って出てきたのだけど」

「そうね。……目の前で殺人未遂が起きるとこだったのよ。止めに入るのは当然でしょう」

「百歩譲ってそれはいいとして。問題はなんで現場から去っていったか、よ。あなたこのままだと通り魔扱いよ」

「戻るつもりだったわ」

 わたしは、まるで殺しでもやった犯人のように言った。犯人とは、たいがい現場に戻ってくるものだ。

「でも、すこし面倒が起きてね。……ニナが見ちゃったのよ、わたしが銃を撃ってしまうところをね」

「ああ……なるほど」

 声を漏らすリリー。彼女も事情は知っている。ニナが、シェル・ショックであるということを。ニナが銃に対して必要以上に過敏であることを。

「まあ、仕方ない。それなら見逃してあげるわ。でも赤錆、いくつか事件現場で起きたことについて、聞きたいことがあるのだけれど」

「どうぞ」

 わたしはそう言って、貸し出しカウンターを改装したバーカウンターに立った。

 日曜の昼間ぐらい、すこしふっかけてもいいだろう。特に、今みたいな状況では。


 ウィスキィ・ダブルをのまま飲みながら、わたしは事情聴取を受けた。聴取と言っても、二、三質問を受けただけなのだが。

 リリーの話では、犯人の女は痴情のもつれが原因で犯行に至ったのだという。店ごと夫を盗られた――それが女の主張だったという。

 わたしはリリーにウィスキィを勧めたが、彼女は仕事があると言って断った。まったく熱心なことだ。

「まあ、結局ありふれた事件だったということね。痴情のもつれからきた、バカな男女の痴話喧嘩……」

「でも、わざわざわたしを訪ねてきたってことは、それだけじゃないんでしょう?」

「さすがに感が鋭いわね、赤錆。……あの女が持っていた刃物、製造者が見つからないの。護身用のナイフの一種ではないかと思われたけれど、あの型に一致するものはラリュング市内では作られていない」

「……霧の向こうの技術」

「そうとしか考えられないでしょうね。今月に入ってもう三件目よ。霧の向こうの技術が、都市内で氾濫している。未だかつて無い事態ね。だから上層部もかなり目を光らせているらしいわ」

「どおりで仕事熱心なわけね。ご苦労様」

「いまラリュング市警は、何者かが霧の向こうの技術を意図的に流出させていると見て、調べを進めているわ」

「意図的に流出、ね」

「赤錆、もしかしてあなた、何か知らないかしら?」

「警察が知らないことを、わたしが知っているとでも思っているの?」

 わたしは皮肉を込めて言ってやった。

 その実、わたしは犯人の尾を掴みかけている。右手の甲に唇の刺青タトゥーを持つ女。そして、わたしは彼女を知っている……。

 しかしリリーは肩をすくめ、

「そりゃそうね、知ってるはず無いでしょうね」

 と、深くため息を吐いてみせた。


 リリーはそれだけ聞くと、いそいそと帰って行った。わたしは社交辞令として「もう少しゆっくりしていけば良かったのに」と言ったのだが、本心としてはさっさと帰ってくれて助かった。

 それからわたしは、一人一階のカウンターにこもった。グラスに生のウィスキィを注ぎ、それを煽りながら、わたしはブック・シェルフを見る。青白い、ホログラムの本たち。そこには本物の本もあれば、オンライン・データベースにつなげられたファイルもある。また、わたしがまとめた事件資料もあった。

 わたしが見ていたのは、自分がまとめた事件資料の一つだった。三年前にあった、とある殺人事件の資料。殺されたのは三十代の成人男性で、殺したのは『ニナ・ハインズ』――ニナ・ウェザフィールドが、わたしの養子縁組になる前の話だ。

「……わたしも彼女も、自分の過去に立ち向かわなければならない、か」

 わたしはグラスを空けてから、ゆったりとした足取りでブックシェルフに向かった。そして、虚像の背表紙に指をかけ、ファイルを一つ取り出した。

 忘れたい過去に立ち向かうには、少しの酒があればいい。


     *


 三年前の十一月、わたしが依頼されたのは、ある少女の捜索だった。まだ駆け出しに近い探偵だったわたしは、当時から道楽探偵であったものの、いまのように仕事を選り好みしているような余裕は無かった。

 依頼主は、ハンナ・ハインズ。一児の母であり、バツイチのシングルマザーだった。プラチナブロンドの彼女は、かつては美女であったのだろうが、そのときにはもうタバコと酒とで肌は荒れ、声はしわがれていた。日中は工場に勤め、夜は水商売していたらしい。何の商売については、わたしもすすんで聞こうとも思わなかったが。

 わたしははじめ、彼女には調査料金を払う余裕さえないように見えた。なにせ悪趣味で成金趣味な、汚い格好をしていたからだ。

 しかし、化粧でクマとシワをごまかした彼女は、どうにも絶世の美女に変貌できるようで、夜の世界で相当稼いでいるようだった。そんな親のもとにいれば、家を出たくなる気持ちも分からなくもなかった。

 わたしはハンナからの依頼を承諾した。そのときは、まだわたしも彼女のことを、ただの擦れたシングルマザーだと思っていた。

 この事件が、もっと悪い方向に転んでしまうとは、夢にも思っていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ