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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
ブルー・マンデー
10/67

霧は色濃く立ち込める (1)

 朝方のラッシュアワー。しかし街外れの農村地帯に行くわたしにすれば関係のない話だった。クルマの群れは、すべてシティ・セントラルへ続いている。わたしは小さな反抗者だ。

 三十分ほど走らせて、わたしは農村地帯にたどり着いた。フリーウェイを降りると、もうそこには緑が広がるばかりだった。

 ナンバープレートの検索が正確ならば、アオイが乗り捨てたであろう車は、この農園の中にあるはずだ。田園へと続く幹線道路を最後に、監視カメラはナンバー情報を捉えていない。

 わたしはまず比較的大きな道から捜索を始めた。周囲に停められたクルマを逐一確認し、それが黒のセダンであるか。あるいは、ナンバーだけ変えられたほかのクルマであるのか確認をした。

 しばらく麦畑を回っていたところで、わたしは問題のクルマを見つけだした。黒のセダン。それが、あばら屋の前に停められていた。

 わたしはブリストンをその横に停めて、車内を確認した。

 セダンの中には、やはりもみ合いになった形跡はなかった。事件現場と同じだ。革のシートは黒光りしたままだし、シートベルトも丁寧にしまわれている。まるで何事もなかったかのようだ。

 やはり変だ。

 違和感を覚えたわたしは、次にあばら屋の方へと目を移した。

 腐りかけた木の壁に、トタン屋根。強い風が吹けば崩れてしまいそうな小屋。おそらく農機具がしまわれているのだろう。

 わたしは土地の所有者に断りを入れることもなく、そのあばら屋へと向かった。


 立て付けの悪い扉を開いて、わたしはあばら屋の中に入った。

 あばら屋の内には窓もなく、壁の隙間から木漏れ日のように日が射し込むのみだ。ほぼ暗闇をいって差し支えない。

 わたしは手探りで照明のスイッチを探し、何とかそれを見つけた。雷でも落ちたかのような痛烈な音の後、明かりが灯った。そして隠されていたものが明るみになった。

 あばら屋の中央。ホコリをかぶり、カビ臭い床の上にパイプイスが一つ。そこに一人の老婆が座らされ、そのうえ両手両足をロープで固定されていた。口元にはタオルを咥えさせられ、声を出すことも舌を噛むことも出来なくなっている。

 その老婆は、蒼井ミズキの祖母だった。つまり、電話を受け失踪したあの祖母だ。

 わたしは彼女に縛り付けられた縄を解いた。

「大丈夫ですか。ミズ蒼井?」

 彼女はむせかえりながら、何とか息を整えようとする。わたしも彼女の背中をさすってやった。

 しかし、老婆は息を吹き返すと、とたんに声を荒げたのだ。

「あんた、いますぐここから逃げるんだよ!」

「落ち着いてください。わたしはウェザフィールド、お孫さんのご依頼であなたを探してきました。救急車を呼びますので、もうしばらくの辛抱です」

「それどころじゃない! 軍警察を呼んでくれ! あいつは……あのアオイってバケモノは、わたしらの手に負えるもんじゃないんだ!」

 彼女が声を振り絞って叫んだ、そのときだ。

 カタン、と甲高い音がした。

 わたしは老婆を背後に隠れさせ、音のするほうを振り向いた。

 そこにはアオイそっくりの少女がいた。蒼井ミナ。わたしが一ヶ月前に出会った彼女そっくりの女。しかしよく見れば、アオイよりも少し幼げな印象を受ける。大きな瞳と長いまつげ。そして薄桃色をした柔らかな唇。彼女の容姿は、確かにアオイだ。だが――

「逃げろ! これは緑川の――あのマヌケなムコが作ったバケモノだ! ミナなんかじゃない!」

 老婆がヒステリックに叫ぶ。

 すると同時、遠方からパトカーが奏でるサイレンの音が聞こえてきた。いつもは出遅れるくせに、こういうときばかりは良いタイミングで来る。

「ミズ蒼井、わたしが合図をしたら、すぐにこのあばら屋を出て、走って逃げてください。もうすぐラリュング市警察が来るはずです。事情を説明すれば、あなたを保護してくれます。いいですね?」

「あんたはどうするんだい? あんた、何者だい?」

「わたしは探偵です。お孫さんからの依頼であなたの捜索、並びに蒼井ミナの捜索を請け負いました。……彼女とはわたしが話をつけます。ですから、あなたは逃げてください」

「あいつはミナじゃない!」

「知っています。……大丈夫です、わたしに任せてください」

 わたしはうなずき、彼女の目を見つめた。

 老婆はためらいの表情を見せたが、しかし眼前の脅威を前にしてはどうしようもなかったのだろう。

 アオイそっくりの女。彼女は上着のポケットからナイフを取り出した。鋭利なカランビット・ナイフ。黒光りする刃が、わたしに狙いを定めた。

「……逃げてください!」

 わたしは叫んだ。

 刹那、アオイが姿勢を低く落とし、タックルのようにわたしに飛び込んできた。

 同時に老婆が力一杯走り始める。火事場の馬鹿力だろうか。足腰の弱くなった年寄りは、陸上選手もびっくりの速度で駆けていった。警察が待つ、サイレンの音のほうへ。

 わたしには、そんな老婆を守る使命があった。依頼人にとって大切な肉親だ。傷つけるわけにはいかない。

 左腕を構えた。革手袋をした左手。握りこぶしを作ると、それをナイフの軌道にあわせ、叩きつけるように振り下ろす。

 アオイ、低い姿勢から切り上げのモーションへ。わたしの打撃と同じタイミングで攻撃に入る。

 まもなく、二つの攻撃が互いに接触。その威力を相殺した。

 カランビットの刃がわたしの手袋を切り裂く。そしてなおも肉の間へと入っていこうとした。だが、ナイフがそれ以上わたしを切り裂くことはなかった。

 アオイはわたしの手を見て嗤った。

「その手……義手なのね……?」

 優しく相手を舐めるような彼女の声色。その一言一言のアクセントまでもが完璧にアオイだったので、わたしは驚かずにはいられなかった。ドッペルゲンガーを見たときのような、得も言われぬ悪寒。それが再び私を襲った。

 わたしはナイフを左手で掴み、押し返そうとした。カランビットが掌の肉を切り裂くことはない。わたしの手は、『鋼』で出来ているからだ。

「そう言うあなたも、わたしの打撃を食らっても平然としてられる……。人間じゃないんでしょう? だから大の男だって余裕で殺すことができた」

「さすがにバレていたみたいね」

「そりゃあね。……あなたは、蒼井――いや、緑川博士が造った人造人間ヒューマノイド。霧の外の技術で造られたアンドロイド……違うかしら?」

「そんなことは知らない。……アタシは、殺すために生まれた。それだけのためにここにいる」

「でしょうね。あなたは霧の向こうの木偶人形なんだから……!」

 わたしは左腕に力を込めた。

 最大出力。義手にかかる腕力を、フルスロットルでぶつける。拳の中で、鋼と鋼がぶつかり合い、火花を散らし、爆ぜた。

 わたしは力任せに彼女を吹き飛ばす。

 彼女はホコリまみれの床を滑り、後退。爪で床を掻いて減速。わたしの顔を忌々しげに見上げた。

「……アナタ、何者……?」

「へイズル・ウェザフィールド。探偵よ。……そういうあなたは誰なのかしらね」

「……AOX-1、ヒューマノイド。反統合軍の自動殺戮兵器」

「機械にしろ人間にしろ、正直者は好きよ、わたし。……さしずめ霧に漂着した壊れかけの機械ってとこかしら。それを緑川が修復した。それも娘に似せて。……違う?」

「……正解。まさかここまで知られてるなんて。」

「わたしの仕事は、まさに隠された事実を詳らかにすることだからね。……この際話したらどう、あなたの目的はなに?」

「……アタシの目的は虐殺。アタシの使命は、反統合軍の兵士以外を皆殺しにすること。……だからもう、何を話してもどうでもよくなった。殺せばいいんだもの」

「なるほど。でも残念だけどね、AOX-1、あなたが参加していた戦争はもう終わったのよ。ここはラリュング。戦争を逃れた者たちが集う掃き溜め。あなたが来る場所じゃない」

「作戦終了コードは出ていない!」

「そうね、だって反統合軍は負けたもの。あなたの戦争シゴトは終わったのよ、おばかさん」

「うるさい! アタシの殺害命令コードはまだ終わってないの! アタシの欲求は殺人。プログラムコードは虐殺。アタシは、殺すことが存在意義なのよ!」

 彼女は激昂していた。機械人形には珍しい。いや、だからこそだろうか。

 人間なら腹の中で思っていることを吐露しない。だが、彼女らは別なのだろう。彼女が与えられた使命、プログラムコード、それを出力するプロセス……。機械人形はそれをベラベラとまくし立てる。緑川でも、彼女の根幹に根ざされた『殺意』を消すことは出来なかったのだろう。

 ……だから、彼女は危険なのだ。

 霧の向こうからやってきた機械人形。それが両手を高く上にあげると、突然、小屋の中が霧が現れた。沸騰したヤカンが蒸気を噴き上げるように。彼女の両腕に霧が現れ、滞留、周囲に拡散を始めた。

 視界が白く濁る。まっ白い霧が、小屋を満たしていく。

 私は顔を鋼鉄の腕で覆った。霧が顔に当たるのを防ぐために。

 それからまもなく、小屋に満たされていた霧は、風とともに出入口から抜けていった。いや、それだけではない。天井からも抜けていく。

 天井に大穴が穿たれていた。何者かが天に文字通りの風穴を開けたのだ。

 わたしは思わず天を見上げた。天井に開いた巨大な風穴は、わたしにラリュングの空を見せてくれた。

 相変わらずの曇り空。雲が大きな陰を落とすこの大地に、それは立ち尽くしていた。

 霧が晴れた小屋の中。そこにいたのは、屋根を突き破る巨人。霧の中から現れたのは、真っ青な装甲を身にまとった、身の丈一〇メートルはあろう巨大人型兵器だった。そして、アオイのドッペルゲンガーは、その巨人の胸元に埋め込まれていた。さながら、生け贄となった憐れな少女のように。


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