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「………」

100円玉を握り締めたままの綾乃が、筐体の横に後ろに動いて、中の位置関係を何度も確認してる。やっとのことで、100円投入…しようとして、やっぱり出来ずに、様子見に戻る。

アームの形を真似るように指先が開いたり閉じたり。

きっと、頭の中では見事につかまれてるターゲットまで想像してることだろう。

「よし」

小さな掛け声のあとに、震える手で100円玉を投入。

じーっと音が聞こえそうなほどに真剣な顔で、動くアームを睨んでいる。

「あっ…」

明らかに目標よりも奥でアームが止まり、ターゲットとは無関係のところを撫でて帰ってくる。

アームは弱めだと思うが、極悪ってほどでもないな。

だが、悲しいことに、綾乃の腕前がついていかない。

「もぉぉーーーっ!!」

悔しそうな綾乃が、バシバシとボタンを叩きつける。

ゲーセンの筐体の耐久度は異常だな、何をやっても壊れたところをほとんど見ない。

「物に当たるのはよくないからな」

「でも、欲しいんだもん」

うぅ…と小さくうなって、物欲しそうにガラスの中のヒヨコを見つめる。綾乃がこんなに欲しがるなんて、初めてみたな。

これが、ディスプレイに並んだ商品とかなら、サイフと相談すれば何とかなるが、クレーンゲーの場合は、サイフと自分の腕にまで相談しなきゃいけないから厄介だ。

「あっ…」

綾乃のためらう声も聞かずに、迷わずに500円玉を投入。

これで取れたら、むしろ安いぐらいだ。

「善処するけど、保証はできないから」

持ち上げて落とすタイプではなく、ずらして落とすタイプなのはありがたい。

「さて、と…」

初心者に必要なのは、運とそれを呼ぶための試行錯誤だ。

わずかでも動くなら価値があるが、撫でるだけなら意味はない。

その意味のない行動回数をどれだけ減らせるかが、こいつの主題になってくる。

効果の薄い場所を何度も試すより、目標とアームの位置関係や角度をこまめに変えて重心を探りながら運を待つ。

「…あっ」

食い入るようにアームを見つめては、ときおり動いた量にあわせて小さな声が綾乃から漏れる。少しずつ、少しずつ、ほとんどミリ単位で、マンガの単行本ほどの大きさはあるヒヨコを動かしていく。

さすがに、連コインなしでは無理…か。

「…っ」

俺が連コインするのを見て、綾乃が硬直する。

何がいいたいのか予測ができるから、あえて知らんふりをする。

「ここだ…な」

アームの利用法は色々あるが、常人離れした使い方の他にも、ちょっとした当たり前の気遣いはいろいろある。

気持ち片側に寄せるだけのことが、意外と現状の打開につながるときも多い。こんな当たり前のことを学ぶための授業料は、笑いたくなるくらい高かった。

「えっ?」

きっかけがようやく運に結びついて、時価千円のヌイグルミが転げ落ちる。

落ちるときはあっけない。

だが、このあっけない充実感が、きらいじゃなかったりする。

「………」

わざわざ取り出し口の前からどいたのに、綾乃は呆然として動かない。たっぷり三十秒待って、それでも動かなくて、しょうがないからヌイグルミを取り出す。

「ほら」

差し出すと、あわてたように両手で受け取る。

きょとんとした表情で、ヒヨコとガラスの中を視線が何度も往復する。でも、だんだんと、自分の手で抱いている物の存在を理解してきたのか、綾乃の口元が、その理解の度合いを示すように綻んでいく。

「あ、りがと…」

詰まった声をなんとか搾り出した綾乃の頬を、輝くものが伝う。

「えへへ」

それを気にも留めないで、綾乃が心からの笑みを浮かべる。

その子供のように純粋な笑みは、直視できないほどに愛らしい。

こんなもの一つで感極まって泣いてしまうなんて、と笑う奴もいるかもしれない。でも、こんなふうに感情を出し切ってくれるのは、なんだか嬉しい。

「大事にしてやってくれな」

「うん」

綾乃がいきおいよくうなずくと、涙が弾けるように飛ぶ。

目尻には涙の粒が溜まっているが、それも飾りに見えるほどのいい笑顔。また、忘れられないものが一つ増えた。

「…?」

綾乃の肩越しに、遠巻きにベンチからこっちを見ている怜奈と視線が合う。

あわてて視線を外す怜奈は、見ていたと自分から言ってるみたいなものだ。

綾乃と別れてベンチの前まで行くと、真っ赤な顔をしていた怜奈が視線の逃げ場所をなくしてうつむく。

何があっても、俺とは視線をあわせてくれないらしい。

「なにか、欲しいものは?」

「うちには、もうたくさんあるわ」

ちょっと怒ったような声で、怜奈がふんと横に向く。

どうやら、ご機嫌斜めのようだ。

「怜奈が自分で買ったりとか、誰かからもらったのがないなら、いくつ部屋の中にあるかは分かってる。在庫を聞いてるんじゃない。あの中で欲しいものは?」

怜奈がぴくっと止まってから、小さく顔を振る。

「いいのっ! 私は、そんな少女趣味じゃないんだから」

「怜奈がいいなら、俺はいいけどさ。もし自分に嘘ついてるなら、辛くなるだけだからな」

周りの目を意識して、押し付けられた理想に近づこうと努力し続けるのはいいことかもしれないけど、そうして我慢して、何もかも抑え込んだら、きっと辛くて耐えられなくなる。

「いいから、私のことは放っておいて」

こうなったら、人の話は(俺の話は)絶対に聞く耳持たない。

やれやれとため息をついたところで、俺の携帯電話が鳴った。


   ◆


電話で呼び出されるままに、筐体の間をすり抜ける。人がほとんどいない大型機が並ぶ中で、璃奈がいつもの笑顔が待っていた。

「ありがと」

自然に俺の腕に手が回され、不快にならない強さで腕が引っ張られる。腕を組んだままで、一番奥の辺りまで進んだ。

「あれやろ?」

指の先には、部屋の隅を陣取る、このフロア最大の超大型筐体。

璃奈が近づくと四角だった箱が音を立てて割れて、黒い椅子が二つ表れた。

「ほらっ」

左側のシートに乗り込む璃奈が、手招きで急かす。

誘われるままに右側の席につき、ハンドルの脇にある投入口に100円玉を五枚滑り込ませる。相変わらず、ゲーセンとは思えない座り心地の良さに感心しながら、座席を調整する。

アクセルとブレーキに足をあわせてると、目の前のディスプレイに文字が浮かんだ。

『このたびは、プレイ頂きまして、誠にありがとうございます。このゲームは…』

「はいはい、次」

ガチガチと面倒くさそうにボタンを押して、璃奈がディスプレイの文字を読み上げる機会音声を黙らせる。

『シートベルトを締めて、手を膝の上に置いてください』

言われるままに従うと、割れた箱が俺たちを包むように、ゆっくりと元の姿へ閉じていく。

璃奈は、もう座席を少し傾けてくつろいでいた。

このゲームは、自動車メーカーが車離れを憂い、車の素晴らしさを布教するために作り出した筐体だ。

閉じた箱の内側、車体のフレームを残して全方位に景色を映し、本当に運転しているかのような感覚を与えてくれる。

ゲーセンでは世界初の助手席付き、しかも、外部とは完全防音。

まだ、車に乗れないようなカップルが気分を味わうためにプレイすることも、そこそこ多いというが…。

このゲームの真骨頂は、一人プレイにある。

低迷を憂う企業は、消費者の希望を熱心に取り入れ、一つの結論に到達した。

『声というのは、とても大切なファクターである』という結論に。

それを理解してからの行動は、とても大胆なものだった。

老若男女を問わずに、お願いできる全声優さんを起用して、ナビに搭載できるように開発、同時に声に着眼した結果開発されたのが、助手席の自動会話機能。

莫大な資産と最先端の技術力を『自然な会話』という不自然な目標に注いだ結果、見事なほどに人気が出た。

一番評価された点は、人気の…ではなく、全声優を動因したことだ。少数派が報われないこともないため、信者は教祖を奉るように買いに走る。それに加えて日替わりどころか、行きと帰りで切り替えるような多趣味な人間も少なくないため、需要は尽きない。

そんな、ナビ&音声会話ソフトの下見機能もこいつは含んでいる。

なんでここまで詳しいか?

それは、俺も一人プレイを経験したからに過ぎない。

というか、人の目を気にして一人プレイする人間が減っては困るという目論見からなのか、全国に配置されたこいつらは、一人プレイ専用台の表記のほうが圧倒的に多い。

なので、みんな『仕方なく』一人プレイをする。

「どこにする?」

夜景をバックにした橋の上、紅葉の散る山道、透き通る海が広がる海岸線、なんでも用意されている。地図から観光地はクローズアップされるし、一般道も網羅されている上に季節は選択自由。

時間は数値で入力したものが反映され、周囲の車の台数まで指定できるから、高速道路の渋滞を再現もできるし、通常はゆっくり走れない絶景の山道なんかを時間をかけて走ることもできる。

「じゃ、これで」

璃奈が体を起こして、案内音声とBGMをOFFに選択する。

「後は、とっきーにお任せで」

「分かった」

ちょっとだけ考えて、深夜の高速道路、他の台数はゼロに指定する。信号と面倒なハンドルワークがないし、三車線もあれば、ゲームでしか運転できない俺でもなんとかなるだろう。

「っと」

開始とともに、璃奈が指を伸ばしてエンジンの音まで消す。

無音の中でメーターだけが動き、周りの変化に乏しい景色が高速に流れていく。オレンジの光が、薄く俺たちを照らしていた。

「あーもー同じ女として情けなくなるわ。あれだけ愛されて嬉しくならないなんて、もう女とは思えないくらい」

璃奈が乱暴に足を組むと、捲れた裾から白い太ももが剥き出しになった。太ももから目を離すように視線を上へとずらすと、とても疲れた顔があった。

「何の話だ?」

「おねーちゃんに決まってるでしょ? あそこまでいくと、見てらんないわ」

たぶん、言葉通りの意味で、俺に電話をくれたんだろうな。

「璃奈の言いたいことも、ちょっとは分かるつもりだけど…怜奈のことを悪く言うのは、やめてくれ」

俺の言葉で、璃奈がまた盛大にため息をつく。

「まったく、おねーちゃんにばっかり甘いんだから」

「愚痴で璃奈の気が晴れるなら、いくらでも付き合うけどな」

それ以上の反論はしないで、小さく璃奈がため息をつく。

言ってみたいだけ…でも、言っても楽しくないというのが、混在してるんだろう、たぶん。

「おねーちゃんが、あんな風に自分を出すなんて、とっきーを相手にしたときだけだよ。他の人には、あくまでクールで動揺したりしないし、怒ったり拗ねたりなんて絶対しないもん。なのに、なんであーなのかな、まったく」

璃奈がこうしてときどき愚痴ってくれるおかげで、俺はわずかな希望と大きな安心をもらう。

何度呼びかけても、怜奈は決して答えてくれないから、伊j分では揺らがないつもりなのに、いつの間にか揺らぎかけている俺のことを、いつもこうして支えてくれる。

「いつもありがとな」

「こちらこそ、あんな姉でもーしわけないよ」

ため息をつく璃奈は、珍しく本当に疲れた顔をしてた。

いつも楽しそうな璃奈が、たぶん他の誰にも見せないような顔。

「よっ」

「きゃぅっ」

アクセル全開にすると、体感速度を感じさせるためにシートベルトが食い込み、椅子が柔らかく身体を包み込む。

可愛い悲鳴をあげて、璃奈の身体が助手席に沈んだ。

シートベルトがきわどい部分に食い込んでいるのは、ちょっと直視するのがまずいくらいだ。

「どしたの? いきなり」

怒るよりも驚いた顔の璃奈が、きょとんとこっちを見ている。

「怜奈の話ばっかりしてても、しょうがない。せっかくの璃奈とのドライブだ。楽しまなきゃ失礼だし、損だろ?」

俺の愚痴に、璃奈がわざわざ付き合う必要はない。

遊びに来たんだから、そんなことに気を使わないで遊ぶ権利が璃奈にはある。

「でもさ…」

呟きながら、璃奈が助手席側の窓の外へと顔を向ける。

そこから見える景色は、灰色のコンクリート壁だけだ。

「本当にここにいてほしいのは、わたしじゃないでしょ? それとも、おねえちゃんの代用品かわり?」

璃奈の掠れたような響きを含んだ声。

それに、どう返事していいものか、少しだけ考えて…でも、結局一番最初に浮かんだ言葉を返した。

「俺は、璃奈と遊んでるんだ。他の誰も関係ない」

はっきりと返した俺の言葉に、璃奈が窓の外からようやく視線をこっちに戻してくれる。楽しそうで、見ているだけでこっちが嬉しくなるような笑顔だ。

「なら、そんな乱暴な運転じゃ満足しないからね」

人差し指でメニューを選び、手馴れた手つきで機能を戻していく。

アクセルを緩めると、ご自慢の静音エンジンが静寂をほどよく押し消した。

「カーナビは、起動しないのか?」

「私がいるのに、必要ないでしょ?」

璃奈がいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべる。

やっぱり、この笑顔の璃奈が一番安心するな。

「もっといい場所に行こ? 夜景が綺麗な場所でいいよね?」

返事をする前に璃奈の指が動いて、眩しいくらいの夜景と眠たくなるようなBGMが室内にあふれる。

ふっと息をつこうとしたところで、俺の携帯が鳴った。シフトレバーから手を離そうとする俺の手を、璃奈の手が優しく抑え付ける。

「動かなくていーよ、とってあげるから」

怪しい手つきで内ポケットの中に侵入して、焦らすようにゆっくりと携帯を引き抜く。文面を見た璃奈は、鼻歌交じりに携帯のボタンを押し始める。

「誰からだ?」

「誰からでもいいの。今のとっきーの相手は、わたしなんだから」

パタンと音を立てて携帯を閉じた璃奈が、うっとりと窓の外の夜景に目を向ける。たまに何気ない会話を交わすだけの、心地よく安らげる空間。

終わりまでの数分間、存分にその雰囲気に二人で酔いしれた。

後で履歴を見て知ったことだけど…。

紗希からの「麻雀クリアまであとちょっと」メールに、璃奈が「私とデート中なんだから邪魔しないで」と返信してから、サイレントモードに設定された俺の携帯には、残りの時間ずっとメールと電話が殺到し続けていた。

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