新興宗教に迫る危機
そして、次の夜がやってきた。
「本当に効き目があるのか?」
「聖水の力を疑うのか!?」
「押すなよ狭いんだから」
ざわざわと周囲の男達が騒ぐ。
グリフォ地下遺跡は、酒臭い男達で鮨詰めとなっていた。
「凄いことになったな……」
祭壇の中央で、勝八は呟く。
男達は酔っぱらいにしては行儀良く、神官役の娼婦とはきちんと距離を取っている。
が、さすがにこれ以上増えるとどうなるか分からない。
それに――。
「王はいるのカ?」
水中から顔だけを出したゾマ。
カッパ状態の彼女も何とかしてやりたいが、一番大きな懸念は集った男達の中にいる。
「あぁ、最前列にいやがる」
ゼン――もといグリフォ王アゼータは、集ったおっさんの一番前にいた。
前回は遠巻きに見ていただけに、この変化は不気味である。
ゾマだけには、ゼンの正体を告げてある。
娼婦達には動揺が顔に出るといけないという理由で、その事は伏せていた。
自身にのみ秘密を打ち明けられたことに、ゾマは緊張しながら上機嫌のようだった。
「では、儀式を始める!」
不安要素は多いが、考えていても仕方がない。
というより考えるのめんどくさい。
いつも通り思考を放棄した勝八は、信者――もといドロシアのファン候補の男達に呼びかけた。
「さぁ、この中で神に祝福されたい奴ぁ名乗り出るが良い!」
ゾマのカンペが無くとも、教祖らしい口上だって述べられる。
「者は、ダ」
と思ったのだが、即座にゾマの訂正が入った。
仕事にプライドを持っているらしく、口調も鋭い。
勝八としては早く水の中から解放してやりたい一心なのだが、ゾマは役目が無くなるのは嫌らしい。
ままならないものだ。
考えながら、訂正するのもおかしいので名乗り出る人間を待つ勝八。
「どれ、では俺が試そう」
すると、やはりというか更に一歩前に出たのはゼンであった。
おめーがドコ怪我してんだよ昼間っから酒飲んでブラついてる不良王族が。
素でそう言いたくなる勝八だが、ぐっと堪えて他の候補者を待つ。
「お、おぉ、ワシもお願いします……」
すると、杖を支えにしながらプルプルと痙攣する老人も進み出た。
「あの、私も持病の発作が……ゴホッ」
更に彼を支えるようにして、妙齢の女性。
少し待ったが、他に治療を希望する人間はいないようだ。
「……良かろウ。では聖別されし水を持テ」
「良かろう! では聖別されし水を!」
ゾマのカンペを待って、勝八は高らかに宣言した。
手前に立つマリエトルネが泉から水を汲み取り、それに本物の神官であるニタルが浄化の魔法をかける。
儀式の様子――あるいは茶番を、水の精霊であるドロシアは泉の縁でビバノンと眺めていた。
彼女は置いておくとして、さて問題はこの後である。
可愛らしい幼女のフリでマリエトルネが「どなたから祝福いたしましょう?」と小首を傾げる。
一歩進み出たのはゼンであった。
「では……俺からいただこう」
マリエトルネの微笑みに惹かれたわけではあるまい。
あんなニッチな体型をしているくせに、背後の男達が幾人も鼻の下を伸ばしているのはさすがだが。
「はい、ではどうぞ」
勝八がそんなことを考えていると、マリエトルネはゼンへと桶を差し出す。
桶の大きさに若干戸惑いながら、それを受け取るゼン。
彼が桶を煽った隙に、勝八は一歩前へ進んだ。
癒しの至玉は、範囲に入った者を自動的に治してしまう。
なので、彼が自力で位置を調節するしかないのだ。
普段であれば水を飲む前や後の適当なタイミングで治療してしまう勝八。
だが、今回は慎重に治療のタイミングを合わせようとする。
グリフの王ともなれば、癒しの至玉の存在を知っていてもおかしくはない。
そんな進言が緩からあったためだ。
ゼンは治療の効果を確かめるため、事前にどこか怪我でもしてきているかもしれない。
なので彼に悟られないよう、勝八が足指を尺取り虫のように動かし前進していると――。
「……っアンタ!」
マリエトルネが突然、緊迫した声を出した。
なんだ? そう思う前に勝八の体が動く。。
折り畳まれていた勝八の指がバネのように弾かれ、彼の体は祭壇から跳躍した。
マリエトルネの声と勝八の動き、どちらが引き金だったのかは分からない。
ゼン――いや、その背後にいた老人の背筋が急に伸び上がり、その手にナイフが出現する。
「死ねっ!」
老人はそのままマリエトルネに突進。
その俊敏さは先程までの振動老人ではない。
だが大丈夫。飛び出しが早かったおかげでナイフを払って老人を叩きのめすぐらいの余裕はある。
素早くどんぶり勘定した勝八だが、その想定は脆く崩れた。
老人を支えていた女の方が力強く足を開くと、何やら呪文を唱え始めたのだ。
「いっ!?」
更に背後の異変に気づいたゼンが、何を思ったかマリエトルネを庇う姿勢を見せる。
それがまた、上手く勝八の着地を妨害する位置である。
何という傲慢さ。
完全に自分の立場を忘れた動きだ。
普通なら称えられるべき英雄的行動だが、今回にいたっては邪魔でしかない。
「んの!」
空中でゼンの襟首を掴んだ勝八は、その体をポイと後方へ投げた。
彼と入れ替わるように、中腰で着地。
ゼンが訳も分からないまま祭壇に落ちるのと同時に、爺のナイフが勝八へと迫る。
ナイフを払う余裕はない。
まぁ小振りの刃物程度どうとでもなる。
そんな油断が勝八にもあった。
「バカめ!」
だが、ナイフは体の前へ出した勝八の腕へとザクリと刺さる。
そして、その刃にはべっとりと紫色のゲルが塗られていた。
「ぐぁ!」
同時に無数の蟻が皮膚下に進入し肉を貪るような痛み。
「ペガサスの牙秘伝のドラゴンさえ殺す毒だ! 貴様の命は……!」
とりあえず相手が爺さんではないと気づいた勝八は、痛みを堪え勝ち誇る男を裏拳でぶん殴る。
男の体が壁にぶつかり、付け髭が取れた。
だがそれを確認している暇は無い。
勝八はすぐさま背後を向き、珍しく竦んでいるマリエトルネを突き飛ばす。
「にゃっ!」
猫らしい悲鳴を上げ、彼女は着水。
「れ・ば・ほ!」
背後から間抜けな声が響いたかと思えば、じゅぼっと空気が燃える音。
詠唱省略をされた魔法。
それによって生み出された炎の固まりが、勝八の体を直撃した。
「あっづぅ!」
魔法の類には、勝八の強靱な体も意味を為さない。
いや、普通は当たれば火傷で済まないほどの熱量を持つ魔法である。
意味がない訳ではない。
しかし、痛くない訳でもない。
背中に当たった炎は彼の肌を焼き肉を焦がし、そのまま燃え広がろうとする。
「カッパチ!」
水面からマリエトルネを抱えたゾマが手を伸ばす。
それに従って水に飛び込もうとした勝八だが、腕に刺さった短剣を見てぐっと堪える。
背面に炎を宿したまま、彼は魔法を放った女を睨みつけた。
同時に骨兜に装着された癒しの至玉が起動。
まばゆい光を放つ。
「うぅっ」
その閃光にか、勝八の気迫に圧されてか。
女が顔を歪め一歩下がる。
ほとんど同時に10歩の距離を一瞬で無にした勝八は、彼女の腹に拳を叩き込んだ。
すると「く」の時に折れた相手の頭からずるりとカツラが落ち、こちらも変装だと判明する。
相手が前のめりに倒れたのを確認し、勝八は自身の腕に刺さったナイフに手をかけた。
「……ぐ、ぬっ」
小学生の頃山遊びをしていたら、滑って木の枝が太股にグッサリ刺さったことがある。
あの時は勝手に引き抜いて大人達にしこたま怒られたが、今回はそうも言っていられまい。
覚悟を決め、勝八はナイフを引き抜く。
癒しの至玉のおかげか。
予想したよりも痛みは少なかった。
「ふぅ」
それから、やけに吹き出る額の汗を拭う。
直後――。
「何くつろいでんの!?」
彼の頭上から、たらいをひっくり返したような量の水が落ちてきた。
それにより、勝八の背中で燃えていた炎が消し止められる。
「うぶぶぶぶ」
首をぷるぷると振って水を落とし背後を見れば、ドロシアが半透明の顔を泣きそうに歪めていた。
「悪い。怖かったよな」
以前も目の前で戦闘を行ったが、ここまでバイオレンスなやりとりにはならなかった。
集まった酔っぱらい達が唖然としているのを良いことに、勝八はドロシアへと謝罪した。
「そうじゃないわよ! なんでさっさと水の中に入らなかったの!?」
しかし彼女の怒りの原因はそこにないらしい。
ドロシアが泉から上半身を持ち上げ、勝八を問いつめる。
「いや、だって超すごい毒とやらがくっついてたし。泉が汚染されたら嫌だろ」
言って、勝八は手の中のナイフを地面に突き刺した。
こんなもんどうやって持ち運んだのかとよく見ると、刀身の根本にしぼんだ皮袋が引っ付いている。
おそらく鞘からナイフを抜くと皮袋が破れ毒が滴る仕組みなのだろう。
「わ、私の為……?」
「んー、そういうことに……なるのか?」
勝八が納得していると、いつの間にかドロシアが瞳をウルウルとさせていた。
正直あの時は「水! 汚レル! ダメ!」ぐらいの蛮族的直感で動いたので、ドロシアの為とは言いづらい。
しかしその直感が働いた理由は、おそらく水の中にいる少女らだろう。
だから、ドロシアの為でも間違ってはいないはずだ。
「傷は大丈夫なのカ!?」
ゾマがバシャバシャと泳いでき、勝八の傷を心配する。
「あぁ。癒しの至玉でバッチリ」
彼女に笑ってみせ、傷口を確かめる勝八。
既に大した痛みもないし、毒で体調が思わしくないということもない。
が、腕には縦に裂けたナイフの傷が小さく残っていた。
「おんや?」
だというのに、至玉の光も既に収まっている。
兜から至玉を外しペシペシと叩いてみる勝八だが、癒しの至玉は切れかけの電球のような明滅を繰り返し、ついには完全に光を失った。
「げっ、壊れた」
叩いたのが良くなかったのか。
狼狽する勝八だが、精密機器でもあるまいしこの程度で壊れるとは考えづらい。
そう言えばキュール君が、癒しの至玉には残りエネルギーがあるようなことを言っていた覚えがある。
だからこそ勝八の火傷はゾマの薬で治療してもらったわけで……。
「ただの蓄積魔力切れだ。日が経てば周囲の魔力を吸収し元に戻る」
狼狽する勝八をなだめたのは、祭壇の中央で這いつくばっている男だった。
何故そんな場所でそんな姿勢なのかと言えば、勝八がぶん投げたせいである。
「ええと、コレのこと……知っていらっしゃる?」
そのバツの悪さもあり、そろそろと彼に尋ねる勝八。
すると男――ゼンはあぐらをかいて頷く。
「やはりそれはユニクールの国宝。癒しの至玉なのだな。昨日は半信半疑だったが」
勝八の問いに、ゼンはしかめっ面で答えた。
やはり彼は、ユニクールの国宝もその効果も承知していたらしい。
「カッパチ。つまりお前は聖水の効果だと謀って、実際にはそれで人々を治療していたわけだ」
ようするに、彼らの作戦などまるっとお見通しということである。
ついでに一応骨兜で顔を隠していた勝八の正体もだ。
話の流れは分からないものの、どうやら騙されていたらしいと感じ取った周囲の人々がざわつく。
「いや、騙してたわけじゃなくてこの玉もドロシア……水の精霊の力で」
弁解しようとする勝八だが、癒しの至玉がドロシアの元から持ち去られた経緯など上手く説明できない。
これではドロシアのファンを増やす目論見が達成できないどころか、マリエトルネや隊長にまで迷惑がかかる。
あわあわとする勝八。
そんな彼に、皆まで言うなとばかりにゼンは手の平を向けた。
「お前が人々から金銭を巻き上げる目的で宗教を立ち上げたわけではないことは、先程の動きで分かった」
「へっ?」
先程の暴力沙汰で、何が分かるというのか。
勝八が間抜け面をさらすと、それをニヤリと笑ってゼンは語った。
「自らより信者達を、そして泉を優先するお前の心意気は十分に伝わったぞ」
そうなの? と周囲を見ると、フードを被った娼婦達やずぶ濡れでデコを出したマリエトルネすら頷くのだから「そういうことになった」のだろう。
「ちこう寄れ」
当事者であるのに事態が飲み込めず勝八がボンヤリしていると、ゼンが彼をちょいちょいっと手招きした。
祭壇の周りにある泉をひょいと飛び越えた勝八は、ゼンの前へと降り立つ。
すると彼は、声を潜めてこう語った。
「我が名はグリフォ王アゼータ。ゼンとは世を忍ぶ仮の名だ」
「げぇ!?」
下品な声を出したのは、勝八ではなく彼に頭上を跨がれたマリエトルネであった。
帽子を取った彼女は、ピンと立った猫耳を震わせる。
「あまり驚かんな」
一方で勝八には、特に衝撃もない。
ゼンの正体は、緩から事前に聞いているのだ。
「あー、いや……ほら、色んな事があったから」
悪戯が不発に終わった小僧のような表情を見せるゼン。
彼に対し、勝八は適当な言葉で誤魔化す。
とはいえ勝八の脳はそもそも許容量が少ないので、頭がいっぱいいっぱいになっているのは本当だ。
勝八の言葉にゼンは「ふむ」と息を吐く。
「そなたらが何故このような活動をし、何故襲撃を受けたのかはおって聞こう」
それから王というか殿様然とした台詞を吐き、すっくと立ち上がった。
「皆の衆! 彼らの活動は真であり、彼らの神は確かに存在する! それはこのゼンさんが保証しよう!」
そうして、まるで自身が教祖かのように民衆へと呼びかける。
確かに勝八より余程威厳がある姿だが、遊び人ゼンさんが保証してくれたからと言ってなんだというのだ。
「おぉ、ゼンさんが言うなら間違いねえ」
「なんかおもしろいもんが見れたのはホントだしな!」
「おう、腰痛も治ったし!」
勝八はそう考えたのだが、先程までざわついていた男達はゼンの言葉で次々に宗旨替えをする。
「マジかよ……」
いくら何でも現金過ぎやしないだろうか。
いや、勇者が設定レベルで無条件に慕われるように、おそらくグリフ王たるアゼータの言葉には、勝八には分からない問答無用の説得力があるのだろう。
兎にも角も紆余曲折はあったしほとんど偶然だが、勝八はグリフ王の信頼を勝ち得たようだ。
「ま、いっか」
結果だけ見れば、当初の目論見通りである。
後で説明責任が発生することを考えると気が重いが、一応の成果は上々のはずだ。
……教団が乗っ取られたような匂いはするが。
別に、自分だって好きで教祖になった訳じゃねーし。
火傷の治りきらぬ勝八の背中へ、慰めるようにゾマが手を置いた。




