08
「これでもかっ…てぐらい和風だな」
畳張りで中央より少し奥にコタツ、壁によく分からない絵や掛け軸とは、典型的すぎる。
ベッドでもないくせに、何がダブルなんだろう?
この和室にベッドが運び込まれることはないだろうし、布団なら離せば済むだろうに。
荷物を端に置くと、さっそく紗希が散策を開始する。
初めての場所に来るとRPGさながらにちょこまかと見てまわるのが、紗希の癖だ。
「全員集まるには、ちょっと辛いか?」
部屋の広さは問題ないが、みんなが足を入れるにはコタツはちょっと小さい。
よっぽどぴったりつかないと、全員が座れないだろう。
「大丈夫、二人ずつ座れば、八人分なんだから十分いけるよ」
「狭くないか?」
「おにいちゃんの横には私が座るんだから、望むところなの」
「言葉の使い方、間違ってないか?」
「これこそ正しい使い方だと思うけど?」
端に積まれた座布団を抱えると、控えめなノックが聞こえる。
「紗希、出てくれ」
「はーい」
部屋にあった4枚分の座布団を置き終わると、入ってきた舞衣がもう3枚を置いていってくれる。
一緒に入ってきた綾乃の手には、部屋に備え付けのお茶道具に、しっかりと無料の茶菓子が載せてある。
綾乃は持ってきた一式をコタツに置くと、俺の後ろにまわって肩にぽんと手を置く。
そして、優しげな手つきで俺をコタツの前まで押すと、ぽんぽんと肩を叩いた。
「ほら、座るの。立って動くのは、メイドの仕事なんだから」
どうやら、既にぷちメイドモードが発動してるらしい。
俺がおとなしく座ったのを満足そうな笑みで確認してから、綾乃が急須でお茶を入れ始める。
紗希と舞衣も、静かに座布団に座って、コタツに足を入れた。
「本職じゃないのは、許してね」
「綾乃の淹れてくれたお茶は、十分美味しいよ」
お茶のことだと、家が和菓子屋の怜奈と璃奈には敵わないかもしれないけど、綾乃の用意してくれたお茶も、じゅうぶんに美味しい。
「それに、あの二人は淹れてくれないからな」
お茶を淹れる=茶菓子を食べる=間食禁止な怜奈が不機嫌になる…だから、怜奈に頼むのは気が引ける。
璃奈の場合は、これだけはおねーちゃんに勝てなくていいから、といって、お茶関連を全部放棄してる。
綺麗な和服を可愛く着飾るのは好きで、今でもたまに着れば見せに来る。
けど、正座を何時間もして道具やお茶の本質について語られるのだけは、我慢できないらしい。
「あたしだって、誰にでもお茶を淹れるわけじゃないからね」
綾乃が『誰にでもしない』ということは、俺もよく知っている。
毎日ジュース一本で綾乃を手懐けてると勘違いした奴が、ジュースを1ダースほどプレゼントしてこう言った。
『これで、あいつ(つまりは俺)の代わりに、自分の世話を焼いてくれ。
あいつよりも良いもの(たぶん、高いもの)を、いくらでも用意するから』…と。
それを聞いた綾乃が大激怒、その後は、惨憺たる状態だったらしい。
その話を聞いて、ちょっとだけ嬉しかったのは内緒の話だ。
「いつもいつも、ありがとな」
「いえいえ、いつもお世話になってますから」
ちょっと誇らしげに笑う綾乃の顔は、自分の仕事に誇りを持ってるメイドさんみたいだった。
綾乃が全員のお茶を淹れ終わると、計ったようにノックなしで扉が開いた。
「隊長ー、聞き込みしてきたよー」
どたどたと足音を立てて、璃奈がコタツに飛び込む。
その後をいつもの呆れ顔で、怜奈が静かに入ってきた。
「はー、さむぅ…」
置いてあるお茶をすすり、茶菓子を口の中に入れてから、璃奈が話し始める。
「ちょっと離れたところに、神社みたいなのがあって、願い事も聞いてくれるみたいだから、そこ、行ってみよーよ」
「それ以外に、見るような場所もないし…でしょ。事実は、正しく伝えなさい」
「べつにいいでしょー、そういう目的なんだからー」
「ま、何もないのを楽しむのも一つだし…な」
観光名所でもなんでもない田舎なら、こんなものだろう。
だからこそ、安上がりで済むし、自分たちで好きなものを見てのんびり楽しめるのがいい。
「そ、いーのいーの」
「…ま、いいわ」
冷ややかに璃奈へと向けていた怜奈の視線が、目の前の小さな茶菓子へと移る。
じっと真剣な目で見つめているが、決して手は動かさない。
怜奈の心中の葛藤が、だんだんと表情に映り込んで行くみたいだ。
「それくらいなら、大丈夫じゃない? 正味20~30グラムくらいでしょ?」
「食べものをグラムで計っても、意味はないの」
綾乃の何気ない一言に、怜奈が目を尖らせて反論する。
どうやら、まだ間食はしない誓約は続行中らしい。
「おねえちゃんなら、これで、10kmくらいは走れるしね」
なんというミニバンクラス…と言って、怜奈の逆鱗に触れたから、もう璃奈の言葉に釣られない。
ミニバンとかワゴンという車がどうこうじゃなくて、あのボディタイプで自分が形容されることが許されないらしい。
あのとき紗希が発言した、『ずんぐりむっくり』という、不思議な語感のNGワードを誰も使わなくなって、久しいな。
「じゃ、そろそろ行こうか」
これ以上待たせても、怜奈も、その張り詰めた空気を浴びてるみんなも精神衛生上よろしくないだけだろう。
「もう少しゆっくりしてからでも、べつにかまわないわよ? これじゃ、癒しにきたのか、疲れにきたのか分からないわ」
意地になったのか、変に強がる怜奈を相手に、璃奈が畳み掛ける。
「疲れに来たんだから、さっさと行こうよ。休むだけなら、家のほうがいいんだし」
仕方ないわね、というように怜奈が立ち上がり、みんながその後ろに続く。
しっかりと姉の分を口に放り込むあたり、やっぱり璃奈は抜け目ない。
「ったく、階段で前を歩くからこそ、スカートに意味があるんだろうが。
スカートの真価も知らずに着用しているなど、腹立たしいことこの上ない。
そもそも、スカートの存在意義をあいつらが解しているのかが問題だ」
数える気も失せるほどの白い階段を登り終えても、直人の恨み言は止まらない。
まあ、受付で邪魔されたリベンジに行こうとしたところを妨害されたおかげで怒りが募るのは分かる。
が、これだけの急で長い階段を登りながら恨み言を続けても、息が切れずネタが切れないのがすごいな。
まあ、途中から、スカートの本質とその魅力になってる辺りは、いかにも直人らしいが。
「ふぅ…」
目の前には、朱の鳥居と玉砂利の境内、横には小さな建物が申し訳程度に並んでいる。
典型的な、小さな神社だ。
紗希、舞衣、綾乃は、横にある小さな建物で、絵馬、おみくじ、手相占いの真っ最中。
店番をやっていたのが年老いた住職ということに絶望した直人だけが、俺の隣で世界にいじけている。
たぶん今頃は、紗希が標準装備の文具を総動員させて、芸術的な絵馬を完成させつつあるだろう。
「どいつもこいつも、ふざけすぎだ。
あんなので…こんなことで、賽銭が獲得できると思ってるのか?
一人…たった一人、可憐な美少女がいればそれで済むというのに…
どこの神社も、なぜそんな簡単なことが分からないんだっ!!」
その場で高らかに叫び、綺麗に敷かれた砂利を蹴散らす勢いで駆け出す。
込み上げる衝動を抑えきれないのか、諦められないのか…両方だろうな。
「やれやれ」
心地よい風を頬に受けて、階段の最上段に腰掛ける。
ぼんやりと見下ろせば、さっきよりずいぶん近づいた二つの黒髪が、寄り添って歩いていた。
ときおり止まっては聞き取れないくらいの話し声がして、また動き出す。
もうやだーとわめく璃奈をなんとか歩かせる怜奈の姿が、台詞まではっきりと浮かぶ。
いつも、最初に疲れるのは璃奈で、そのたびに怜奈が頑張っていたっけ。
出会って仲良くなってからは、毎日遊んだ。
小学校に入って、初めて怜奈と会って。
二年したら璃奈と紗希とも一緒に通うようになって。
ただ、それだけで楽しかった。
今でも、ランドセルを背負った怜奈を、璃奈を、思い出せる。
「ったくもう、こんな長い階段なんて、馬鹿じゃないの」
「疲れに来たっていうぐらいだから、ちょうどいいじゃないの」
ランドセルを背負った二人の斜め後ろに、今の二人が立っているように見えて。
二人の中に昔の面影がはっきりと見えて、なんだか嬉しかった。
「あーもー、つっかれたー」
前かがみになる璃奈の頬は紅潮していて、少し息が上がっている。
露出の多い璃奈の肩口あたりには、うっすらと汗がにじんでいる。
その汗が少しずつ集まって一滴の雫になり、胸の谷間に吸い込まれていった。
ちょっと見てたら、ものすごい勢いで怜奈に睨まれたで、とりあえず視線を外しておく。
「別に、運動というほどでもないでしょう?」
同じペースで登ってきた怜奈は、余裕たっぷりの涼しい顔。
疲れた様子も見せずに、さっさと階段から離れた。
「もーうごきたくないー」
璃奈は、小刻みに震える足を押さえたままで、じっとしている。
「それほど運動不足で、その体型を維持できるんだから、うらやましいわ。こんなにゆっくりでも疲れるなんて…ね」
黙って聞いていた璃奈が、ゆっくりと身体を起こす。
顔を隠していた髪の間から覗いた表情は、小悪魔の笑顔だった。
「そういうこというんだ。今も階段からすぐに離れちゃうおねえちゃんが、そういうこと言うんだ」
凶悪な笑みを浮かべて、璃奈が心の底から楽しそうに笑う。
怜奈は頬を赤くして、その直後に表情を青くする。
「帰りが楽しみだよね? おねえちゃん。
帰りは、ペース早くていいよ? 私がおねえちゃんに合わせるからさ」
階段の最上段に爪先立ちして、璃奈が気分良さそうに眼下を見渡す。
そんな璃奈を、信じられないものを見るような目で怜奈が見つめていた。
「んー、高いところっていいよね」
「…ッ」
璃奈の言葉に、怜奈が小さく息を呑む。
凍りついた表情は、べったりと恐怖に彩られていた。
「こら、危ないって」
璃奈の襟首の辺りを掴んでひっぱると、怜奈がホッと息をつく。
怜奈の高所恐怖症は、原因が二つある。
一つは、普通の人と同じ、自分がそこから落ちることを想像するもの。
もう一つは、自分の大切な人が落ちるかもしれないことを想像して恐くなること。
まったく、どこまでも優しいあいつらしい。
「そういえば、さっきのとっきーは、なんで、ぼーっとしてたの?」
「してたか?」
「してたよ。登ってきたとき、私が手、出したのに気付かなかったじゃん。その胸に飛び込んであげようと思ったのに」
璃奈のわざとらしい甘えた声。
本当にそういって抱きついてくると、いつも怜奈が『はしたない』と眉を吊り上げる。
「ちょっと、懐かしいものを見てたんだ」
「また思い出? いつ頃の奴?」
俺が思い出を見るのが癖になってるのは、皆にバレてる。
一人でボーっとしてるときには、無意識のうちにみたいものを頭の中で探している。
「二人とも、赤いランドセルくらいの話だよ。
昔も可愛かったけど、今も成長した分だけ可愛いさが増してるな」
俺の言葉に、怜奈は聞こえなかったようにそっぽを向き、璃奈は瞳を輝かせる。この二人の反応の違いが、可愛く面白くもある。
「それ、私の話?」
「璃奈もだけど、怜奈もな」
「? おねえちゃん、どっちかっていうとキレイ系じゃない?」
「世間の評価からすればそうらしいけど、俺からすれば、怜奈はやっぱり可愛い…だな」
「どのへんが? なんで?」
璃奈の瞳が、途端に興味本位という輝きを増す。
怜奈は、いつの間にか横顔から後ろ姿に、向いてる方向が変わってる。
「周りは怜奈のことを、容姿端麗とか、眉目秀麗とか、そんな言葉で飾りたがるだろ?
だけど、怜奈が持っているのは、その一面だけじゃないことも、俺は知っている。 弱点がたくさんあるのを必死で隠そうとしてたり、
オシャレに興味ないって顔しながら、自分の体重や体型がとっても気になってたり、
そういう、誰にでも見せるわけじゃない怜奈の表情は、すごく好きだし可愛いと思う」
一息に俺がしゃべるのを、璃奈がうんうんとニヤケ顔でうなずきながら聞いてくれた。
ここからだと怜奈の背中しか見えなくて、怜奈がどんな表情をしているのかも見えない。
「ホントに愛されてるね、おねえちゃんは。いいなー、女としては本望だと思うよ」
ニヤニヤと笑いながら、わざとらしく羨ましそうな声を出す璃奈。
心底楽しんでるな、璃奈。
「そ、そういう話は、本人のいないとこでやりなさいよ」
そっぽを向いてた怜奈が、真っ赤にした顔をこっちに向けて抗議する。
ただ、いつものような怒った声じゃないのが、余計に可愛らしい。
「褒めてるのに、なんで怒るんだろうな?」
「ねー」
璃奈に便乗してみると、璃奈が親指を突き出してきそうなくらいの満足げな笑みで返してくれる。
怜奈は震えながら顔を赤らめさせて、恥ずかしさを怒りに変換していた。
まったく、これだから怜奈の話をしながらその表情を見るのは、飽きがこない。
「いいから、止めなさいっ! それと、眉目秀麗は、男に対する褒め言葉よっ!」
「女の子に大人気のおねえちゃんには、ぴったりの言葉じゃん」
言われた怜奈が、ぐっと言葉に詰まる。
さっきは璃奈もあえて言わなかったみたいだけど、怜奈は綺麗よりも格好いいで形容されるのが、実は一番多い。
自分の意見を持ち、勉強も運動もでき、何事に対しても真面目で、誰に対しても優しい。
いわゆる、『できる女』、『憧れのおねえさま』という評価が、同性に格好いいという印象を植え込むらしい。
「あ、そっか。眉目秀麗が男に対しての褒め言葉なら、おねえちゃんがとっきーを褒めてあげればいーじゃん」
「な、なんで私がそんな…」
「無理に褒められても、みじめになるからやめてくれ」
太ったり痩せたりとか、筋肉をつけたり、肌を綺麗にしたり、清潔にしたり、そういう努力すれば可能な部分はいい。
けど…骨格が気に入らないとか、整形しないと好みじゃないとか聞かされたら、さすがに落ち込む。
「な、べつに、そんなこと…」
言いよどむ怜奈を見て、璃奈がいい笑顔を浮かべる。
「ほら、おねえちゃんから見たら、とっきーは眉目秀麗っていうぐらい格好いいって」
「誰も、そんなこと言ってないでしょ! もう、さっさと行くわよ」
話を強引に打ち切って、怜奈が歩き出す。
ごまかされた…か、あいつがどう思ってるのか、ちょっとくらい聞きたかったのにな。
逃げるように、足早に奥へと足を進める怜奈の後を、勝利の余韻を味わう璃奈と一緒に追いかけていった。