*強い弱さ
「いい部屋ね」
これからのことを話し合うために青年は自分の住むマンションに彼女を招き入れた。
「自分の帰る場所だから、じっくり選んで決めたんだ」
「いい心がけね」
先ほど、あれだけ脅されて人間ではないと解っていても惹かれた感情はそうそう消えるものじゃない。下心がないと言えば嘘になる。
しかし、あんな場所で夜中に話していたら警察でも呼ばれかねない。そういうちゃんとした理由はあるのだ。
どのみち、下心で誘ったとしても魔物と戦い続けている彼女に自分が敵うとも思えない。
「俺はこの先どうすればいいんだ?」
上着とネクタイを脱ぎ捨てる。実はまだ実感がわかない。
「名前を教えて」
「え?」
「あなたの名前よ」
そういえば名乗った覚えがなかった。
「ああ、立木 勇介。呼び方はなんでもいいよ」
目も耳も、すっかり人間のソレに戻った彼女はゆっくりと勇介を見つめた。
「じゃあユウ、私のことはエルミでいい。時間は無いと言ったけど、まだ少しは残ってるわ」
「本当に?」
彼女をリビングのソファーに促し、コーヒーを入れるためキッチンへと足を向けた。
「奴らは大陽の下では生きられない。闇夜が彼らの世界なの。そう考えると少しは楽でしょ?」
「ということは仕事は辞めないですむ訳か。そりゃありがたい」
コーヒーカップを二つテーブルに並べて彼女の向かいのソファーへ腰を落とした。香ばしいコーヒーの香りがリビングを満たし、ようやく家に帰って来た実感にホッとする。
「残業しちゃだめよ」
「え?」
エルミはゆっくりとコーヒーを傾けて、「残業」と念を押すように繰り返した。勇介は常に定時で帰らなければならないプレッシャーに突如として襲われた。
仕事が切羽詰まっていても、上司からの食事の誘いも全てを投げ捨てて帰る事が果たして可能なのだろうか。
絶対に友達を無くす、これは確実だ。真実を誰にも明かせない以上、周囲との関係は「付き合いの悪い奴」というだけでは済まされない。
自分の命とどっちが大事なんだと言われるかもしれないが、これは精神的に参る。
「いくら私でも一度に何匹も来られたら護りきれない。だからあなたも協力して、私がユウを護れるように」
強い意志を持った瞳だった。彼女は本当に自分を守るつもりでいるのだと感慨にひたる。
ダークブルーの奥に秘められた神秘性というものなのだろうか、彼女から漂う雰囲気はこの世の者とは思えない妖艶さがある。
エルミは人間じゃない、理解ってる。それでも心惹かれずにはいられない。
恋人にふられたばかりだというのに節操がないとも思うがこの感情は抑えられない。
「そんな風に女性から言われるのは嫌いじゃないね」
冗談まじりにほのめかす。
「特に、君のような美しい女性から言われるとつい本気になるよ」
さて、彼女はどう反応する? 怒るだろうか、それとも──
反応はしばらくなかった。当然だろう、会って間もない相手に言われてもどう反応していいか解らないはずだ。
冷たくあしらわれても怒っちゃいけないと自分に言い聞かせる。
「あなたに解るかしら……。何百年も愛し続けるということが」
「え?」
予想もしていなかった言葉がつむがれて思わず彼女の瞳を見つめた。
「例え、それが受け入れてもらえない愛だとしても」
勇介はすぐに察した。彼女にはそういう相手がいるのだと、そして少しの怒りが湧きあがる。
「君を受け入れない奴がいるの? 信じられないな、俺にはそいつの考えがわからないね」
彼女に愛されているのに、それを受け入れないなんてどんな男なんだ。
「いいのよ。あの人が私を愛していないというだけだもの。私は愛している。それだけ」
愁いを帯びた瞳はそんな自分をあざ笑うように伏せられる。自嘲に彩られた表情は何を想ってのものなのだろうか。
彼女はそれでいいかもしれない。だけど自分はどうなるんだ。そんな奴を愛している 彼女を好きになってしまった自分は──
「本当にそれでいいの? そんなのつらいだけじゃないか、この先そうやってずっと愛し続けるのかい?」
はがゆさと、やりきれない気持ちが口をついて出ていた。ああだめだ、言葉が止まらない。
「そんなのはただの自己満足じゃないのか!?」
言ってしまった。まずい、これは言い過ぎだ。ひっぱたかれても文句は言えない。出会ってまだ数時間しか経っていない相手になんてことを言ったんだと自分が信じられない思いだ。
恐る恐るエルミの顔を見やると、彼女は立ち上がるどころかソファに座ったまま少しも動いてはいなかった。
わずかに下に傾いた顔は苦笑いを浮かべている。
「そんな風に言ったの、あなたで何人目かしらね。魔物共も私をからかうけれど、不思議と怒りは湧いてこないわ。そうね。あなたも奴らも忠告してくれた人たちも、あの人のことを知らない。だからね、きっと」
愁いを帯びた瞳はどこを見るでもなく、宙に視線を投げかける。
「──っ」
勇介にはもう言葉が見つからない。
強く見えていた彼女が、今は弱しく美しい笑みを切なげに浮かべていた。