異世界での出会い
チチチチチ。
という種類も知れない鳥の声で勝八は目覚めた。
湿った土の匂い。そして、背の高い樹木の間から射す日光。
ゆっくりと体を起こした彼は、周囲を確認した。
そこには苔むした大地と、十メートル先も見えないほどに密集した木々。
どうやらここは、森の中のようだ。
正確には『異世界』の森の中である。
例の竜がいた場所に戻されるのではないか。
それを危惧していた勝八は、拍子抜けの息を吐いた。
それから、もう一つの問題について確かめる。
緩の話が正しいなら、勝八の体は元とは違うアバターとやらになっているはずであった。
脳は……こうして思考できているのだから問題ないはずだ。
そして体。筋力に全ポイントの半分を振ってもらったのでよほどムキムキになっているだろうと思いきや、そうでもない。
普段の勝八よりは幾分胸板が厚いが、筋肉を動かしても乳首が大胆に上下することも無い。
なんだ。力ってこの程度か。
ため息を吐いてから、勝八は自らが乳首丸出しであることに気づいた。
いや、乳首どころではない。
彼の体は一糸纏わぬ裸身であり、下半身すらもろ出しであった。
「ありゃ!?」
誰が見ているわけではないが、知恵の実をかじった人間の本能で慌てて股間を隠す勝八。
「緩の奴……服の設定忘れたな」
少し考えて、何故こんなことになったのかと思い当たった。
嫌がらせの類ではないはずだ。
もしも勝八の裸が見たいという性癖の発露であったのなら、異世界から戻った後存分に見せ付けてやらなければならない。
……もしや先程初めて異世界に行ったときも、自分は全裸だったのではなかろうか。
確かめるのは怖いので思い出すのはやめておき、勝八はともかく歩き出すことにした。
隠すから恥ずかしいのだと自分に言い聞かせ、股間から手を離すと方向も決めず進んでいく。
こけたりすれば大惨事だ。
慎重に進もうと決めた彼だったが、その歩調が段々と早まっていく。
「なんだ、これ……!」
理由はその身の軽さだ。
例えば日常で自転車に乗るとき、訳も無くペダルを「踏めている」感覚があるような。
もしくは先程まで腰の曲がった老人だった自分が、全盛期まで若返ったような爽快な気分だった。
「ひゃっはー! ほ、やっほぅおおおお!」
気づけば勝八は、獣じみた声を上げて全力疾走していた。
脳は快感物質で満たされ、代わりに理性やら知性やらが摩滅していく。
聳え立つ木々をすり抜け、飛び跳ねた先にあるツタを掴んでターザンもとい猿の如く空中ブランコ。
「うほほほほ!」
着地の勢いのまま、彼が四足走行へ移行しかけた時だった。
「正気に戻れ!」
――少女の声が、壊死しかけていた勝八の脳に届いた。
「え?」
あまりに的確な叱咤に、勝八は思わず首をめぐらせてしまう。
しかも折り悪く、足元は段差2メートルほどの崖であった。
結果、勢いを殺し損ねた彼はバランスを崩し崖から転がり落ちる。
さらに地表十数メートルごろごろと転がることとなった。
「ぐおおおお! あだっ!」
その果てに木の幹へと体をぶつけ、ようやく車輪運動が止まる。
普通なら大怪我をしてもおかしくない勢いだ。
「痛たたた……く、ない」
が、勝八の体には傷一つついていない。
本能的に声は上げたが体にも痛みは無い。
ただし、おニューだった全身が土まみれのくすんだ感じになってしまったが。
注文した通り、勝八の体は普段よりずっと頑丈になっているようだった。
「それはともかくとして……」
それはともかくとして、気になるのは例の声である。
先程の崖に戻り周囲を見回す勝八だが、そこに人影は無い。
脳からの警告だったのだろうか。
だとすれば、自分は脳内に美少女を飼っていることになる。
何それ会いたい。念じながら前方を凝視したのが良かったのか。
勝八は転がり落ちた地点の崖に、人が屈んで入れるほどの穴を見つけた。
その隙間を覗き込むと、内部はゆるい下り坂になっており、奥のほうでは明りが灯っている。
やはり人がいるようだ。
しかしいきなり裸を見せたら変態だと思われるかもしれない。
そんな心配が、珍しく勝八に慎重な行動を取らせた。
彼は身を屈めて穴の中に入ると、足音を殺し奥へと進んでいく。
中は鍾乳洞となっており、入り口こそ狭かったが進んで行くたびに天井が高くなっていく。
勝八が光源があると思わしき曲がり角へ差し掛かったあたりで天井は勝八の身長の二倍ほどになり、更には何かを叩くような音が聞こえてきた。
ドンドコドコドンドンドコドン。
おそらく革張りの太鼓である。
勝八も琵名市ハワイアン資料館で狂ったように叩いた記憶があるので音に覚えがあった。
あまりに足しげく通うので受付のお姉さんに苦い顔をされたっけ。
思い出しながら曲がり角の先を覗き込む勝八。
そこは半径10メートルほどの広間となっており、松明で照らされた壁には踊る人々の影絵が照らし出されていた。
「ウッホッホウッホホ」
「ウッホッホウホホ」
浅黒い肌に腰ミノ一枚のみを纏った男達が3人。
先程勝八が発しかけたような声を出しながら、松明を上下させている。
奥には太鼓を叩く男がもう1人。
彼らの姿を確認し、勝八は呟いた。
「……世界観どうなってんだよ」
完全に「ジャングルの秘境に○○族神秘の暮らしを見た!」というようなノリである。
西洋ファンタジーをベースに作られた緩の設定とは、かけ離れたものがあった。
緩は何を迷走したのだろう。徹夜明けで作った設定だろうか。
いや、これが世界の歪みという奴か。
とにかく、大事なのは彼らとコミュニケーションを取れるかどうかだ。
そもそも自分が聞いたのは少女の声のはず。
思い出した勝八は改めて彼らを観察する。
すると、男達が踊りまわるその中心に置かれているものに気づいた。
それは、褐色肌をした少女であった。
腰巻と胸当て……脇の下に一枚布を通したのみという、これまた省エネな格好をしている。
その布切れに押さえつけられた胸部は高く盛り上がっており、丸出しの腹筋は一本筋が縦に通り引き締まっていた。
彼女を拘束する縄も、そのスタイルを強調している。
「ぷはっ、こんな儀式に何の意味があル!?」
思わず見惚れた勝八の前で、少女が叫ぶ。
はらりと彼女の口を覆っていた猿ぐつわが落ちた。
勝八の見間違いでなければ、猿ぐつわは彼女の立派な犬歯で噛み切られていた。
中々凶悪な牙を持っているようだが、怒りに歪んですら美しい造作をした黒髪の少女だ。
日本語を使っていることもあり、日焼けしただけの日本人にも見える。
だが、その発音はところどころ怪しく、瞳は金色の光を放っていた。
「うるさいゾ。お前は生贄となるのダ」
「そうダ。大人しくしてイロ」
周囲の男達が一旦踊りをやめ、少女へと言い返す。
やはり彼らが使っているのも、調子外れの日本語だった。
そして話をまとめると、どうやら彼女は何らかの儀式の生贄にされそうになっているようである。
……人様の文化を無闇に否定してはいけない。
昔、勝八の爺さんはそう語ったことがある。
ましてや自分はこの世界の常識も知らない異世界人である。
だがしかし。
「おい、お前ら」
そんな逡巡が出たのは実際に曲がり角から飛び出してからで、勝八はほとんど悩むことなく男達に呼びかけていた。
「な、何だお前ハ」
「素っ裸じゃないカ!」
「うわ、変態ダ!」
勝八の姿を見とめた男達が、一斉にギョっと引いた仕草を見せる。
「お、お前らだってそんな変わらないだろうが!」
まさか腰ミノ一枚の男たちにそんな反応をされるとは思っておらず、勝八は慌てて言い返した。
股間を隠したくなるが、ここで引いたら負けのような気がして仁王立ちを維持する。
「俺達のモサルルは神聖なものダ! 一緒にするナ!」
「そうだどこの部族だこの恥知らズ!」
「変態!」
すると男達は憤慨し、3倍の物量で言い返してくる。
指差しのジェスチャーから察するに、モサルルとは身に着けた腰ミノのことだろう。
一方捕らわれた少女は、目をまん丸にして勝八の股間を見ていた。
しかも褐色の肌が赤銅に上気している。
市民プールに行っても水着一枚なら咎められないが、真っ裸だと監視員のお姉さんにしょっぴかれる。
同じようなものかと納得しかけて、この話題で争うのは不利だと察した勝八はゴホンと大きく咳払いをした。
「とにかくその娘を解放しろ! 生贄なんてその……かわいそうだろ!」
異文化をなるべく馬鹿にしない言葉を選ぼうとした勝八。
だが結局思い浮かばず感情論をぶっ放すことになる。
「うるさイ! この娘は神に捧げられるのダ!」
「部外者は引っ込んでロ!」
そんな言葉で男達が考え直すはずもない。
揃って言い返されるが、その言い分が勝八の琴線に触れた。
「神……って言ったか」
神。この世界の神と言えば勝八は先程話してきたばかりである。
勝八は彼女に仰せつかってこの世界へやってきたのだ。
けっして部外者などではない。
思い出すのは、緩の不安そうな表情である。
「あいつがこんなもん捧げられて喜ぶ訳ねーだろ!」
つい苛ついた勝八は、吐き捨てるように言い放った。
「こ、コンナモン?」
コンナモン扱いされた少女がぱちくりと目を瞬かせる。
あくまで女体を捧げられて喜ぶような特殊性癖ではないという意味で、彼女自身は自分が貰いたいぐらい魅力的だ。
フォローしたい勝八だが、そんな場合ではない。
「我らが神をあいつ呼ばわりするとハ!」
「貴様も生贄にしてやル!」
勝八の言葉を侮辱と取った男たちが、松明を掲げ一斉に襲い掛かってきたからだ。
「ンだ来いやぁ!」
それに対し勝八は、地元でたむろしているヤンキーを真似た台詞で気合を入れる。
そして男達を迎え撃たんと腰を落とした。
恐怖が無いわけではない。
死んでも平気と緩は言っていたが、今回は訳も分からず消し炭にされた時と違う。
人間を生贄に捧げるような連中に囲まれ、棒で徐々に殴り殺されるという等身大の末路が予測できる状況なのだ。
本来ならば例の脚力で一旦引き、追っ手を撒きつつ少女を逃がすのが最善手だ。
そう勝八も判断出来ている。
だが初めて向けられた殺気と、何かしなければという使命感が彼を考えなしの仁王立ちへと導いた。
そして、殺到した男達によって木の棒が一斉に振り下ろされる。
「こなくそ!」
脳天へ振り下ろされた一本を、勝八は両手で白刃取りした。
だがもちろん残りの二本は無防備な彼の足と腹へと見事に当たり、バキィという音とともに勝八の骨や筋を粉砕したかに見えた、が。
「なんだ、ト……」
一方的に折られた二本の松明が、火の粉を撒き散らしながら宙を舞う。
その中で、男の一人が唖然と呟いた。
勝八の体には傷一つついておらず、打ち据えられた箇所に勝八は何の痛みも覚えていない。
やはり、今の自分は元とは別物の体をしているのだ。
実感もそこそこに、勝八は白羽取りしたままの棒を握り、振り回した。
「うおおォ!?」
「がふッ」
するとそれを握っていた男の体がぶわっと浮き上がり、隣にいるもう一人の男にぶつかる。
二人の体はそれでは止まらずに歪な縦回転をしながら吹き飛び、洞窟の壁へと音を立てぶつかった。
「……物理エンジン間違ってないか?」
あまりのふっ飛びように、思わず己が手をじっと見つめる勝八。
だが、これは緩が物理法則の設定を間違えたわけではなく、彼女によるアバター改造手術の影響だろう。
女の子を撫でたりする時は注意しなければならない。
考えながら、勝八は残った一人に目をやった。
「ひッ」
化け物を見るような表情で、男は後ずさる。
まるで自分が悪者ではないか。
このまま逃がしても良いが自分も殴られたわけだし。
「ぽかりっ」
「ぐえッ」
口に出して、勝八は男の頭を軽く叩いた。
すると男の体が真横に吹っ飛び、先程と同じく洞窟の壁面にぶつかる。
「どうすんだよこれ……」
もはや日常生活も難しいスーパーっぷりである。
とりあえず男達の様子を見渡すが、起き上がるものはいない。
……やり過ぎてしまったのだろうか。
「ひぃぃィ!」
勝八が青ざめていると、彼を人殺しと非難するような大きな悲鳴が上がった。
拘束されている少女ではない。
すっかり忘れていた太鼓叩きの男だ。
「違う! 正当防衛だ!」
勝八が歩み寄ると、男はねずみのような素早さで洞窟の更に奥へと逃げ込む。
さすがに追いかける気にもならず、かといって男達の安否を確かめるのも怖い。
なので勝八は、とりあえず拘束されたままの少女に歩み寄った。
「大丈夫か?」
「ア……」
声をかけるが、少女は応えない。
呆けた目で勝八を見るのみだ。
礼を要求するのも酷な状況である。
悲鳴を上げられないだけマシだと判断した勝八は、彼女の背後へとまわった。
拘束を解いてやろうと考えたのだが、縄の結び目はかなり凝った形をしている。
力で引きちぎることも考えたが、勢い余って少女の体が独楽のごとく回転してしまう可能性もある。
少々考えた勝八は、少女の背中へと口を近づけた。
「な、何ヲ……」
「食べる」
「た、食ベ!?」
震えた声を上げる少女を安心させるために答え、がぶりと噛み付く。
少女が身を懸命に離そうとしたのも手伝って、彼女を拘束する縄は勝八の口の中に納まった。
少し力を入れると、縄は昔自分で作った火の通っていないパスタより簡単に千切れる。
「ぺっぺ。味はあっちのがマシだな」
口の中に入った植物繊維と共に、勝八は言葉を吐き捨てた。
「あ、アリガトウ……」
「どういたしまひて」
自由になった体を信じられないように見つめ、少女が礼を口にする。
苦味が残る口をもごもごさせながら、勝八はそれに応えた。
さてこれからどうすんべか。
考えながら立ち上がる。
「お、お前は一体何者……ヒャッ」
同時に、勝八の方へ少女が振り向いた。
そして彼女は可愛らしい悲鳴を上げる。
「お? おおっ!」
あまりに超自然的だったのですっかり忘れてしまっていたが、今自分は丸出しだ。
それを思い出した勝八もまた背中を向けた。
「えーと、とりあえず何か隠すもんない?」
まずするべきことは、せめて股間だけでも隠せる物を探すことだ。
それに気づいた勝八は少女に尋ねた。
「そう言われてモ……」
自らも分け与えるほどの布地力を持たない少女が、困惑の声を出す。
彼女にとっても上下の薄布は譲れない一線らしい。
外に出て探すか。それとも男たちから腰ミノを奪ってしまうか。
勝八が丸出しのまま考えていたその時だった。
「ぎゃああああ!」
洞窟の奥から、恐ろしい悲鳴が響いた。
「しまっタ!」
少女がハッとなり声を上げる。
「何、どうしたんだ!?」
「お、奥で眠っていた聖邪竜ウロボロスレイヴが目覚めたのダ!」
勝八が振り向くと少女が「ウヒャッ」と再び悲鳴を上げる一幕はあったが、それはともかく彼女はそう説明した。
「え、何だって?」
野性味溢れた少女から飛び出したあまりに厨二なネームに、勝八は思わず聞き返す。
「ウロボロスレイヴ。この森の主であり、破壊神ノンの尻尾と言われる魔物ダ」
すると座り込んだまま勝八の体を見上げ、彼女はその名をもう一度告げる。
――その後ろには、何やら聞きなれた名前に不穏な冠が乗せられていた。
つまりは破壊神。
「……あんだって?」
あいつに尻には蒙古斑しかねーよ。
幼少の知識でそう言い返そうとした勝八の背後。
洞窟の奥から、しゅるしゅると這うものが生き物が彼の尻を狙い迫ってきていた。