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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
ブルー・マンデー
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ブラック・プディング

 月曜日ほど忌々しい曜日がこの世には存在するだろうか。少なくともわたしの経験で言えば、悪いことが起きるのは決まって月曜日だ。そして、例に漏れず今週の月曜日もイヤなことから始まった。わたしは、真っ昼間から変死体を見るハメになったのだ。それも、知り合いの死体だ。

 こぢんまりとしたアパートメント、その二階。入り口をテープで囲われた室内に、わたしはいた。

 いま、わたしの目の前にあるのは赤く染め上げられた青のドレスだ。ドレスは、着ていた人間がそのまま消えてしまったかのように落ちている。血の海の中を泳ぐ熱帯魚のようだ。

 そして問題のドレスの似合う美人はどこへ行ったかと言えば、もはや人とは呼べない姿になって隣に並んでいる。

 板張りの床に置かれた、赤い風船。それが彼女だ。道化師が扱う長い風船のような物体に、彼女だったものは変貌していた。いまの彼女は、言うなれば血の腸詰め(ブラック・プディング)。血液と粉末状に砕かれた肉体を、彼女自身の腸に詰めてある。なんとも悪趣味な殺し方だった。

「ガイシャの本名は不明。源氏名としてアオイという名前を使っていた模様。半年前にコンウェイ・ファミリーがらみの売春斡旋人と契約したとのことです」

 わたしのうしろ側で若い警官が情報を読み上げた。気づけば部屋の中は、青い制服を着た警官達でごった返している。

 わたしは彼らの上司とは旧知の仲だったので、その場を動かなかった。殺しが行われた小さなアパートメント。そのベッドサイドから。

「いい加減、金にもならない事件に首を突っ込むのはやめたらどうなの、ヘイズル?」

 と、奥からやってきた女性がわたしに言った。問題の上司がその女だった。

 わたしは彼女の亡骸から目を移し、振り返って女を見た。アジア系のショートカット。見かけ五十代ぐらいの、シワの寄った顔が特徴的な女性。彼女の名前はリリアン・リュウ。わたしとはそこそこ長いつきあいだ。

「リリー、今回の件はわたしが首を突っ込むに正当な理由がある。彼女――アオイは、三週間前わたしに調査の依頼をしてきた。正当な顧客クライアントなの。たとえギャングお抱えの娼婦であろうとね。彼女はストーカー被害にあっていた。そして、その途中でこの事件が起きた。……わかるでしょ?」

「わからないわ。依頼人が死んだんでしょう? 残念ね、それじゃ報酬は貰えそうにないわね」

 リリーは私を横切って、アオイの死体に対面した。手袋をはめてから、彼女は死体の周りを注意深く見回す。

「ここから先は警察の仕事よ、赤錆」

 リリーが引き連れてきた鑑識班を部屋に招き入れる。

 『赤錆』とは、わたしの蔑称だ。わたしの赤錆色の髪のことをさして、警察はそう呼ぶのだ。一種のコードネームのようなものだと思えばいい。

「あなたが出る幕じゃないわ。探偵許可証があってもね、それは『事件をひっかき回して警察の捜査を妨害していい』って許可証じゃないの」

「それはどうかしら」わたしは嫌みっぽく言う彼女に口を尖らせる。「アオイとの契約は今でも有効のはず。わたしは、彼女のストーカーを追うわ。それなら文句は付けられないでしょう?」

「道楽探偵が。勝手にしなさい」

 リリーはそういうと、ため息混じりに捜査を再開した。

 一方のわたしは、事件現場をこの目に焼き付けると、部屋を出ていった。わたしが捜査すべき線は、いくらでもあるからだ。


 わたしはそれから、愛車である赤のクラシック・スポーツカーに乗って現場を後にした。流線型のボディをしたブリストン・ブレニムS800。彼女はいつも心地よいエキゾーストノートを響かせてくれる。

 クルマを出すと、わたしはすぐにラジオの電源を入れた。それがいつもの習慣で、聴くのは決まってラリュングFMと決めていた。

「おはようございます。お聞きのチャンネルはラリュングFM。現在時刻は午前十一時を過ぎたところ。この時間のお相手はわたくし、トマス・エクルバーグです。さて、今日のラリュングも相変わらずの曇り空ですねぇ。気温は――」

 平日のこの時間にラジオをつけると、わたしのカーステレオは決まってトマスの声を鳴らした。彼の低く聞き取りやすい声は、淀んだ空をした朝にはちょうどいい。

 曇った空。そして、薄汚れたビル。背の低いコンクリートがいくつも並んでいる。どこもかしこも薄もやがかった街。それがここ〈ラリュング・シティ〉だ。

 この街は、常に四方を霧に囲まれてる。霧とは、自然が生み出した一種の盾。それが街の周囲に展開しているおかげで、ラリュングの人間が命の危険に脅かされることはない。

 この街は、五十年以上前に終結したという第三次世界大戦、その難民たちの街だ。

 戦争は、世界じゅうに無人の殺人兵器をばら撒いた。おかげで地球は安住の地ではなくなり、多くの人々は宇宙へと逃げていったという。無人兵器が活動停止年数になる、そのときまで……。ラリュングは、そんな宇宙に逃げられなかった貧乏人たちの街だ。霧のおかげで無人兵器が入り込まないこの土地は、やがて難民居住区となり。そしていまや閉鎖的な都市を作り出した。わたしが生まれる、はるか昔の話だ。

 わたしは、そんなラリュングで必要な仕事をしている。世間一般にそれを探偵といった。

 

 わたしは車を飛ばして、グリーンパークウェイからピルグリム・サーカスに入った。月曜の昼間ということもあってか、道はたいして混んでもいなかった。

 円形に広がるピルグリム・サーカスの道はいつも混雑している。歩道はビジネスマンで溢れかえり、路肩ではセレクトショップがショウウィンドウの中身を変えていた。ここは華やかなショッピング街だ。平日はそこそこだが、昨日――つまり日曜――なんて、この三倍近い人でごった返している。それぐらい騒がしい場所だ。

 ピルグリム・サーカスにはこんな逸話もある。放浪者ピルグリムといえども、ここでは必ず旧友と出会う……。それぐらい多くの人が集まる場所なのだ。

 わたしの探偵事務所兼自宅は、そんなピルグリム・サーカス・ステイションからほど近いセイヴィル・ストリートにあった。セイヴィル・ストリート、9ー14。そこがわたしの事務所だ。

 わたしは円形に広がる交差点ラウンドアバウトを抜けると、脇道に入っていった。そして裏路地に入ってすぐの屋敷に車を入れる。

 ガレージへと続くシャッターが自動的に開いて、わたしを歓迎してくれた。主人の帰宅だ。

 車を車庫に入れて、わたしは二階のリビングへ。いまのわたしには、コーヒーが必要だった。とても強いブラックコーヒーが。

 たとえ死体を見慣れているわたしでも、女の腸詰めを見たのは初めてだ。まるでそこにあったまま放置された青のドレスに、人間の死体の腸詰め。真っ赤なチューブが床に転がって、芋虫がごとく弧を描く姿は、思い出しただけでも吐き気を催す。

 考えただけで憎悪が増してきた。

 わたしは足早に階段を駆け上がり、リビングに急いだ。


 リビングに入ると、掃除機バキュームの音が聞こえてきた。わたしは耳障りなその音をかき消すような勢いで、強くドアを開け放った。

 掃除機を使っていたのは、この家の使用人メイドをしている少女、ニナだ。燕尾服姿の彼女は、カーペットの上で何度も行ったり来たりを繰り返していた。

「あ、おかえりなさい、へジィ」

「ただいま、ニナ。コーヒーを一杯もらえる? ブラックで、とても強いやつ」

「はーい、了解です」

 彼女は快活に答えると、掃除機から手を離して、キッチンカウンターのほうへ向かった。

 ブロンドのショートヘアを揺らしながらコーヒーを淹れるニナ。黒の燕尾服は、わたしが彼女にプレゼントしたものだった。

「へジィが帰宅早々コーヒーを頼むなんて、珍しいね」

「わたしだって、そういう日ぐらいあるわよ」

 わたしは着ていた革ジャンを脱ぐと、ネクタイを緩めてソファーに投げた。そしてわたしも革張りの寝椅子に腰を落ち着ける。吐き気と怒りを鎮めたかった。

「やっぱり今日が月曜日だから? へジィってば、いつも『月曜日ほど最悪な曜日はない。これは神が我々に与えた一つの試練かもしれない』とか言ってるし。……なにかあったの?」

「このあいだストーカーの件で依頼してきた娼婦の子がいたでしょう。彼女が殺されたのよ。それも、彼女自身の腸に、彼女の血肉を詰め込まれてね。……悪いけど、向こう一週間はソーセージ禁止にしてちょうだい」

「うげぇ……。もしかしてへジィ、吐いた?」

「吐きかけたけど。吐いてはいない」

 わたしは口元を押さえながら、ソファーに背を持たれかけた。実際、こうして口に出して目にした光景をまとめてみると、再びあの情景が脳裏に蘇ってくるものだ。

「はい、どうぞ」

 と、使用人にはあるまじき軽い口調とともに、ニナはわたしにマグカップをよこした。

 わたしは待ちに待ったプレゼントをもらう少年のように、そのコーヒーを受け取った。だが、熱い内には口にしなかった。

「あ、そうそう。ところでへジィ」とニナが再び掃除に戻りながら言った。「さっきお客さんが来てね、一階に通しておいたよ」

「ニナ、それをどうして先に言わないの?」

「いやぁ、ちょっと掃除に手間取ってて」

 彼女は金髪を揺らしながら、ごまかすように小首を傾げた。

 青い瞳に幼げな白い肌。贔屓目に見なくてもじゅうぶん美少女である彼女に微笑まれれば、わたしも許さざるを得なかった。


 わたしは螺旋階段を降りて、二階から一階に向かった。

 一階はわたしの探偵事務所になっている。ウェザフィールド探偵事務所。ヘイズル・ウェザフィールドというのが、私立探偵としてのわたしの名前だ。

 階段を下りると、そこは無数のブックシェルフが立ち並ぶ部屋がある。そこは応接間なのだが、応接間と呼ぶにはあまりにごみごみとしていた。

 わたしは階段を下る途中で、本棚の合間に一人の女性を認めた。小綺麗なビジネスルックの女性は、栗色の髪をハーフアップにしてまとめている。

 わたしはコホンと咳払いをしてから、

「お気づきですか? この家は、かつて図書館だったんです。ラリュング・シティができるずっと前の話。わたしたちの曾祖父の時代の話です。そこにあるの本棚は、その名残です」

 女性が振り返った。

 そしてそのとき、わたしは驚かずにはいられなかった。

 アジア系のオリエンタルな顔立ち。まつげは長く、黒い瞳がパチリと瞬きをした。整った彼女の顔は、そこらのモデルと並んでも遜色のない美貌を有している。息を飲むような美しさ、とでも言うべきだろう。

 しかし、わたしが驚いたのは、彼女の美貌ゆえにではない。もちろん美しいことは認めるが、その美しさをそっくりそのまま持つ人物をわたしは知っている。いや、「知っていた」と過去形で表現すべきかも知れない。

 いまわたしの目の前にいる女は、今朝がた死体で見つかった娼婦、アオイにそっくりだったのだ。


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