雪の卵
今年は、一月になっても雪が降らなかった。
去年はいっぱい降ったのに。
僕は膨れ面。
雪が降らなければつまらない。
スキーができない、かまくらが作れない、雪合戦ができない。
みんなみんながっかりだ。
僕もがっかり。
僕は真っ白い世界が好きだ。
山や、田や、庭が真っ白になって、その上を歩いて足跡を残すのが、僕の大好きな趣味だ。
お母さんやおばあちゃんは反対したけど、僕は探しにいくよ。
誰かが持って行っちゃった、雪の卵を探しにいくよ。
***
とてとて。
長靴履いて、ジャンバー着て、いつ雪が降っても大丈夫。
とてとて。
乾いた茶色の地面は寂しい。ふわふわの雪を踏みたいな。
とてとて。
進んで進んで会ったのは、お隣のポチ。
「雪の卵を、その鼻で探してよ」
「雪には匂いがないんだ。俺には無理だよ」
ポチは怒ってた。
小屋の中で、牙を光らせ、
「 誰が雪の卵を盗んだんだ」
と、僕を見た。
「僕じゃないよ」
「知ってるさ」
それでもポチは怖い顔。
雪が降らないから、ポチも悲しいんだ。
冷たい冷たい言いながら、とても楽しそうに雪の上を走るんだもん。
とてとてとて、さようなら。
ポチは顔を尾にうずめた。
***
トコトコトコで、躓いた。
小さな小さな石にぶつかって、地面にぺしゃりとこけちゃった。
「泣かないのかい?」
「泣かないよ」
僕は嘘を吐く。
ぽろりと零れてしまいそうになった涙を、ぎゅっと両手で押さえた。
「痛いんだろう?」
「痛くないよ」
僕は嘘を吐く。
ズボンの裾を引き上げてみたら、膝を少しすりむいていた。
ほんのちょっとだけだけど、ひりひりする。
雪が積もっていれば、僕を優しく受け止めてくれたのに。
「ごめんな」
ぽつりと、石は言った。
「転ばせるつもりはなかったんだ」
僕はしゃがみこんで言った。
「知ってるよ。それに僕は強いから、全然平気だよ」
僕は石に聞いた。
「ねぇ、雪の卵を誰が持って行ったか知ってる?」
「雪の卵って何?」
「ふわふわな雪が、たくさん生まれるんだよ」
「ふぅん……」
しばらくして、ぽつりと石は言った。
「雪って、綺麗なのかい?」
僕はびっくりした。
「雪を知らないの?」
「雪が降れば、おいらは隠れちゃうからね。一度も、雪なんて見たことないさ」
身体が半分地面に埋まった石は、なんだか寂しそうだった。
「僕が掘り出してあげるよ。高い高い位置に置いてあげる」
「いいよ。そんなこと、しなくていい」
石はきっぱり言った。
「春が来たら、教えてくれよ。雪がどれほどのものなのか、おいらにしっかり教えてくれよ」
一緒に見ようよと何度も誘ったけど、石は「うん」って一言も言ってくれなかった。
僕は少し悲しい気持ちだったけど、手を振る。
「約束するよ。雪がすっごいこと、必ず教えてあげるから」
トコトコトコで、さようなら。
石は、すぐに見えなくなった。
***
タッタッタと、駆け出した。
「待ちなさい」と、手が伸びてくる。
「お家に帰ろう」
お父さんにつかまった。
「嫌だよ、嫌だよ。僕は雪の卵を探しに行くんだ」
じたばた暴れても、お父さんは離してくれない。
大好きなお父さんだけど、今日は僕の大嫌いなため息を吐いて言ってくる。
「お前が行っても、見つからないよ」
「じゃあ、お父さんが探しに言ってよ」
大人はずるい。
僕がこう聞くとすぐ黙る。
お面みたいな顔になって、黙っちゃって、大きな大きなため息を吐く。
「お父さんは、行かないよ」
どうして? と、聞いても答えない。
何度も何度も聞いたのに、お父さんは首を振るばかり。
「お父さんは、雪が嫌いなの?」
悲しくなって、僕は聞いた。お父さんは首を振る。
「嫌いじゃないんだ。嫌いじゃなかったはずなんだ。でも、大人になると、いろいろあるんだよ」
好きなものを、素直に好きと言えないんだ。
そんなの、僕にはわからない。
暴れて暴れて逃げ出した。
タッタッタと、駆け出した。
今度はお父さんは追いかけて来ない。
ちらりと後ろを見たら、何だかとても悲しそう。
僕も悲しくなって、前を見た。
タッタッタと、走っていく。
僕は、雪の卵を探すんだ。
×××
とぼとぼ。
ミヨちゃんの横、歩いてた。
「ねぇ、返して。雪の卵」
「嫌よ。絶対に渡さない」
手を真っ赤にして、ミヨちゃんは雪の卵を抱えてる。
僕は困る。仕方なく歩く。
とぼとぼ。
二人で歩いて、歩いていく。
どこへ向かっているのか、知らないけど。
「冷たくない?」
「痛いよ」
真っ白な雪の卵は、手の中でも溶けない。
ミヨちゃんの手は、真っ赤か。
「ねぇ、どうして卵をとったの?」
雪の卵は大切に、雲の上に置いてあったはずなのに。
「産まれるまで、持ってきちゃダメなんだよ?」
みんなみんな知っているのに。
ミヨちゃんはしゃがんだ。泣いていた。
「ミヨは、雪が大っ嫌い」
ぽろぽろ涙を流してた。
涙が雪の卵を濡らすけど、決して溶けはしなかった。
ミヨちゃんのおばあちゃんは、屋根から落ちた雪に押しつぶされて死んだ。
ミヨちゃんのお父さんは、雪道で車が滑って死んだ。
ミヨちゃんのお兄ちゃんは、雪山で遭難して死んだ。
「ミヨも、いつか殺される」
僕は雪が大好きだ。
白くて、綺麗で、ふわふわで、足跡をつけるのが僕の趣味だ。
でも危ない物だって知ってたよ。
白くて、全部真っ白にしちゃうから、どこに行けばいいのかわからなくなるんだ。
だから少し怖かった。
そんな雪が、ミヨちゃんは大嫌いだった。
「ミヨちゃん、雪の卵を返して」
ミヨちゃんは、首を振る。
冷たい卵を抱きしめて、ぶるぶる震えてるのに返してくれない。
だから僕も抱きしめた。
ミヨちゃんを抱きしめた。
「暖かい?」
ミヨちゃんは頷いた。
「僕が手を握ってあげるよ。ミヨちゃんが迷子にならないように、ちゃんと僕がいるよ。だから一緒に、雪合戦しよう、かまくらを作ろう、足跡を付けに行こうよ」
ポチも一緒に誘って、部屋にこもってるお父さんも連れ出して、
春になって、石に話ができるように、いっぱいいっぱい思い出を作ろう。
ミヨちゃんは迷ってた。
だから僕は手を差し出した。
ミヨちゃんは手を掴む。
「あ……」
その隙にするりと抜けだした雪の卵は、空へ空へ上っていく。
ミヨちゃんがまた泣きそうになったから、僕はギュッと手を握ってあげた。
雪の卵が見えなくなった。
すぐに、雪は降りだした。
白いふわふわしたものが、僕らの世界を塗りつぶす。
「じゃあ、行こうよ」
僕は嬉しい。雪が降った。
僕は雪が大好きだ。
ミヨちゃんの手を引っ張って、家へと向かって走り出す。
ミヨちゃんも、ほんの少し笑って言った。
「暖かいね」
手を繋いで、僕らは走った。
ふわふわ降ってくる、白い白い雪の中を。
大人になるにつれて、雪を見るのは好きだけど、雪の中で遊ぶことは寒いから嫌だとしなくなってしまいました。
子どものころは、どうしてあんなに寒さが平気だったのだろうと不思議に思います。
今だからこそ、そのころに帰ってみたかったり。
そんな気持ちで書きました。