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07

大きな旅館の門を前にして、各々が自分の荷物を足元に下ろす。

「本当に、ここで間違いないのね?」

「んー」

思い出すようにあごに人差し指を当てて、可愛らしく璃奈がうなる。

既に二件ほど似たような名前の旅館に立ち寄っては出てきたおかげで、すっかり怜奈が警戒してる。

『着いてのおたのしみ』と言って璃奈が事前に教えなかったのに、取った宿の名前の控えを忘れてきたのは致命的だ。

「で、どうなの?」

「いーよ、一人で見てくるから」

ちょっとむくれて歩き出そうとする璃奈の肩を、なるべく優しくぽんぽんと抑える。

「俺も行く。みんなは待っててくれ」

振り返って俺の顔を見た璃奈が、本当に嬉しそうに笑顔を咲かせる。いつもの笑顔とも一味違う、そんな嬉しさを押し出した笑顔だ。

「ありがとっ。だから、とっきー大好き」

俺の腕に飛びつく璃奈と歩き出そうとして…舞衣に、手加減なしに袖を引っ張られた。

「先輩っ! あちらをごらんくださいっ!」

「ここでいいみたいだよ」

綾乃と舞衣が指差すのは、団体客を迎えるときに使われる達筆で書かれた紙の並ぶ場所。

その中の一つにある、『歓迎 無駄話研究会様』に、ようやく目が留まった。

「…はぁ」

眩暈めまいを感じたのか、ガクリと首を曲げて項垂れる怜奈。

身内サークルが星の数ほど存在するウチの学校では、冗談みたいな名前も珍しくない。

だけど、それを学外で使ったのは、たぶん、ウチぐらいだ。

「あの名前を、それほど世に知らしめたいの?」

千切れる寸前なんじゃないかと思うほどに頬を引きつらせる怜奈に対して、いつものごとく璃奈は何にも動じていない。

「えー、待遇いいんだからいいじゃん」

「あれは、待遇の良し悪しとは、別次元の問題で…」

「いらっしゃいませ、お待ちしておりましたっ!」

姉妹の言い合いを遮って、明朗な声が響く。

その奥では、聞こえるように一生懸命声をはりあげました…という顔で、着物姿の少女が立っていた。

もしかしたら、何回か声をかけてくれていたのかもしれない。

「どうぞ、中へいらしてください」

一声で険悪な流れを完全に持っていってくれた少女に心の中で拍手しながら、荷物を持って中へと進んだ。



玄関を入ると、受付の奥でさっきの少女が待っている。他の人がいないところを見ると、どうやら、この子が受付担当らしい。

「さて、と…」

つぶやきに横を見ると、一瞬で直人の顔つきが変わった。悪い癖が出る予兆だ。

「璃奈、受付してきてくれ」

「ん、はーい」

「ちょっ、待てよ…」

直人が手鏡でメガネの位置を直している間に、いい笑顔といい返事の璃奈がとたたっと走っていく。

さすが、以心伝心の確信犯だ。

「予約した織原ですけどー」

「織原様…というと、無駄話研究会様でよろしいですか?」

「はーい」

「少々お待ちくださいね」

鍵を取るために従業員の女は、近くの棚へと振り返る。

女の視線がなくなった途端に、本性を表した直人が目つきを険しくする。

「お前、今日の夜は覚悟しとけよ。俺と同じ部屋に泊まること、後悔させてやる」

未だに部屋割りに納得いってない直人の恨み言に、なぜか従業員が勢いよく振り返る。

「?」

「え? …あれ?」

メガネの位置を直しながら、慌てて宿帳らしきものをめくる。

開いたページを、何度も指でなぞりなおして、こくこくとうなずいては首をかしげている。

 さて、何か起こったことだけは確実みたいだな。

「え…と、ね、念のため、部屋割りを確認させていただきたいのですが…」

「この二人で一部屋分、お願いします」

髪を整えてあいつなりに格好いいと思っているらしい、微笑の直人と前に出る。

「えぇぇっ!?」

ノートに顔を思いっきり近づけて、叫びだした。

どうして、この組み合わせが想定外の出来事なんだ?

「………」

口を開こうとした怜奈が、言葉を失って口を閉ざす。

たぶん、俺と同じように不安はあるんだろうが、原因までは予想できてないんだろう。

「璃奈、何したんだ?」

「ん? なーんにも?」

その無邪気な笑顔が、余計に恐い。

「お客様、それは、ちょっと…」

視線をそらして、申し訳なさそうに言葉を濁す。

「予約しておいたのは、二人部屋なんですよね?」

「ええ、まぁ…ですが…」

心なしか頬を赤らめ、俺と直人のことをチラチラ見る。

何回か口が開きかけてはあわあわと閉じ…を繰り返し、ようやく言葉が出てくる。

「ダブルのお部屋に男性二人をお泊めするわけには…」

「ダブ…ル?」

って、ダブルベッドのダブル?

一つのベッドに二つの枕、耳元で聞こえる相手の吐息。

寝返りをするだけでも相手に触れるような至近距離に、男と二人。

「ッ!」

身体中にまわりそうになった鳥肌を、できもしないのに抑え付けたくなる。

誰かが楽しむのなら、主体にだろうと客観的にだろうと好きにすればいい。

だが、俺はその楽しみ方に、少なくとも主体で参加するつもりはない。

冷静に考えなおすと、直人のさっきの発言も危ういわけだ。

「俺と同じ部屋に泊まること、後悔させてやる」は、「俺様の美技に酔いな」くらいの印象でもおかしくない。

「私としては、別にそれでもかまわないのですが…」

上司が作った制約に口出しできない人間の何気ない一言なはずなのに、頬を赤らめられていると微妙な気分になる。

人差し指で支えてるメガネをかけるようになった原因が、気になるな。

そらした視線の先で、どんな勝手な想像をしているのか、見てみたい。

「い、いかがいたしましょうか?」

俺の表情に気づいたのか、慌てたように作り笑顔で問いかける。

「他に空き部屋はありませんか?」

「申し訳ありませんが、既に空き部屋はございませんので、この中で収めて頂くしか…」

「男二人がダメだというなら、あなたを誘って三人で…というのは、いかがでしょうか?」

「…え? えっ!?」

何を言われてるのか分からなかったのか、二度目に聞き返したときには、顔が真っ赤になっている。

「やめなさい」

綾乃の声の冷たさに驚く暇もなく、直人が俺の横から消える。

たぶん、襟首をつかまれたんだろうな…嫌な音が聞こえたが、振り返るのが恐い。

「すみません。あまり気にしないでください」

「あ…はぁ…」

頬を赤くしたままで、相手が曖昧にうなずく。

「確認させていただきたいのですが…あなたは、愛する二人を引き離そうというのですか?」

なぜか大人びた口調で、紗希が真剣に従業員に訴えかける。

ごめん紗希、それだけは、まったく笑えない。

紗希の真剣な瞳に負けそうになりながら、従業員が申し訳なさそうな顔で小さく首を横に振る。

「大変申し訳ございません。建前的なマニュアルの言葉ですが、倫理上と衛生上、問題がある…と」

最近の旅館は、そんなことまでマニュアルに書いてあるものなのか。問題予測の全網羅にも程がある。

その企業努力は、いっぺん見せてほしいぐらいだ。

「すみません、女同士なら大丈夫ですか?」

俺たちでは進展が望めないと思ったのか、怜奈が助け舟を出してくれる。

怜奈の横目が、『しっかりしなさいよ』と言ってるようで、なんだか申し訳ない。

「え、ええ…まぁ…」

「女性同士でしたら、その…なんとか」

こちらの人数比を確認した後で、仕方なさそうにうなずく。

「じゃあ、部屋割りが決まり次第、また声をかけさせていただきますので」

「ご期待に添えず、申し訳ありません」

ご期待…ね。

なんのご期待なのか、聞き返すのは恐いな。


身内の失態がよっぽど痛いのか、怜奈は顔を赤くして力なく俯いてる。

「こんなことになるなら、私がやっておけば…」

頭痛を抑えるように、怜奈が額に手をあてる。

璃奈がケアレスじゃすまないミスをしたあとに一番よく見られるのは、間違いなくこの格好とこの表情だ。

「悩むより次のことを考えないと…ですよ」

「ありがとう」

 舞衣に励まされて、ようやく怜奈が顔を上げる。

 さすが、ウチの部きっての癒しだな。

「男は度胸、なんでも試してみるもんさ…が見れると思ったのにね」

「その提案は却下されただろう?」

紗希のからかうような笑みに、ため息をつく。

これが、相手の心に気づかないイジメってものなのか。

「まったく、あんたが積極的に動くとロクなことがないわね」

「なんで? 二人部屋なんだから、ダブルでしょ?」

最初の部屋分けだと、綾乃以外は全員『やおい』か『百合』扱いだ。

自覚がないだけに、璃奈の失敗はエグイことのほうが多い。

「まったく、ダブルとツインの違いも知らないの?」

「? どっちも、2って意味でしょ?」

「いいわ、もう聞かない」

もう一度、額に手を当てている怜奈に見せ付けた璃奈の指は、2じゃなく勝利のVだ。

「え、でも…私も知らないですけど…ダブルとツインって、どういう違いがあるんですか?」

「え…? あ…えっと…だから、それは…そ、そんなこと、わたしには言えないわよっ!!」

あわてると赤くなるだけじゃなく、声が大きくなって、すぐに目線を合わせてられなくなる。

こうなったらドツボ、マジメな分だけこの手のネタをうまく返すのが苦手なのは、ちっとも進歩しない。

「?」

怜奈の反応の理由がまったく分からないのか、舞衣が首を傾げる。

「そんなお前にヒント1、配置が大人用になっている」

「おとな用…ですか?」

「ヒント2、そもそも、ツインとダブルじゃ目的と用途が全く違う」

「目的…ですか?」

「まだ分からないか?」

最初はからかうようだった直人の笑顔が、だんだんと呆れ顔になっていく。

そんな反応を申し訳なく思ってなのか、舞衣が真剣にお願いする。

「もう少し…もう少しヒントをくださいっ!」

二人の間に入った綾乃が、優しく舞衣を止める。

「やめなさい。無理して知るものじゃないから」

その優しい声から考えられないほどの温度差で、今度は直人に向けて口を開く。

「あんたも、女の子に変な知識を植え込むのは、やめなさい」

「最終ヒント、俺は、この中の誰ともお断りだ」

綾乃の冷笑に物怖じせずに、言いたいだけ行って直人は顔を背ける。

あの恐いもの知らずな度胸は、本当にすごいと思う。

「???」

「ん、そういうことねっ!」

「………」

舞衣が首をかしげ、璃奈がうんうんとうなずき、紗希は満面の笑みで何もいわない。

いつものことながら、低学年組みの知識と理解力の差がハッキリしすぎてる。

最初から全部分かっている自分の妹の成長度合いに、ちょっとだけ心配になる。

どこか歪んだ豊かな知識と人生経験は、偏った書籍から…だと思うけど。

「な・ら…わたしが、とっきーと一緒の部屋で丸く収まるじゃない」

俺の腕にしなだれかかるようにして、璃奈が艶っぽい笑みを浮かべる。

この表情だけ見てたら、年下とは思えないくらいの美貌だ。

「そ、そういう性質の悪い冗談はやめなさいって、いつも言ってるでしょ!?」

「わたしは、いつだって本気だもーん」

騒ぐ二人から離れた俺に近づいて、舞衣が俺の袖を引っ張る。

「イマイチよく分からなかったんですけど…先輩、どういうことですか?」

「そこで、俺に来るか」

こういうブラックジョークを純真な子に説明するのは、なかなかに難しい問題だ。

「えっ? 聞いたら…いけない言語でしたか?」

その涙目な反応が、余計に説明しづらい。

「ん…」

ちょっと考えてみても、伏せた事実をわざわざ公開するような言葉しか出てこない。

「じゃ、わたしが説明しようっ! の役やるね」

困った俺を見かねてか、紗希が間に割って入ってくれる。

「簡単に言っちゃえば、ツインは友達用、ダブルは家族用ってこと」

「家族と…友達?」

そういう核心から逃げたのに妙な説得力のある台詞が瞬時に出るのは、見事と言わざるを得ない。

「じゃあ、目的っていうのは?」

「目的は…家族の団欒と、友達との親睦だと違うでしょ?」

「あ、そっか」

顔色一つ変えないで友達を騙す妹。

それが、いつか自分の身に返ってきそうで恐い。

「だったら、先輩と紗希は一緒の部屋ですか?」

「そういう話に…なるな」

妹の使った嘘だ、ここで兄が便乗しないわけにはいかない。

「ま、事は起こさないだろうな」

「こと?」

直人の一言に、また舞衣が首を傾げる。

「頼むから、聞き流してくれ」

また、ブラックジョークの説明をするような展開にはしたくない。

…というか、紗希の説明だと、綾乃と舞衣はどう組み合わせても泊まれない話になるんだが…どうか、それには気づかないでほしい。

「じゃ、その気になるようにお兄ちゃんを誘惑してあげるよ」

本人にとって一番の妖艶な笑みを浮かべて、紗希が流し目を送ってくる。

その見慣れた誘惑を見ても、この状態じゃ苦笑いしか出ない。

「んー、でもお兄ちゃんとは家でも一緒に寝てるから、あんまり目新しさがないし…

 やっぱ、お風呂あがりに浴衣で勝負をかけないと…かな」

「へぇ、やることはやってるんだな」

笑う直人より、怜奈と綾乃の無言の圧力+冷ややかな目線がすっげー痛い。

軽蔑の視線が、いらない勘違いをしてると証明してくれていた。

「さっき言ってた、『一緒に寝たのが一番多い』って、昔の話じゃなかったの?」

「? 現在進行形だよ?」

そういう意味じゃ、今日の朝のも一緒に寝てたことになるんだろうしな。

別に変なことするわけじゃないし、一緒に寝ても暖かいだけで、何も困ることはない。

俺としても、たぶん紗希としても、抱き枕を使って寝てるようなもんだ。

「お兄ちゃんの上で寝るとね、ところどころがふにふにしてて気持ちいいの」

怜奈と綾乃の軽蔑の眼差しが氷点下まで達しようかという空気の中で、璃奈がうんうんとうなずいてる。

「わかるわかる。だって、おねえちゃんの上で寝るとすごく気持ちいいもん」

「あ、あんた、そんなことしてたの!?」

怜奈が自分の手で身体を抱きしめるようにして、顔を真っ赤にする。

まさか、妹が自分の上で寝てて気づかないとは、本人も思ってなかったらしい。

実際、何度か怜奈の上で寝てる璃奈を見たことはあるけどな。

「お姉ちゃんって一回寝ると絶対起きないから、どこを枕にしてもおっけーだし」

璃奈に『触ってみれば?』『私は黙ってるよ』と悪魔の誘惑を連呼され続けて、理性が危なすぎたことがあったっけ。

でも、なんとか一線は超えなかった。

怜奈の無防備な寝顔を見てると、魔が差した…という犯罪者の申し開きも分かるような気がする。

「おにいちゃん、あったかいし寝心地抜群だよ。下手な安眠道具を買うより、ずっと効果は高いね」

紗希がなぜか自慢話のように、舞衣に得意げに話している。

「でね…」

紗希が声を小さくして、舞衣に耳打ちする。

何を言ってるのかまったく聞こえないでいると、舞衣の肩が跳ね上がった。

「で、でも…ホントに?」

「絶対。だって、私が…」

かろうじて内容が聞き取れないくらいに、二人が声を落として話を続ける。

紗希と話しながら舞衣の視線が何度もこっちに向くのを見る限り、話題の種は俺なんだと思うが…。

「ちょっと、脱線はそのくらいにしておきなさい」

怜奈の指差すほうに視線を向けると、フロントのほうからの不安そうな視線と目があう。

さっきの従業員と目があい、わたわたとあっちが視線を外してから、気づいたように頭を下げてきた。

客商売は、相手が年下だろうと礼儀が必要…か、大変なんだな。

「俺が紗希と一緒の部屋なら、綾乃と舞衣の二人でいいか?」

話を振られた二人が、互いに相手に目線を交わす。

「いいかな?」

「はい。お願いします」

舞衣がぺこっと頭を下げて、それに答えて綾乃もちゃんと頭を下げる。

この二人にしたほうが、まだ相性はいいほうだろう。

「璃奈と怜奈は、そのままでいいな?」

「残念ながら、文句を言える立場じゃないわ」

「そゆこと」

どうやら、これで丸く収まったらしい。

直人が頬を緩めて笑っているが、それは見なかったことにして。

「じゃ、荷物を置いたらウチの部屋に集合で」

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