追放された天空都市の主席魔導技師、崩れゆく都を捨てて地上で無双しますわ ~最後の残照を、私は買い叩かせていただきます~
「セレスティア・ヴェントラス。貴様の魔導理論は空論だ。我が天空都市を沈める気か」
評議会の間に、婚約者の声が朗々と響いた。
ライオネル・アエルスハイム。金髪碧眼の、見栄えだけは立派な男。
「技師長の職を剥奪し、都市から追放する。そして——お前との婚約も、この場で破棄する」
(ああ、やっぱりこうなったか)
私は静かに息を吐いた。
驚きはない。予測できていた。
私の仕事は、いつだって『予測』なのだから。
見上げれば、天空都市アエリスの評議会堂は今日も美しい。雲海の上に千年浮かび続ける都。その心臓——『浮遊核』を、私はたった一人で守り続けてきた。
老朽化した核は、あと三年で臨界崩壊する。
だから私は提言した。市民の地上避難と、核の出力制限を。
その答えが、これだ。
「都市は永遠だ」
ライオネルが胸を張る。
「お前の陰気な数式より、私の言葉を市民は信じる。崩壊などという縁起の悪いデマで、貴族の資産を暴落させる気か」
彼の隣で、深紅の巻き髪の令嬢が扇の陰で嗤った。ヴィオレッタ・カスティール。都市の高級不動産を大量に抱える、資産防衛派の筆頭。
「崩壊するなんて数式、社交界で口にするだけで下品ですわ。陰気で華のない技師風情が」
(前世でも、上が現場の警告を握り潰すのは同じだったな)
遠い記憶が滲む。
前世の私は、現代日本のインフラ保守エンジニアだった。二十四時間体制の設備監視。誰にも感謝されない裏方仕事。劣化予測の警告を上に上げても、『コストがかかる』と黙殺され——最後は過労で倒れて、それきり。
(またサービス残業か、と言いたいところだけど——今世は、少し違う)
私は無言で立ち上がった。
喚かない。泣かない。すがらない。
ただ、懐から二つのものを取り出し、卓の上へ静かに置いた。
技師長の鍵。そして——自らの手で記した『核崩壊予測書』の写し。
「……何のつもりだ。その鍵と、その紙束は」
ライオネルが眉をひそめる。
「技師長の鍵。そして、私が記した『核崩壊予測書』の写しです」
私は淡々と告げた。怒りも憎しみもない、凪いだ声で。
「わかりました。では、後始末は皆様でどうぞ」
それが、かえって場を凍らせたらしい。
「な……喚かないのか。すがりもしないのか」
「喚いたところで、数式は一文字も変わりませんので」
ヴィオレッタの扇が、止まっていた。
私は踵を返しながら、肩越しに言い添えた。
「——ああ、一つだけ。核室の第七封印には、二度と触れないことです」
「……去り際に脅しか。愚かな女だ」
返事は待たなかった。
扉が閉まる音を背中に聞きながら、私は思う。
(さて。三年——いいえ、あなたたちの慢心なら、もっと早い)
私が救うのは、この石でできた都ではない。
人だ。
───────
地上は、久しぶりだった。
雲海を貫いて降下する魔導昇降機の窓から、緑と土の匂いが流れ込んでくる。石と魔力に閉ざされた天空都市とは、まるで違う世界。
だが感傷に浸る時間はない。
私には、やることがある。
昇降機を降りた辺境の地——そこで私を待っていたのは、二メートル近い巨躯の男だった。
浅黒い肌に古傷。逆立った鋼色の短髪。鋭い金の瞳が、値踏みするように私を見下ろす。
「空から落ちてくるのは、瓦礫か、死体か、税か」
無愛想な第一声だった。
「今日は、追放されたご令嬢ときたか。珍しい荷物だ」
(歓迎ムードゼロだな)
「セレスティア・ヴェントラスです。竜騎士団『残照騎士団』の団長、ガルデス・ドラクレア殿ですね」
「よく知っているな」
「あなたの団が、雲海に落下した天空都市の民を長年拾い続けている。それも——これが、その理由です」
私は一枚の書類を差し出した。『核崩壊予測書』。私が命を削って書いた、都市の余命の記録。
ガルデスの太い指が、それを受け取る。
彼のページをめくる手が、ふと止まった。
落下死亡者数の推移。年ごとの増加曲線。私が浮遊核の劣化から逆算して弾き出した、静かな死の予測。
「……これは」
金の瞳が揺れた。
「俺の団が、三十年拾ってきた死体の数と……ぴったり一致する」
沈黙が落ちた。
風が、彼の鞍に括りつけられた無数の木札を鳴らす。名もなき墓標。身元不明の落下者のために、彼が一つ一つ手彫りしたもの。
「お前は……ずっと、一人で計算していたのか」
大の男の声が、掠れた。
「俺が死体を数えていた三十年、お前は——生きて逃がす数を、数えていたんだな」
(ああ、こういう人か。無愛想で戦闘狂に見えて、その実、誰にも褒められず死者を拾い続けてきた男)
私は少しだけ、喉の奥が熱くなるのを感じた。前世から今まで、私の数字を『正しい』と認めてくれた人間は、ほとんどいなかったから。
「泣いていますか」
「泣いてなどいない」
即座に、彼は顔を背けた。
「別に、心配などしていない。ただ——有能な技師を、無駄死にさせるのが業腹なだけだ」
(照れ隠しが下手すぎる)
「ガルデス殿。あなたの三十年の記録が、私の予測書の裏付けになります。手を貸してください」
「何をする気だ」
私は雲海の彼方——遥か上空に浮かぶ、故郷の都を見上げた。
「都市を、救います。ただし——石ではなく、人を」
───────
辺境領主の館は、質素だが抜け目のない造りをしていた。
主のバルド・トレンフィスは、狐のように目を細めた恰幅の良い中年だった。磨き上げた禿頭を撫でながら、私の予測書を三度読み返す。
「空の都が落ちるなど、与太話にもほどがある」
「では、これはどうです。ガルデス殿」
「三十年分の落下記録だ。とくと見ろ」
ガルデスが卓に、分厚い記録を広げる。
バルドの細い目が、わずかに見開かれた。
「……予測書の曲線と、実測が一致しておる」
「あと数年で、天空都市アエリスは雲海へ沈みます。浮遊核は砕けて落下する。その破片は——地上のどんな鉱脈より純度の高い、希少魔力結晶です」
バルドの指が、机を叩き始めた。商人の計算の音だ。
「つまりお前さんは、崩壊前の今のうちに……落ちてくる魔導遺産の回収権を、格安で買い占めたい、と」
「ご明察です」
「これは……博打ではなく、確定した未来か」
彼はしばし唸り、それから豪快に笑った。
「気に入った。わしは信仰も名誉も食えん。食えるのは、正しい予測を先に買った者だけよ」
羽ペンが、契約書を走る。
(前世の私に見せてやりたい。警告を握り潰されたエンジニアが、今度は自分の予測を『資産』に変える日が来るなんて)
「だがセレスティア殿」
バルドが顔を上げた。
「回収権だけでは、お前さんは救われても、都の民は救われんぞ」
「——それは、もう手を打ってあります」
扉が開いた。
入ってきたのは、亜麻色の短髪にそばかすの少女。翠の瞳が、私を見た瞬間に潤む。
「師匠……!」
「ミル。無事だったのね」
ミル・ラティエ。私の下で学んだ技師見習い。下層区画出身の平民の娘。
「みんな、地上に降りられました。師匠が作ってくれた避難導線、ちゃんと機能しました……!」
バルドが眉を上げる。
「避難導線……?」
「追放される、ずっと前から」私は淡々と答えた。「私の警告を信じてくれた者たちだけを、密かに地上へ逃がす経路を作っていました。技師見習い、下層の職人——貴族が見向きもしない、けれど都市を実際に支えていた人々を」
ミルが涙を拭いながら、続ける。
「師匠の数式は、嘘をつきません。数字は、貴族みたいに人を裏切らないもの」
(この子の言葉には、いつも救われる)
バルドが感嘆の息を漏らした。
「なるほどのう。回収権で資金を得て、逃がした民を受け入れる。石を捨てて、人を拾う……見事な設計図だ」
私は窓の外、遥か上空の都を見上げた。
(さあ、あとは——あなたたちが、欲に負けるのを待つだけ。第七封印。それが慈悲でないことを、彼らはまだ知らない)
───────
天空都市アエリス、評議会堂。
セレスティアが去って、まだ数ヶ月。
ライオネル・アエルスハイムは、苛立っていた。
「不動産価値が下がっているだと?」
「はい。あの女が去ってから、市民の間に妙な噂が……『技師長が正しかったのではないか』と」
報告の書記官を、ライオネルは睨みつけた。
「馬鹿な。あんな陰気な数式を信じる者など——」
「あら、ライオネル様」
深紅の巻き髪を揺らして、ヴィオレッタが歩み寄った。
「簡単な話ですわ。核が『元気だ』と、皆に見せつければよろしいのよ。浮遊核の出力を上げて、都市を今まで以上に輝かせるの。そうすれば、資産価値もうなぎ登り」
「出力を、上げる……」
「核室に、まだ使われていない封印があると聞きましたわ。第七封印、でしたかしら」
ライオネルの脳裏に、あの女の去り際の言葉が蘇った。
——核室の第七封印には、二度と触れないことです。
「……あの女が、触れるなと言っていた」
「まあ」ヴィオレッタが扇の陰で嗤う。「それこそが証拠ですわ。触れられたら困る——つまり、そこに封じられているのは、彼女が独り占めしていた核の『真の力』。去り際の脅しで、私たちを遠ざけようとしたのですわ」
「……なるほど。あの女は最後まで、私たちを見下していた。ならば——その封印、私自身の手で解いてやろう」
愚かな男の目に、欲の光が灯った。
(そうして、彼らは触れた)
核室の最奥。第七封印。
それは本来、老朽化した浮遊核の負荷を『逃がす』ための、最後の安全弁だった。触れれば安全弁が解除され、核は制限なく全力稼働する。
——そして、耐えられずに砕ける。
封印が解かれた瞬間。
浮遊核が、これまでにない眩い光を放った。
「見ろ! 都市が輝いている! これが真の力だ!」
ライオネルが歓声を上げた、その直後。
光が、赤く濁った。
地鳴りが、千年の都を揺らした。
「な——なんだ、これは。光が、赤く……」
警報が鳴り響く。核室の魔力計が、見たこともない数値を刻み——臨界。
セレスティアの予測書に記された、たった一行。
『第七封印解除時——崩壊までの猶予、七日』
───────
崩壊は、予告どおりに始まった。
いや——予告よりも、美しく、無慈悲に。
地上から見上げる雲海の上で、千年浮かび続けた都が、ゆっくりと傾いでいく。
「師匠……! 都が、傾いていきます……!」
ミルが息を呑む。
私は、静かにそれを見つめていた。
(七日。避難導線を使えば、逃げる意思のある者は全員逃げ切れる時間)
私が第七封印に『触れるな』と告げたのは、慈悲ではなかった。
貴族たちが必ず欲に負けて触れる、と読み切っていた。
そして触れれば、崩壊は『予告どおり』のタイミングで早まる。
——避難を最優先にしつつ、逃げ遅れる無辜の民を最小にし、なおかつ加害者だけが逃げ場を失う。
そのギリギリの一点を、私は設計していた。
因果の罠。数式で編んだ、静かな断罪。
「ガルデス殿」
「ああ」
巨躯の竜騎士が、竜の手綱を握る。
「残照騎士団、全機出動。落ちてくる民を、一人残らず拾え」
「——三十年で、初めてだ」彼の金の瞳が濡れていた。「拾うのが、死体じゃなく……生きた人間なのは」
竜たちが、雲海へ舞い上がっていく。
避難導線から脱出した市民たちが、次々と受け止められていく。技師見習い、下層の職人、私の数字を信じた者たち。
その頃——傾いた都市から、一人の男が落ちていく。
ライオネル・アエルスハイム。
避難導線の存在も知らず、資産価値の維持に固執し、逃げ遅れた男。
落下しながら、彼はようやく——本当にようやく、気づいたのだという。
後にガルデスの団員が拾い、辛うじて息のあった彼が呟いた言葉。
「セレスティア……お前は、本当に……都市を、救おうとしていたのか」
(失ってから、気づく後悔。だが、遅い)
そして、ヴィオレッタ・カスティール。
彼女は最後まで、屋敷の権利証書を胸に抱えて逃げ惑ったという。避難導線の存在すら知らず、石の価値にすがりついたまま。
「何もかも……あの女が正しかったなんて、認めませんわ……!」
その往生際の悪い叫びは、雲海に呑まれて消えた。
(人を選んだ私と、石を選んだあなた。その差が、これです。石に執着した者は、石とともに沈む)
私は空を見上げた。
崩れゆく都市の残照が、雲海を赤く染めていた。
───────
崩壊の後。
落下してきた浮遊核の破片は、契約どおり、私たちの手で回収された。
希少魔力結晶。かつて千年の都を浮かべた力の残骸は、今——地上の新時代を動かすエネルギー源に変わる。
「師匠! 見てください、この結晶の純度……!」
ミルが、輝く破片を掲げて駆けてくる。
「師匠が三年、たった一人で守り続けたものが……今度は、みんなの未来になるんですね」
彼女の翠の瞳から、涙がこぼれた。
(この子の涙は、いつも私の代わりに流れる)
私は破片を回収する市民たちを見渡した。
避難導線で生き延びた者たち。天空都市では貴族に見下されていた、下層の職人や技師見習い。
彼らが今、この地上で——新しい何かの担い手になろうとしている。
「『墜ちた星の技師ギルド』。そう名付けましょう。石の都は沈んだ。でも、人が興す都には、名前が要る」
バルド・トレンフィスが、恰幅の良い体を揺らして笑った。
「見事なものだ。追放された令嬢が、地上に新たな都を興すとはな。わしの後ろ盾、たっぷり使うといい——利益は折半で頼むぞ」
(最後まで抜け目がない。でも、嫌いじゃない)
夕暮れ。
私は一人、丘の上に立って、雲海を見つめていた。
都市が消えた空。ただ、残照だけが赤く尾を引いている。
「未練はないのか」
背後から、低い声。ガルデスだ。
「お前の故郷だ」
私は、残照を見つめたまま答えた。
「永遠だと驕った都は、沈みました」
風が、私の銀灰色の髪を揺らす。
「——でも、人は残る。私が救うのは、石ではなく、人ですから」
しばしの沈黙。
それから、ガルデスがぼそりと言った。
「……お前は、変わった女だな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「別に、褒めてなど——」
「はいはい」
(照れ隠しは、もう聞き飽きました)
彼は決まり悪そうに鼻を鳴らし、それでも、私の隣を立ち去らなかった。
同じ人を救ってきた者同士。
三十年、死体を数え続けた男と、生きて逃がす数を数え続けた女。
言葉は、いらなかった。
——その時だった。
「師匠——!」
ミルが、血相を変えて丘を駆け上がってきた。
手には、回収した魔力結晶と接続した、簡易の探査魔導具。その針が、ありえない振れ方をしている。
「これ……変なんです。落ちてきた核の破片の底から……脈動が、検知されて」
「脈動?」
私は探査魔導具を覗き込んだ。
規則正しい、鼓動のようなリズム。
私の背筋を、冷たいものが走った。
(この波形は——浮遊核のもの。でも、アエリスの核は、砕けて死んだはず)
ならば、この鼓動は。
「まさか」
前世の記憶が、警鐘を鳴らす。
——冗長設計。
重要なインフラには、必ず予備がある。故障に備えた、二重の心臓。
「アエリスの核は……一つではなかった。千年前、都市を設計した者たちは——冗長化していた。第二の浮遊核を、どこかに」
ミルが息を呑む。
「じゃあ……もう一つ、天空都市があるってことですか?」
「あるいは、これから浮かぶ都市の、核が」
探査魔導具の針が、なおも脈打つ。
遥か遠く。雲海の、さらに向こう。
まだ稼働する『第二核』が、地上の私たちに呼びかけるように、鼓動を続けている。
「師匠……どうするんですか」
ミルが、不安と期待の入り混じった瞳で私を見上げた。
ガルデスが、無言で竜の手綱を握り直す。彼の鞍には、もう新しい墓標は括られていない。
バルドの声が、風に乗って聞こえた気がした。
——正しい予測を、先に買った者だけが、食える。
私は、静かに笑った。
(前世で握り潰された警告。今世で証明された予測。次の都市が沈む前に。今度は、最初から救ってみせる)
「決まっています」
私は、亜麻色の髪の少女に告げた。
「もう一度、数えるだけです。——今度は、逃がすためではなく」
残照が、ゆっくりと夜に溶けていく。
その闇の奥で、第二核の鼓動だけが、確かに、脈打ち続けていた。
墜ちた星の技師ギルド、始動。
物語は、まだ終わらない。




