04
駅前までくると、まばらに人が行き交っている。
まだ暗いのに、スーツ姿で歩いている人も何人もいる…ご苦労なことだ。
「綾乃は、定位置か」
少し離れた自販機の前に立つ、見慣れた後姿といつもの帽子。
あいつにとって、朝の至福のひととき…かな。
「いつものでいいか?」
「うん、ありがと」
「わたしもー」
紗希と璃奈が遠慮なしに答え、怜奈だけが聞こえなかったように別の方を向く。
「いつものでいいのか?」
「わ、わたしはべつにいらな…」
「いつものでー」
怜奈の言葉を止めるように間へと割り込んだ璃奈が、見事なスマイルを浮かべて場を収める。
怜奈は、自分が何かをする側なのはよくても、何かをしてもらうことで借りを作るのが苦手だ。
というか、それを口実に言い寄ってくるのが多くて、奢りやプレゼントを意識して避けるようになった。
そんな、その他大勢と同じ扱いなのか、少しだけ悲しい。
「あっ…」
小銭が音を立てて突き返され、自販機に時間切れを宣言される。
「んー、やめとこっかな」
女の子が小さく呟いてから、しゃがみこんで小銭を取り出す。
どうしても、買うときにあれやこれやと迷う癖はなくならないらしい。
その間に決められなかったら、本当は飲みたくないから買うのを止めるのが、綾乃の流儀だ。
「よ」
女の子に声をかけながら、俺は自販機に千円札を突っ込む。
「…! おはよ」
振り返った時には釣りあがってた目と眉がふにゃんと降りてきて、人なつっこい笑顔に変わる。
まるで、子猫がなでられているような無邪気な笑みだ。
「遅れてごめんな」
「ううん、平気」
「直人はもう来てるのか?」
「し、ら、な、いっ!! その辺にいるんじゃないの!」
まるで、尻尾を踏みつけられたみたいに、さっきまでと同じ不機嫌な顔に戻る。
まったく、朝っぱらから八つ当たりのきっかけを作ってくれたらしいな。
「で、何があったんだ?」
「朝からイヤなこと思い出させないでっ!!」
頼まれた人数分の飲み物を買って、左手の上に積んでいく。
バランスを調整しながら、一歩下がって綾乃に場所を譲った。
「決めたか?」
「うん」
「なら、任せた」
「まーかされた…っと」
じっと見つめていた綾乃の人差し指が、てやっとボタンを押す。
ルーレットのように、ランプがぐるぐると回り…当たりの一個手前で、申し訳なさそうにチカチカと点滅した。
「あれっ!? なんでー?」
自分の指を見て、自販機を見て、不思議そうに首を傾げる。
「おっかしーな、調子悪いのかなー?」
まるで、魔法が使えなくなった魔法使いみたいな台詞。
綾乃は、自販機に愛されてるんじゃないだろうかと思うほどの異常な運の良さで、おまけの二本目を引き当てる。
だから、雑食な俺の分を綾乃が選び、当たりを取ったら綾乃にプレゼントしてる。
俺は損しないし綾乃も喜ぶ、一挙両得な話なんだけど…。
「珍しいな、綾乃が外すなんて」
綾乃の押したボタンを、もう一度押す。
自分で選ぶと、どうしてもいつものに落ち着くから、綾乃ぐらいのランダムがちょうどいい。
と、けたたましい音がなって、ペットボトルが2個降ってきた。
「どうやら、一回ずれだったらしいな」
むーっと自販機を睨んでいた綾乃が、何か思い出したのか、慌てて自分のバッグの中に手を入れる。
「はい、150円」
いそいそと取り出した小銭いれからだした小銭を手のひらに載せて、綾乃がすっと俺の前に差し出す。
「別にいいって」
「いつもいつも悪いよ」
小銭を握って、本当に申し訳なさそうな顔でそういわれると、なぜか御礼を言われてるのと同じくらいに気分がよくなるから不思議だ。
「小銭かもしれないけど、積み上げていくと大きくなるんだからね。大事にしなきゃ、後悔するよ?」
綾乃は、よく言えば、お金に細かい。
悪く言えば、家が貧乏なおかげで、貧乏性が染み付いている。
べつに、ドラマにありがちな何かしらの理由で、貧乏なわけではない。
両親は週休二日で共働き、晩御飯は家族でテーブルを囲うという、仲睦まじい幸せな家族だ。
が、収入はいつまで経っても上がらないらしく、無駄を切り詰めなきゃ生活は厳しいらしい。
「綾乃に使うのも、お金を大事にしてることだから、かまわないだろ?」
「でも、私だってバイトしてるんだし…」
「それをいうなら、俺もバイトしてる」
家計を助けるためにアルバイトして家にいれているだけじゃなく、綾乃の節約は徹底している。
買いたい物もほとんど買わず、買う必要のないものは絶対に買わない。
学食派が大多数の中で、わざわざ弁当を毎日作っているぐらいだし、服の中には、綾乃のお手製がいくつかあるという話もある。
以前には、数量限定で手作り弁当を売ってたりもした。
『可愛い女の子の手作り弁当が食べられる』というのは、男子の心をくすぐるものだ。
おかげで、教師が禁止するまで男子の間でオークション状態、高騰しまくってた。
行動的で活動的、学年の誰より生活力のある綾乃は、注目を集めるだけあって反感も多い。
本人はまったく気にしてないから、別にいいのかもしれないけど。
「じゃあ、いつもの方法で返すからね?」
にこっと笑ってから、綾乃の表情に淑やかさが加わる。
さっきまでと別人のような大人びた表情だ。
「お荷物をお持ちします。ご主人様」
穏やかな笑みを浮かべ、綾乃が手の上に積んだペットボトルを、バッグから取り出したビニール袋に入れる。
全部入れ終わると両手で下げて、俺の半歩後ろを静かな歩調で歩き始めた。
『金を返すだけがお礼じゃないって』
『綾乃が喜んでくれたなら、その少し分ぐらいでいいから、気を使ってくれればそれでいい』
『綾乃にジュース代を真顔で返されても、素直に喜べないしさ』
そんなことを不用意に言ったのが、始まりだった。
どうしようと綾乃が迷っていたときに、紗希が部室で見ていたアニメが決め手になったらしい。
『私にたくさんのものを与えてくださったご主人様にできるのは、こんなことぐらいですから』
『ありがとう。私が嬉しいのは、その気持ちと心遣いなんだ』
その台詞に自分を合わせてみたのか、綾乃はメイドという存在をいたく気に入ったらしい。
おかげで、何かあると『ぷちメイドモード』に変身して、いろんな世話を焼いてくれる。
でも、荷物を女の子に持たせるっていうのは、気が進まない。
「荷物持ちぐらいは、俺がするって」
「大輔がお金受け取ってくれれば、やめてもいいよ? 初めて会ったときからおごってもらってばっかりで、何にも返せてないんだから」
「あのときの話は、勘弁してくれ」
綾乃との出会いは、思い出すだけでも恥ずかしい。
◆
怜奈に振られた直後、俺は夕暮れの学内で、中庭の自販機の前に立っていた。
放課後ずいぶん時間が経ってたおかげもあり、周りに人がほとんどいなくて助かったと、今でも思う。
涙目になった自分の姿なんて、誰にも見られたくなかったから。
『この店にあるもの、端から全ていただこうか』なんてアホな思考回路で、自販機のボタンを端から連打。
もしも怜奈からOKが出たら、この金で、あそこに行ったり、こんなことしたり…
そう思ってコツコツと節約し、必死に貯めてきた金をなんでもいいから使いたかった。
自分の手元に残しておくのが、みじめな気がして、悔しかった。
だから、炭酸系はそんなに好きじゃないとか、コーヒーはミルク以外俺の飲み物として認めないとか、
いつもなら当然のように思うことも、考えないで、ただひたすらに、一つずつボタンを押していくことしか考えてなかった。
ようやく2段目の真ん中に来た辺りで、左手に載せてた缶コーヒーが一つ滑り落ちる。
イライラしながら右手を伸ばすと、俺よりも前に缶に指が触れた。
「まだ、買うんですか?」
制服としての決まりでもないのに帽子を被っている女の子が、ちょっと不機嫌そうな顔で缶を差し出す。
俺が気づいていないだけで、どうやら後ろで待ってたらしい。
「ひとつ、いいよ」
一万円札を入れた手前、お釣りをいちいち取り出すのが面倒で、横にずれる。
一本ぐらい惜しくない…それどころか、少しでもお金が減るなら、望むところだった。
「え?」
「ひとつ、好きなの選んでいい」
「でも…」
「いいから」
いきなり奢るなんて言われて戸惑ってる綾乃に対して、かなり悪いことをしたと思う。
なぜか断られていることが拒絶されてるように感じて、意地になっていた。
「あ…」
お札と小銭が音を立てて自販機から吐き出される。
このとき、自動販売機に時間制限があるってことを初めて知った。
「お金は、大切にしたほうがいいよ?」
制服から俺が一年であることが分かったのか、言葉を崩してそう伝えてくる。
でも、そんなことを素直に聞けるわけがなくて。
「予定してた使い道がなくなったから…」
声が上擦るのを抑えて、俺はなんとかそう返事をした。
「だからって、無理に使う必要もないでしょ?
ここまで貯めるの、大変だっただろうし、自分を幸せにするために使わなきゃ、もったいないよ」
初めて会う女の子に、突然そんなことを言われたのに、説教なんていう反発したくなる雰囲気じゃなくて、
優しく教えてくれて、まるで心配してくれているようで。
俺は、500円玉を一枚入れて、もう一度女の子に振り返った。
「何にする?」
「私の話、聞いてた?」
ちょっと呆れ気味に、ジト目で睨まれる。
「俺の買い物は、さっきので終わりにしたけど、一度言い出したことを変えるつもりはない」
一つでも嘘をついてしまえば、さっき、怜奈の前で誓ったあの言葉も嘘になってしまいそうで。
だから、俺は嘘がつきたくなかった。
「そっか」
笑顔を浮かべて、俺が買っていた飲み物の次のボタンを押す。
ガシャンと落ちてからしばらく待っていると、けたたましい音と共にもう一個が落ちてきた。
一本を静かに俺の左手の山に積んで、もう一本を自分の頬に近づけて、最高の笑顔をくれる。
「これ、ありがとね」
まるで、絵を見てるような気分で、ぼうっとして見ていた。
ジュース一本で、こんなに屈託のない笑顔が見られるなんて、思ってもいなかったから。
「あたし、春川綾乃」
「時村大輔、よろしく」
手近なベンチに飲み物を置いて、端から飲み倒していく。
綾乃は少し離れたベンチに腰掛け、静かにその一本を飲んでいた。
お互いに、話はしない。
ただ、そこにいるだけ。
ろくに会話もせずに分かれ、翌日に、同じ教室の窓際にあの帽子の女の子が座っていた。
昨日の時点で全員の自己紹介は聞いてたはずなのに、綾乃のこと、まったく覚えていなかった。
告白前でいっぱいいっぱいだった自分に気づいて、また情けない思いに打ちひしがれたっけ。
それが、綾乃との出会い。
それから紆余曲折を経て、俺を部長に祭り上げた『無駄話研究会』が発足。
曰く、人間の会話の中でも、意思疎通や情報伝達を最優先としない、楽しむための日常会話。
その他愛ない雑談や無駄話の最中に、人間が精神的な快楽を得られる瞬間を研究。
その時間を出来る限り継続させることで、疲れた人の心に癒しを提供することを活動目標としている。
疲れた現在に癒しを提供するサークルだ。
こんな大層な理由を生徒会に提出して作られたサークルだけど、
実際は、落ち込んでいる俺のために、それらしい理由をつけて綾乃が作ってくれた身内サークルだ。
最初は俺と綾乃、それに越智直人という色んな意味で俺を超越した男。
そこに紗希と親友の舞衣が入ってきて、俺の傷も少しは癒えたころに、怜奈を連れて璃奈が来て、合計7人でやっている。
ちなみに、人の心を癒すという実験の第一被験者は、怜奈にふられて傷心だった俺になっている。