シリ・アース
三羽、四羽、五羽。
落書きめいた造詣のカラスを踏みつけながら、勝八は空を舞っていた。
空を飛ぶというのはもちろん初めての経験だ。
3階からショートカット目的で飛び降りて、中一の夏休みをふいにした時とは訳が違う。
現在の高度は数十メートル。
普通の体なら落下=死である。
が、この肉体ならば問題ない高さだと、勝八は確信している。
もちろんかつて3階から飛び降りた時も、「これならイケる!」と根拠のない自信を持ってはいたのだが。
ともかくちょうど良い足場を踏みつけていくうち、段々とユニクールが近づいてくる。
そこまで十数メートルといったところで、勝八は地面――デスラトルクロウの背中を低く蹴った。
「ぐえー!」
緊張感が抜ける悲鳴を背に、弾丸のように飛び出す勝八。
そして下がった高度の分で前方を飛ぶカラスの股下へ潜り込むと、その足を両手で掴む。
「ぐええー!」
そこまでの運動エネルギーを全て足に集められたカラスは空中で踏ん張ろうとするが、抵抗しきれず彼を減速させるだけに留まった。
勝八が軌道を変えたのは、前方からカラス以外にも飛来してくるものが見えたからである。
「よっ」
声と共に、勝八は空中ブランコの如くカラスの足を使うと虚空に舞い上がる。
直後、カラスへと人間大の岩塊が衝突した。
「ぐげええー!」
通常の人間が聞けば魂が消し飛ぶような恐ろしい断末魔を上げ、デスラトルクロウは墜落する。
そちらに目もくれず、勝八は風を受けながら眼下のユニクールを注視した。
するとそこに、歪な四角を積み重ねて人型を形作ったような魔物がずらりと並んでいる。
おそらくゴーレムだとかそれに類する魔物だろう。
勝八が当たりをつけていると、それぞれのゴーレムが隣のゴーレムの頭へと同時に手をやる。
なんだなんだと思っていると、彼らは一斉にそれをもいで勝八へと投げつけてきた。
「はぁ!?」
落書きのようなその頭は、ゴーレムの手を離れた途端に荒削りの墓石のように変化。
恐ろしい速度で勝八へと迫る。
新しいカラスを踏み台にした勝八がその内の一つをかわすも、その軌道上に新たな岩塊。
「せいっ!」
そちらは勝八が殴りつけると粉々に砕け散ったが、位置エネルギーが少し失われた。
おかげで次に着地しようとしていたカラスには一歩及ばない。
自由落下を始める勝八の体。
仲間の体を投げるとは、一体どういう生態と倫理観をしてるんだあの魔物は。
石造りの体には縁遠い物を求めながら、勝八がゴーレムに目線をやると。
ぽこん。
距離が離れているのでそんな音は聞こえなかったが、そう聞こえそうな勢いでゴーレムの胴体から新しい頭がポップアップした。
「アンパンマンかよ!」
空中でつっこみを入れる勝八。
だが、かのヒーローは頭を投げてもらう側であり、自己再生もできない。
むしろそんな彼の出来の悪い頭を交換させようとするかのように、ゴーレムの新しい頭が次々に飛んでくる。
「ちっくしょ!」
勝八の耐久力ならば、岩塊程度いくらぶつかっても痛くない。
だが、連続で食らえばキュール君のいた崖まで押し戻されてしまうかもしれない。
そんな無茶な想像をする勝八の背後から、更に急旋回をしたデスラトルクロウが集団で襲い掛かってくる。
今こんな場所に殺到すれば、間違いなく岩の巻き添えとなる。
やはり魔物には死の恐怖が無いのか。
それともそんなに勝八へ直接トドメを刺したいのか。
そういえば最初に勝八を炭にしたドラゴンも、その死体を嬉しそうに咥えていたと隊長は証言していた。
勝八自身に、何か魔物を誘引する要素があるのか。
例えば甘い匂いとか。
「よっと!」
とりあえずこれが終わったらシャワーを浴びよう。
そう結論付けて、勝八は背後から迫ってきたカラスの嘴を脇の下で受け止めた。
更に前方から飛んできた岩塊を、両足を抱え込むようにして止める。
突進してきたカラスの勢い、飛んできた岩塊のベクトルが釣り合うのを肌で調整した勝八は、縮めていた足を一気に伸ばした。
すると受け止められていた岩塊が砕け、流星のようにゴーレム達へ降り注ぐ。
かつてサッカー漫画を読んでスカイラブ何とかを練習した成果である。
ドドドドドと凄まじい音を立てながら、飛礫によってゴーレム達の体、そして苔にまみれたユニクール城下町が次々に破壊されていく。
どっちかと言うと散弾流星脚かもしれない。
考えながら勝八はカラスをホールドする部位を脇から両手に切り替え、腹の下へ潜り込むとそちらもキック。
「ギャース!」
悲鳴と飛礫に紛れ、自らも一直線に降下する。
ドカン! と砲弾のような音を立て、ゴーレムの腹を打ち抜いた彼はそのまま地面に穴を開け着地した。
どうやら胴体の損傷は直せないようで、勝八や飛礫に体を壊されたゴーレムは石の塊になって崩れ落ちる。
ユニクール再建の際は良い建材になるかもしれない。
考えながら、勝八は周囲を見回した。
そこには致命的な損壊をまぬかれたゴーレムと、妙に長い胴を持つ落書きのような犬の魔物。
そして、朽ちた建物の中から骸骨のような魔物がズラズラと出てきた。
しかし骸骨と言っても
目に(○ ○)
口に 山 の字を組み合わせたような、簡略化極まりない頭部である。
体には仄かに光る骨が一つずつ配置されていた。
まさか元ユニクール住民のアンデットではあるまいか。
そうであったとしても粉砕するしか勝八には出来ないのだが。
そして、そもそもそれらを気にしていられない事情もある。
勝八が着弾したのはユニクール城下町の中心辺り。
目指すべきは尖塔が立ち並ぶユニクール城である。
その間に、羽の生えたトカゲのようなものが立ちはだかっていた。
勝八は認めたくないし、緩も実物を見れば否定したくなるだろう。
だが、おそらくそれはこの世界でドラゴンと呼ばれる魔物だった。
「久しぶり……って訳ではないな」
勝八を消し炭にした個体は、隊長の話によると緩に潰され爆散したはずだ。
なので同じ竜ではありえないが、何か因縁めいたものを感じざるを得ない。
大きさも頭だけで勝八一人分と、ほぼ同じである。
勝八が唇を歪めると、それに応えるかのように竜が「くけー」と吼えた。
これを契機に、戦いは始まった。
◇◆◇◆◇
――6時間後。
「どう、なったんだ?」
岩陰に隠れていたキュール君は、さすがに痺れを切らして呟いた。
カッパチと名乗る青年が飛び出していって大分時間が経つ。
ユニクールの堪忍袋と呼ばれた彼でも、さすがに限界であった。
デスラトルクロウを始め、魔物はこちらへ一匹も来ず、カッパチの方へ我先にと殺到していった。
彼には魔物を引きつける何かがあるのだろうか。
例えば甘い匂いとか。
いやいやそんなアホな。
頭を振って、キュール君は崖下の景色を見た。
すると、あれだけいたデスラトルクロウがもはやほとんどいない。
代わりに、城下町で何やら黒い塊が蠢いている。
眼鏡を上下に動かしピントを調整するも、その詳細は分からない。
あそこで、何が起こっているのだろう。
カッパチ青年はデスラトルクロウを倒したところで力尽きてしまったのかもしれない。
自分が行っても何も出来ないかもしれない。
だが、キュールは隊長に言われたのだ。
「人任せにしてはいけない」と。
もし癒しの至玉の封印を解いたところでカッパチが死んだりしていれば、最悪の事態になる。
行かねば……!
覚悟を決め、キュール君はユニクールへと向かった。
そして――。
「な、これは……!」
息を切らして現場に駆けつけたキュール君が見たのは、凄惨な光景であった。
地面を埋め尽くすほどに黒い羽が落ちている。
その本体であるデスラトルクロウの死骸も無数に転がっており、他にも狼型の魔物ハウリングハウンドやブリックゴレムにスケルトンの残骸も山となっている。
本来のユニクール城下町はおろか、それを覆っていた苔類も見えない有様である。
その上で、カッパチは戦いを繰り広げていた。
「うおおおお!」
右拳はハウリングハウンドに、左手はデスラトルクロウに噛み付かれたカッパチが、両手を広げ体をコマのように回転させる。
両者共に人間の体など簡単に引きちぎる魔物なのだが、それぞれが左右にいたゴーレムとスケルトンにぶつかると恐ろしい悲鳴を上げバラバラになった。
更に勝八は死して尚噛み付いている左右の魔物をスケルトンの頭に叩きつける。
三つの頭部が同時に魔物の山に積み上がり、そのまま跳躍した勝八の蹴りがゴーレムの胴体を凪ぐ。
するとゴーレムの胴体はプティングのようにもろくひしゃげ、そのまま崩壊した。
だが、それで終わりではない。
彼の頭上から突然巨大な魔物――竜が舞い降り両腕の爪を振り下ろす。
ドゴォンと爆発音が響き、勝八の体が死骸の山へとめり込む。
「やっろう……!」
しかし、彼はやられてはいなかった。
腰まで埋められた状態で、竜の両爪をその同程度の太さしかない腕で受け止めている。
「この、ちょっと、待ってろよ!」
腰を自由にしようともがく勝八。
その体を、地面から突き出た腕が次々に掴んでいく。
スケルトンである。
「お前らはもー! どうやったら死ぬんだよ!?」
死体めいた魔物に向け、癇癪を起こす勝八。
周囲では胴体を砕かれ石の塊になっていたはずのブリックゴレムが、ブルブルと震え体を再構成していた。
スケルトンの体は骨が残っている限り動き続けるし、ブリックゴレムは胴体を砕かれると一時行動不能になるがしばらくすれば他の部位が胴体の代わりになるのだ。
どうやらこの二体に足止めされ、その隙に他の魔物から攻撃を加えられ続けているらしい。
「スケルトンには小さく光る骨、ブリックゴレムには印がされたブロックがある! それを破壊するんだ!」
つい堪らなくなり、キュール君は大声で彼に叫んだ。
6時間である。
これだけ長く戦っていて、何故カッパチはそんな分かり易い目印に気づかないのか。
力と知力があまりにアンバランスである。
「おぉ、サンキュール君!」
キュール君には今更気づいた勝八が、おかしな呼び方をして手を振る。
ただでさえ大声を出してしまったのに殺す気かと青くなるキュール君だが、周囲の魔物は彼に一切注目を向けない。
やはり、魔物は勝八に異様な執着を持っているようだ。
キュール君の気も一瞬逸れた隙に、ドラゴンがその凶悪な顎を開いた。
「危ない!」
「げっ」
しゅーと空気の漏れるような音。
すぐさま、竜の口から恐ろしい勢いで火炎が放たれた。
「ぐおおおお!」
それに当てられた死骸の山が、ドロドロと溶けていく。
強固なブリックゴレムの体でさえ即座に蒸発するほどの熱。
だが、その中で勝八はうめき声を上げ続け、ついには炎の中から飛び出る。
床を蹴った勝八が竜に反撃しようとすると、竜は翼で飛行しそれを避ける。
「あっぢっぢ! これだけは効くんだよなぁ!」
舌打ちをした後、勝八は自らの腕をフーフーと冷ます。
ドラゴンのブレスは魔法の力を持ち、吹きかけられれば以前の勝八のように炭しか残らない。
だが、今の勝八は肌が赤くなる程度のやけどで済んでいる。
その恐るべき耐久力を感心するより早く、ブレスを免れたゴーレムとスケルトンが勝八へ襲いかかる。
踊るように勝八は回転すると、魔物達に一撃ずつ加える。
彼の攻撃は正確にゴーレムの指に付いた不滅の印、スケルトンの仄かに光る恥骨を破壊していた。
魔物たちの体が、一瞬の間を置いて砂のようにサラサラと分解される。
「すげぇ! さすがお婆ちゃんの知恵袋!」
それを見て、勝八が子供のようにはしゃぐ。
誰がお婆ちゃんか。
「ついでにあの竜何とかならねぇ!?」
キュール君がつっこむ前に、勝八が問いかけてくる。
「簡単に言わないでくれ! ドラゴンは魔物の中でも最強の種族で……」
いくらキュール君でも空飛ぶ竜の倒し方など知らない。
それでも彼が竜を観察すると、その体にはいくつもの傷があった。
頭の角は片方折れ、人間でいうみぞおちの辺りには大きな打撲痕が付いている。
それを見、キュール君は閃いた。
「あ、あの折れた角に何か投げつけるんだ!」
竜が息を吸い、空中からブレスを吐きかけようとする。
そのタイミングで、キュール君は叫んだ。
「あいよ!」
疑問を呈すことも無く勝八は足元にあったゴーレムの腕を取ると、それを竜へと投げつけた。
腕は彼の狙い通り折れた角に当たり、同時に竜の口から火炎が発生する。
ボカン!
だがそれは、竜の顔の前で突然弾け相手の顔を焼くだけに留まった。
「あの角は竜のブレス制御装置なんだ! 鳩尾の火炎袋が弱っている今なら少しの衝撃で誘爆させることができる!」
期待通りの結果に、キュール君は思わずガッツポーズをした。
「ただしブレスを吐く時しか効果は薄いし、間違ってももう一つの角は折ってはいけないよ! 火炎袋が暴走して何が起こるか分からない!」
それから勝八に対し、注釈を加える。
ただし彼は知らなかった。
勝八が20文字以上の説明など理解できないことを。
「え?」
気づいた時には勝八は、もう一つ岩塊を拾い上げると竜に投げつけていた。
狙いはもちろん、先程キュール君が弱点っぽい説明をしていた角……それも折れていない方である。
一方を折って弱体化したのならもう一方も折ればもっと弱くなる。
当然の帰結だった。
元から傷が付いていたのか勝八の力が桁外れなのか。
竜の角がもろりともげる。
「あ」
「シギャァァ!」
途端、竜の体が赤熱化し、関節から炎が吹き上がる。
勝八の視点では、落書き竜は真っ赤になって目が(× ×)になっていた。
何だ問題なかったじゃないか。
勝八が笑みを浮かべキュール君を振り返ったその時。
「ぐげえええええ!」
竜の口から悲鳴が上がり、それと共に先程より数倍強い威力の炎が放射された。
それは濁流の如く勝八を飲み込み、竜の体をも炎上させながら尚も威力を増していく。
「アホーーー!!」
建物に隠れながら、キュール君は全力で叫んだ。
◇◆◇◆◇
勝八を異世界に送り届けてから、緩は大きなため息をついた。
それから、ぶるぶると頭を振って沈んだ気持ちを追い落とす。
勝八に励まされ、前向きな気持ちにはなれた。
だが、彼の魂が異世界に旅立つと、途端不安や寂しさが心を襲う。
自分が落ち込めば落ち込むほど、世界に歪みが生まれてしまうのだ。
分かっていても、それを完全に押し込めるほど緩は器用ではない。
勝八もそれを察して、問題を解決するまでこちらに戻ってこないという時間設定をしてくれたのだ。
それを、無駄にするたわけにはいかない。
「でも……」
緩はもう一度、軽くため息を吐いた。
それを分かってくれる勝八なのだから、あと少しだけ自分の気持ちを察してくれても良いのではないか。
思いながら、緩はベッドで横たわる勝八の顔を見る。
「うぅぐぐぐ」
すると、勝八がうめき声を上げた。
苦しそうな表情、まるで、昨日死んだ時のような――。
「勝ちゃん!?」
記憶がフラッシュバックし、緩は慌てて立ち上がった。
「あ、ぷっ」
そして勝八へ駆け寄ろうとした90度ターンしたその足が、机の角にぶつかる。
ガタンと机が揺れ、あわや勝八の体へと倒れこみそうになる緩。
だが、彼女はそれを乙女の矜持で耐えた。
腕を後ろにぐるぐる回し片足を上げたその姿勢は乙女と程遠いものだったがそれはともかく。
「や、ほ、と……きゃっ」
だが、踏ん張ろうと体を反らしたせいで、緩は机に尻餅をついてしまう。
そして、その机の上には、開きっぱなしになった本が置かれていた……。




