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05

「…いた」

みんなに飲み物を手渡したところで、綾乃が怒気の混じったつぶやきを漏らす。

鋭くなった視線の先には、時計をちらちら見ている女の子と、メガネをかけた優男の不自然なまでに完成された笑顔。

「…ったく、もう」

綾乃がツカツカと歩いていきそうになるのを、肩に手を置いてなんとか止める。

手を離したら走り出しそうだ。

「ほっといてやれ」

ナンパの是非を問うつもりはないし、基本的にやるのは自由だ。

そういう恋愛の仕方に茶々を入れるのは、何か違う気がする。

「そうはいかないわね。相手の女の子、迷惑してるじゃない」

「時計を見てるって、急いでるか、興味がないってことなのにねー」

璃奈の言うとおり、さっきから女の子は腕時計に何回も視線を送っている。

こんな朝早くから歩いてる時点で用事があるわけだろうから、迷惑かけるのも悪いな。

「襲われてる姫を助けないとね」

「しょうがない」

俺が直接行っても女の子を恐がらせるだけだし、あいつの良心に訴えてみるか。

「行かないの?」

俺が携帯を開くと、その電話で対応が不満なのか、綾乃が棘のある声で質問してくる。

「近づくと怯えさせるし…な」

自慢じゃないが、俺の外見は恐いの一言で片付くらしく、初対面に好印象を持たれたことなんてほとんどない。

助けに行って逃げ出されたら、さすがに俺も傷つく。

「そんなことないって、大輔は恐くないよ?」

苦笑していった言葉を気にしてか、綾乃がちゃんと慰めてくれる。

妹や幼なじみのような関係じゃないのにそういってくれるのは、残念ながら綾乃くらいだ。

電話の呼び出しコールをしてる間、次々に文句があがる。

「手ぬるいなぁ、もうちょっと本気ださないと、届かないんじゃない?」

「そうね、すぐに止めるべきだわ」

「ほら、突撃しよーよ」

みんなして、直人のほうへと歩き出そうとしするのを、なんとか止める。

どうしてこう俺の周りには過激派が多いんだろう。

ここからでも少しだけあいつの着メロは聞こえるのに、当然のように見向きもしない。

「ダメ…か」

「おにいちゃんは、番号を見せちゃうからダメなんだよ。えっちーを振り返らせるなら、非通知は基本だよ?」

立てた指を左右に振ってから、紗希が自分の携帯を耳に当てた。

さっきとは違う着メロに、驚くほど素早くあいつの手が反応する。

俺は電話に出る価値のない相手認定なのかと思うと、なんだかちょっと悲しい。

「はい、もしもし?」

「ひどい…ひどいわっ! ひどすぎるっ! あのときの言葉は、嘘だったのね」

相手に発言の暇を与えず、声色を変えた紗希がまくしたてる。

いつ聞いても見事なもので、俺でも本気で演技してる紗希を見抜けるか自信がない。

アニメとゲームの台詞をずっと真似して得た、あの演技力は、素人にしてはたいしたもんだ。


「あなたの言葉を信じて、わたしはあなたの背中を見続けた。だって、あなたの言葉が嬉しかったから…なのに、なのにあなたは…」

すらすらと即興で言葉を紡いで、悲しい(ある意味痛い)女の子を演じてみせる。

対して、直人は慌てて受話器を両手持ちにして、電話に集中する。

電話の相手の動揺が生で見られる位置って、不思議なもんだな。

「ちょっ、ちょっと待ってくれよ」

「じゃあ、わたしの名前を答えてよ」

筋書きが頭の中で浮かんでいるのか、淀みなくその台詞が出てくる。どうなるのか、ちょっと楽しみでもあるな。

「声だけじゃ、わたしの名前もわからないの!?」

半分叫ぶように問い詰める紗希、相変わらず芸が細かい。

「…と…ん」

あいつが戸惑っている隙に、女の子がそそくさと離れていく。

どうやら、アリ地獄からアリを助けだせたみたいだな。

「クリア…だな」

それを見ていた紗希が、ぐっと親指を立てて勝ち誇った笑みを浮かべる。クリアの瞬間の達成感に満ちた紗希の笑顔はまぶしいくらいに輝いていた。

「ねえ、まだなの? 本当に…わたしの名前が分からないの?」

さっきと一転して、今度は苛立ち混じりの声で、紗希が直人を急かす。

受話器に向かって頭を下げるようにしてる直人を見ると、なんだか同情してしまう。

「ちょっと待って、そんなに急がないでよ。そんなに急いだって…」

直人の声を聞きながら、大人びた微笑を口元に称え、紗希が妖しく微笑む。次に紡がれたのは、冷たく硬い、大人の女の声だった。

「私の名前、教えてあげるから、心して聞きなさい」

「我が名は、時村大輔の寵愛を注がれる唯一の存在、時村紗希。この名を胸に刻み…」

ブチッ

「あーあ、切れちゃった」

こちらを振り返ったあいつが、引きつった笑顔を向けている。

ついと直した眼鏡の奥で、目が怒りに燃えていた。

「本当に目が三角だな」

「守ってね、おにいちゃん」

猪突猛進で走って来るかと思ったが、怒りを溜めるように時間をかけてゆっくりと直人が到着する。

だが、直人が解放するより前に、違う場所から怒りが解放された。

「まったく、こんなときにナンパなんかしてどうするつもり? これから旅行に行くのよ? 分かってる?」

「成功したらキャンセルに決まってるだろ?」

直人のあまりに真っ直ぐな物言いに、綾乃がふっと息を呑む。

怒りをなんとか静めてるのが、見ていて分かる。

「当日キャンセルがいくらするのか、分かってるの?」

「それっぽっちの金で親しくなれるなら、望むところだ」

ぐしっ…と、綾乃のペットボトルが鈍い悲鳴を上げる。

相変わらず、直人は綾乃を逆撫でするのがうまい。

稼ぎもせずに金を無駄にしまくる直人と、頑張って稼ぐ綾乃の相性は、とことんまで最悪だ。

「あんたの感覚だけは、一生理解できない」

「俺は、いつでも女の子に対して、それぐらい真剣なんだ」

フッと絵になるような笑みを浮かべて、直人が呟く。

話しても無駄と、綾乃はペットボトルのフタを力任せに回した。

イラッとしたときは飲み物で吹き飛ばす、綾乃のいつものストレス解消法だ。

「ま、どっちでもいいけどさ。相手の子、かなり迷惑がってたよ。時計とよそ見は、おことわりの合図なんだから気づかないと」

「一度の出会いで仲良くなれるはずがないだろう。

 人と人は、時間をかけることでより近づき、より親密に…」

「一度会ったら友達でー、毎日会ったら兄妹さー♪」

この空気が面倒になったのか、紗希がいきなり歌いだした。

また、懐かしい曲を持ってきたな。

「どーなってるのか分からないのは、島じゃなくて止め処なく溢れ出す人間の欲望の源泉だな」

「おだまりっ!! このシスコンブラコン兄妹」

イライラと睨んでくる直人に、紗希が勝者の笑みを浮かべる。

「相変わらず、気づかないねー。私の演技にメロメロでしょ」

「身に覚えがありすぎるんだよ」

「何の自慢にもならないわね」

怜奈が頭痛をこらえるように額に手のひらをあて、ため息をついた。

直人はもう誰の声も聞こえていないように周囲をさっと見回して、すっとメガネの位置を直す。

「まだ、妹尾が来てないんだろ?」

新しいターゲットを見つけたのか、ニヤケ顔を隠そうともしない直人。

紗希も、後五分だけ…って言って、時間のないときにゲームをやろうとしたりするけど、それと同じ感覚なんだろうな。

たぶん、直人の女に対する好きってのは、紗希がマンガやゲームを愛しているのと似たようなレベルだと思う。

「行くのは勝手にしていいけど、舞衣のせいにはしないでね」

紗希の視線の先、道路の挟んで向かいの歩道。背が低くて華奢な女の子が、傍目でも分かるぐらいに全力疾走していた。

「律儀だな」

時計を見ても、約束の時間まで数分残ってる。

遅刻するかも…とメールで言ったんだから、少しぐらいゆっくり着てもいいのに。

横断歩道の向かい側で、今にも泣き出してしまいそうな女の子は、

信号が赤の間中『あーうー』とここまで聞こえそうな感じで唇を動かして小さく足踏みし、青になると全力で走り出す。

息を切らせて俺たちの前に来ると、小さな身体をゆらして思いっきり頭を下げた。


「す、すみません…わたしっ…わたしっ……」

肩をふるわせて、今にも泣き出しそうな顔。その潤んだ瞳が可愛くて、つい頭をなでてあげたくなるのを我慢する。

「ほら」

「え、あ…あの…」

「落ち着いてから、飲んだほうがいい。それと、余りもので悪いけど、朝御飯な」

ペットボトルと菓子パンを差し出すと、舞衣がぶんぶんと横に首を振る。

「そ、そんな、受け取れません、不相応ですっ!!」

舞衣の日本語は、言いたいことは伝わるけど、不思議な言葉が多い。

心の中でちょっと意訳しないと分からない時もあるくらいだ。

「でも、朝御飯も食べてないんだろう?」

これでも、舞衣の性格は知ってるつもりだ。

この生真面目で責任感と罪悪感が驚くほど強い後輩が、遅刻ギリギリなのに朝御飯を食べてくるなんて、ありえない。

「舞衣、もらっておきなよ」

紗希に言われて、おずおずと舞衣が手を伸ばす。

 受け取ると、丁寧にぺこっと頭が下げられた。

「すみません、先輩。…あ、ありがとうございます」

謝るよりもお礼のほうがいい、って前に俺が言ったのを思い出してくれたのか、慌てたように舞衣が付け足す。


「あの…」

舞衣の手には、綺麗にカードが差し込まれた白い財布。

その小銭いれの部分が口を開いていた。

「出世払いって約束だ。だから、俺が困ったときに助けてほしい」

「…はい」

しゅんと音が出そうな勢いで、舞衣がうつむく。

そ の申し訳なさそうな顔をなんとかしたくて、気にしなくていいというつもりでぽんぽんと頭を叩いた。

「ッ!?」

ボッと音を立てそうな勢いで身体を揺らして、舞衣がずざっと後ずさる。

「あ、ごめん」

どうも、紗希と同じ感覚で気安く頭を撫でてしまう。

「いいセクハラっぷりだ。相手によっては訴えられて負けるレベルの犯罪だ」

「そ、そんなこと、起こりえませんっ!!」

たぶん、訴えるはずがない…って言ってくれてると思っていいんだろう。

「そのセクハラぶりが、男と女の間には、最も必要なんだ。

 そもそも、異性が相手を魅力的に思ったり、逆に無理だと思うのは、精神的もしくは肉体的に接触をもったときだ。

 そうしていかなきゃ、相手との進展はない。

 無関係な人間は恋愛対象になりえず、絶対に勝ちは見えてこないんだ。

 接触して可能性を高める以外に、方法なんてないんだからな。

 プラスになるかマイナスになるかは、相手の反応と本人の腕次第だ」

語りだしたら止まらない直人のご高説を、舞衣はメモでも取りそうなくらい真剣に聞き入っている。

全て否定するつもりもないけど、直人のは話半分にしておいた方がいいことが多いから心配だ。

「そんな言葉で、犯罪を正当化しようとしないでちょうだい」

直人に対して、怜奈が冷ややかな視線を送る。

「ふわっ…」

その二人が作り出した張り詰めた空間に、可愛い舞衣のあくびが漂う。

二人とも気が削がれたようで、怜奈がいつものため息をついた。

「あ、あ…すみませんっ! ごめんなさいっ! どうぞ、引き続きお願いします!」

ぺこぺこと頭を下げるのが綺麗に逆効果になって、怜奈は小さく首を横に振って離れていった。

「また眠れなかったの? 舞衣」

紗希の質問に、申し訳なさそうに、こくりと舞衣がうなずく。

翌日に何かあると緊張して眠れなくなるのは、舞衣の癖の一つ。

肝がどうこう以前に無神経が多い我が部には、貴重な感覚を持った存在だ。

「ごめんなさい、後輩の方が先に来てないといけないのに…」

「いいよ、わざとじゃないって分かってるから」

「そうそ、遅刻ぐらいじゃ誰も騒がないから」

「時間を意識するから許されるのよ? あんたみたいな確信犯とは別なんだからね」

「もー、お姉ちゃんは心がせまいんだから」

睨みつける怜奈とそれを受け流す璃奈を見て、慌てて舞衣が手を振りまわす。

「あの、私が言えたことじゃないんですが、時間が…」

「だな、行こうか」

「え?」

顔を真っ赤にして、俺が出した手をそーっと舞衣が覗き込む。

なんだか、俺がお手してるみたいな絵だ。

「荷物、貸してくれ。まだ疲れてるだろ?」

その細い肩に食い込んでいるドラムバックの紐が、その重さを主張する。

いつものごとく、あれもこれもと用意周到にしているうちに、置いて来れなかったんだろう。

「そ、そんな、もう全然大丈夫です、完全に平気ですっ、無理もないですっ」

顔を真っ赤にして息を切らせて、日本語にならない言葉を並べる。

どうみても、大丈夫には見えない。

「いいから」

「はい」

申し訳なさと嬉しさを混ぜたような表情で、舞衣が荷物を渡す。

紗希がそれをみて、小さく聞こえるように笑った。

「どした?」

「んん、良いもの見れたなーって」

「?」

「いいの、行こっ」

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