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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
トゥルー・フェイス
14/67

気の抜けたビール

 今朝は、まるで気の抜けたビールのような朝だった。いつも曇り空のラリュングだが、今日はいつにも増して曇っていたように思う。現にわたしも起きるのが億劫で、カーテンを閉め切った寝室から出たくなかった。

 しかし、そんな気だるい朝でも、客人が来れば起きるしかない。

 わたしは昨晩、酒を飲み過ぎてへべれけになった自分を消し去るため、散らかった寝室を出てシャワーを浴びてから、客の応対をした。

 しかしその客人というのも、これまた面倒な連中だったのだ。


 一階の客間。カウンター前に置かれた一対のソファー。その間に置かれたコーヒーテーブルには、一杯のブラックコーヒー、それから三つのロイヤルミルクティーが置かれていた。わたしに紅茶の趣味はない。飲んでいるのは、客人のほうだった。

「ラリュングで女性の味方をしてくれる凄腕の探偵を紹介してほしいと頼みましたら、こちらのウェザフィールド事務所を薦められたので来ましたの。先日も失踪事件を一つ解決したとお聞きしましたわ」

 甲高い、高飛車な声。あからさまに作った声で、その女性は言った。

 いま、わたしに対面して座っている三人の女性。厚化粧で、シワやくすみを無理矢理に消している、五十代ぐらいの女性。それが三機編成の陸上部隊のように、わたしの前に並んでいる。その構図を見ただけで、わたしは彼女らを招き入れたことを後悔した。

 わたしには、自分の中で定めている三つのルールがある。その一つが、『原則として女性以外の依頼人とは会わない』、というものだ。時として例外的に男性客の話を聞く場合や、あるいは女性の依頼人と見せかけて、実際は男性にまつわる問題である時もあるが――実際、先日夫婦の痴話喧嘩に巻き込まれた時がそうだった――基本としては女性からの依頼しか受け付けない。

 だからはじめ、ニナが「お客様はマダムですよ」と言ったとき、わたしは快く引き受けようとした。しかし、もしニナが「ブロウトン地区の」と語頭につけていたら、そのまま追い返していただろう。

 ブロウトン地区。

 通称、ヒルズとも呼ばれるそこは、シティ・セントラル・サウスにある高級住宅街である。そこに住んでいるだけでセレブリティとしてはステータスであり、成金どもはこぞってヒルズに住みたがる。つまり、金持ちの巣窟だ。

 金持ちは好きだ。彼らは何ら文句なしに報酬を支払ってくれる。だが、それと一緒に、金持ち特有の高慢な態度を示してくる。もしもそれがなければ、わたしは嫌な顔一つせず仕事を引き受けるだろう。わたしにとっては、金よりも気分のほうが重要な問題だ。

 しかし、目の前にいるマダム三人は、どうにもわたしが気に入るような人種ではなかった。


 わたしはテーブルに置かれたコーヒーを取り、眠気覚ましにそれを口に含みながら話を聞いていた。対岸から香ってくる三種の香水のにおいが混ざり合って、わたしの味覚は滅茶苦茶にされていた。

「ここ二、三週間ぐらい前のことです。ヒルズ周辺ですごい騒音さわぎがあったんです。はじめはわたくしたちも、誰かが新しいクルマでも買ってはしゃいでいるんだろうと思いましたの。でも、一週間経っても、夜更けになるといっつも、まるでレーシングマシンでも飛んできたような音がするんです。毎晩ですよ? ですからわたくしたち、そのクルマの持ち主を探して、ちょっと注意してやろうと思ったんです」

「それで、注意はできたんですか?」

「残念ながら。クルマの持ち主がさっぱりなんです。ある晩、わたくしたちは通りで騒音の主を待ちかまえてました。すると車両の大群が、ものすごいライトを焚き付けながら、わたくしたちの目の前を通り過ぎてったんです。すごいスピードでしたわ。しかも光が強烈で、ナンバープレートはおろか、車体まではっきり見えなかったんです」

「まさか」

 わたしはコーヒーを飲み干し、言った。口の中が苦さと香水の甘さとで気持ちが悪い。

「本当ですわ」と隣に控えていたエメラルドグリーンのシャツを着たマダムが。「そのあとも何度か試して見たんですが、結局同じ。警察にも通報したんですが、いまは巨大兵器騒ぎで人員を割けないと。ヒルズが危機に陥っているのにですよ?」

 彼女はヒステリックに声を上げた。

 だからわたしは、彼女らの相手をしたくなかった。こういう手合いは、往々にして自らの利害しか眼中にない。ブロクスタインの貧困層が霧の向こうの殺戮兵器に虐殺されようがどうだっていいのだ。何せ彼女らは街の中央、霧からもっとも離れたブロウトン・ヒルズに住んでいるのだから。

 わたしはコーヒーカップをなで回しつつ、静かに答えた。

「警察が人員を割けないのは仕方ありません。霧の向こうの兵器は、ラリュングにとって最大の脅威とも言える存在ですから」

「だからといって、ブロウトンがブロクスタインのゴロツキどもに荒らされるのを、黙ってみてろと言うんですの?」

「犯人がブロクスタインのゴロツキだと、いつ分かったんです?」

 こういう手合いは、自分より下の位の人間に対しては極度の偏見持ちだ。そう決まっている。だから、嫌いだ。

「いいえ、犯人はゴロツキどもに決まってますわ。おかげで子供たちにまで、最近悪い影響があるんですから」

「悪い影響とは?」

「そのクルマの持ち主が、どうやら子供たちを夜中連れ回しているらしいんです。初めはワルガキのお戯れだと思ってたんですが……お恥ずかしながら、うちの娘まで夜遊びをするようになって」

「なるほど。どうやらお子さんを呼び込んで、夜のヒルズを爆走していると」

「そうです! これ以上子供に悪影響を及ぼすようなこと、許せませんわ!」

 マダムはハンカチーフでも噛みちぎるような勢いで言った。ヒステリックなことこの上ない。

 しかし、彼女の言った話で、わたしの心境に変化が訪れたことは幸いだろう。マダムのお戯れに付き合うつもりはないが、子供たちが絡んでくると別だ。この事件は、わたしの琴線に触れそうだ。

「わかりました。……調査料は、一日あたり九〇パウンド。それ以上は取りません。九〇パウンドで、わたしはしかるべき調査をいたします。それでいいですか?」

「ええ、構いませんわ。よろしくお願いできる?」

 高飛車な厚化粧顔が、怒りから安堵に変わる。

 そうと決まれば、わたしは彼女らを家から追い出した。厚顔無恥なセレブリティは、好きではない。


     *


 マダムたちの言うとおり、確かにブロウトン・ヒルズでは、ここ最近騒音さわぎがあったらしい。デジタルライブラリーでここ数日間の警察への被害届を検索。見てみれば、確かにブロウトンからの被害届があった。

 被害届の内容は実に簡単だ。夜中に暴走族じみた騒音を起こす不届き者がいる。警察から注意をしていただきたい……と。そのような内容だ。

 大した問題ではあるまい。

 わたしは書棚に立体映像ホログラムの本を戻すと、深くため息をついた。

 わたしの見立てでは、おそらく金持ちどもに怨みを持つ貧困層が、復讐まがいの暴走行為をしている、といったところだ。たいしたことではない。ふつうなら、警察から厳重注意を喰らって終わりだ。しかし問題は、その犯人が子供を巻き込んでいるというところだろう。

 わたしは書棚の合間を出て、応接間を出た。そして螺旋階段をのぼってリビングへ。

 リビングでは、ニナが掃除を続けていた。小さな体でぐっと背伸びをして、ハタキでホコリをとっている。燕尾服でピョコピョコと部屋を飛び跳ねる姿は、いつ見ても愛らしい。

「あ、へジィ。お客様ならさっき帰したよ」

「そう、ありがとう」

「なんか、イヤな感じの人たちだったねぇ……。わたしのこと、かわいい男の子とか言ってたし」

「燕尾服を着せてるから、そりゃ仕方ないわよ」

 わたしは静かに笑って、キッチンカウンターに向かった。それから冷蔵庫を開き、オレンジジュースを一杯いただいた。飲み干したグラスは、カウンターに置いておく。どうせニナが片づけてくれる。

「さてと。じゃあニナ、わたしは調査に出かけるわ」

「うん。上着ならいつものコートかけにあるから」

「ありがと、愛してるわ」

 ニナに向かって感謝のウィンク。

 わたしは螺旋階段を下りて玄関へ。靴箱の隣にある外套かけから革ジャンを取り、外へ出た。調査開始だ。


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