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鬼さんコチラ、桃なる方へ!  作者: 四辻十壱
第三章 街の妖怪たち

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第52話 軽い身体


「おっはよー美鬼ちゃん!」


 軽快な狗谷木の声が通勤路に響いた。

 俺達の後ろからやってきた狗谷木は鬼村の横に並んでにこにこと笑みを浮かべている。


「おはよ、久しぶりじゃん朝うちの方まで来んの」

「えへへ~、今日は朝練無いから来ちゃった~♪」

「最近全然顔見なかったけど、また変なもの拾ったりしてない?」

「してないってば! 最近は親父にこき使われてたからあんまし美鬼ちゃんと遊べなかったの! ってことで今日遊べる?」

「今日はバイト」

「そんなぁ~……あ、桃間先生おはよー」


 まるで今気づいたかのように声をかけてきた狗谷木に、俺は振り返って「おはよう」と満面の笑みで返事をしてやった。その瞬間に狗谷木の表情が凍る。


「え」

「なんだよ」

「先生なんでそんな機嫌良いの……いっつももっとむすーっとして顔の真ん中ぎゅーってして妖怪みたいにすんげー極悪ヅラしてんじゃん」

「誰が極悪面だ」


 嫌味な狗谷木にいつもならばもう少し言い返したいところだが、今日はそこまで腹は立っちゃいない。

 実際、狗谷木の言う通り俺の機嫌は良い。

 先日鬼村と共に夜中に突然やってきた獏という妖怪が置いていったキーホルダーを半信半疑で使ってみたところ、翌朝の目覚めがすごく良いんだ。おかげで目の下のクマも薄くなってきた気がする。(いや、気のせいかもしれない)

 でも、だるさ……とは違うけどちょっと妙な感じはあるんだよな。喉の奥に違和感っていうか、変なもんでも飲み込んだみたいな感じ。正直少し前からこの感覚はあったけど、疲労感が上回って気にならなかったというか。


 にしても──鬼村によると、俺の寝ている間に侵入してきている奴がいる、ってことだったが……毎日俺の夢の中に入ってきて何がしたかったんだ。相手が誰かもわからない為理由は想像もつかない。でもまあこのキーホルダーさえあればもう大丈夫……いや、一週間で効果が切れる、とか言ってたか?


「なあ、あのキーホルダーはまた頼んだら貰えるのか?」


 俺が問いかけると、鬼村は鬱陶しそうに狗谷木の顔面を押し退けながらこちらを見た。


「もしかして結構気に入ってる感じ?」

「ああ、まあ」

「あれ~一個一万円って言ってたよ」

「いっ……!?」


 舌を噛みそうになる。

 一週間で効果が切れるもんに、一万円……。


「早く言えよ……」

「え~いつ言ったって一緒じゃん?」


 鬼村は首を傾げていたが、言わなかったのはわざとだったように思う。こいつ、俺を弄びやがって。


「まあでも、長らく眠りの質が悪かったからなー……ここ数日気持ちよく寝れてるだけでラッキーだよ」

「そんなに寝れてなかったの~? いつから?」

「あー……大学入ってから、とか」

「それってもう十年以上ってこと?」


 鬼村がそう言うと、狗谷木が横から「ねぇねぇ何の話?」と口を挟んだ。鬼村は面倒くさそうにしたが、ざっくりと説明してやっていた。


「ま、俺は正直もう慣れてるから気にしてねぇよ。これからはたまーにあのキーホルダーでも買ってゆっくり寝れりゃいいかな」


 俺はまるで身軽になったかのように腕をぐるぐると回してみる。いや事実、体は軽い。睡眠のありがたさってもんを感じるな。


「えーでも先生、オレは気を付けた方がいいと思うな~」

「ん?」

「妙に調子いい時に限ってさぁ、やべーこと起こったりするじゃん?」


 狗谷木の表情は険しい。まるで俺を心配しているかのような……だが俺は半笑いで答えてやる。


「それって自分のことじゃないのか?」


 俺の言葉に、狗谷木はぎくりとした表情を浮かべた。

 一か月近く前のことが俺の頭の中で思い出される。妙なピアス──妖力の結晶体による力で狗谷木が暴走した時のことだ。狗谷木も同様にその時のことが頭に浮かんだのか、顔を真っ赤にして「オレのことはいーんだよ!!」と吠えていた。

 調子の良い時に限って、ねぇ……ちょっと体が軽くなっただけだろ。いや、こういう時に面倒な仕事が舞い込んできて睡眠不足に陥ったり……? そりゃどうあっても避けたいもんだわ。


 俺達は駅に辿り着くと吸い込まれるようにして電車へと乗り込んだ。



 ***


 ──午前の授業が終わった。

 今日は午前中すべてのコマが授業で埋まっていた為、俺はようやく解放されてほっとした。午後は授業はなく、ようやく別の仕事に取り掛かれる。

 職員室の扉を開ければ、まだまばらだったが授業から戻ってきた先生たちがそれぞれ席についている様子が見えた。


「桃間せーんせ♪」


 自分のデスクに着くなり河原先生が話しかけてきて、俺は仕方なしそっちを向いてやる。


「午後授業無いんですよね? 外に食べに行っちゃいます?」

「河原先生も無いんですか?」

「ありますけど、今から行けば間に合いますよ~」

「間に合わなかったらどうすんだよ」


 俺の返答に「ちぇっ、だめかぁ」と河原先生は唇を尖らせた。


「そういえば桃間先生……日に日に顔色良くなってません?」

「え?」


 河原先生はおもむろに俺の顔をじろじろと覗き込むと、怪訝そうに目を細めた。


「なんかありました? いいストレス解消法とか見つけちゃったんです?」

「最近よく寝れてるってだけですよ」

「へぇー、なんか肌ツヤとかいいですもんね?」

「そんなんはさすがにわかんねーけど……」

「なーんかちょっと機嫌も良さそうだし、変なこと言ってもいつもよりはすぐ怒らなさそうだし~……あんまり爽やかな桃間先生になっちゃうと気持ち悪いですよ?」

「おい、失礼なことを言ってる自覚あるんだろうな?」


 いくら機嫌がいいとは言えイライラしないわけじゃない。人の神経を逆撫でしようとする河原先生に笑顔を引きつらせた。と、その瞬間何か込み上げるような感じがして気持ち悪くなる。


「っ……」

「ん? どうしました?」

「いや……ちょっと吐き気が」

「ひとの顔見て吐き気とか言わないでくださいよー! 桃間先生の方が失礼じゃないですか!」

「うっせぇなー……そういうわけじゃないだろ」


 気持ち悪さはすぐに引いていき、俺は深呼吸をした。別に賞味期限のやばいものを食べた記憶もないんだが……。


「……それじゃ準備室戻りますんで」

「えーここでお昼食べないんですか~。もしかして鬼村ちゃん特製の愛妻弁当を持ってきてて恥ずかしいから一人で食べたり?」

「コンビニ弁当だっての」


 間髪入れずにつっこみ、俺は席を立った。

 何が愛妻弁当だよ……って、実際あいつは作るって言ってるのを断ってるだけなんだよな。別に鬼村が作る飯は美味いし、食いたくないわけでもないけど……いやいやほだされるな。何血迷ったこと考えてんだ。


 職員室の扉を開け、廊下へと出る。ふと視界に映ったのは階段を上ってきた山上さんだった。職員室に用があるんだろう。彼女は俺に気が付くと小さく会釈をして通り過ぎようとしたが、俺はあっと声を上げた。それに反応して山上さんは立ち止まる。


「……なんですか?」


 いつもの冷たいような声色で問いかけられ、俺は一呼吸ののち答えた。


「あの、体調とか大丈夫ですか?」




 ──山上さんとはここしばらく顔を合わせていない。休んでいたというわけじゃないだろうが、ずっとタイミングが合わなかった。体調を心配したのは顔を見ていなかったから……ではない。二週間ほど前に化け狐が俺を襲ってきた時、



 『山の神はお前を守ってくれない』



 ──そういうことを言っていた。その時は何のことか全くわからなかったが、そのあとから山上さんの姿を見ていなかった為少し心配だったんだ。もしかすると、山上さんも襲われたんじゃないだろうか、と。それでなくとも何らかの事情で姿を現せられないのではないか──




「──体調ですか、はあ、なんともありませんよ」

「あ、あー……そうなんですね。そりゃよかった」

「何か」

「いやちょっと……あの、二週間くらい前、何かありました?」

「二週間前?」


 山上さんは少し考えるような素振りをすると、じっと黙り込んだ。何かあったのか無かったのか、どちらか判断がつかない。


「実は学校で怪物に姿を変えた化け狐に襲われて。その時『山神は来ない』みたいに言ってたので……何かあったのかと。何もなかったんなら良かったです」


 俺が苦笑いして見せると、山上さんは今までに見たことないようなきょとんとした顔を見せ、それからいつもの冷たい無表情に戻った。


「別に私の身に危険は何もありませんよ」

「あはは……はい、何もなかったんならそれで──」

「桃間先生はもう少しご自分の心配をなさってくださいね」

「……はい?」


 心配をしていたはずの自分が、何故か逆に心配されて首を傾げる。


「いやー……はは、それなりに心配してるつもりではありますけど。ええと、ご心配ありがとうございます……?」

「いえ、心配はしていません。私はあの鬼娘と違ってあなたに死なれたら困る、といった感情はありませんから。私の手でどうこうすることもないだけです」

「あー……はい、そうですか」


 それもそうか。

 元々こいつは俺を殺そうとしていた奴だ。


 俺が最古の鬼とやらの復活に関わるとかなんとかって話で、山を守る為にもそれを山神は阻止したい。

 だから俺が死ぬことにはどちらかといえば賛成、ってことだよな。


 和解したつもりでいたけど、限りなく味方に近い敵、みたいなもんか……。


 ま、攻撃されないだけマシだ。

 そんなことを言えば狗谷木だって似たようなもんだしな。



「──風の噂で聞きましたが、あなたを喰らうと力を得られる以上の苦しみを得るそうですね」

「えっ?」


 急な話に素っ頓狂な声が出てしまったが、すぐに思い当たる。あの医者──アマビコが流した噂だろう。『桃間を食べると力を得られる』の反対の噂を流す、なんて言ってただろうか。


「えーっと、その噂ってどんな噂なんです?」

「……いろいろ尾ひれはついていますが、桃間を食べると四肢が溶けてなくなるだの、身体を動かす度に痛みを感じるだの、そういったものですね。四肢が溶けてなくなるというのは、元々四肢が無い妖怪はどうなるのでしょうか」

「はあ……」

「とにかくどれもこれも『桃間を食べさせないようにする噂』のようには感じましたが、あながち間違いではないのでしょう。強大な力にはリスクが伴うのは当然のこと」

「まあ、そうですかね」


 俺は少しほっとしたように表情を弛緩させた。だが山上さんの表情は反対に強張る。



「けれど、この噂によってあなたを狙う妖怪は減るかもしれませんが、裏を返せば『そうだとしても桃間の力が欲しい者』があなたを狙いに来るということ。もしくは、強大な力を持つあなたを潰しておきたいと考える者たちが襲いに来るということです」



 山上さんの目が細くなり、その奥の瞳が俺を貫いた。




「今日の帰りもどうぞお気を付けください」




 俺の横を、通り過ぎていく。後ろで職員室の扉が開き、閉まる音がした。




 去った山上さんの見えなくなった背を視線で追いながら、俺は頭を抱える。



「結局面倒事は続く、ってことだよな」



 せっかく眠れるようになって軽くなった身体が、ずんと重くなっていくように感じた。




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