*決裂
デイトリアは、かつては人間であり今は魔王になった男がいた部屋のソファに腰を掛けコーヒーを飲んでいた。
しなやかに揺れる黒髪と、ガーネットのような赤い瞳からは感情を窺い知る事はできない。
今後をどうするかと小さく溜息を吐く。今はただキャステルからの連絡を待つ他はない。
そのとき、
『やあ、本当に通信できるんだね。これ』
頭に響いてきた声に眉を寄せた。
「勇介」
『久しぶりだね。わたしの今の名前はガデスというんだ、覚えておいてくれ。君から渡されたペンダントのことを思い出して試してみたくなったんだよ』
その物言いは今までの勇介とは明らかに違っていた。
自分の置かれた立場に戸惑い、うろたえていた立木勇介の面影は消え、どこかしら優越感を放ちつつ相手を小馬鹿にしたような口調だ。
『何も聞かないのかい? せっかく話が出来るのに。君の声が聞きたいよ』
「勇介──いや、ガデス。私に何か用でもあるのか」
『随分と冷たい言い方をするんだね。まあ、デイらしいと言えばデイらしい。別れ際にも言っただろう? 君に求めるものは一つしかない』
「魔王側につけか。生憎と私は融通がきかなくてね」
『デイならそういうと思っていたよ。でもね、諦める訳にはいかないんだ。人間側につく君が許せないから、どんなことをしても君をわたしの配下に置くよ』
「お前の真意を知る事は適わないのか」
その問いかけにしばらく返事はなかった。返答を思案しているのか、それとも返す気がないのか。
『君に話したことが全て真実だよ』
しばらくの沈黙のあと、低く発して気配は消え去った。
──数日後、キャステルの連絡で話し合いの場が設けらる事となった。
「デイ、いよいよだね。デイの言うことを聞かない奴がいたら、俺が殴ってやるから安心しろ!」
「やめておけ」
ちょっとした恋人気取りの久住だったが、あっさりといなされて勢い良く振りかざしていた握り拳がヘナヘナと垂れていく。
確かに久住の力は強い方だが、彼より強い人間はごまんといる。
「あっ! 待ってよ」
スタスタと歩いていくデイを足早に追いかけた。久住の乗ってきた車で一時間ほど走ると、都心から離れた場所にひっそりと佇む三階建てのこぢんまりしたビルが視界に入る。
外見は普通の事務用ビルだが、扉の開いたエレベータに滑り込んだ久住が何も書かれていないボタンを押すとテンキーが現れた。
何の変哲もないボタンだと思われたものは指紋認証機能があるのかもしれない。久住はパスワードと思われる数字をいくつか打ち込み、エレベータが動くのを待った。
すると、狭い空間は音もなく下に向かって降りていく。
表示のない地下に降りたエレベータは先ほどと同じく音もなく止まり、静かに扉が開くと真っ直ぐに伸びた殺風景な廊下が姿を現す。
突き当たりを左に曲がり、さらに突き当たりを左に曲がるとそこには再びテンキーと今度は網膜チェックが二人を迎えた。
それらを済ませてようやくドアは開く──
その空間は無骨なビルの外見とは異なり、中世を思わせるような造りになっていた。さして大きくはない部屋の中央には、やはり大理石の円卓がある。
「よく来てくれたね、デイトリアス・バーン」
キャステルは丁寧に発し、空いている隣の席にデイトリアを促す。組織の代表者たちはすでに席に着席していた。
久住は部屋の隅に行き、他の組織のメンバーたちと目を合わせ無言の挨拶を交わす。ここにいる男たちはそれぞれの代表者の護衛だろう。
席に着いているのはキャステルとデイトリアス、そして金髪の男に中年の男性と女性、さらにローブを羽織った髪の長い女性に童顔の男の七名だ。
落ち着いた事を確認したキャステルが話を切り出す。
「さて……。以前、私が彼から聞いた話を皆さんに検討いただいたと思うが、あなた方の意見はどうだろうか」
「にわかには信じがたい話ではある。新たな魔王が誕生したにしては、まだ奴らからの宣戦布告が無い。加えて、奴らは未だに行動を起こしてはいない」
軽く手を挙げて一番に答えたのは白い服をまとった金髪の若い男だ。それについてブラウンの髪をした中年男性が意見を述べる。
「人間が魔王になったことにより準備期間が必要なのかもしれない。聞く処によると、その男は我々の世界について何も知らなかったと言うし。まずそちらを勉強する期間がいるのだろう」
白い服の男ウィルソンは──
「百年前にも人間が魔王になったと我らの歴史には記述されているが、その時は謎の人物が魔王を消し去ったとも記されている。その人物が再び現れるという確証は無い。人間界の混乱は避けられないだろうな」
年輪を刻んだ面もちの女性はそれに低い声で、
「確かに、あの時は魔物たちが宣戦布告をした直後に謎の人物が現れて魔王を一瞬の内に倒したとあるが、我らは彼が何者なのかまったく知りもしない。そもそも人間であるのかすら知り得ない」
会話をまとめるようにキャステルが最後に口を開く。
「あやふやな存在にすがることはできない。我らが生き残るためには団結し、迎え撃つ他は無いのだ」
「そうね、どう考えたって私たち人間が太刀打ちできるのは団結力のみだわ。体力的、能力的に見てもその差は歴然。奴らの気まぐれさとバカさ加減に頼るしかない。奴らの大半はバカですからね」
ローブを羽織っていた女性はフードを取り、美しい銀髪をさらりと流す。ハッとするような美女だ。
「そこで、君たちには世界各地の神霊組織に伝えてほしいのだ。全ての善なる組織に」
キャステルは一人一人にしっかりと視線を合わせた。皆がうなずくと、次に彼はデイトリアに目を移す。
「君には我らの中心にいてもらう。どういう意味かわかるね」
「監視か」
「悪く思わないでくれたまえ、君はどういった理由にしろ魔王に狙われている。万が一にもその誘いに乗らないとも限らない」
「構わん」
「それよりも問題なのは人々が見えざるものを見てしまうことだ」
今まで静かに静観していた童顔の男が苦い表情を浮かべた。
「人間が魔王になったために魔物共は何の苦もなくこちらに来ることができる。今まで見えなかったものを全ての人間が見てしまう。その時に人々がどうするのか誰も知り得ない」
しかし、これまでにないパニックとなるのは明らかだろう。
「各国の首相に、これから起こる出来事を伝えなければなりません。そこにも、あなたたちの力が必要なのです」
キャステルの言葉で会議は締めくくられた。





