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「満喫したまえ。これこそが、日本の美というものだ」
脱衣所のすぐ傍にあるソファに浴衣姿でふんぞり返り、直人が自慢げな笑みを浮かべる。まるで、すぐ隣の女湯の赤い暖簾から出てくる女の子が、自分の手柄とでも言わんばかりの態度だ。
たしかに、さっさと風呂を切り上げて、他の連中があがってくるまで楽しもうという提案に乗ったおかげではあるが…男の裸なんざみたくもない、と温泉に来て無茶を言うほど大人気ないわけじゃない…と、自分に言い訳しておきたい。
「いいか、見なきゃいけないポイントは山ほどあるが、素人は要点だけ抑えればいい」
直人は緩みきった頬を隠そうともしないで、自慢げに続ける。
「風呂上がりで上気した頬と濡れた髪、火照った体を冷ますために少し着崩した浴衣、そして…」
「大声でそんなこと言って、ダメな目つきしてると、通報されるよ?」
声に振り返れば、みんな浴衣姿に着替えて立っていた。
それぞれの好みの差を教えるように、各々で色合いや柄の違った浴衣に身を包んでいる。
「むしろ、私が通報したいわ」
綾乃の敵対心旺盛な言葉に、直人が意地悪く口の端を吊り上げる。
「安心しろ。自意識過剰。風呂上りという自然に起き得る化粧の上位を加味しても、お前さんは見るに耐えない」
「あんたなんかに見てほしいなんて、言ってないでしょうがっ!」
綾乃の言葉を完全に聞こえないものとして悠然と振る舞い、直人が真剣な顔になる。
「いいか、大輔。よーく見ておけ。あいつらは、悪い例だ」
まるで、教師が生徒に教えるような物言いで、俺に断言する。
「ど、どこがいけないんですか?」
心配そうな顔で、舞衣が問い返す。
というか、直人に真面目に取り合ってあげるのは舞衣くらいだ。
「なら、教えてやろう。なぜ、風呂上がりに浴衣を着てるのに、下着をつけている? 古来より、浴衣や着物に下着なしっ!! 常識だろうがっ!!」
吠える直人に舞衣が一番律儀に反応して、顔を真っ赤にしながら後ずさる。
「ど、どうして分かるんですかっ!?」
「そんなの、胸と尻の辺りを見れば、一目瞭然だっ!!」
高らかに宣言する直人の周りから、人の気配が離れていく。言葉を選ぶか、声量を選ぶか、どっちかぐらいしてくれないと周囲の反応が本当に厳しい。
「あなたの目、百歩譲ってメガネでもかまわないけど、壊したほうが良さそうね。それが、世の中のためよ」
しっかりと腕で胸の辺りを隠しながら、怜奈がつぶやく。
怜奈の脅し文句も耳に入らないのか、哀愁を漂わせた直人は悲痛の叫びを上げる。
「お前たち、温泉に対して失礼だとは思わないのか!? 嘆かわしい、実に嘆かわしい。お前たち全員が、そこまで日本を軽んじ、冒涜しているとは思わなかった」
直人の温度上昇に反比例して、周りの空気が凍てついていく。
綾乃がすっと近づいてくる。
「なんだ? お得意の実力行使か?」
「大輔、いこっ?」
いつもなら、目を三角にして怒るはずの綾乃が、それはもう穏やかな笑顔で、挑発的な笑みから呆気に取られるまでの直人を完全に無視して、座ってる俺に手を差し出した。
「ほら」
促されて手を出すと、ぎゅっと握られて引き起こされる。
そのまま、俺の手は優しくひっぱられて、綾乃が平然と歩き出す。
「食事の用意、できてるみたいだよ。楽しみだよね。どんなのかな?」
満面の笑みを浮かべる綾乃に手をひかれて、一度だけ後ろを振り向く。そこには、綾乃に見せてやりたいくらいの顔で、直人がぼーぜんと座っていた。
「チッ…」
舌打ちした直人が、けだるそうに腰をあげた。
直人に聞こえないように、綾乃の耳元に口を近づける。
「今回は、綾乃の作戦勝ちだな」
「楽勝だよ」
勝ち誇った綾乃の、本当に嬉しそうな笑顔。
ホント、いいコンビだ、この二人。
◆
宴会部屋の前に置いてある、団体の名前を張り出す円柱の看板から、自分たちのを探していく。
その中からようやく「無駄話研究会」の名前を見つけると、怜奈がそそくさと入っていく。周りの目を気にしない他のみんなは、ゆったりと歩いて中に入った。
畳張りの大きめの部屋の奥側は、ステージっぽく一段高くなっている。端のほうにはドラマでしか見たことないような、懐かしのカラオケセットが置いてあった。
「あれが、一万円のオプションでつくって書いてあったやつね」
遠目に見た綾乃が、安堵のため息をつく。せっかくなんだし…というのを反対した綾乃としては、思ったとおりの期待はずれ具合でホッとしたんだろう。
「なんなのよ、これは?」
不機嫌な声に振り返ると、怜奈は部屋の隅を指差して、冗談でしょ? とでもいいたげな投げやりな笑みを浮かべてる。
そこには、大皿に盛り付けられた料理が数種類と取り分け用の小皿がそっけなく置いてあった。それと、おひつと鍋…ってことは、あれがご飯と味噌汁か?
「まるで、従業員用の炊き出しだな」
本来なら、小皿に彩りばっかりを気にして盛られた少なめの料理が並んでるはずの小さな台だけが、寂しく置いてある。
そこに置いてある紫色の座布団を見るに、ここで食べるのは間違いないらしい。
「一人一膳なんて、味気ないじゃん。みんなで美味しく食べてこそ、和が作れるんだから」
璃奈がらしくない言葉を使うときは、だいたいがわがままの正当化だ。まあ、長年の付き合いで、璃奈が何がしたいのかすぐに分かったけど。
「好き嫌いが多いと、なにかと必死だな」
「えーびんな味覚の持ち主だからね、しょうがないの」
悪びれずに笑う璃奈の横で、怜奈がまたいつものため息をつく。
「まあ、俺としても、このほうがありがたいけどな」
好き嫌いはほとんどないが、このメンツの誰より量を食べる。
女子は、みんな食べる量が少ないし、このほうがちょうどいい。
「そ、とっきーのための用意なんだからいいの。それに、おねーちゃんのためでもあるしね」
璃奈の含み笑いから、怜奈がふいと視線を外す。
「よけーなお世話よ」
「さあ、日ごろの粗相の分まで、働いてもらおうか」
動くつもりが一切なく、どっかりと腰を据えている直人を目を三角にして睨む綾乃。ご飯をよそってるあのしゃもじが、今にも空中に直線を描きそうな勢いだ。
「ごめん、綾乃。手伝う」
「いいのいいの、大輔は座ってていいから」
追い返されて、しかたなく直人の隣に腰を下ろす。
舞衣と紗希の手伝いもあって、見る間に料理は並んでいった。
「し、失礼いたします」
大事そうにウーロン茶のペットボトルを両手で抱え、舞衣が向かいに立てひざになる。
「こ、こちらで不自由ないでしょうか?」
「ああ、ありがと」
グラスを持つと、丁寧にゆっくりと…むしろ、おっかなびっくりというくらいの慎重さで注いでくれる。体勢を維持するのが辛くなってきたところでようやく終わり、二人して息をついた。
「越智先輩も…越智先輩?」
周りの声も聞こえないといわんばかりに、箸を手にとって真剣な表情で眺めている。
「お箸がどうかしましたか?」
ありがちな割り箸ではなく、高級そうな塗り箸を一心に見ている直人は、返事もしない。女のことを芸術だというだけあって、色彩にはうるさいのか。
「いいお箸ですよね、綺麗で」
答えてくれない直人に対して、舞衣が曖昧に話を合わせる。
それにも返事をせずに、箸に視線をあわせたまま直人が首をかしげる。どうやら、また何か独自の世界ができあがりつつあるらしい。
「箸より重いものを持ったことがない、って表現があるよな?」
「あ、はい。深窓の令嬢とかの表現用語ですよね?」
「箸の重さを計測してみると、それほどの重さはないはずだ。それから考えれば、着衣の大半は箸よりも重い=持ったことがないってことになる。つまり、人に着替えさせてもらってるってことだろ?」
「あ、あの…? えっと…」
何を言ってるのかは分かっていても、聞き返さないと自分の耳を疑ってしまいたくなる。
男だけの馬鹿話ならまだしも、女の子にそういう発言は、どうかと思う。直人のは、論理に妄想を混ぜ込んで、その妄想をさも現実のように決め付ける。その希薄なつながりの論理展開には、いつでも驚かされてばっかりだ。
「いいよなー、美人令嬢を着替えさせる仕事とか、死ぬまでやりたいぜ」
追い討ちをかけるように、だらしなく直人が頬を緩ませる。
「せ、先輩…どう返答するのが、至高なのでしょうか?」
今にも泣き出しそうな瞳で、舞衣が俺に訴えかけてくる。
「無理して返さなくていい。理解できない人種には、近づかなければ何も生まれないから」
直人のことを否定するつもりはないが、趣味趣向があわない人間には近づかないに限る。理解しようとしたり、許容したりしようとするから、摩擦が生じるわけで、無理して近づかなければ、それで問題ないことが多い。
「騙されてはいけないなっ! そいつも、こっち側の人間なのだよ!」
直人が高らかに吠え、舞衣は怯えたように俺の後ろに隠れる。
「人の目を気にして自分を解放しきれない、本当に可哀想な子なんだ。そして、夜な夜な誰にも気づかれぬように、人知れず欲望を吐き出しているんだっ!」
指が届けば貫きそうな勢いで、俺の鼻先に人差し指を突き出す。
よくもまあ、こんなにさらさらと長台詞が言えるもんだ。
「溜め込んでいる欲望を、脳内で君に吐き出しているのになぜ気づかない? 脳内で君に抱きつき、唇を奪い、ベッドに押し倒しているのになぜ気づかないんだっ!?」
手のひらで唇のあたりを押さえて、目を見開いた舞衣が小さく後ずさる。頬どころか、耳、もう顔中といってもいいほど赤いのは、風呂上りのせいだけじゃないと思う。
「…っ」
小さく息を呑む声で、その場が凍りついた。
振り返れば、今にも舞衣の目尻から涙が零れ落ちそうになってる。
泣き出すまでに数秒の余地もないことだけは、見て取れた。
なんとかしないと…でも、なんて声をかければ…。
そんなことを考えているうちに、かろうじて止まっていた涙が頬を伝って落ちる。
そんな舞衣の頬に優しく手が添えられ、涙が拭い取られた。
「はいはいはい。ちょっとびっくりしただけだよねー」
首の後ろから手を回して、紗希がぎゅっと抱きしめる。
そのままの体勢で、紗希が器用に涙をふき取る。
舞衣の耳に触れるくらいまで近づいた紗希の唇が小さく動くが、何を言ってるかは分からない。小さく舞衣がうなずいたかと思うと、紗希はそれで離れた。
「さて、と…」
直人が逃げ出そうとするよりも前に、紗希が喉元に爪を突きつける。いつもならどんな相手にも引き下がらない直人だけど、舞衣を相手に、しかも泣かせたときはかなり気弱になる。
逆に、舞衣が少しでも涙を流そうものなら、紗希が烈火のごとく怒る。
漫画のワンシーンを切り取ったように、空気が凍りついた。
「ホントは、素敵な口上でもいろいろ述べたかったんだけどさ。頭に血が上っちゃうと、どうもダメなんだよねー」
にこやかに邪悪な笑顔を浮かべる紗希の指先は、小さく震えている。力が入りすぎて、静止できていないみたいだ。
「常々、言ってるよね? 舞衣を泣かせたら、ううん、私を本気で怒らせたら、どうなってもしらないよ? って」
直人の首筋に、紗希の爪が食い込む。
そのまま容赦なく貫きそうな紗希の力加減に、直人が小さく首を振る。情けない直人の顔にため息をついて、紗希がゆっくりとその爪を離した。
首筋には、三つの赤が縦に並んでいた。
「お願いだから、わたしの逆鱗にだけは触れないでね。いつも止まれる自信なんてないから」
紗希の底知れない笑顔に威圧されて、直人が小さくうなずく。
あの直人をここまで黙らせるんだから、やっぱ、女は恐いな。
それが自分の妹だと、特に…だ。




