06
「到着ーーー!」
寂れた駅の改札を一番に抜けて、綾乃が高らかに叫ぶ。
乗り物はきらいで、さっきまでほとんどしゃべらなかったのが嘘みたいだ。
「ここから歩くんだろ?」
どっちに歩くのか検討をつけにくいほど、降りた客の人数は少なく、人通りもない。
遠くの畑から名前も分からない大きめの白い鳥が飛び立ち、山へと飛んでいくのが見えた。のどかだな。
「パンフレットには、たしか、徒歩30分くらいと書いてありましたけど…」
「どーせ部費なんだから気前よくタクシーで行こうよー」
公衆電話のあたりに書いてあるタクシーの広告をめざとく見つけて、璃奈がわめく。
あの歩きづらそうなヒールの高いブーツじゃ、長い時間歩きたくないだろう。
「やめておきなさい、いろいろ上に睨まれてるんだから」
「いいじゃん。男女合同合宿とか言って、お泊まり会で遊んでる人たちもいるんだし。
チア部なんて、どこの部活からも呼ばれてるから、けっこー無茶してるよ」
チア部は、学校最大の部で、数ある部活の活動意欲を高めるという名目で発足された。
だが、チアというのは隠れ蓑で、意中の相手に少しでも近づきたい奴らの集まりだ。
片想いの相手が部活をしてるなら、まずはチア部にご相談。
『恋をしたら、一度いらっしゃい』が部長に許された名文句だ。
学年性別を問わず参加可能で、相手に拒否されない限り、時間、場所など制限なしで応援が許される。
つまり、普段の練習なんかから相手を手伝うという大義名分で、好きなだけ近くにいられるシステムだ。
男女ともに人気が高ければ親衛隊クラスも発足されるため、運動部の大会となれば、三桁に届くほどの人間が動く。
多くの派閥と権力争いのある、不穏だが確実な利を提供してくれる部として有名だ。
学校側としても持て余してはいるが、発足前後での活気に差がありすぎて、止められない状況らしい。
「大手と張り合ってどうするのよ? ウチは弱小なのよ?」
「弱小だから、チェックゆるくて見逃してもらえるんじゃないの?」
「そんなに甘くないわよ」
「ね、とっきーもそう思うよね? ね?」
俺を味方につけようと、璃奈が俺に顔を近づけるぐらいの勢いで聞いてくる。
「部内の決済権限は部長にある…って話か?」
「そう、それ」
悪びれもしないで、璃奈がうんうんとうなずく。
璃奈のこういう態度に眉をひそめる人も多いが、俺としては、こうして嘘なくお願いされたほうが気分はいい。
「じゃ、その前に確認させてくれ。綾乃は、歩くだろ?」
「もちろん」
基本的に乗り物が嫌いで、しかも、金が掛かるとなれば、綾乃は絶対反対派だ。
「二人はどうしたい?」
「どっちでも」
「わ、私も、どっちでも服従します」
紗希と舞衣が、波風の立たない返事を返してくれる。
服従っていわなくてもいいと思うが。
これだと、2対1で乗らない派のほうが多いか。
「多数決でダメってこと?」
「いや、そんな決め方はしない。璃奈がどうしても歩きたくないなら、申請じゃなくて、自腹でタクシー使ってもいいしな」
ちなみに、部費は今回の旅行で底をついてるんだが、璃奈はたぶんそのことを綺麗に忘れてる。
ま、それはこの際どうでもいい。
「本当に、歩きたくないな?」
璃奈がちょっと考え込むような仕草を見せてから、屈託なく笑う。
「しょうがないなー。とっきーが歩きたいなら、付き合ってあげる」
さっきの言葉や態度が嘘のように、璃奈が笑顔を見せる。
璃奈は、自分に素直すぎるから思いつきが言葉に出るだけで、絶対にそれを通さないといけないわけじゃない。
なんでも無制限に聞いたり受け入れたりするから、あいつがワガママだっていう勘違いが生まれるだけだ。
甘えるっていうのが、あいつなりのコミュニケーションなことは、長い付き合いで分かってる。
「歩くのはいいけど、そのかわり…足が痛くて歩けなくなったら、お姫さま抱っこしてね」
甘えた軽口もいつものこと、可愛げがあって大変よろしい。
「べつに、今からでもいいぞ?」
「まだいいの、その代わり、手、貸してね」
なんだかんだいいながら俺の手のひらを握って歩く璃奈の横で、俺も緩やかな上り坂を歩き始めた。
大自然に囲まれ、周りの風景を楽しみながら、のんびりと歩く。
遥か下を流れている綺麗な川の音が、わずかにここまで届く。
木々の隙間を吹き抜ける冷えた風は、本当にいつもと味の違う空気を運んできてくれる。
こんな、のどかな散歩もたまには悪くない。
「ねえ、大輔。部屋割りって、どうなってるの?」
隣を歩く綾乃に聞かれて、はたと思い出す。
そういえば、人数分の部屋を取ったって報告しか聞いてなかった。
今回の幹事は、持ちまわりの順番では璃奈か。
「璃奈、決めてあるか?」
「二人部屋が三つに一人部屋が一つ、それしか空いてないんだって。組み合わせは決めてないよ」
はい、二人組み作って…か。こういう余りが確実にできる二人組みを用意するのは、どうしても好きになれない。
「どうやって決めましょうか?」
「アミダにロマンを賭ける? それとも、ジャンケンとか?」
「どっちにせよ、万が一で毒牙に掛かるような決め方はオススメしないわね」
紗希の運任せという意味で平等な提案を、怜奈が良識の元に両断する。
紗希の意図は俺の心配事への回答みたいだったが、あいつは苦笑いで引き下がった。
まあ、怜奈も悪気があるわけじゃないしな。
「決めるも何も、男二人なんて一緒でほとんど決定だろう?」
「何でそういう発想になる? 俺と寝て、何か面白いか?」
隠そうともせずに、露骨に嫌な顔で対応してくれる直人の潔さには感服する。
「好きな女がいるなら、もう少しこういうところで積極性を出せよ」
「そうは言ってもなぁ…」
怜奈と同室になりたいなんて言ったら、張り倒されること間違いなし。
冷ややかな視線に突き刺され続けてこの旅行が終わるのは、簡単に予想できる。
「やめといたほうがいいよ」
怜奈へと向けた俺の視線の意味を一番に理解した璃奈が、悪戯っぽく笑う。
そうなればなったで面白いけどね、と顔に書いてあるような笑顔だ。
「ずーっと仏頂面で無言のおねえちゃんなんて、息が詰まるよ? 愛想笑い一つできないんだから」
怜奈が物言いたげな表情で璃奈へと振り返るが、何かを言う前に俺が遮った。
「俺は、それでも怜奈が傍にいてくれれば、それでいい。
別に無理して笑ってくれなくていい。そこにいてくれれば、それで十分だ」
言って怜奈の顔を見ると、目が合って一瞬の間を空け、盛大に目を逸らす。
「まったく…何言ってるのよっ!?」
ついつい、いつもより声が大きくなっているのに、本人はたぶん気づいてない。
これ以上ないと思えるほどに頬を染めてる顔が可愛くて、だからこそ、追い討ちをかけたくなる。
「だって、好きな人がいつでも見える場所にいるって、それだけでいいだろ?」
「知らないわよ、そんなのっ!!」
カツカツとさっきまでの二倍ぐらいの足音で、一気に怜奈が先頭に立つ。
たぶん、誰にも顔を見られたくないんだろう。
「ったくもー、イラッと来るぐらいに愛されてるんだから」
少し不機嫌そうな声に、ちょっと呆れたような顔。
それが、悪戯を思いついた子供の笑顔にかわって、すっと璃奈が俺に近づく。
「しょうがないなー。姉の不始末は、妹の不始末だし。姉にかわって、わたしがご奉仕いたしましょう」
わざとらしい口調で、まさにこれ見よがしに璃奈が笑顔を浮かべた後に、上目遣いに俺を見る。
「可愛がってね、とっきー」
いつもの、ちょっと近すぎると思うぐらいの距離で、そんな甘い声を出されると不思議な気分になる。
感覚をとろけさせるような璃奈の妖艶な仕草に、ちょっとだけ顔が熱くなりかけた。
「ダメよっ!」
さっきまで先頭にいた怜奈が、こめかみのあたりをひくひくさせて引き返してくる。
「なんで? っていうか、何がダメなの?」
心から怜奈の表情を楽しむような笑顔で、璃奈が問いかける
「だ、だから…男女で同室なんてダメに決まってるでしょ!」
「どうして、ダメなの? 昔は、おねえちゃんもわたしも、とっきーとおんなじベッドで寝たじゃない?」
でっかい枕をみんなで使ってお昼寝なんて、懐かしいな。
あのときの怜奈は、今思い出せるからこそ余計に貴重、そんな可愛らしくあどけない存在だった。
「話をすり替えないっ! こんなのは常識の問題でしょ!?」
騒ぐ姉妹との間を遮るように立つ綾乃が、いつものように微笑む。
「ね、今日は気分を変えて、あたしと一緒の部屋にしよ? あたしが、一日専属でメイドさんやるから」
いい考えでしょ? とでも言いたげな綾乃の満面の笑み。
「それで、今回の…少しでも返すんだから」
本人は俺に聞かせていないつもりで、そう小さくつぶやく。
どうやら、それが本音らしい。
「気にしなくていいって言ったろ?」
予算消化のために企画された旅行なのに、璃奈の計算ミスで予算オーバー。
といっても、璃奈の組んだ予算を皆が(特に怜奈が入念に)チェックしてのことだから、誰も文句は言わない。
で、全員を無料にするには部費が足りない。
争議の結果、金持ちの直人と俺の男子二人が自腹で、女子は全員無料ということで落ち着いた。
その結論が、今でも綾乃は気に入らないらしい。
「気にしてないし、だから、いつもの方法で返すの」
そう答える綾乃の顔には、決めたことは変えないからね、としっかり書いてあるように見える。
ウチの部員のほとんど共通の特徴、言い出したら意見は変えない…だからな。
「どっちでもいいから、さっさと行こうぜ」
足を止めて話し込んでいたた俺たちに、直人の軽い苛立ちを含んだ声が投げかけられる。
さっきから、女と全くすれ違わないのが、直人にとってよっぽどストレスらしい。
老若美醜は自分で決める、女とすれ違って評価するのが、あいつには呼吸と同じぐらい大事らしいから。
「? 越智先輩は部屋割りに意見しないんですか?」
「あいつが誰と一夜を共にしようが、かまわん」
「俺は、一人部屋を確保できればそれでいい」
「一人が…いいんですか?」
寂しそうな、まるで可哀想なものを見るような表情で、舞衣が直人を見上げる。
それに応えるように、直人は物憂げな表情を浮かべた。
「残念ながら…」
返事をためらうように言葉を区切る。
と、その直後、直人は鑑定士のような目つきで、紗希、舞衣、璃奈と数秒間で視線を走らせる。
眼鏡の奥にある瞳の動きは追いきれず、どこを見て何を考えてるのかまったく分からない。
紗希と璃奈は平然と受け流し、舞衣だけが突然のことに驚いて紗希の後ろに隠れた。
「低学年組みじゃ、やっぱり話にならないな。お前らの未熟なボディラインには、未だに煽情の二文字は宿らない」
そう言い切り、同じように綾乃と怜奈に、無遠慮な視線を向ける。
直人のその行為は、一歩ずつ今にも壊れそうな薄氷の上を歩いているようで、見ているだけで恐い。
「顔はともかくとして…身体だけでいうなら、春川より織原姉のほうがマシ。
だが、それもマシというだけで、そんな狭い選択肢に俺は囚われるつもりは…」
ふわっと風が吹いた気がして、その後に骨に染み入るような鈍い音が響く。
綾乃の右拳と怜奈の右回し蹴りが、綺麗に直人の顔面を挟みこむ。
なんとか擬音で表現したいところだが、濁音が強すぎてどうしていいか分からなかった。
「どういう意味よっ!?」
「冗談じゃないわっ!!」
「がふっ…」
それだけを返事して、直人が地面に突っ伏す。
大事な何かが潰れててもおかしくないくらいの勢いだ。
こんなことを何度もしているから、あいつの病状が悪化しているような気もする。
「拳と蹴りで相手の顔面挟む技って、前に3D格ゲーであったよな」
「あー、三人のうちから一人選んで進む、RPG風味な部分があったアレね」
「だったら、お兄ちゃんは、追い討ちで首絞めなきゃっ」
「すでに意識とんでそうだからやめとく」
しょうがないから、意識不明の直人を右肩の上に担ぎ上げる。
よくマンガなんかである拉致するときの担ぎ方だが、これが一番負担がなくていい。
意識が朦朧としてるのか、揺られるままになった頭は、俺が歩くのに合わせてがくがくと前後に跳ねた。
「しょーがない、決まるとこから決めてこっか」
紗希がそう呟くと、舞衣の隣まで駆け寄る。
「舞衣、どうする? 参戦する?」
ちょっと困ったように顔を赤らめてから、舞衣が小さく首を横に振る。
「私は…紗希と一緒がいいな。だって、そうじゃないと眠れなくなっちゃいそうだし…」
その舞衣の反応が嬉しかったのか、紗希が優しい笑みを浮かべて舞衣の手を握る。
「はーい、ご指名ありがとうございま~す。精一杯、御奉仕させていただきますねっ!!」
「紗希は、いいの?」
「ふふん、自慢だけどね、この中でおにいちゃんと寝た回数は誰にも負けてないの」
誰に向けたのか良く分からない勝ち誇った紗希の笑顔に安心したのか、舞衣も穏やかな笑みを浮かべる。
ホントに、この二人は仲いいな。
「これでワンペアね。ツーペアめは?」
紗希の言葉にも反応しないで、璃奈と怜奈は真っ向衝突の真っ最中。
ったく、本当に口喧嘩の耐えない姉妹だ。
「おねーちゃんも素直じゃないね。ホントは誰より、とっきーと一緒に寝たいくせにー」
「冗談も、大概になさい」
やれやれ、怒りが振り切れた怜奈の沈みモードが発動か。
ほっとくと手がつけられなくなるな。
「俺は、直人と同じ部屋にするよ。じゃないと、際限なく無茶しそうだから」
押しの一手で強引に行く直人には、いろいろと思い出したくないレベルの前科がある。
旅館からの苦情が先か、女性客からの苦情が先か、美人局が先か…ぐらいは、みんな考えてることだろう。
「えー」
「えーじゃないの、それが当たり前よ」
口を尖らせる璃奈を怜奈がたしなめる。
どうやら、いつもの平和を取り戻せたみたいだ。
「あんたの面倒は私が見るのでいいわね?」
「ま、しょうがないよね」
璃奈のわざとらしい態度にしっかりと反応して、怜奈の眉がひくひくと釣りあがる。
「不満なら、あんたが一人の部屋でもいいのよ? 今日こそ、一人でなんでもできるもんにデビューしてらっしゃい」
「?」
綾乃が不思議そうに小首をかしげる。
普通に考えたら、璃奈よりも怜奈のほうが一人部屋を使いたがるように見えるだろう。
怜奈の『一人だと寝れない癖』は、まだ直ってないみたいだな。
この年までいくと、昔のトラウマが懐かしい思い出に昇華される日は来ないかもしれない。
「………」
俺の考えていることが聞こえたように、音が出そうな勢いで怜奈が睨んでくる。
いつもの怒っている表情とまた趣が違う、言わないでよね? という言葉が含まれた表情が可愛い。
じっと見つめ返していると、恥ずかしくなったのか、怜奈のほうから視線をそらした。
「うん、私が一人部屋っていうのも、悪くないかも。でもそうするとー、お姉ちゃんの寝言、聞かれちゃうよ?」
必殺の拳を繰り出したような、自信にあふれた笑顔の璃奈。
その威力のほどを見せるように、頬を赤くした怜奈が言葉を詰まらせる。
「な、寝言なんて?」
「責任持てないよねー、誰の名前を呼んだってー」
「…あんた…ねえっ!」
「じゃ、私はおねえちゃんと一緒ってことで」
ポイント化したらすごいであろう有効打に満足したのか、一方的に璃奈が話題を終了させる。
何にも言えなくなったのか、怜奈はただ力なく深いため息をついた。
今回は璃奈の完全勝利だな。
「ね、大輔。本当に、こいつと一緒の部屋にするの?」
あからさまにイヤそうな顔で、俺に担がれている直人を指差す。
「んー、直人と一緒の部屋がいいとは言わないけどさ。誰か女の子と一緒っていうのは、無理だな」
「なんで?」
「可愛い女の子が同じ部屋で寝てて、何にもしないほど男を辞めてないからだ」
同じ部屋で寝息を立てている女の子がいて、興奮しないほど不能じゃない。
そんな真綿レベルの生殺しをされるぐらいなら、最初から諦めたほうがマシだ。
「私は、責任とってくれるならいいよ?」
「そういうことしてる時点で無責任だろ」
「たしかに」
冗談交じりの笑顔を納得顔に変えて、綾乃が小さくうなずく。
その表情に、口には出さない寂しさが見えたような気がした。
一人でいるのは、たしかに誰にも気兼ねしないが、それと同じぐらい時間を持て余すから。
「でも、遊びには行くからな」
「うん」
パッと笑顔になる綾乃、どうやらこれで無事に部屋割りは終了したらしい。
意識を取り戻した直人が騒ぐのは、ここから五分ほど歩いてのことだった。