*枝先の葉
──デイトリアと魔王の間に張りつめた空気が立ちこめる。互いに見合っているだけなのに、誰もが固唾を呑むほどの威圧的な何かが周囲に充満していた。
肌をチリチリと焦がすほどのせめぎ合いが沈黙を続ける二人の間で行われているのだろう。見守る霊術士と魔物たちの表情は皆、一様に硬い。
「このまま戦っていても決着が着かない気がしてきたな」
勇介は溜息を漏らしデイトリアを軽く睨みつけた。
「本気を出さないと人間を殺しにいくぞ」
鋭い視線にデイトリアは眉を寄せる。その言葉が本心だとは思いたくないが、実行する気概は強く感じられた。
「手加減はするな。ただのひと振りで数百人死ぬことになる」
言い捨てると剣を握りデイトリアに斬りかかった。デイトリアは力の限りの振りを剣で受け止める。その衝撃は二人の回りの地面を数十センチほど陥没させた。
この闘いで一帯の地形は崩壊し大気は乱れ上空の風は強く舞っていた。
「すげえ。魔王相手にまったく引いてない」
時折、飛んでくる石のかけらを避けながら久住は闘いを凝視した。闘いのすさまじさもさることながら、今までこんな力を隠していたのかと驚愕する。
「私が彼を歴史上の人物だと考えたのには理由があります」
キャステルはデイトリアと魔王の動きを追いながら口を開いた。
「長く黒い髪は艶やかに、その眼差しは険しくも限りなく青く。素早い動きは鮮やかだったと」
久住はそれに、なるほどデイに似ていると思った。魔王をあっさりと倒した人物なのだ、そこらの霊術士では想像し難い。
「彼の本当の瞳は赤い。しかれども、その力は彼に引けを取らないでしょう。もしかするとデイトリアスと彼は同じ──」
「同じ?」
「いや、何でもない」
続きの言葉を飲み込んだ。その続きを彼は望んでいないと思ったからだ。デイトリアスとは親しい間柄ではないが、視線と会話を幾度か交わしたなかにある意図を読んでしかるべきだろう。
眼前の闘いはすでに人智を越え、ここに留まる事さえ躊躇われるほどに激しさを増していた。
「人は神を求めるが、どうして存在までは認めないんだろうな。魔王になっても、俺は神の存在を否定している」
勇介は競り合う剣越しにデイトリアを見据え、デイトリアもその瞳から逃げることなく見上げた。
「人に神など必要ない。その存在は驚異でしかない。神の存在は人の成長を阻むものだ」
「大きな過ちを犯す前に、神というものが支配した方がいいとは思わないか?」
「支配からは何も生まれない。束縛は憎しみしか生み出さない。私は人にそれを望んではいない」
「君に聞きたい。この世界に神は存在するのか」
「それを聞いてお前はどうする」
「その神に聞くのさ、どうして人間を造ったのかを」
「それは間違いだ。人は神が造ったのではない。時の流れの中で生まれた存在だ」
「じゃあ聖書の言葉は間違っていることになるな」
「間違っている訳ではない。時の流れの中でまた、神も生まれる存在だからだ。人々の伝承の中で現れる神々は自然の中に存在している。自然が人を育むなら、その自然の中にいる神にも育まれているという事に他ならない」
「訳が解らなくなって来た。もういい、終わらせよう」
デイトリアの言葉に業を煮やしたのか、吐き捨てるように発して剣を持つ手に力を込めた。剣は唸るほどにデイトリアに迫り、それに応えるようにデイトリアも体勢を低く剣を構え直す。
渾身の力とエネルギーがデイトリアにぶつけられたその刹那、激しく気流が乱れ大地が大きく揺れる。
「うわ!?」
「しっかり掴まっていなさい」
飛ばされそうになる体を必死に保ち、凄まじいエネルギーの渦で遮られた視界の先に目を凝らす。
しばらくして地鳴りと土煙が収まり、久住たちが見たものは──
「ふ、はは……。やっぱり、強いな」
そこには、力無くデイトリアにもたれかかる魔王の姿があった。
「勇介!」
ルーインが無意識に声を荒げて駆け寄るが、あまりの突然の終焉に他の一同は呆然とその光景を眺めていた。
「──っう」
勇介は痛みに顔を歪め、ゆっくりと地面に降ろされながらもデイトリアをじっと見つめる。
「デイ……」
のぞき込むデイトリアに微笑み、ペンダントを握りしめた。
『これでいい』
『己を犠牲にして人間をまとめたか。馬鹿な事を』
『人間のしたことは人間がやり遂げなければならない。そう言ったデイの言葉がわかったんだ。だから、魔王になってやり遂げようと思った。神がやってしまったら、人間は何もしなくなる。堕落した存在になってしまう、そうだろう?』
勇介は満足げに笑みを浮かべ、不安な面持ちで覗き込むルーインに目を移す。
「次は、君が魔王だ」
「なにを言っ──」
驚いたルーインは言葉を詰まらせ、横たわる勇介とデイトリアを交互に見やった。ゆっくり考えている時間はない。
「手を」
差し伸べられた手に戸惑いながらもそれに応える。その途端、全身の血が逆流するような感覚に襲われ、激しい動悸が短時間続いたあとエネルギーが注ぎ込まれてくるのを感じた。
膨大なエネルギーに耐えるように強くまぶたを閉じ、流れてくる勇介の意志を読み取る。
「勇介、おまえは……」
しばらくの沈黙のあと、ルーインは深く息を吐き出して立ち上がった。
「キャステル! 王位は俺に移った。このままで終わるとは思うな。心しておけ」
声高に宣言し消えていく新たな魔王につられるように、魔物たちも姿を消していく。静まりかえった地に残されたかつての魔王は、デイトリアをただ見つめた。
「全てはおまえの望んだ通りだ」
「一つだけ、望んだ通りにはならなかったよ。君を、手に入れてない」
震える手でデイトリアの頬に手を添える。
『デイ、君はこの世界の者ではないな? きっと偶然にこの世界にいたんだろう。それをエルミが知って、君を利用した。俺が人間じゃない君を好きになるように、君に性別がない事を告げて心の壁を崩した。人間というのは、どうしても性別にこだわるからね』
そのことに気づけなかった自分にデイトリアは苦い表情を浮かべた。もっと早く気づいていればと思う反面、勇介が選んだ道がこの世界を大きく変えたという事に複雑な心境を沸き立たせる。
『君は何者なんだ? 最後に、教えてくれるかな』
デイトリアはしばらく迷うように沈黙していたが、
『私は、計りごとの神と呼ばれている』
それを聞いた勇介は、「ああ……。やっぱりそうだったのか」と目を閉じる。善なる者には幸福を、悪なるものには裁きの剣を振り下ろす──人の善悪を判断し、示現する裁きの神。
「貴方には、感謝しなければなりませんね」
キャステルは勇介の前にひざまづき、愁いを帯びた瞳を落とす。そこへ、
「デイトリア」
聞き慣れた声に振り向くと、黒髪の男がそこにいた。
「アレックか」
懐かしむように名を呼び、アレキサンダーの後ろでバツの悪そうにしているエルミを一瞥した。
「あの姿は──まさか」
キャステルは初めて見る男に目を見開いた。それはまさしく、百年前に現れたという影の姿そのものだった。
エルミは力なく歩み寄り、勇介をじっと見つめて膝を突く。
「ユウ……。ごめんなさい」
「あれが、君の想い人? なるほど、俺じゃ敵いそうにないや」
アレキサンダーは吊り上がった目で周囲を見回したあと、キャステルに向き直った。
「百年前の事ではすまないことをした。しつこく頼まれるものだから面倒でつい人間界にちょっかいを出してしまった」
「いいえ、構いませんよ。そのおかげで百年前は救われたのですから」
やはりそうなのかと風貌が判明したことに喜びを感じつつも、その正体までは明かしてくれそうにない事に少なからず心に残るところはあった。
「──っう」
勇介は自分の命が消えかけている事を感じながらデイトリアの手を握り、柔らかな笑みを浮かべた。短い間だったけれど、本当に幸せだったと今までの事を思い起こす。
まさか自分がこんな結末を迎えるなんて、あの時は想像すらしなかった。勇介は力なく震える手に最後の温もりを噛みしめる。
「デイ……」
真っ直ぐにデイトリアを見つめ、「愛している」と声が届いた瞬間、全ては終わったのだと告げるように勇介の体は塵のように音もなく散った。
──空は青く晴れ渡り、何もかもが嘘だったかの如く爽やかに風が通りすぎる。
デイトリアは立ち上がり、ゆっくりと見渡したあとキャステルと視線を合わせ互いに小さく頷き、何も言わずに姿を消した。
「デイ!」
久住は慌てて呼び止めるも、その影はもう二度と現れる気配はなかった。気がつけば、エルミの姿も百年前の男の姿もすでにない。
「さあ、これからが大変ですよ」
キャステルは今後の事を思い、疲れたように溜息を吐いて空を仰いだ。
一つとなった人類の先に何があるのかはわからない。かつてない栄光を胸に、新しい時代を築いていくのだろう。
それが、悪しきものでなければ良いとテイトリアは願っている。そうして彼は、次の世界に旅立つのだ。
「裁きの神」という名の下に──
END





