ピロートーク
破壊神ノン討伐祭とは、蛮族の神である破壊神ノンを貶めるために行われる祭である。
およそ十年前から執り行われ、三日間の続けられる祭りの最後には、爆破した破壊神神輿の周囲で輪になり踊り明かす。
何故こんな後ろ向きな祭りを行うのかは分かっていないが、ともかく住民はノン饅頭やノン飴を堪能し、祭りを大いに楽しむらしい。
という話を、勝八は娼館のベッドの上でマリエトルネから聞いた。
勿論、彼女とイチャイチャした後でのピロートークという訳ではない。
如何に若き情動を持て余した勝八でも、猫耳幼女は守備範囲外であった。
娼館の外観は勝八の予想を裏切り、普通の宿屋と変わらず。
内装に関しても、ベッドが部屋の七割を占めるダブルキングなサイズなのとクローゼットの中身を見なければ別段変わったところはなかった。
「アンタは怒らないんだね」
そのベッドに腰掛け足をプラプラさせながら、マリエトルネが横に座る勝八の顔を窺う。
彼女は勝八を蛮族だと思い込んでおり、彼らが信仰する緩を侮辱する祭りなど許せないだろうと考えているようだった。
「怒るってか……響きが面白すぎて」
それに対し、勝八は宙に視線をさまよわせながらそう答えた。
ノン神輿にノンまんじゅう。
人の幼馴染みに何をしやがるとは思うが、あの緩が祭り上げられ関連商品が作られているという事実が勝八をシリアスな気分にさせてくれない。
「相棒はそうじゃなかったみたいだけどね」
彼の事情を知らないマリエトルネは勝八を不思議そうに見てから、ため息を吐く。
破壊神ノン討伐祭の存在を知ったゾマは、ひどく憤慨した。
飛び出して自ら神輿を破壊しようとした彼女を宥めたのは勝八である。
神をまんじゅうにするなどけしからん!
彼女は憤っていたが、怒るポイントが若干ずれているのではと勝八は思います。
「治療って、結構かかるのか?」
そんな彼女も、今は別室で足の治療中である。
治療法はなんと魔法。
娼館には娼婦達用に治療魔法の使い手が控えており、何と魔法で避妊までしてくれるそうだ。
避妊魔法などという中二心の欠片もないものを緩が創造したとは思えないので、恐らく魔法も神の手を離れ独自の進化を遂げているのだろう。
ヘタに緩経由で魔法を覚えていたら、サービス開始当初のソシャゲカードが如くインフレについていけなくなっていたかもしれない。
「足はそうでもないけど、縄痕はちょっとかかるかもね」
考える勝八に対し、足の振りを片方ずつから両足揃えに切り替えたマリエトルネがそう答える。
勝八が今こうして見た目幼女と一緒におるすばんをしているのは、これが原因であった。
つまり当初は足首だけを直してもらうはずだったゾマが、ついでに縛られた際体についた縄の痕まで魔法で治療してもらうことになったからだ。
「魔法見たかったなー。ていうか見たいなー」
マリエトルネの横で同じリズムで足を揺らしながら、勝八は母親にねだる子供のようにごねる。
「アンタが見たいのは服の下の縄痕だろ」
が、小さな母親マリ姐は取り合わない。
ゾマの体についた縄の痕に目をつけた娼婦達は、自らの経験からこういった痕は最悪内出血で一生残ってしまうこともあると説明した。
その為渋るゾマをこれまた勝八が説得し、そちらも治してもらうことにしたのだ。
「神の使い」たる勝八の命令に、彼女は逆らえないようだった。
ただし彼に対して服の下をさらすことには抵抗があるようで、勝八は部屋から追い出されてしまった。
治療魔法の使い手も女性だったので、その辺りは安心だ。
……本気で頼めば、セクシーポーズぐらいは取ってくれるのではないだろうか。
勝八が悶々としていると。
「収まりがつかないなら、アタシが相手してやろうか?」
不意にそんな呟きが耳に入った。
驚いて隣に座る幼女に目をやると、彼女は猫科の肉食獣のような笑みを浮かべている。
「いや、守備範囲外ですし」
彼女は見かけ通りの年齢ではない。
それには勝八も察しがついていた。
だが、突けばはじき返してきそうな皮膚は年齢を判然とさせず、勝八の倫理観に「ダメ、ゼッタイ」の警告を飛ばしてくる。
勝八がベッドの端へと尻を移動させていく勝八。
「いいじゃんいいじゃん。この機会に拡張しちゃいなよ」
そんな彼に、マリエトルネもまたじりじりと距離をつめてくる。
それは幼女方面へやり手ババア方面にか。
計りかねながら逃げるよう体を伸ばす勝八。
「お金とか持ってないですし」
「助けてもらった礼ってことでいいよ」
だが、マリエトルネはベッドの上でひらりと四足歩行に移行すると、尻尾を揺らして彼に迫る。
「ゾマの治療でチャラじゃね!?」
まるで雌豹の捕食のような仕草に裏返った声を上げる勝八だが、それに構わずマリエトルネは彼の裸の胸板へと手を伸ばした。
「いやー普通しないんだよ? お礼に体をーなんて噂になっちまうと商売道具が安く見られるからね」
胸板を小さな手がぺチペチと叩く。
ヘタに払いのけるとこの小さな体が吹っ飛んでしまいそうで、勝八は手が出せない。
「じゃ、じゃぁなんで」
「言わせる気かい?」
代わりに問いかけると、彼女は潤んだ瞳で勝八を見上げる。
その表情は保護欲をくすぐる童女のようであり、寂しさの募った未亡人のようであり、ともかく抱きしめるのが最適解なのではないかと彼に錯覚させる。
勝八のポリシーや倫理観やらがグラリと傾きかけたその時。
「たまには童貞食わないと乾いちまうからだよ゛ぉ゛ぉ!」
ぎぃしゃぁとマリエトルネの口が大きく開き、勝八へと圧し掛かる。
「ひぃぃぃ!」
あまりの迫力に、勝八は自身の屈強な体も忘れ乙女のような悲鳴を上げた。
性経験に関して否定するのも忘れるほどの勢いである。
思わず力任せに彼女を突き飛ばそうとしたその時。
『ちゃん……勝ちゃん』
勝八の脳に、彼を諭すような優しい声が聞こえた。
極限状態の時響いたその声に、勝八は意識を委ねる。
体が押し倒される感触がし、同時に勝八の視界が暗転。
そして――。
「……勝ちゃん?」
勝八が目を覚ますと、そこにはやはり緩の顔があった。
妙な既視感があるのは、先程帰還する間際にもゾマに迫られていたからだろう。
もしや女子に接触するたび、緩が引き戻しているのではなかろうか。
いや、ゾマが勝八へ寄ってきたのは神に会うという話をしてからだ。
そもそも緩は神であるのに異世界の様子が分からないわけだし。
「お婆ちゃんがご飯だって。……どうしたの?」
自らを落ち着かせるためそんな妄想をしている勝八に、緩が首を傾げる。
そういえば、そんな短い時間だけ異世界に潜るという約束であった。
だが、異世界での経過時間はゾマと出会ったときより大分長い。
おそらくこれも、緩が神として不器用なせいだろう。
「あぁ、いや……詳しいことは後で話す」
しかし、その話は後だ。
誤魔化して、勝八は体を起こした。
まさか猫耳年増幼女娼婦に襲われている最中だったとは言えないので、話題を整理する時間も欲しい。
「そっか。なら良いけど……」
言葉を濁す勝八に、緩は先程と反対方向へ首を傾げる。
とにかく二人は揃って階下に行き、緩の祖母が作った夕飯を味わった。
その後、「部屋の中で何をしていた」 という祖母の質問に対し勝八が盛大にむせて不審な目で見られた事もあり、その日の異世界探索はそれで終了となった。
◇◆◇◆◇
緩の家を出、隣を見ればすぐそこが勝八の家である。
両方窮屈な土地に立つ一軒家であり、道路を一本越えた先には畑が広がっているのだから何かしらの理不尽を感じる。
とはいえそこまで田舎という訳でもない。
マス目状に仕切られた区画の中に家が密集していたり、畑が敷き詰められていたり、コンビニが殺しあっていたり。
秩序があるのか無いのか分からない風に並んでいるのが、琵名市という町であった。
両親が帰ってこない日は件のコンビニで夕食を買って腹を満たすのが普段の勝八の生活だ。
だが、今日は珍しく雪代家でご馳走にありつけたので、その必要はない。
もう一度緩の部屋を振り返った勝八は、そのまま自らの家へと戻った。
「無事かなぁ。俺の貞操……」
それから風呂に入った勝八は、ベッドに寝転ぶと異世界にある自らのアバターを心配した。
異世界とこちらの世界での経過時間の差のせいか。
妙に体がふわふわしている。
異世界へ移動する際に、無防備な隙が出来ることは確認済みである。
ゾマの時は5秒だったが、場合によってはもっと長くなるかもしれない。
ついでにあの状態のマリエトルネならば5秒でイナフかもしれない。
アバターなのでどうなってもセーフかもしれないが、魂に取り返しのつかない傷がつく気がする。
勝八がそんなことを考えていると、ベッドに置いてある携帯電話がピロピロと鳴った。
確認してみると、緩からのメールである。
『今日あったこと』
そんな件名だったので、かの猫耳娼婦に関してどう説明すべきかと悩みながらメールを開く勝八。
だが、メールの内容は彼が予想していたものとは違った。
『今日は付き合ってくれてありがとう。勝ちゃんを巻き込むつもりはなかったのですが、どうしても手に負えなくなって勝ちゃんに頼ってしまいました』
それは謝罪である。
この時点で言い返したくなり、勝八は全て読まずに返信ボタンをタッチした。
「いきなり謝るな。ていうかもっと早く頼れ……と」
変換するのももどかしく、平仮名のまま送信する。
然る後続きを読んだ。
『もっと早く言えと思ったかもしれませんが、勝ちゃんに気味悪がられるのが怖くて言えませんでした』
すると、勝八のリアクションを読んだかのような緩の文面が続く。
先に返信してやったわ。何故か勝った気持ちになりながら、もう1通返信。
「気味悪くなんかないぞ。キレイな女の人がいっぱいいた、と」
フォローも完璧である。一部怖い猫耳幼女もいたがそれは伏せておく。
さて最初のメールの続きを読もうと思った勝八だが、その前に新しいメールが着信した。
『キレイな女の人って何?』
「うおっ」
シンプルな文面に何故か恐怖を感じ、勝八は声を上げた。
返信の早さといい一通目をスルーしていることといい、何かが緩の琴線に触れた気配がする。
「何か、怒って、いらっしゃいますか……と」
カーテンを開ければ話が出来る距離にいるのだ。
もはや直接会話したほうが良いのではと思いつつ、緩にお伺いを立てる勝八。
『ごめんね! 別に怒ってないよ! ただ何があったのか気になっただけ!』
すると、緩から先程より早い速度で返信が来た。
良かった。急にハイライトが消えた幼馴染みはいなかったんだ。
先ほど豹変する幼女を見たせいで、過敏になりすぎているのかもしれない。
安心しつつ、どう説明したものかと悩む勝八。
口頭での説明も得意ではないが、文章での説明となると彼は更に不得手になる。
文字を打つにもいちいち口に出さなければならないほどの不器用さである。
ついでに今回の話には、緩神輿や緩まんじゅうといった不可解なものまで登場するのだから混乱は必至である。
「ふくざつなはなしだから、明日の昼休みにでも話そう、と」
冷静で的確な判断力を発揮した勝八は、緩にそう提案することにした。
放課後に彼女の家へ行っても良いが、こういう話は先に済ませて異世界突入に集中したい。
密室で娼館だの貞操の危機だのを話すのも、少々気恥ずかしくあった。
屋上前の踊り場ででも話せば開放的な気分で説明できるだろう。
勝八はそう考えたのだ。
ただし彼は、開放的な場所でそんな話題をするリスクに一切考えが及んでいない。
むしろ良い思い付きだと自画自賛している勝八へ、緩からの返事が届いた。
『じゃぁ私、勝ちゃんの分もお弁当を作っていこうか? 晩御飯も余ってるし』
……まるで予測していなかった答えに、勝八は面食らう。
緩って料理はできるんだっけか。
思い出そうとし、勝八は天井を仰ぐ。
絵が壊滅的なのは知っている。
バレンタインのチョコは市販のを固め直しただけと言っていたが、結構美味かった記憶がある。
今日知ったが、異世界作りに関しては大分不器用なようだ。
つまり、ほぼ未知数ということである。
「楽しみにしてる、と」
どんなものが出てくるか。
そう思って、勝八は彼女に短い文を返した。
幼馴染みと言っても知らないことは沢山ある。
彼女が神様だというのもあくまでその一つであり、未知の冒険を勝八は今のところ楽しんでいる。
だから、彼女が気に病むことなど一つもないのだ。
返信してから、勝八は緩から届いた最初のメールを終わりまで読んだ。
『また迷惑をかけちゃうかもしれないけど、付き合ってくれると嬉しいです』
「任せとけっての」
こちらは返信はせずに呟いて、勝八は布団を被ると眠りに入ったのであった。




