サンデー・ソングス
わたしは、『日曜は昼過ぎまで寝ていたい党』の党員であるが、しかし毎月第二日曜日だけはそうもいかない。その日曜は、イェーディング・スクエアで市が開かれる。露店が軒を連ね、食料品を叩き売りするわけだ。よって第二日曜だけは、朝っぱらからクルマを出して、ニナとイェーディング・スクエアまで行かなければならない。
そういうわけで、わたしはクルマを出す要員として、毎月この日だけはニナの尻に敷かれることになっている。ちなみに、荷物運びもわたしは兼任している。毎月ニナは大量の食材を購入してくるのだ。
ニナを送り届けてから、わたしは一人、イェーディング・スクエアの裏通りにいた。表通りは市場で騒がしく、裏通りは静謐としている。そこでわたしが何をしているのかといえば、ニナが買い物を終えるまでの暇つぶしだ。いかんせん、わたしはショッピングというものが好きではない。特にそれがやりもしない料理関係となればなおさらだ。
わたしは裏通りを一人歩き、その途中にある青い扉の家で足を止めた。そしてその扉をぐいと押し開けて、店内に入った。そこはわたしが贔屓にしている古書店だ。
店内には、ラリュングFMがかかっていた。日曜お昼のサンデー・ソングス。パーソナリティのジャビー・レイの声がよく響いている。落ち着いた店内に似合う、しっとりとした声色だ。
わたしは流れてくる音楽に耳を傾けながら、幾重にも並んだ書架を見て回った。その間、店主の親父が話しかけてくることはない。ここは、そういう店なのだ。気難しい親父が経営する、偏屈な店。
わたしはしばらくの間、フィクションのコーナーを見て回った。書架に置いてある多くは、このラリュングから発掘された化石ばかり。大戦終結以前、植民が始まる前に発行された紙媒体の古書たちだ。この店は、そのような貴重書を取り扱うことを第一にしている。もちろんラリュング植民以降の書籍も置いてあるが、総数としては前者のほうが圧倒的に多い。
わたしは書架から一冊、オレンジ色の表紙をした本を引き抜いた。なぜかそれが興味をひいたので、手にとってしまったのだ。タイトルも見たことも無かったのに。
オレンジ色のペーパーバック。紙は日に焼けて赤茶けた色になっていた。わたしはページをパラパラと繰り、軽く目を通した。文学作品らしい。主人公の少年が、ラリュングのような大都市を放浪している。
わたしはその本が妙に気になったので、手に取ると、店主のいるカウンターに持って行った。
店主の親父は、積み上げられた本とにらめっこしながら黙々と値付け作業をしていた。そんな彼も、わたしが来るとさすがに顔を上げた。
「ああ、らっしゃい。そりゃ四十パウンドだ」
と、彼は眼鏡の位置を正しながら。
「結構するのね」
「そりゃ、前世紀の発掘品だ。それなりに値が張るさ。買うかい? それとも怖じ気付いたかい?」
「いや、いただくわ」
わたしはそう言うと、札入れを取り出し、四十パウンドきっちり支払った。
「まいどあり」と店主。
わたしは紙袋に入った古書を小脇に抱えると、また青い扉を押し開けて店を出た。
腕時計は、午後一時過ぎを示している。そろそろニナの買い物も終わったころだろう。
表通りに出ると、昼過ぎだというのにまだ市場はにぎわっていた。今日はもう店じまいというところもあったが、まだ露店はいくつも軒を連ねている。そんな中に、ニナは両手に大きな紙袋を手に立っていた。
小さな体を右へ左へ大きく揺らし、紙袋を支える彼女。わたしは深くため息をついてから、彼女の左手から荷物をひょいと取り上げた。
「あ、へジィ。遅いよ!」
「ごめん、少しわたしも買い物があって」
言って、わたしは紙袋の中身をのぞき込む。大きなバゲットが数本と、色とりどりの野菜と果物とが入っていた。
「もう買い物は終わったの?」
「うん、これで全部。さあ、帰ろう!」
わたしたちはクルマに戻り、トランクに食材を押し込んだ。
パンとフルーツのいい香り。わたしは珍しく上機嫌で荷物を運び込むと、キーを差し込んでクルマに乗り込もうとした。
そのときだ。突如、後方から女性の叫び声が響いた。わたしは職業病からか、振り返らずにはいられなかった。
見れば、市場の中がなにやら騒がしい。ドサドサと何かが崩れ落ちるような音と、破裂音、そしてまた悲鳴が轟く。
わたしは一瞬ニナに目をやると、すぐさま市場へと駆けだした。
しかし、ニナは虚ろな目をしていた。
活気づいていた市場は騒然としていた。それもそのはず、右腕に長細いキリのような刃物を持った女性が、昂奮した様子でいたからだ。見かけ五十代ぐらいの彼女は、キリを振り回して、唇をわななかせている。八百屋の大将が何とか彼女を落ち着かせようと、肉屋と親父と結託して説得にかかっていたが、それもどうやら無意味そうだ。
刃物を持った女性の前には、一人の女が立っていた。キリの女よりも少し若く、三十代後半ぐらいに見える。黒髪の彼女は、額に汗を流しながら、恐怖に怯えていた。
「こいつがいけないんだ! こいつが!」
女が叫んだ。そして、右腕に持った刃物を構える。
咄嗟に肉屋の親父が止めにかかろうとしたが、しかし間に合いそうにない。
女は、腰を落として刃物を構える。わたしはその構えに違和感を覚えた。素人の女にしては、やけにスジがいいのだ。ゆらりと伸ばした右腕、それを鞭のごとくしならせながら、両足で石畳を蹴りつける。体をバネのように延ばし、女は相手の懐へ。
そのとき、わたしは気がついた。女が持っているのは、ただのキリではない。これは、ふつうの刃物ではない、と。
そしてそう気づいた時には、わたしの体も、女の体も動き始めていた。
女、腰を屈めたまま右腕をしならせる。キリがそれに連動し、バチバチと音を立てながら閃光を放ち始めた。そして、たかだか五センチ前後だった刃が、一挙に刃渡り四十センチ近いナイフに変貌。刃が、電撃を帯びながら変形したのだ。
八百屋の大将が目を丸くしている。無理もない。大の男でも、刃物を持った癇癪持ちの女相手では、どうしようもない。
――しかし、わたしは違う。
これもまた職業病だろう。わたしの左腕は自然と前に突き出されていた。
拳を堅く握りしめる。そして中指を関節を外すようにして折り曲げた。鋼鉄の腕に仕込まれた機能の一つ、仕込み銃が作動する。
女の持ったドスが、逃げまどう女性の腹部へと至らんとするその瞬間。わたしの中指、第三関節からテーザー弾が射出された。皮手袋を突き破って、銃弾は吸い込まれるように女の眉間へ。
着弾。銃弾は女の全身に電気ショックを与える。テーザー弾は、非致死性の弾丸だ。弾着後、対象者に電流を流し、行動不能に陥らせる。わたしはこれを常に護身用として左腕に装填している。
まもなく、女が市場の中央に倒れ込むことによって、この騒ぎは解決した。
*
しかし、わたしのほうでは、また新たな問題が発生していた。
破けた手袋を隠すため、革ジャンのポケットに左手を突っ込むと、わたしは一目散にクルマへ戻ろうとした。しかしそのとき、振り向いた先、ニナがわたしのほうを見ていたのだ。彼女は、ひどく虚ろな目をしていた。目には生気がなく、顔は白んでいる。いつものわんぱく少年のような快活さはない。
わたしは彼女の目を見たとき、やってしまったと思った。本当はもう少し事件現場の様子を少し見ていこうと思っていたのだが……ニナがこうなってしまっては、いったん事務所に戻るよりない。
わたしは右手でニナの腕を掴んだ。
「ニナ、聞こえてる?」
「……うん、だいじょうぶだよ、へジィ」
彼女の声から、いつもの快活さが消えている。
これが、彼女の持病……心的外傷後ストレス障害、あるいは『シェル・ショック』……。ニナは大丈夫だと言っているが、そんなはずはない。
わたしは彼女の手を引っ張ってクルマまで連れてくると、大急ぎでピルグリム・サーカスに戻った。




