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泥パックパパ

 ペガサスの牙。

 尾行誘拐暗殺その他。

 ペガスにおいて表沙汰にできない仕事を一手に引き受ける、裏の組織である。


 今回の仕事は、一人の娼婦の暗殺。

 そんな小さな仕事に、5名もの精鋭が駆り出された。


 最初は大げさな事だと鼻白んだ暗殺部隊隊長――バスーガ。


「これは……」


 だが彼は、ペガスを発って数分の場所にある破壊跡を見て考えを改めた。


 周囲の木がなぎ倒され、その中心に個性豊かな縛り方をされた山賊たちが転がされている。

 脇の茂みに、それを為したらしい大木。

 どう考えても、人一人が持ち上げられるような大きさではない。

 尾行につけていた部下の姿はなく、どうやら連れ去られたようだった。


 怯える山賊頭の話によると、「また」蛮族が空から降ってきたらしい。

 マリエトルネが蛮族と結託しているという噂は、本当のようだ。


 以前ペガスを襲った蛮族は、単独で勇者を倒したという。

 さすがにそれは眉唾だと思うが、この惨状から見て蛮族の中の複数――もしかしたら全体が、何か特別な力を手に入れた可能性が出てくる。


 だとしたら、蛮族達の里を探し征伐するという宰相の計画には、大幅な見直しが必要かもしれない。

 とにかく山賊の処理を部下の一人に任せ、隊長は街道を辿っていった。


「ラ・デ・ル。アクセラレーション」


 加速魔法を用い、街道を駆け抜ける。

 馬を用いると目立つ上、ターゲットが森などに入った場合追跡が難しくなる。

 短距離ならば加速魔法を使った追跡の方が理に適っていた。

 しかし……。


「どういうことだ……」


 一時間ほど加速をしたが、一向に追いつけない。

 情報によるとマリエトルネは、一頭立ての馬車に他の娼婦たちも無理矢理詰め込み移動しているはずだ。

 更に一行は、バスーガの部下も連れ去っている。

 かなりスピードが落ちているはずだ。

 追いつけない訳はない。


 途中で分散したのかと部下に足跡を調べさせたが、その兆候もない。

 一行の馬車らしき轍と妙に軽快に飛ばす馬。

 そしてその横を走る裸足の足跡が、彼らを更に混乱させた。


 任務中に余計な人間との接触は御法度だ。

 しかし、このままでは追跡が覚束ない。


 バスーガは部下に命令し、すれ違う商隊から情報収集をさせた。

 すると――。


「いやー驚いたねー。人間が馬と一緒に馬車引っ張ってんだから。すんごい早さだったよ」


 お喋りな商人が、大げさな身振りで説明する。

 いつすれ違ったのかと聞けば、既に2時間前だという。


 情報収集に裂いた時間を差し引いても、完全に離されている。


「追跡は続行……宰相への報告と馬の調達に一人ずつ向かえ」


 どうやら認識が甘かったのは自分のようだ。

 このまま加速魔法で追跡を行えば、目立つことは避けられない。

 部下に命令し、彼は歯噛みした。



 ◇◆◇◆◇



 陽が沈む頃になって、勝八達の馬車はシャシャ族の村へと到達していた。

 とはいえ、そこは村と呼んで良いか怪しい惨状ではあったが……。


「こりゃずいぶん……」


 周囲の木々は枯れ、土はぬかるみ、建物の名残と思われる石材がまるで溺れそうに顔を出している。

 天井が残った建築物は一つもない。

 雨上がりのような腐葉土の臭いが周囲に漂い、歩くたび蹄が沈むのをいやがったジェロミーが、足を高く上げ歩いていく。

 

 その横を歩く勝八は、ついしかめ面をして呟いた。


「ひどいね。我が故郷ながら」


 幌から顔を出したマリエトルネが、勝八が飲み込んだ言葉を口にする。

 夕日に照らされた彼女の顔には、何の感慨も浮かんでいない。

 

「いや、ええと、風情が感じられなくもない風景だと思うぞ」


 だからこそ不安になり、勝八はマリエトルネをフォローした。


「アンタ、致命的に女の慰め方が下手だね」


 もちろん、フォローの方向は盛大に間違っている。

 この場所は、最初からこんな惨状だったわけではない。

 ペガスに侵略され、シャシャ族という名前が消え去るまで一族が殺され、こんな風景になってしまったのだ。


「ま、今更気にしちゃいないよ。そこの家を曲がった先の森……まぁ少し寂しいけど森で良いだろ。その中心が例の泉さ」


 若干早口に話題を切り替え、マリエトルネが指を指す。

 そこには力なく枝が垂れ下がった木々があり、大地には茶色く変色した草が茂っていた。

 周囲に比べれば、いくらか水の気配を感じる風景だ。

 何となく建物の残骸を踏んでいく気にもなれず、ジェロミーと共に丁寧に迂回しながら勝八はそこに近づいた。

 すると――。


「……ひどいな、こりゃ」


 先ほど飲み込んだ言葉を、勝八は今度こそ吐き出した。

 膝下まである雑草をかき分けた先には、確かに四畳半ほどの大きさをした泉があった。

 いや、泉というより沼である。

 象の肌のような色の水面に、不規則に泡が浮かび上がる。

 それが弾けると、腐った卵の臭いが辺りに広がった。


「ダメだね、こりゃ」


 鼻をつまみ奇妙な声色になりながら、マリエトルネがダメな方へ太鼓判を押す。

 確かにこんな場所に、水を浄化するという精霊がいるとは思えない。


 というか、人が立ち寄らないはずの沼が何故こんなに汚染されるのか。

 勝八が首を捻っていると。


 ボコボコボコと、沼がひときわ大きく泡立った。


「ヒヒィン!」


 足にしぶきがかかったらしく、繊細なジェロミーがいななく。

 その様子を見た勝八は馬車と自らを縛った縄を解くと、一歩前に出た。


 ――ぷかり。

 同時に沼の中から、棒状のものが浮かび上がる。

 最初は丸太か何かだと思った勝八だが、違う。

 それには四肢がついており、鼻があり、だらしなく開かれた口があり、ゆっくり目が開かれる。

 泥にまみれて分かりづらいが、それはおそらく生きた人間であった。

 しかも、勝八より三つ四つ年下の少女である。


「大丈夫か!?」


 相手が人間だと認識した瞬間、勝八は沼に飛び込んでいた。

 ずぶずぶと体が沈んでいくが、かまわず少女の手首を掴もうとする。

 しかしその時――。

 

 ぶちゅりと音を立てて、少女の手首が弾け飛んだ。


「うそっ!?」


 力の加減を間違えたのかと、恐慌状態に陥る勝八。

 動揺のあまり、彼はむちゃくちゃに暴れ沼の中へ沈んでいく。

 

 だが彼女の手首は、勝八の馬鹿力によって破壊されたわけではない。

 その証拠に、少女は沼の上でむくりと上半身を起こすと、眠たげな視線で飛び散った自らの手首を見た。


「んむ……」


 何事か呟く彼女。

 すると手首から血ではなく水が噴出し、それが指を形作る。

 新しく出来た手はガラス細工のように透き通っており、現在が夕暮れで光が反射しなければ、勝八にも知覚出来なかっただろう。

 少女がその透き通った手で泥まみれの顔を拭うと、下からやはり半透明の肌が現れる。

 その光景に、勝八は唖然とした。

 おかげでそのまま沼の中へ沈んでいく。


「カッパチ!」


 異変に気づいたらしい。

 ゾマが馬車の中から飛び出し顔を出す。

 彼女の頬には寝起きの痕がついていた。


「ほらよ」


 先ほどまで勝八と馬車を結んでいたロープ。

 それをマリエトルネが、ゾマへ差し出す。

 ロープで素早く輪を作ったゾマは、それを投擲。

 勝八の首にすっぽりと引っかかったロープを引っ張り、彼を救出しようとした。


「ぐええ……ゾマ大丈夫だから」



 無駄に頑丈な勝八の首は、それで絞まることはない。

 それでも土から無理矢理引っこ抜かれるカブの気分になって、勝八は呻いた。


「ゾマちゃんがんばって!」


「うんとこしょーの」


「どっこいしょ!」


 背後から娼婦達が次々と、ゾマの腰を掴んで加勢しようとするので尚更である。


「ぷふっ」


 目の前の半透明が、その光景を見て笑いを漏らす。

 透けてるやつに笑われる謂われはない。

 半眼で相手を睨んでから、勝八は思いだした。

 そうだ。彼女は透けている。

 

 落書きめいてはいないから、魔物ではない。

 魔法かもしれないが、自らを寒天状にする魔法など用途が分からない。

 となると……。


「水の、精霊?」


 引っ張り上げられながら、勝八はようやくその答えにたどり着いた。


「……貴方達、私が見えるの?」


 すると、彼女はびくりと、あるいはぷるんと体を揺らして問いかける。


「見える」


「見えル」


「見えるねぇ」


 彼女の問いに、勝八、ゾマ、マリエトルネが同時に答える。


「え、姐さん見えるって何が?」


 ジェロミーをようやく落ち着かせた御者のお姉さんが、困惑の声を出す。

 それを聞き、彼らは一様に顔を見合わせたのであった。



 ◇◆◇◆◇



 沼から引っ張り出された勝八は、泥だらけのまま水の精霊と向かい合った。

 彼女は半透明の顔で、ちらちらと勝八達を窺っている。


「何で今更見えるようになったのかねぇ」


 一方馬車から出たマリエトルネは、水の精霊を薄目で見たり角度を変えて見たり。

 かなり不躾な視線を送りながら、首を捻っていた。


 幼少期から水の精霊の近くで暮らしていたマリエトルネ。

 彼女は今になって水の精霊が見えるようになったのが、不思議で仕方ないらしい。


「いると分かっていれば見えル。そういうものダ」


 一方幼い頃から不思議な破壊神が見えているゾマは、確信に満ちた口調でマリエトルネを諭す。


「そんなもんかねぇ」


 草むらに隠れていた追跡者も、いると分かって見れば存在を探知できたのと同じようなものだろうか。

 二人のやり取りを見ながら、勝八はぼんやりと考えた。


「私たちには見えないんだけどねー」


 馬車の奥にいる娼婦の一人が、間延びした声を出す。

 マリエトルネは周囲に信頼されているらしく、見えないものが見え始めた彼女の信用問題には発展していないようである。


「で、おたくは水の精霊でいいのか?」


 見える者と見えない者。

 それを再確認した勝八は、改めて目の前の泥まみれ寒天少女に尋ねた。


「そ、そうよ……!」


 すると少女改め水の精霊は、強気な言葉尻に怯えた表情のアンビバレンツで勝八に答える。

 やはり彼女が水の精霊で良いようだ。

 精霊というのは巫女の種族だけでなく、勝八にも、そして金色の瞳を持つゾマにも見えるものらしい。

 となれば、片方のみとはいえ同じ色の瞳を持つ宰相にも……。


「何で泥だらけになってるんだ?」


 そこまで考えたところで興味が別の所に移って、勝八は次の質問をした。

 水の精霊は、手と顔以外未だに泥で体をコーティングしている。


「汚れてやろうと思ったから……」


 すると、彼女はスれた表情でふっと息を吐く。


「あー、分かるわ」


「物理的に汚れてどうすんだよ」


 マリエトルネは大人の女的な同意を見せるが、例えば男に捨てられたとして泥パックする女はおるまい。


「えーと、何かあって拗ねてるって感じか?」


 多分いない、と思う。

 女心など分からない勝八は、とりあえず問題をコンパクトにまとめてみた。


「拗ねてるんじゃない! 人類に絶望したの!」


 すると、まるで詰めすぎた旅行鞄の如し。

 水の精霊は彼に反発し、問題のスケールは一気に大きくなった。

 だが、沼の表面をバチバチと叩くその仕草は、完全に駄々をこねる子供である。


「何がどうしてそうなる」


 やはりちぐはぐな彼女の態度に、呆れながら勝八は尋ねた。

 すると、ポロリ。

 半透明な彼女の頬を、より透明な涙が伝う。


「だって……」


「え、あ、ごめ……」


 反射的に謝ろうとした勝八の前で、水の精霊はぐっと息を吸う。

 そして――。


「昔はみんな水に感謝して私を敬ってたのに信仰を忘れて水を適当に使うようになって私が見える人もいなくなって誰も見てくれない誰も誉めてくれないのに私は毎日毎日何百年何千年と汚物処理! そんなのもうウンザリなんだもん!」


 立て板に水を流すように、彼女は淀みなくザザアとまくし立てた。

 顔にバケツの水をぶっかけられたような気分になって、勝八は面食らった。


「それハ……」


 何か慰めの言葉を言おうとして、ゾマも口をつぐむ。

 それは、人類には想像もできないような永い孤独の道筋だった。


「だから……水の浄化をやめたのか」


「そうよ。何か文句ある!?」


 彼女の心を探るよう勝八がじっと見つめると、水の精霊はたじろぎながら睨み返す。

 だが金魚鉢のような顔の中で、その目は左右に泳いでいた。


 文句はある。

 あるが、それを言いたいのは過去の自分へである。

 中世は汚物まみれ。

 知らなかったとはいえ、勝八の無粋なツッコミが彼女にこんな役目を押しつけてしまったのだ。


「悪かった。俺のせいで辛い役割をさせちまって……」


 気づいた勝八は、彼女に頭を下げた。


「俺のせいって……あなたは一体何者なの……?」


 謝罪された水の精霊は、意味が分からず困惑の声を出す。


「彼は、神の使者ダ」


 そんな彼女に、ゾマが端的な説明をする。


「神って、私を作った人? それが、何で……」


 さすがに精霊である彼女は、神の存在を疑ったりはしない。

 それでも勝八が謝る理由が分からず、彼女はぷるぷるとした体から泥を落とした。


 何故謝るか。

 それを説明するには、世界の共同製作など長い経緯も含めなくてはならない。


 しかし勝八の伝達能力では、うまく説明できる自信がない。

 そこで彼は、ゾマに倣って端的に自分と精霊の関係を表すことにした。


 彼女を実際に生み出したのは緩である。

 だがそれは、勝八のツッコミがあって作られたもので……つまり。


「俺はお前の……パパだ」


「パパ!?」


 勝八が告げると、その瞬間精霊の体から泥が弾け飛び、半透明の裸体が露わになる。

 それに泥パックをされながら、勝八は真剣な顔で頷いたのであった。

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