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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
ブルー・マンデー
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蒼の美少女 (1)

「あなたがヘイズル・ウェザフィールドですか」

 彼女は栗色の髪をかき撫でながら、本棚よりわたしのほうへ目を移した。

「ええ、わたしがウェザフィールドです」

 そう言って、わたしは彼女と握手を交わした。

 それからわたしは応接間のソファーに座った。彼女にも座るよう促すと、わたしたちはテーブルを境に向かい合うようになった。

「今回はどのようなご用件で? ミス……」

「蒼井です。蒼井ミズキ。……あなたが私の姉から仕事の依頼を受けていたと聞いて、お伺いしました」

「お姉様、ですか」

 わたしは、まさかと思った。だが、それ以外考えられなかった。

「はい。今朝殺された、アオイという娼婦です。彼女が私の姉――蒼井ミナなんです」

「そうですか。でもおかしいですね。わたしはアオイから依頼を受けた際、血縁関係について聞かせてもらいました。そのとき彼女は、親兄弟はいないと言ってましたよ。父は失踪し、母は物心ついた時にはすでにおらず、天涯孤独だと」

「それもそうでしょう。私もついさっきまでは、姉の存在を知らなかったのですから」

 蒼井ミズキはそういって、うつむいた。どこか自嘲気味に笑む彼女。それは、わたしの訝るような声色への反抗にも見えた。

「あなたにたずねたいことがあるんです。あなたが、ラリュングで最も信用に足る探偵だという噂を聞いて――。姉は何か被害を訴えて、あなたに仕事を依頼してきた。そしてその挙げ句、何者かに殺された……。姉はどうして殺されたんですか。ミス・ウェザフィールド、あなたなら何かご存知では?」

「……蒼井さん。気持ちはお察しいたしますが、犯人捜しは探偵の仕事ではありません。警察の仕事です。現にいま、ラリュング市警察(LCPD)が捜査に当たっています。お姉さんを殺した犯人は、もうまもなく見つかるはずです」

「そうじゃないんです……。ミス・ウェザフィールド、私はあなたに依頼したいことがあるんです。人探しをお願いしたいんです」

 彼女は肩を怒らせた。強い口調と態度は、しかし虚勢を張って何とか自己を保とうとする、か弱い女性の隠れ簑にすぎない。

「と、言うと?」

「順を追って説明します。

 そもそも私と姉は、幼いころに両親の離婚で別れたんです。もうずっと昔の話です。私たちはまだ二歳にも満たない赤ん坊で、そのときの記憶なんてこれっぽちもありません。私は母と祖母に引き取られ、姉は父に引き取られました。

 私は生まれてこのかた、姉についても父についても聞かされずに過ごして来ました。それが今朝、ニュースで私そっくりの女性が死体で発見されたとの報道がされました。まるでドッペルゲンガーのようで怖くなった私は、執拗に母に問いつめたんです。もしかしたら、私の預かり知らぬところで、記憶の削除でもされていたのでは……そういう不安がありました。

 幸運にも記憶の削除は無かったのですが、私はそこで初めて姉と父の存在を知ったんです」

「なるほど。では、お姉さんを知ったのは本当についさっきのこと、と」

「そうです。……ですが、ここからが本題なんです」

 わたしは組んでいた足を、左右入れ替ええて組み直した。耳を彼女のほうへ向ける。

「私は母と祖母との三人暮らしなのですが、今朝、祖母に電話がかかって来たんです。それから祖母は、『ミナが私を呼んでいる』と言って、どこかに行ってしまったんです。母も止めたんですけど、祖母は言い出したら止まらない性格で……。その直後です。ニュースで姉が死んだことを知ったのが」

「それであなたは、ミナという女性が自分の姉であり、殺されたドッペルゲンガーがその姉であると知った。……それで、あなたが依頼したいというのは?」

「祖母の捜索。そして、姉に何があったを調べて欲しいんです。姉は絶縁状態の祖母に、わざわざ死ぬ直前になって電話をしてきたんです。……何かあったように思いませんか?」

「確かに。……わかりました。調査料金は一日につき九〇パウンド。それ以上は取りません。調査の報告はあなたへシークレット・メールで電送します。……よろしいですか?」

「調べてもらえるんですか」

 とたんにミズキの顔に光が灯った。先ほどまでの暗さがウソのようだ。「まさか請け負ってもらえるとは思ってなかった」と彼女の顔は告げていた。

「必要経費だけ頂ければ、どんな調査もします。ただ、その結果がどうあろうと、わたしは責任を持ちません」

 わたしはそういって、ソファーから立ち上がる。

「それでは少し調べて見ましょうか。お姉さんの身に、何が起きたのか」


 ブックシェルフには、いくつもの本の背表紙が並んでいる。古めかしいハードカバーのライブラリ・エディションから、痛んだペーパーバックまである。しかし、それらはすべて幻影に過ぎなかった。霧が見せている幻の図書だ。

 この図書館に本はない。わたしがこの土地を引き継ぐより遥か以前に、数多の書籍たちは焼き払われてしまった。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる……現に、そうして世界大戦は起きた。わたしが生まれるよりずっと前だが。

 ここにあるのは、すべて立体映像ホログラムによって再現された虚像だ。物質的な、紙として存在する書籍ではない。しかし、書面ではあった。

 わたしは奥まった場所にある棚まで来ると、腰の高さにある本を一冊引き抜いた。幻影はわたしの手の動きにそって動き、あたかもそこに紙の本があるように振る舞う。

 わたしはページをパラパラとめくるような動作をした。すると、真っ白い紙の上に印刷された文字が表示された。

 ミズキがわたしの肩越しにのぞき込んできた。

「左利きなんですね」と彼女。

 わたしは少し考えてから、自分が左手でページを繰っていることに気づいた。いつものクセだ。

 慣れた手つきで、わたしは本を左手に移し替えた。そして今度は右手でページを繰って見せた。

「両利きです。どちらでもできますよ」

「珍しいですね。……あの、左手の手袋は?」

「ああ、これですか」

 わたしは左手を軽く上にあげる。焦茶色の皮手袋。左だけにはめていれば、確かに違和感を覚えるだろう。わたしにとっては自然なことだったので、すっかり失念していた。

「昔、ある事件で怪我を負いまして。あまり見た目がよくないので、いつも隠しているんです。探偵といえども客相手の商売。見た目に気をつけることは大切ですから」

「そうだったんですか……すみません、変なこと聞いて。……あの、その本は何なんですか?」

「これはオンライン・デジタルライブラリ。ネットワーク接続している場所のデータファイルを、このように本として立体映像出力してくれる装置です。そしてこれが『ケースファイルM14SS』娼婦殺害事件の捜査資料です」

「えっと……それって警察資料ということですか? 見ても良いんです?」

「もちろん、本来はダメでしょうね」

 わたしはそう言いつつ、堂々とページをめくった。

 しばらくめくっていると、さっそく蒼井ミナの検死解剖結果が表示された。それによれば、殺害方法からして蒼井ミナが殺されたのは早朝三時から五時の間からだと推測された。女の腸詰めをわざわざ作ったのだ。犯人がどれほど猟奇殺人マニアかはわからないが、しかし肉屋の店主がやってもそれなりの時間がかかるに違いない。

 わたしが何より気になったのは、そんな『死亡推定時刻』だ。

「ミズキさん、あなたは今朝、蒼井ミナからあなたの祖母に電話があったと言っていましたね」

「はい、そうです。確か朝の六時ごろのことだと思います。……でも、その資料を見ると……」

「蒼井ミナは、祖母に電話をかける前に死んでいる……」

 わたしは首を傾げた。

 では、ミズキの祖母に電話をしたのは誰なのだ。ミナを騙る何者か。あるいは、彼女は生きている……?

 そんなはずはない。わたしは、彼女が腸詰めにされて死んだ姿をこの目で見てきた。思わず吐き気を催してしまいそうな、下衆の極みとも言える殺しだった。あの状況で生きていられるはずがない。

 この事件、想像以上に面倒なことになりそうだ。だからわたしは、月曜日が嫌いなのだ。


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