霧は色濃く立ち込める (2)
霧とは、一種の箱である。
深い霧に包まれたモノを、観測者は認めることが出来ない。霧の向こうに何があるのか。あるいは何もないのか。それを判断できるのは、霧が晴れたらの話。霧という箱が開け放たれた、そのときに限られる。
霧は一種の別次元を作り出す。その向こうにある空間とは、『わたし』が観測できない『それ』である。であるから、霧が晴れた先で猫が生きていようが、死んでいようが、それは観測するまでは、どちらも存在しているといえるのだ。
つまり、霧とはそういうものなのだ。
霧とは、一瞬の物質転送装置。空間を湾曲させ、複数の次元空間を同時に発生させるツール。わたしは、霧がそのようなものであると知っている。なぜ知っているのかと問われれば、わたしには答えることが出来ない。その答えは、わたし自身がはるか昔、遠い霧の彼方に葬ってしまったから。
霧の中より現れた巨人。それは、あばら屋を壊しながら農村地帯を進み始めた。
わたしはクルマに飛び乗ると、巨人から少しだけ距離をとって追跡を始めた。
警察がすでに配備され、救急車もまた現場に到着していたことだけが不幸中の幸いだろう。傷ついた老婆もおそらく生き残れる。
だが、問題はこれから先だ。
『殺人本能』――それは、前世紀の大戦中、世界各地に配備された無人兵器に埋め込まれた『意識』とも呼ぶべきものの一つだ。人類は、兵器に『殺人衝動』を刷り込むことで、より完璧な大量殺戮兵器を作り上げた。それらは多大な戦果をあげ、そしていまの人類はその代償を支払っている。
そんな殺人欲求に駆られた機械人形。霧にやられて壊れかけていたそれを、緑川シゲルが復元したらしい。それも、娘の姿に似せて。それがことの真相だったのだろう。すべては、殺人本能に駆られた機械人形が起こしたのだ。ラリュングでは、よくある話だ。
わたしはアクセルを踏みつけ、警察車両よりも前へ出た。そして、巨人の後ろへとつく。
身の丈一〇メートルはあろう巨人は、ゆっくりと二本脚を動かし、ブロクスタイン・セントラルへと向かっていた。彼女――アオイの目的は、虐殺だ。
わたしはカーステレオの周波数を変えた。ふだんのラリュングFMではなく、警察無線の周波数へ。すぐに騒がしいラリュング市警察の怒声が聞こえてきた。
「ブロクスタイン・ノースで霧発生! フォグがセントラルへ向かっている! セントラル・オフィス、応答を!」
「こちらセントラル。そちらの所属を述べよ。事態を詳細に報告しなさい」
「こちらはブロクスタイン三七分署、四号車。ガーランド巡査部長です。巨大なフォグがそっちへ向かってる!」
「霧だって?」
「巨人兵器だ!」
フォグ。
前世紀の大戦の遺物。特に巨大な兵器をそのように呼ぶ。愛称の一つだ。現場の人間には通じる符号だが、上層部に通じるはずがない。彼らは、霧の向こうからやってくる機械など見たことがないのだから。書類でしか見た試しがないのだ。
警察は相変わらず無能だ。
わたしは無線を聞き流しながら、通話をかけた。
左腕にはめた腕時計型端末。鋼鉄の腕となじむそれに、わたしは音声認識で通話を命じた。
「マリー・ライアルにつなげて」
二、三回のコール音を経て、マリーが出た。
「何ですか、ウェザフィールドさん。やっと情報をくれるんですか?」
「そのとおり。念願の情報交換タイム。耳かっぽじってよく聞きなさい」
「わかりました。……ていうか、なんかうるさくないですか」
「クルマからかけてるの。あと、警察無線を聞いている」
マリーは、「どおりで」とつぶやいた。そしてノートをめくるような音も聞こえた。メモ帳を開いて、ペンを構えているのだろう。
「ブロクスタイン・ノースにフォグが現れた。やつはいま、中央街に向かっている。軍警察はこれから出動するみたいだけど、もしもフォグと接触するなら中央街のすこし手前と言ったところでしょうね」
「フォグって、またそんなものが……。中央の手前っていうと、エガートン・コーディアルとかそのあたりですかね」
「そうね。エガートンにはだだっ広い採石場があるから、軍は民間人に被害を出さないようにそこへおびき出すんじゃないかしら」
「わかりました。それじゃあ、グローブの取材班はエガートンに向かいます」
「わかった。これで取引は成立ね。いつも良い取引で助かるわ」
「そっちはもう少し常識ある取引をしてください。……明日のグローブ紙の一面、楽しみにしてくださいよ」
「そうね、そうするわ」
わたしは巨人のケツを追いかけながら、自慢げなマリーに適当な相づちを打った。
それから、わたしは思い出したように言った。
「そうだ、一つ言い忘れてた。もしかしたら『赤錆色の霧』も現れるかも」
「赤錆色の霧って……あの……?」
「そう。まだ憶測だけどね。でも、やつなら来るかもしれない。とりあえず私から伝えられるネタはそれだけよ。じゃあ、また」
わたしは端末に命じて通話を切る。
それから、今度は自宅兼事務所に電話した。まもなく、ニナが電話に出た。
「はい、こちらウェザフィールド探偵事務所です」
「ニナ? わたしよ」
「なんだぁヘジィか。驚かさないでよ。何か用?」
「霧の女皇はいつでも出せるかしら?」
「へジィのほうから信号さえ出してもらえれば、いつでもいけるよ」
「ありがとう。愛してるわ」
通話を切る。
用意は整った。わたしには、これからやるべきことがある。
視界の先には巨人。そしてその奥には、エガートン・コーディアルの採石場が見えていた。




